
私の実家に、三つ折れ人形と呼ばれる、一体の日本人形があった。
着物の右の袖が少し焦げていて、右側の髪だけが、ほんの少し短い。
桐塑で作られた顔には、丁寧にガラスの目が嵌め込まれていた。
その上に、胡粉を重ねた唇が、ぽってりと愛らしく載っている。
黒地に牡丹の花柄をあしらった着物がよく似合い、帯には本物の金糸が織り込まれていた。
けれど、この人形の何より変わっているところは、別にあった。
膝と大腿部が、曲がるようにできているのだ。
関節を折って、正座をさせることができる。
膝の裏には、細い絹糸で綴じた蝶番のような仕掛けがあり、折るたびに、かすかな音を立てた。
その音が、私には、小さな人が息をつく音のように聞こえた。
これが三つ折れ人形というもので、今でも珍しく、しかも高価なものだ。
桐の箱から出すと、いつも、樟脳と生薬の混じった、乾いた匂いがした。
蓋を開けるたびに、薄紙にくるまれた人形が、静かに目を閉じているように見えた。
子どもの私は、その人形が少しだけ怖かった。
夜中にトイレへ起きると、廊下の奥の座敷から、ガラスの目がこちらを見ている気がしたのだ。
けれど、母に言うと、決まって困ったように笑った。
「怖がらなくていいの。あの子は、うちの子だから」
そう言う母の目は、いつも、人形ではなく、もっと遠くを見ていた。
母は、その匂いを嗅ぐと、決まって「うちの匂い」と言った。
その匂いの中に、母は、失くしたいくつもの顔を探していたのかもしれない。
いつ頃から家にあったのか、はっきりしたことは分からない。
母の実家に祖母が嫁いだとき、既に床の間にあった、と聞いている。
母の実家は、江戸の頃から続く、深川の大きな薬種問屋だった。
屋号の入った藍染めの暖簾が、朝になると、毎日きちんと掛けられたそうだ。
店の奥には、小さな引き出しがずらりと並ぶ百味箪笥があったという。
一時は、たいそうな羽振りだったらしい。
遊ぶ玩具がなくて、金の鈴を手鞠の代わりにして遊んだ、という話が残っている。
おそらく、そんな暮らしの中で、この人形は家に来たのだろう。
もちろん、母が子どもの頃には、すっかり零落していたのだが。
薬種問屋の三つ折れ人形
母は、この人形を、とても大切にしていたそうだ。
桃の節句になると、毎年、雛人形と並べて飾られた。
けれど、その年は時節柄、雛壇を飾る気分にはなれなかった。
母は学童疎開で静岡に出ていて、家にいなかった。
祖父は既に他界し、祖母は乳飲み子の弟を背負って、店を守っていた。
それでも、女の子にとっては、大事な節句だ。
祖母は、母が帰ってきたら寂しがるだろうと思った。
雛人形一式の入った長い箱に、赤い毛氈を敷いた。
内裏雛の男雛と女雛だけを出して、ささやかな雛壇を作った。
その端に、あの人形を座らせることにした。
毛氈の上には、前の年の雛祭りの名残で、小さな紙の桃の花が一輪だけ残っていた。
祖母は、それを指でつまんで、人形の膝の前にそっと置いた。
外では、遠くのほうで、低い飛行機の音が、ときおり空を渡っていった。
それでも、雛壇の前だけは、不思議と、ふっと温かかったという。
手伝いに来てくれたのは、近所の娘さんだった。
お千代さんといって、当時十六か十七だったという。
傘職人の娘で、深川小町と噂されるほど、たいそう綺麗な人だった。
お千代さんは、雛あられの小袋を、そっと袂から取り出した。
砂糖も満足に手に入らない頃で、小袋の中身は、炒った豆に、ほんの少し色をつけただけのものだった。
それでも、赤と白の紙で丁寧に包まれていて、お千代さんの几帳面さが伝わってきた。
「おばさま、今年は、これくらいしかなくて」
その言い方が、あまりに申し訳なさそうで、祖母は思わず目頭が熱くなったという。
「いいのよ。お千代ちゃんが来てくれただけで、十分」
祖母は、薄い甘酒を湯呑みに注いで、二人で小さな雛壇を飾っていった。
お千代さんは、人形を手に取ると、その右の髪を、指で梳いてやった。
自分の右の髪も、癖のように、耳の後ろへ掻き上げながら。
「綺麗な子ね。おまえさんも、お嫁に行く日が来るのかしら」
そう言って、人形に笑いかけた。
ところが、いざ人形を座らせようとすると、うまく座らない。
胴体にも胡粉が厚く塗られていて、バランスは良く、普段なら一度で座るはずだった。
その日に限って、人形は、コロリと倒れた。
もう一度試しても、同じだった。
数度繰り返して、見かねた祖母が代わろうとした。
お千代さんは、もう一度、人形の膝を折り直した。
両の手のひらで、足首のあたりを、そっと包むようにして。
