危険な好奇心(後編)

裏山

あれから5年。俺達3人はそれぞれ違う高校に進んで、すっかり会うこともなくなっていた。

あの「五寸釘の女」事件は忘れることが出来ずにいたが、記憶は曖昧になり、その恐怖心はかなり薄れていた。

そんな高一の冬休み、懐かしい奴「淳也」から電話が掛かってきた。

「おう!ひさしぶり!」

そんな挨拶も程々に、淳也は

淳也「実は単車で事故ってさあ…足折って入院してんだよ」

俺「え? だっせーな!どこの病院よ? 寂しいから見舞いに来いってか?」

淳也「まあ、それもあるんだけどさあ。お前、五寸釘の女のことって覚えてる? 事件のことじゃなくってさあ…顔、覚えてる?」

俺「…何で? 何だよ急に」

淳也「…毎晩、面会時間終わってから…変なババァが俺の事を覗きに来るんだよ…そいつがさ…」

淳也の発した言葉を聞いた途端に「五寸釘の女」の顔を鮮明に思い出した。

初めて出会ったあの夜の「歯を食いしばった顔」。下校時に出会った「いやらしいニヤついた顔」。自宅玄関で見た「狂ったような顔」。そしてあの叫び声…。

俺は淳也に「何言ってんだよ!? ほんっとオメーって気が小せぇーなあ!」と軽い調子で言った。自分自身にも言い聞かせるように。

淳也は「そーだよな…でも、こーゆーとこって妙に気が小さくなるんだよ!」

俺は「そーゆーとこ、変わってねーな!」と余裕を見せた。そして、入院している病院を聞き「近いうちにエロ本持って見舞いに行くよ!」と言い電話を切った。

電話を切った瞬間、何故か胸騒ぎがした。

「五寸釘の女」

淳也の言葉が妙に気に掛かりだした。電話を切った後、しばらく考えた。まさか、今更「五寸釘の女」が現れるはずがない。それにあいつは捕まったはず…いや、釈放されたのか?

