白い霞の夕方

スローモーション

私は子どもの頃、幼児期から十五歳くらいまで、何度も奇妙な体験をしていました。

自分以外の周りが、すべてスローモーションになるのです。

小さい頃は不思議だと思いながらも、しばらくすると普通に戻るので、深く気にしないまま過ごしていました。

けれど小学高学年になると、その違和感ははっきりとした「恐さ」に近いものに変わっていきました。

友だちと遊んでいるときは、その友だちに向かって叫ぶように聞きました。

家にいるときは、そばにいる家族に思わず言ってしまいました。

「ねぇ、なんでゆっくり話すの。

なんでゆっくり動くの。

ねぇっ」

返ってくる答えは決まっていました。

「なんで。

なにが。

普通にしてるけど」

ただ、その返事が私には、低く引き伸ばされた声に聞こえるのです。

「なぁんんでぇぇ……。

なぁぁにぃぃがぁぁぁ……?」

そういうふうに、世界そのものが遅くなっているように感じました。

しかも、音まで変わっていました。

周囲の空気が鳴っているような、普段なら絶対に意識しない微かな音が耳の奥でざわつく。

そして視界には、決まって“白い霞”がかかりました。

薄い膜のような白さが、世界の輪郭を曖昧にして、景色がゆらゆらと揺れて見えるのです。

けれど周りの人は誰も驚かず、いつも通りに見えている。

そのことが、私にはいちばん不気味でした。

中学生くらいになると、さらに不可解なことが起き始めました。

「あなたに似た子を見た」

そう言われる回数が、急に増えたのです。

しかも、どれも私がそこにいるはずのない場所ばかりでした。

身内。

同級生。

近所のおばさん。

いろんな人が、同じように言いました。

「さっき○○にいたでしょう」

「バス停の近くで見たよ」

「駅のほうにいたよね」

私はいつも笑って返しました。

「他人の空似じゃないの。

私じゃないよ」

そう言って、話を終わらせていました。

自分でも、そうとしか思えなかったからです。

けれど、ある日の会話が、私の中の“逃げ道”を塞ぎました。

親友が、少し怒ったような口調で言ってきたのです。

「○○ちゃん、一昨日バスに乗ってたよね。

窓からアタシのほう見てたから手を振ったのに、シカトするんだもん。

ひどいなー、もう」

私は驚いて聞き返しました。

「一昨日。

私は最近ずっと家にいたけど。

どこで」

親友は迷いなく答えました。

「○○町で。

目が合ってるのにシカトしてた」

私は必死に否定しました。

「え、知らない。

そんな場所行ってない。

あり得ない。

最近こういうの多いんだけど、私にそっくりな人が市内にいるんだと思う。

そうじゃないと説明つかない」

半分泣きそうになりながら、私はそう言いました。

けれど親友は、強い口調で言い切りました。

「違う。

間違いなく○○ちゃんだった」

幼い頃から一緒にいる親友が、見間違えるはずがない。

その言葉の重さが、私の背中を冷たくしました。

さらに親友は、こう付け加えました。

「そのときの○○ちゃん、バスの中から、寂しそうな顔でこっち見てたよ」

その一言で、私は妙な想像をしてしまいました。

“私に似た誰か”が、私の代わりに、どこかを移動している。

そして、私自身は家にいるのに、誰かが私の顔で、私の目で、夕方の街を見ている。

そこで、ふと気づいたことがあります。

周りがスローモーションになる体験が頻繁に起きる時期ほど、目撃情報も増えていたのではないか。

そして親友が「バスで見た」と言った時間帯は、偶然にも、私が家でスローモーションを感じていた時間帯と一致していました。

どちらも夕方でした。

白い霞がかかり、世界がゆらぐ、あの時間帯です。

今、私は三十代になりました。

あれほど頻繁に起きていた体験は、いつの間にかぴたりと止まりました。

少なくとも、もう十年はありません。

けれど、あの白い霞の感覚だけは、いまだに忘れられません。

世界が遅くなる夕方。

そして、別の場所で目撃される“私”。

あれは一体、何だったのでしょう。

白く霞がかったスローモーションと、私のそっくりさん。

ただの偶然ではなく、何かが繋がっていたのではないか。

そう思うと、今でも胸の奥が、少しだけ冷たくなるのです。

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