オオカミ様の涙(宮大工6)

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ある年の秋。

季節外れの台風により大きな被害が出た。

古くなった寺社は損害も多く、俺たちはてんてこ舞いで仕事に追われた。

その日も、疲れ果てた俺は家に入ると風呂にも入らずに布団に倒れこんで寝てしまった。

「○○様、○○様…」

どこかからか懐かしい声が聞こえる。

この、鈴の鳴るような声は…俺はのそのそと起き上がると廻りを見回した。

すると、枕元に懐かしい姿があった。

「オオカミ様…」

夢か現か、幾年振りかに見る姿。

「○○様、お久しゅうございます」

彼女は泣き笑いの様な不思議な表情で俺を見つめている。

よく見ると、白い顔と着物は泥にまみれ、長い黒髪もバサバサである。

そして、俺の納めた銀の髪飾りも見当たらない。

「申し訳ございません。○○様に頂いた髪飾りを失くしてしまいました…」

彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

俺は取り乱し、どうして良いか分からなくなってしまった。

「そんな、泣かんで下さい。また新しい髪飾りを、貴女にもっとお似合いの髪飾りを見つけてきますから…」

彼女はポロポロと涙を零しながら、

「お許しください…」

と言いふっとかき消す様に居なくなってしまった。

「オオカミ様!待って、待って下さい…」

はっと目覚めると、窓の外は白みつつあった。

出勤し事務所に入ると、直ぐに親方に呼ばれた。

「おう○○!実はな…」

「オオカミ様の社に何かあったんですね!」

親方の声を遮るように俺が叫ぶ。

「お、おお。良く分かったな。先日の台風で、オオカミ様の社が地滑ったらしい。さっき神主さんから連絡があった。社は下の林道辺りまで落ちて土砂に埋まっているそうだ」

「親方!俺は今日からオオカミ様の社に行かせて下さい!」

「バカヤロウ!地滑ったばっかで社の修復なんぞまだまだ先だ!それに、お前が掛かってる現場はどうすんだ!」

親方に怒鳴られたが、俺は食い下がった。

「お願いします!なんなら今日は休みでも良いんです。様子を見るだけでも!」

親方は凄い形相で俺を睨んでくる。しかし、昨夜のこともあり、俺は負けずに睨み返した。

何分ほど睨みあっていただろうか、突然おかみさんが口を挟んできた。

「おまえさん、行かせておやりよ。○○、昨夜夢枕にオオカミ様が立ったのかい?」

「…はい、おかみさん」

「で、社を早く直して欲しいとでも言われたのかい?」

「いえ、泥だらけの姿で出て来ましたが、社の事は何も…」

「じゃあなんで出てきたんだい?」

「俺が納めた髪飾りを失くしちまったと。泣きながら謝るんですよ…」

「ふう…」

親方が溜息をつく。

「やれやれ、相思相愛かよ。しかし神様相手じゃキスも出来んだろうによ。まあ良いや。行っていいぞ○○。ただ、無理すんじゃねえぞ」

「はい!ありがとうございます!」

俺は軽トラにスコップや鋤簾を積むと、急いで社へと向かった。

途中の林道は予想以上に荒れており、四駆にしなければ越えられないほどの場所が何箇所もあった。

いつもの倍以上の時間を掛け、なんとか社の付近まで近付いたが、其処には目を覆うような惨状が広がっていた。

社へと上る長い階段は跡形もなく、社の建っていた広場は殆どが削られてしまっている。

鳥居は見当たらず、恐らく土砂に埋もれている。

そして、社は土砂に半ば埋もれかかった無残な姿を晒していた。

俺は四苦八苦しながら社へと近付き、状態を確認した。

とりあえず社の周りを探し回るが、髪飾りなどは見付からない。

4時間ほども探し回ったが見つけられず、途方に暮れながら軽トラに戻ろうとした時、目の端で何か光るものを見た。

急いで当たりを付け、駆け寄って見る。

そしてその周辺をスコップで掘り返してみると、数回の後に土砂の中から鈍く光る髪飾りを掘り出す事が出来た。

とりあえずお社に向かって一礼し、先ほど掘り出した狛狼様二体を軽トラの荷台に固定し、このお社を管理している麓の神社へと向かい、神主さんに事情を話して引き渡してきた。

ただ、髪飾りは俺が持ち、お社の修復後に改めて納める事となった。

事務所に帰ってから、急いで現場に向かう。

仕事を終えて戻ると、親方は他の現場から既に戻っていた。

「おう、○○。髪飾りは見付かったか?」

俺は一通り報告し、地滑りの修復が終わった後のオオカミ様のお社は俺に任せてくれるようにお願いした。

「ああ、言われんでも解ってる。どっちにしろ来年の話だぁな」

「そうですね。役所がとっとと動いてくれるといいんですが…」

俺はそう答えながら髪飾りを握り締めた。

あの地滑りから半年ほど経ち、春の息吹が萌え始めた頃。

ようやく地滑りの後処理が終わり、オオカミ様のお社の再建に掛かれる事になった。

しかし、社のあった台地は大きく崩れてしまったので相当削られ、以前と全く同じ状況ではない。

とりあえずは管理している神社の神主さんと相談を始めたが、元々オオカミ様の神社は便宜上管理しているだけなのでここまで大きく壊れてしまったお社の再建に多額の費用を掛ける訳にはいかないらしく、相談は遅々として進まない。