それに今、思えば俺達3人は「五寸釘の女」に何をしたわけでもない。ただ「五寸釘の女」の呪いの儀式を見てしまっただけだ。それなのにいきなり襲われた。

俺達は何一つ「五寸釘の女」から奪っていない。それどころか、傷付けてもいない。

「五寸釘の女」は俺達からハッピーとタッチを奪い、秘密基地を壊し、何より俺達3人に拭い去れない恐怖を植え付けた。そもそも怨むのは俺達の方じゃないはずだ。

2日後、俺はバイトを休み、本屋でエロ本を3冊買ってから淳也の入院している病院に向かった。

久しぶりに淳也に会うという興奮と淳也が電話で言っていたことに対する不安で、複雑な気持ちだった。

病院に着いたのは昼過ぎだった。淳也の病室は3階。俺は淳也のネームプレートを探し出した。303号室。六人部屋に淳也の名前があった。

一番奥、窓側の向かって左手に淳也の姿が見えた。

「よう!淳也、久しぶり!」

「おう!まじひさしぶりやなあ!」

思ったより全然元気な淳也を見て少し安心した。約束のエロ本を渡すと淳也は新しい玩具を与えられた子供の如く喜んだ。

そして他愛もない話を色々した。淳也といると小学生の頃に戻ったようでとても楽しかった。無邪気に笑えた。

あっという間に時間は経ち、面会終了時間が近付いてきた。俺がそろそろ帰ろうとする。すると淳也が真顔で何かを言いかけた。

「…実はさあ、電話でも言ったんだけど」

「五寸釘の女の事だろ?」と俺は言った。すると淳也は

「気のせいだとは思うんだけど…いつもこの時間に来るオバさんがいてさあ…何か、こう…引っ掛かるっつーか」

俺は「だから、気のせいだって!ビクビクすんなよ!」と強気な発言をした。

すると淳也は少しカチンと来たのか「だから、勘違いかもしんねーっつってんぢゃん!ビビりで悪かったな!」と強い口調で言う。

空気が重くなった。せっかくの再開をこんな空気にするつもりはなかった。淳也に謝ろうとした。その時

「ガラガラガラ」

廊下に台車のタイヤ音が響いた。淳也が「来た…」と呟く。俺は視線を部屋の入口に向けた。

台車の音は次第に近付き、やがてこの部屋の前で止まったようだ。そして、扉が開いた。そこには上下紺色の作業着を着たオバさんがいた。

俺は「何だよ!脅かすなよ!ゴミ回収のオバさんじゃねーか」と、少し胸を撫で降ろした。

そのオバさんは患者個人個人のごみ箱のゴミを回収し始め、最後に淳也のベットに近付いてきた。

淳也が小声で「見てくれよ」と囁く。俺はそのオバさんの顔をチラッと見た。

息を飲んだ。似ている…。

しばらくその中年女を凝視してしまった。そのオバさんはこちらを向き、ペコリと頭を下げて部屋を出て行った。

淳也が「どう? やっぱ違うか!? 俺ってビビりすぎ?」と聞いてきた。

俺は「全然ちげーよ!ただの掃除オバさんじゃん!」と答えた。

いや、似ていた。他人の空似なのか ?

「…んじゃそろそろ帰るわ!あんま変な事考えてねーで、さっさと退院しろよ!」

と俺が言うと、淳也は

「そだな。あの女が病院にいるわけねーよな。お前が違うって言うの聞いて安心したよ。また来てくれよ!暇だし!」

と元気良く言った。

俺は病室を出ると、足早に階段を駆け降りた。頭の中からさっきの「オバさん」の顔が離れない。

その日は眠りに落ちるまでその事ばかり考えていた。

次の日、「清掃おばさん」の事が気になり、俺はバイトを早めに切り上げ病院に行くことにした。

俺のバイト先からチャリで30分。病院に着いた時には20時を回っていて面会時間も過ぎていた。

もう清掃おばさんも帰っている時間だろうが、念のため非常口から病院に入り、取り敢えず淳也の病室に向かった。

こっそり淳也の病室に入ると淳也のベットはカーテンを閉め切ってあった。寝たのかと思い、そっとカーテンを開けて隙間から中を覗いた。

「うわっ!」

淳也が慌てて飛び起き、雑誌を枕の下に隠した。淳也はエロ本を熟読していたようだ。

俺は敢えてエロ本の事には触れずに「暇だろーと思って来てやったんだよ!」と淳也の肩を叩いた。淳也は少し気まずそうに「おぅ!この時間暇なんだよ!ロビーでも行って茶でもしよか?」と言った。