「ごめんね、きっと、私の手が冷たいのね」
そんなふうに、小さくつぶやいていたそうだ。
その瞬間、ようやく、人形が座った。
やれやれと思って、雪洞に灯りを点けた。
すると、また、ひとりでにコロリと倒れた。
畳に落ちた拍子に、雪洞も人形の上へ倒れ込んだ。
着物の右袖と、右の髪が、少し焦げた。
髪の毛の焦げる嫌な匂いが、部屋に立ちこめた。
おそらく、頭髪は、人毛だったのだろう。
お千代さんは、たいそう恐縮して、青い顔で帰っていったそうだ。
その後、祖母が座らせ直すと、人形は、一度でぴたりと座った。
そして、主人の帰りを待つように、黙って座り続けた。
その横顔が、少し、お千代さんに似ていると、祖母は思ったという。
三月十日の壕
そして、昭和二十年三月十日が来た。
運の悪いことに、母は卒業と進学の準備のため、数日前に東京へ戻っていた。
六年生で、疎開先から先に帰された一部の生徒の中に、母はいた。
日付が九日から十日へ変わって間もなく、空襲警報が鳴り響いた。
母と、弟を背負った祖母は、手荷物だけを持って、近くの防空壕へ急いだ。
家を出るとき、祖母は、床の間の人形を振り返った。
玄関の戸を閉める音が、いつもより大きく、暗い廊下に響いたという。
その音を、母は、六十年以上たった今でも、はっきり覚えていると言う。
「あの子は、置いていこうね。お留守番を、お願いするよ」
そう言って、雛壇の端に座る人形に、小さく頭を下げたそうだ。
街中の壕だから、斜面に穴を穿ったものではない。
地面を竪に掘り、四畳ほどに広げて、木材で補強しただけの、頼りないものだった。
それでも、この場合は、ないよりはるかにましだった。
入り口には、木枠にトタンを張った蓋がついていた。
班の者が、膝を寄せ合って、爆撃機の去るのを待つ。
祖母は、背中の弟を揺すりながら、低い声で子守唄を口ずさんでいた。
母は、その声に合わせて、自分の指を、一本ずつ数えていた。
数えていないと、頭の中に、嫌な想像が入り込んできそうだったからだ。
湿った土の匂いと、誰かの息遣いと、赤ん坊の小さなぐずり声。
班長が、中にいる人の点呼を取った。
ところが、お千代さんの一家だけが、まだ来ていなかった。
入り口にいちばん近い場所にいた母は、蓋をそっと細く開けて、外をのぞいた。
闇の向こうから、お千代さんが走ってくるのが見えた。
その後ろから、お千代さんのお母さんが、息を切らして続いていた。
「早く、早く」
母は、小さく叫んだ。
お千代さんの顔が、闇の中で、はっきりと母のほうを向いた。
こちらを見て、安心したように、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。
その手は、お母さんの手を、しっかりと引いていた。
あと数メートルというところで、二人のすぐ後ろに、焼夷弾が落ちた。
空気が、一瞬で、白く弾けた。
母は、とっさに蓋を閉めた。
閉める直前に見えたものを、母は、のちのちまで、語ろうとしなかった。
悲鳴は、叫びというより咆哮だった。
聞きようによっては、空襲警報のサイレンにも聞こえたという。
焼夷弾の油の匂いと、髪の焦げる匂いが、蓋の隙間から流れ込んだ。
その匂いを、母は、あの雛壇の夜と同じだと思ったそうだ。
深川への爆撃は、二十分ほども続いたらしい。
恐ろしく長い時間に、感じられたという。
やがて、悲鳴は次第に細く、高くなり、ついに聞こえなくなった。
爆撃機は、まだ上空を通過していた。
今度は、浅草のほうの空が、真っ赤だった。
辺りは火の海で、このまま壕にいれば、蒸し焼きになってしまう。
母たちは、壕を出て、火の来ない場所へ移ることにした。
熱風が顔に当たり、息をするたびに、喉の奥がひりひりと痛んだ。
祖母は濡らした手拭いを、母と弟の口に当ててくれた。
人の流れに押されるまま、川沿いの道を、ただ前へ前へと進んだ。
途中、何度も、誰かが誰かの名前を呼ぶ声がした。
けれど、その声に応える声は、ほとんど聞こえなかった。
去り際に、母は、もう一度だけ振り返った。
お千代さんの姿は、もう、人の形をしていなかった。
けれど、右の袖と、右の髪の焼け方だけが、ほかとは違って見えたという。
焼け残った家
母が家に戻ったのは、夜が明けてからだった。
辺りでは、まだ火を噴いている場所があった。
空は、煤で灰色に濁り、朝日が、鈍い橙色の円盤のように見えた。
母たちは、家はとっくに焼けてなくなったものと思っていた。
けれど、そうではなかった。
家は、屋根を少し焦がされただけで、そこに立っていた。
近所の家の多くは、まだ燻っているというのに。
