二人だけの水族館とお盆の夢

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俺はじいちゃんが大好きだった。

二人だけの水族館の話をする前に、まず、じいちゃんの話をさせてほしい。

夏になるたびに、思い出す人だから。

初孫だったこともあって、じいちゃんも凄く俺を大事にしてくれた。

俺はあまりおねだりが得意な方じゃなかったけど、色々な物を買ってくれた。

また、虫採りや泳ぎを教えてくれたり、デパート、遊園地…本当に色々な場所に連れて行ってくれた。

夏休みの朝は、いつも五時半に起こされた。

じいちゃんは、麦わら帽子を俺の頭に載せて、虫かごを肩に掛けさせる。

雑木林の入り口で、じいちゃんは必ず、帽子を取って一礼した。

「お邪魔します、って言うんだ。ここは虫の家だからな。」

カブトムシを捕まえても、じいちゃんは三日で逃がさせた。

「ええか。家族が待っとる。」

川では、息継ぎを教わった。

「慌てるな。顔を上げるときだけ、口を開けろ。」

溺れかけた俺を、じいちゃんは片腕で支えて、ゆっくり岸まで運んだ。

「ええか。ちゃんと見たもんは、消えん。」

その口癖の意味を、当時の俺は、ぜんぜん分かっていなかった。

ただ、川面に反射したじいちゃんの笑顔が眩しくて、頷いただけだった。

小三の夏、俺は約束を破った。

どうしても手放したくなくて、カブトムシを一週間、押し入れに隠して飼った。

七日目の朝、虫かごの中で、カブトムシは動かなくなっていた。

俺は、泣きながらじいちゃんのところへ行った。

じいちゃんは、怒らなかった。

庭の隅に小さな穴を掘って、一緒に埋めてくれた。

「悪いことをしたと思うなら、次は、ちゃんと見て、ちゃんと逃がせ。」

「見たもんは、お前の中で、生きとるからな。」

近くに大きな運動公園が出来るという時、俺と来るのが楽しみで仕方がないのか、まだ建設中のサラ地に連れて行ってくれるほど可愛がってくれた。

でも、その運動公園が完成しても、じいちゃんが連れて行ってくれることはなかった。

俺が小学4年生のある夏、突然、帰らぬ人になってしまった。

完璧主義で我慢しいだったから、身体が良くないことをみんなに隠していたみたい。

遂に倒れてしまった時は、もう手遅れだった。

倒れたと連絡があった日、俺は学校の帰り道で、母の自転車に乗せられた。

病院の廊下は、消毒液の匂いがした。

面会の時間は、五分だけだった。

ベッドのじいちゃんは、細い管をいくつも付けていた。

それでも、俺を見ると、口の端だけで笑った。

「来たか。」

「うん。夏休みの宿題、全部終わったよ。」

「そうか。えらいな。」

それが、最後の会話になった。

もっとちゃんと見ておけば良かったと、あの病室の廊下で、何度思ったか分からない。

病室の窓の外で、蝉が鳴いていた。

それが、いつまでも耳の奥に残っている。

格好良くて何でも出来て、世界一のじいちゃんが居なくなる訳ないと思っていたから、葬式の時も実感がなく、寺までの道を一人で迷ったりしてへらへら笑っていた。

でも、家に帰って一人になってから、突然糸が切れた様に大泣きしちゃったんだけどね。

葬式の日、じいちゃんの麦わら帽子は、玄関の帽子掛けに掛かったままだった。

誰も、それを動かせなかった。

それから半年、俺は、庭の隅の穴の場所を、何度も見に行った。

土の色は、もうほかと同じになっていた。

見たもんは消えない、と言ったのに、目に見える跡は、どんどん消えていく。

その矛盾が、小学生の俺には、とても悔しかった。

そんなこんなで、じいちゃんのいない日々をぼんやりと過ごしていた俺。

色々やることがあって自分だけでいっぱいいっぱい…だけど急に思い出すんだよね…じいちゃんのこと。

泣き疲れて見た夢

ある日、お盆だからじいちゃんの話を家族とした時かな。

その日、うちの玄関では、迎え火が焚かれていた。

オガラの燃える匂いが、夕方の空気に混じっていた。

仏壇の前には、きゅうりの馬とナスの牛が並んでいる。

「早く来てもらえるように、馬。」

母が、そう言って笑った。

「帰りは、ゆっくり牛でな。」

ばあちゃんが、続けた。

俺は、縁側に座って、小さな煙が空へ上っていくのを眺めていた。

その煙の行方を、いつまでも目で追っていた。

じいちゃんを思い出して、葬式の日以来の大泣きをした。

剣道を始めたこと、絵のコンクールで入賞したこと、中学、高校無事に進学したこと…全部全部、じいちゃんに報告したかった。

じいちゃんに喜んで欲しかった。

それが悔しくて悲しくて、泣いた。

そしたらさ…泣き疲れて眠って見た夢。

俺は夢を見る時って、大体行ったことのある景色が中心なんだけど、何か覚えのない、美術館のような白い空間にいた。