俺は車椅子をベットの横に持って来て、淳也の両脇を抱え、車椅子に乗せてやった。

淳也が「ロビー一階だからナースに見つからんよーに行かんとな!」と小声で言った。

俺達はコソコソと、まるで泥棒の様に一階ロビーに向かった。

途中、何人かのナースに見つかりそうになる度、気配を消し、物陰に隠れ、やっとの思いでロビーに着いた。

昼間と違い、ロビーは真っ暗で、明かりといえば自販機と非常灯の明かりしかなく、淳也が「何か暗闇の中をお前とコソコソするの、あの夜を思い出すよなあ」と言った。

「そだな。何であの時、アイツのこと尾行しちまったんだろーな…」と俺が言うと淳也は黙り込んだ。

俺は今日病院に来た理由、すなわち「清掃おばさん」の事について…淳也に言おうと思ったが、躊躇していた。

淳也はこの先、1ヵ月近く此処に入院するのにそのような事を言うのは…と。

すると淳也が「お前、あのおばさんのことできたんじゃないのか?」と。

俺はとっさに「え? 何が?」ととぼけたが、淳也は「そーなんだろ? やっぱり似てる…いや、五寸釘の女かもしれないんだろ?」と真顔で詰め寄って来た。

俺はその淳也の迫力に押され「たしかに似てた…雰囲気は全然違うけど…似てる」と言った。

淳也はうつむき「やっぱり…前にも電話で言ったけど…」と語り始めた。

淳也は少し、声のトーンを下げ、

「俺が入院して二日目の夜、足と腰が痛くて痛くてなかなか眠れなかったんだ。

寝返りもうてないし、消灯時間だったし、仕方ないから、目つむって寝る努力をしていたんだ。そして少し睡魔が襲ってきてウトウトし始めた時、視線を感じたんだ。

見回りの看護婦だろうと思って無視してたんだけど、なんか、押し殺すような息遣いが聞こえてきて…何だろう? 隣の患者の寝息かなあと思って薄目を開けてみたんだよ。

そしたら俺のベットカーテンが少しだけ開いてて、その隙間から誰かが俺を見ていたんだ。

俺、恐くて恐くて、寝たふりしてたんだけど、そのまま寝てたらしく、気付いたら朝だった。

後から考えたんだ。

あの目。ニヤついた目。

どこかで見覚えが。そーなんだよ。清掃おばさんの目にそっくりだったんだよ!」

ニヤついた目。

俺はその目を知っている!

「五寸釘の女」にそのニヤついた目付きで見つめられたことのある俺にはすぐに淳也の言う光景が浮かんだ。更に淳也は話を続けた。

「それにあの清掃おばさん、ゴミ回収に来た時、ふと見ると、何かやたら目が合うんだ。俺が見ると、俺のことをやたら見ているんだ。」

それを聞き、俺が抱いていた疑問、清掃おばさん=五寸釘の女は確信に変わった。

やっぱりそうなんだ。社会復帰していたんだ!缶コーヒーを握る手が少し震えた。体が反応しているんだ。あの恐怖を体が覚えているんだ。その時、俺の後方から突如、光が照らされた。

「コラ!」

振り向くと、そこには見回りをしている看護婦が立っていた。

「ちょっと淳也君!どこにもいないと思ったらこんなとこに!消灯時間過ぎてから勝手に出歩いちゃダメって言ってるでしょ!それに、お友達も面会時間はとっくに過ぎてるでしょ!」

とかなり怒っていた。

淳也は「はいはい…んぢゃまた近いうちに来てくれよな!」と看護婦に車椅子を押され病室に戻って行った。

「おぅ!取り敢えず、気つけろよ!」と言った。俺も取り敢えず帰るか…と思い、入って来た急患用出入口に向かった。

それにしても夜の病院は気味が悪い。

さっきまで「あの女」の話をしていたからかと思い歩いていると…廊下の先に誰かがいる。あれは…清掃おばさん? いや「五寸釘の女」か…? 女が何かしている…あれは間違いない!

「五寸釘の女」だ!

この先の出入口付近で何かしている!俺はとっさに身を隠し「五寸釘の女」の様子を伺った。

どうやら俺には気付かず、何かをしているようだ…中腰の態勢で何かをしている。

俺は目を凝らし、しばらく観察を続けた。何か大きな袋をゴソゴソし、もう一方に小分けしている?

尚も「五寸釘の女」はこちらに気付く様子も無く、必死で何かしている。ひょっとして、病院内の収拾したゴミの分別をしているのか?

その時、後ろから「ちょっと、まだいたの?私も遊びじゃないんだからいい加減にして!」と、さっきの看護婦が。

俺はドキッとし「あ、いや、帰ります!どーも…」と言うと、「全く!」看護婦はそう言って俺をにらみ再び見回りに行った。

出入口に目をやると「五寸釘の女」はこちらに気付き、まっすぐにこちらを見ていた。

「五寸釘の女」に見つかってしまった!