俺は出来る限り早く再建したいので神主さんの曖昧な態度にイラついてしまい、つい失言してしまい親方に叱られる事が何度もあった。

その日も神主さん相手にちょっと失礼な態度を取った挙句、捨て台詞まで吐いて事務所に帰ると親方が鬼の表情で俺を待っていた。

「このバカヤロウ!お前が神主さんを怒らせてどうする!何考えてんだ!」

親方が怒鳴る。イラついていた俺はつい口答えしてしまった。

「しかし、親方!このままじゃあオオカミ様の社がいつまで経っても進みませんよ!」

次の瞬間、俺は親方にぶっ飛ばされた。

親方の表情はもう怒っているのではなく、呆れているような、哀しそうな表情だった。

「…○○、お前はもうオオカミ様の社はやらなくて良い。明日からは今俺がやっている現場と交代しろ」

「そんな!俺は嫌です!俺がやらなきゃ…!」

叫び出した俺の肩を後ろから誰かが掴んだ。振り返ると、おかみさんが首を振りながら苦笑していた。

「○○、頭冷やしなよ。これ以上ダダこねたら、親方が本当の本気で怒っちまうよ」

力を込めて捕まれた肩の痛みで我に帰り、俺は何とか理性を取り戻した。

そして、「解りました…」と声を絞り出した。

もちろん、納得なんて出来るはずはない。

ただ、これ以上頭に血の上った俺が一人で空回りしては再建できるものも出来なくなる事くらいは解ったので、辛うじて自分を抑えつけただけだ。

その夜は哀しさと悔しさで中々寝付けなかった。

オオカミ様の髪飾りを握り締めながらいつの間にか浅い眠りに入っていたが、唐突に俺は覚醒した。

ガバッと跳ね起きると枕元にオオカミ様の姿があった。

あの時から半年振りに見るその姿は白い巫女衣装ではなく、薄桃色の艶やかな着物となっていた。

長い黒髪も綺麗に梳かれていて、今までの彼女とは雰囲気が違う。

俺たちは言葉も無く見詰め合っていた。

どれほどの時が流れただろうか。

オオカミ様の澄んだ大きな両の瞳からつ、と涙の筋が毀れた。

俺は、山ほど話したい事があるのに言葉を発する事の出来ない自分の口を呪った。

「○○様、私の為にお骨折り頂きありがとうございます…」

いつも通りの、鈴の鳴るような和えかな声が彼女の口から紡ぎ出される。

「主の命により私は少しの間留守に致します。ですので社の普請はお急ぎなさらぬ様お願い致します。○○様、どうぞお心安らかに、お焦りになどならないで下さい。貴方様の御健勝をお祈りしております…」

俺の口は動かない。

しかし、金縛りの様になった体は唐突に、そして自分でも驚くような動きを行った。

…一瞬の後、俺はオオカミ様を両腕で抱き締めていた。

「ダメです!何処にも行っては!此処に、この場所に居てください!」

彼女を抱き締めると同時に、大声で叫んだ。

彼女の御体はか細く華奢で、そして燃える様に熱かった。

彼女は何も言わずにそっと俺の頭の後ろに両手を廻し、きゅっと少し力を入れて抱き締めた。

しかしすぐに俺の頭を両手で挟み、俺の顔を彼女の顔の正面に持ってきた。

間近に彼女の漆黒の瞳がある。

その瞳は人のそれではなく、吸い込まれたら戻って来れないような、まるで宇宙の深遠を思わせる深さだった。

「大丈夫。少しの間です。私は必ず此処に戻ってきます。貴方の居る、この場所に…」

俺は猛烈に襲ってくる眠りの魔力に抗ったが、その後に気付いた時には昨晩眠りに付いた時のままの布団の中だった。

「夢、じゃない。筈だ…」

昨晩、彼女を抱き締めた感触は両腕にハッキリと残っている。

その時、俺は握り締めていた髪飾りが無くなっている事に気付いた。

そして、代わりに握り締めているものは長く艶やかな一房の黒髪だった。

事務所に出勤すると、既に神主さんが親方と話をしている。

俺は挨拶をしながら神主さんに近付き、

「昨日は申し訳ありませんでした!」

と誠意を込めて頭を下げた。

「いえ、解ってくれれば良いんですよ…おや? 昨日までとは随分雰囲気が違いますね?」

「おお、昨日までのおめぇはまるでオオカミ憑きそのものだったが、今朝はいつものおめぇに戻ったようだな。なんか良い事あったんか?」

親方も安心したように言う。

「はい、ちょっとありまして。親方、後で親方の現場の引継ぎの相談させて下さい」

「おう、それはもういいや。おめぇは続けてオオカミ様の社の相談を神主さんとしろや」

「いいんですか?」

「バーカ。俺みたいなむさい爺が行ってオオカミ様の逆鱗にでも触れちゃ適わねえからな。じゃあ頼んだぞ!」

「はい、ありがとうございます!」

俺は神主さんと相談を始める為に、資料を出そうと自分の机の引き出しを開けた。

そして、お守り袋に入れた彼女の髪の房を仕舞い込んだ。

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