玄関に、男がひとり座っていた。
祖母の兄で、私にとっては大叔父にあたる人だった。
深川が爆撃を受けたと知ると、妹の身を案じて、品川から飛んできてくれたのだ。
ありったけの水を掻き集めて、降り注ぐ火の粉を、夜通し払ってくれたという。
手は、火ぶくれだらけで、眉毛が半分、焦げていた。
「無事か」
祖母は、返事の代わりに、大叔父の焼けた手を、両手で包んだ。
言葉にならない礼を、何度も、何度も、頭を下げて伝えていた。
母は、その後ろで、立ったまま、膝がかたかたと震えているのに気づいた。
大叔父は、それだけ言って、玄関の土間に突っ伏した。
実際、立派な人だった。
私も、あの人の前では、生涯、膝を崩すことができなかった。
家に入ると、床の間の雛壇は、そのままだった。
畳の上には、割れた窓ガラスの欠片が、朝日を受けて小さく光っていた。
それなのに、雛壇の毛氈だけは、塵ひとつ被っていないように見えた。
男雛と女雛は、少し斜めを向いて、まるで、人形と話をしていたかのようだった。
内裏雛の男雛と女雛のそばに、あの人形が、座っていた。
きちんと、膝を折り、背筋を伸ばして。
焼け残った家の中で、人形だけが、留守番を果たしたかのように。
祖母は、人形の前に崩れるように座り込み、そのまま、しばらく動かなかった。
「ありがとうね」
その声は、煤の匂いのする朝の座敷に、静かに染みていった。
母は、ふと、人形の右の袖に目をやった。
雛祭りの夜に焦げた、あの小さな焦げ跡が、昨日より少し、濃く見えた。
気のせいだと、母は自分に言い聞かせたという。
そう思わなければ、立っていられなかったのだ。
やがて、祖母は、かすれた声で、そう言った。
それが、お千代さんに向けた言葉なのか、人形に向けた言葉なのか、母には分からなかった。
座ることをやめた人形
それ以来、三つ折れ人形は、二度と座らなかった。
戦後、祖母は何度も、人形を座らせようとした。
けれど、座らせても、ひとりでに、コロリと倒れてしまう。
人形師に診てもらったこともある。
わざわざ、浅草橋から、年配の職人を呼んだのだという。
職人は、人形の膝を、何度も折っては伸ばし、耳を寄せて、音を確かめていた。
「膝の仕掛けは、新品同様ですよ。たいしたものだ」
そう感心しながら、それでも首をかしげていた。
関節にも、胴体にも、何の異状もないと言われた。
「いい人形ですな。ただ、座る気が、ないのでしょう」
職人の言葉は、祖母の胸に、長い間、小さな棘のように残った。
座る気がない、とは、どういうことなのか。
祖母は夜ごと仏壇に手を合わせながら、人形に、そっと尋ねていたそうだ。
人形師は、そう言って、笑いもせずに帰っていった。
三つ折れ人形は、今では、ガラスのケースの中にいる。
戦後しばらくは、人形は押し入れの奥で、桐の箱に仕舞われたままだった。
祖母が、あの夜を思い出すのが辛くて、箱を開けられなかったのだ。
母が結婚して家を出るとき、祖母は初めて、その箱を母に手渡した。
「あんたが、持っていておくれ」
そのときも、人形は、少しも座ろうとしなかったという。
背中を細い棒で支えられて、もう何十年も、立ったままだ。
右の袖は焦げたまま、右の髪は短いまま、直されていない。
修繕を勧められるたびに、母は、首を振る。
「直したら、あの夜がなかったことになってしまうでしょう」
母は、そう言って、袖の焦げ跡を、爪の先でそっとなぞるだけだ。
その仕草は、泣いている子の頭を撫でる手つきに、よく似ていた。
ある冬の夜、そのケースの中から、小さな音がした。
見に行くと、人形は立ったまま、顔だけが、わずかに左へ傾いていた。
私は、子どもの頃、一度だけ、母に尋ねた。
「どうして、直さないの」
幼い私には、焦げた袖が、ただ可哀想に見えたのだ。
母は、しばらく黙っていた。
そして、ガラスの目を見つめながら、ぽつりと言った。
「お千代さんの右の袖と右の髪は、この人形と同じ焼け方をしていたのよ」
私は、ケースの中の人形を見た。
それから、母が畳の上で、小さく手を合わせるのを、私は黙って見ていた。
毎年、三月十日が来ると、母は朝から口数が少なくなる。
夕方になると、ケースの前に、小さな白い雛あられを一袋だけ供える。
それは、お千代さんが袂から出した、あの小袋と、よく似た色をしている。
ガラスの目は、まっすぐ前を向いている。
座っていた頃の高さを、まだ覚えているかのように。
人形にまつわる家の話は、母がくれた腕時計と四十九日にも綴りました。
家に残るものの気配なら、深夜一時の廊下の足音も、どうぞ。