どうすればいい?逃げるべきか?先程の看護婦に助けを求めるべきか?俺の頭はぐるぐる回転し始め、心臓は勢いを増しながら鼓動した。

俺は「五寸釘の女」から目を離せずにいると、「五寸釘の女」は俺から視線を外し、何事も無かったように再びゴミの分別作業をし始めた。

え!?

俺は躊躇した。その想定外の行動に…俺はしばらく突っ立ったまま、「五寸釘の女」を見ていたが、黙々とゴミの分別をしていて、俺のことなど気にしていないようだった。

何かの作戦か?と疑ったが、俺の脳裏にもう一つの思考が浮かんだ。

清掃おばさやんは五寸釘の女ではない…似ているだけで別人…?

俺と淳也が疑心暗鬼になりすぎていたのか!? やはり「五寸釘の女」とは赤の他人の別人なのか?

そう一人で俺が考えている間も、「その女」は黙々と仕事をしている。俺は意を決して、出入口に歩き出した。すなわち「その女」の近くに…。

少しずつ近付いてくるが相手は一向にこちらを見る気配がない。しかし、俺は警戒し「その女」から目を離さず歩いた。

あっという間に何事もなく、俺は「その女」の背後まで到達した。女は一生懸命ゴミの分別をしている。手にはゴム手袋をハメて大量のゴミを「燃える」「燃えない」「ペットボトル」に分けていた。

その姿を見て、俺は「やはり別人か」と思っていると「その女」はバッ!っとこちらを見て「大きくなったねぇ」と俺に話し掛けてきた。

俺は頭が真っ白になった。

「オオキクナッタネェ?」

俺の過去を知っている? こいつ、やっぱりあの女だ!!

その女は作業を中断し、ゴム手袋を外しながら俺に近寄ってくる。その表情はニコニコしていた。

俺はどんな表情をすればいい? きっと、とてつもなく恐怖に引きつった顔をしていただろう。

女は俺の目前まで歩み寄って来て「立派になって…もう幾つになったの? 高校生?」と尋ねてきた。

俺は「この女」の発言の意図が判らなかった。俺が黙っていると「お友達も大きくなったねぇ…淳也くん。可哀相に骨折してるけど。お兄ちゃんも気付けなあかんよ!」と言ってきた。

もう、意味が全く解らなかった。数年前、俺達に何をしたのか忘れているのか?

俺達に「恐怖のトラウマ」を植え付けた本人の言葉とは思えない。

女は昔を思い出すように「もう一人いた…あの子も元気? 黒の子いたでしょ?」と言う。

慎の事だ!

何なんだコイツは!まるで久しぶりに出会った旧友のように。普通じゃない。

わざとなのか? 何か目的があってこんな態度を取っているのか?

俺は「五寸釘の女」から目を逸らさず、その動向に注意を払った。

「あの時はごめんね…許してくれる?」

と五寸釘の女は言いながら俺に近付いてくる。俺は返す言葉が見つからず、ただ無言で少し後退りした。

「ほんまやったら…もっと早くあやまらなあかんかってんけど…」

俺は耳を疑った。何か企んでいるのか?