ぼーっと突っ立っている俺。

すると遠くから人が歩いて来た。

…逢いに来てくれたんだ、じいちゃんが、俺に。

思い出の夢とか、じいちゃんが生きていたら…という夢ならよく見ていた。

みんなもそんな経験多いだろうけど。

まあ、それが夢だもんな。

でもさ、違うんだ、その時は。

確かに夢なんだけど、俺はじいちゃんが亡くなったと解っている。

そのことで大泣きして寝たことも覚えている。

じいちゃんも自分がもうこの世にいないことを自覚している。

本当に夢の中にじいちゃんが逢いに来てくれてんだよ。

…まあ、そのことについて確信を持ったのは、もっともっと後のことなんだけどさ。

「○○(俺の名前)!」

厳格なじいちゃんが俺の前でだけ見せてくれる笑顔で俺を呼んだ。

涙が出そうだったけど、ぐっと我慢して駆け寄ったよ。

「元気か?」

「うん。」

とか、本当他愛も無い会話を交わしてさ、その空間を二人で歩いていた。

手を繋いでいたような覚えがあるな。

「背、伸びたな。」

「うん。四センチ伸びた。」

「剣道も始めたそうじゃないか。」

「え、なんで知ってるの。」

「ばあさんに聞いた。」

じいちゃんは、いたずらっぽく笑った。

「竹刀はな、小指から締めるんだ。親指に力を入れると、手首が固まる。」

「分かった。小指ね。」

白い床は、冷たかった。

足音が、少しも響かなかった。

遠くで、水の揺れるような音がしていた。

じいちゃんの匂いがした。

煙草と、樟脳と、畳の匂い。

夢の中で匂いがするなんて、そのときまで知らなかった。

じいちゃんの歩幅は、記憶より少し、小さかった。

合わせようとして、俺が歩幅を狭めると、じいちゃんは笑った。

「無理に合わせるな。お前の歩きでいい。」

その言葉が、ひどく胸に染みた。

そしたら、いつの間にか水族館のような場所に着いたんだ。

よくあるだろ? ガラスのトンネルになっているやつ。

あれ。

そこに二人で入って行ったんだ。

ガラスの向こうは、淡い青だった。

ゆっくり、大きな影が頭上を横切る。

エイだった気がする。

けれど、確かめようとすると、形が溶けた。

足もとの床が、波のようにゆっくり揺れていた。

じいちゃんの手の温度だけが、はっきりしていた。

俺は嬉しくて、きょろきょろ辺りを見回していた。

それをじいちゃんも嬉しそうに見ていてくれていた。

それからも本当に夢中になって、何かを見つけたのか、ふとじいちゃんの方を振り返った。

そしたらじいちゃん、もういなかった。

懸命に探した。

もう大泣きだよ。

だけど時間切れ。

覚める…と言うより、別の空間から戻されたような感覚がして目を開けた。

もちろん、涙がぽろぽろ溢れてきた。

次の年のお盆

その時は、不思議な夢だったな程度に思っていた。

さっきも言ったけど、逢いに来たんだと確信したのはもっと後。

というのは、次の年の盆、またあの空間に俺は居たんだ。

そこで初めて俺は、「ああ、これはじいちゃんが夢を使って俺に逢いに来てくれてるんだな」と実感したんだ。

今度は、二人でその白い空間をずっと歩いているだけだった。

離れないようにぎゅっと手を握って、視線もじいちゃんから外さなかった。

またいつの間にかいなくなっちゃったら嫌だからね。

寝る前に、報告したいことを、頭の中で順番に並べていた。

一つ目は、中学の部活。

二つ目は、絵の賞状。

三つ目は、ばあちゃんの腰の具合。

けれど、じいちゃんの顔を見た途端、全部、頭から消えた。

「何か言いたいことがあるんだろ。」

「ある。でも、忘れた。」

「ははは。」

じいちゃんが、声を出して笑った。

「全部、知っとる。」

そう言って、大きな手で、俺の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

その手の重さが、現実の記憶と寸分違わなかった。

でもな、やはり時間切れは来た。

戻される感覚が近くなってくる。

俺はじいちゃんと固く握手して、「また逢いに来てね」と精一杯笑った。

じいちゃんが何を言ったか分からなかったけど、頷いてくれていたと思う。

記憶が曖昧なのは、刹那、眩しくて目を閉じてしまったから。

目を開けると、じいちゃんはいなかった。

俺は自分から現実の世界に戻った。

目が覚めて、枕元の時計は朝の五時半を指していた。

夏休みの朝、じいちゃんが起こしに来てくれた時間と、同じだった。

三年目の盆は、高校受験を半年後に控えた夏だった。

その年、じいちゃんは、いつもの白い空間に、椅子を二つ置いて待っていた。

「座れ。」

「歩かないの?」

「今日は、話を聞く日だ。」

俺は、腰を下ろして、迷っていることを全部話した。

志望校を、一つ下げるか、そのままにするか。