ついに「五寸釘の女」は手を伸ばせば届く範囲にまで近付いてきた。

「3人にちゃんとと謝るつもりやったんやで…ほんまやで…」

と言いながら、息がかかる程の距離にまで近付いた。

「あの時」とは違い、俺の方が身長は20センチ程高く、体格的にも勿論勝っている。

俺は「五寸釘の女」に指一本でも触れられたら、ブッ飛ばしてやる!と考えていた。

「五寸釘の女」は俺を見上げるような形で、俺の目を見つめてくる。しかし、その目からは「怨み」「憎しみ」「怒り」など感じられない。真っ直ぐに俺の目だけを見てくる。

「あの時はどうかしててねぇ、酷い事したねぇ…」

と「五寸釘の女」は謝罪の言葉を並べる。俺はもう、 その場の「緊張感」に耐えれず、ついに走りだし、その場を去った。

走ってる途中、「もし追い掛けられたら…」と後ろを振り向いたが「五寸釘の女」の姿はなく、ある意味拍子抜けた。走るのを止め、立ち止まり、考えた。

さっきのは本当に本心から謝っていたのか? 俺は五寸釘の女を信じることが出来なかった。疑う事しか出来なかった。まあ、「あの事件」の事があるから当たり前だが。

俺は小走りで先程の場所近くに戻ってみた。そこには再びゴム手袋をはめ、大量のゴミの分別をする「五寸釘の女」の姿があった。

本当に改心したのだろうか?必死に作業をする姿を見ると、昔の「五寸釘の女」とは思えない。複雑な思いを抱いて、その日はそのまま帰宅した。

俺は自室のベットに横になり、一人考えた。

人間はあそこまで変わることが出来るのか?

昔、鬼の形相で2匹の野良犬を殺し、俺を、慎を、淳也を追い詰め、放火までして恨みを晴らそうとした人間が、「ごめんね」など心から償いの言葉を発することが出来るのか。

いや、ひょっとしてあの事件をきっかけに俺が変わってしまったのか。疑心暗鬼になり、他人を信じる事が出来ない人間になってしまったのか。

「五寸釘の女」の謝罪の言葉を信じることであの事件の精神的な呪縛から解放されるのか。

もう一度、「五寸釘の女」に会い、直接話すべきだ。俺は今度は逃げないことの決意を固めた。

そして次の日、俺はバイトを休み、病院に向かった。

まずは淳也の病室に入り、昨日の出来事を説明した。そして今日は「五寸釘の女」に直接話してみるつもりだと伝えた。

淳也は最初「五寸釘の女」は変わっていない!と俺の意見に反対だったが「このまま一生、あの女の存在に怯え、ビクビクしながら生きていくのか?」と俺が言うと「…あの女に会って話すんだったら俺も付き合う…」と言ってくれた。

二人とも黙ったまま、刻々と時間は過ぎ、面会時間終了のチャイムが鳴ると同時に、廊下の奥の方からゴミ運搬台車の音が聞こえてきた。

「来たな」

淳也がボソッと呟いた。俺は固唾を飲んで部屋の扉へ視線を送った。

「ガラガラガラ」

台車の音が部屋の前で止まった。部屋の扉が開いた。作業服の「五寸釘の女」が会釈しながら入室してきた。俺と淳也はその姿を目で追った。

「五寸釘の女」は奥のベットから順にゴミ箱のゴミを回収し始めた。「ごくろうさん」と患者から声を掛けられ、笑顔で会釈をする五寸釘の女。とても昔のあの女と同一人物とは思えない。

そして、ついに淳也のベットのゴミ回収に五寸釘の女がやってきた。「五寸釘の女」はこちらに一切目を合わせず、軽く会釈をし、ゴミを回収し始めた。

俺は何と声を掛けていいのかわからず、しばらくその女の様子を伺っていた。

すると淳也が「おばさん!どーゆーつもりだよ?」と 切り出した。五寸釘の女はピタッと作業の手を止め、俯いたまま静止した。淳也は続けて

「あんた、俺の事覚えてたんだろ? 俺には謝罪の言葉一つも無いの?」

まさか淳也が急にキレ口調で話すなんて予想外だった。どうなる。すると五寸釘の女は俯いたまま「…ごめんねぇ」とか細い声を出した。

淳也はその素直な返答に驚いたのか、何か言いたげな目で俺を見てきた。

俺は「…おばさん、本当に反省してるんだよね?」と聞いてみた。

すると五寸釘の女はこちらを向き「本当にごめんなさい。私があんな事したから淳也君、こんな事故に遭っちゃって…私があんな事したから…ほんとゴメンね」と。

俺と淳也は更にキョトンとした。何か話がズレてないか?