じいちゃんは、黙って聞いていた。

全部話し終わると、じいちゃんは言った。

「迷ったら、小指から締めろ。」

「剣道の話?」

「何でも同じだ。」

「手の力を入れる場所を間違えると、全部が空回りする。」

「まず、一番端っこを、きちんと握れ。」

意味は、そのときは半分も分からなかった。

けれど、目が覚めたとき、俺は志望校を下げないと決めていた。

受験の当日、鉛筆を持つ手の小指に、そっと力を入れた。

指先が、すっと落ち着いた。

合格発表の日、掲示板の前で、俺は小さく言った。

「ありがとう、じいちゃん。」

後ろにいた母が、不思議そうな顔をして、でも何も訊かずに、俺の背中を叩いた。

母方の親戚の話

それからもじいちゃんは、盆になったら俺に逢いに来てくれる。

いや、結局思い込みじゃないかと言われるかもしれないが…本当に違うんだよ、あれは。

じいちゃんは母方の祖父なんだけど、母方の親戚には霊感があるという人が多いんだ。

そんなばあちゃんとおじちゃん(長男)も、盆に必ずじいちゃんに逢っているんだと。

夜に目を開けたらじいちゃんが立っていて、毎回何か一言言って消えるらしい。

とまあ、こういう話もあって、我が家ではみんな信じているんだな。

去年の盆、仏間でばあちゃんに訊いてみた。

「ばあちゃんは、じいちゃんに、何て言われるの。」

ばあちゃんは、湯呑みを両手で包んで、少し考えた。

「毎年ね、違うんだよ。」

「去年は『冷たいもんばっかり飲むな』だった。」

「その前は?」

「『よう笑え』。」

「そんだけ?」

「そんだけ。でもね、それが、じいさんらしくてね。」

ばあちゃんは、目尻の皺を深くして笑った。

長男のおじちゃんは、別の言葉を貰っているらしい。

けれど、それは「男同士の話だ」と言って、誰にも教えてくれなかった。

おじちゃんは毎年、深夜に台所へ水を飲みに起きて、冷蔵庫の前でじいちゃんと鉢合わせるらしい。

「おう。」

「おう、じゃないよ、父さん。」

そんなやりとりを、おじちゃんは毎年、少し照れながら話してくれる。

盆の最終日は、送り火を焚く。

ばあちゃんは、いつも、一番最後まで玄関に残る。

「また来年な。」

小さな声で、そう言う。

その横顔は、毎年、少しだけ小さくなっていく。

来年も、再来年も、こうして並んで立てたらいいと、俺は思う。

煙が、細く、まっすぐ上っていった。

二人だけの水族館のわけ

ちなみに、なぜ最初に水族館へ行ったのか、後から謎が解けた。

じいちゃんが亡くなってからだけど、親戚が住んでいる大阪に大きな水族館が出来てさ。

じいちゃんと行きたかったなと思っていたんだよね。

それをじいちゃんが叶えてくれようとしたんじゃないかな。

俺は実際そこへ行ったのに、夢では全然違う水族館だったから、多分じいちゃんが俺のために用意してくれた、俺達だけの水族館だったんだろう。

大阪の水族館には、一度、ばあちゃんと行った。

平日の昼で、館内はとても静かだった。

ばあちゃんは、ゆっくり歩く俺の横に、ずっと並んでくれた。

ふとした拍子に、じいちゃんの歩幅を思い出した。

隣にいないことが、そのときだけ、少し寂しかった。

大きなガラスのトンネルがあった。

夢で見たものと、全然違う形だった。

魚の種類も、光の色も、まるで別物だった。

出口の売店で、ばあちゃんがイルカのキーホルダーを二つ買った。

「一個は、じいさんの分。」

そう言って、ばあちゃんは、片方を財布の奥にしまった。

俺はそのとき、本当に、夢の二人だけの水族館の方がよかったと思った。

でも、それは、口に出さなかった。

水族館の帰り道、新幹線の窓に映った自分の顔が、少しじいちゃんに似ていた。

笑った時の目尻の皺の入り方まで。

それに気づいて、俺は、窓の外の夜景を、いつまでも見ていた。

もっとよく見ておけば良かった、なんて思っていた。

高校に入ってからは、報告することが、少しずつ増えていった。

彼女ができたこと。

部活の大会で、初めて勝ったこと。

じいちゃんは、そのたびに、同じ顔で笑った。

二人だけの水族館の出口で、いつも、じいちゃんは一度だけ立ち止まった。

去年の盆、俺はやっと、ちゃんと見た。

魚には目もくれず、ずっと、じいちゃんの顔だけを見ていた。

皺の数も、ほくろの位置も、笑ったときの目尻も。

別れ際、じいちゃんが、初めてはっきりと言った。

「ちゃんと見たな。それなら、消えん。」

目が覚めても、じいちゃんの顔は、消えていなかった。

亡くなった人との時間を描いた話なら、峠の地蔵と金平糖の朝や、家族の時間を繋いだ子山羊も、よければ読んでみてほしい。

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