俺は「いや、昔あんた犬に酷い事したり、俺ん家にきたり、全てひっくるめて!」と言った。

五寸釘の女は「本当にごめんなさい!私が、私があんな事さえしなければ…こんな事故…ごめんね!本当にごめんね!」と泣きそうな声で言った。

その態度、会話を聞いていた病室内の患者の視線が一斉にこちらに注目していた。

静まり返った病室に「ゴメンね!ごめんなさい!ゴメンなさぃ!」と五寸釘の女の声だけが響いた。

淳也は少し恥ずかしそうに「もういいよ!だいたい、俺が事故ったのアンタとは一切関係ねーよ!」と吐き捨てた。

五寸釘の女はペコペコ頭を下げながら淳也のベットのゴミを回収し、最後に「ごめんなさい…」と言い、そそくさと病室から出て行った。

その光景を周りの患者が見ていたので、しばらく病室は変な空気が流れた。

淳也は「何なんだよ!あのオバハン!俺は普通に事故っただけだっつーの…何勘違いしてやがんだよ!」と言いながら枕をドツイた。

俺は「五寸釘の女」の行動、言動を聞いていてハッキリと思った。やはり「五寸釘の女」はおかしい。

いや、謝罪は心からしているのだろうが、この女は「呪いの儀式」を行った事を謝っていた。

「呪い」を本気で信じているようだった。

淳也は「あの頃は無茶苦茶怖い存在やって、今だにトラウマでビビってたけど…さっき喋って思ったんは単なるオカルト信者のおばはんやって事やな!」と何処かしら憑き物が取れたというか、清々しい表情で言った。

俺は「ああ、昔と違って俺らの方が体もデカくなったしな!」と調子を合わせた。

「さて、取り敢えず一件落着したし、俺帰るわ!」「おぅ!また暇な時来てや!」と言葉を交わし、俺は病室を出て家路に就いた。

家に帰る途中、俺は慎のことを思い出した。

アイツにもこの事を伝えてやろうと。アイツも今回の話を聞かせてやれば、少なからず喜ぶことだろう。

家に帰ると、慎と同じサッカー部だった奴に電話をかけて慎の携帯番号を聞いた。そして慎の携帯に電話をかける。

「おう!ひさしぶり!」

懐かしい慎の声。

俺は最近どうよ的な挨拶をした後、淳也が事故って入院したこと、その病院に「五寸釘の女」が 清掃員として働いていること、五寸釘の女が昔と別人のように心を入れ替えている事を話した。

慎は「五寸釘の女」が謝罪してきたことにたいそう驚いていた。

そして最後に慎は「淳也が退院したら3人で快気祝いをしよう」と言った。もちろん俺は賛成し、淳也の退院のメドがつき次第連絡すると伝えた。

その翌日、俺は病院に行き淳也に「慎がおまえの退院が決まり次第、こっちに帰って来て快気祝いしようってよ!」と伝えた。淳也はとても喜んでいた。

それから一週間程、病院に見舞いには行っていなかった。

別に理由は無いが、新学期も始まり、なかなか行く時間が無かったというのもある。それに「五寸釘の女」が更正しているようだったので、心配も、以前ほどはしていなかった。

何かあれば淳也から電話があるだろうと思っていた。

そうするうちに淳也から電話が掛かってきた。内容は「来週退院する!」との事だった。

俺は「良かったな!」と祝福の言葉と共に、「五寸釘の女」の動向を聞いたが、「普通にゴミ回収の仕事をしている。特に何もない」との事だった。

そして、さらに一週間が経ち、淳也は退院した。

俺は学校帰りに淳也の家に立ち寄った。チャイムを押すと、松葉杖をつきながら淳也が出てきた。「おぅ!上がれよ!」足にはギブスをはめたままだったが、すっかり元気そうだった。

淳也の部屋でしばし雑談をした。夕方になり俺は帰宅し、夕飯を喰った後、慎に電話をした。

「淳也、退院したぜ!」

「そっか!じゃあ快気祝いしなくちゃな!すぐにでも行きたいけど部活が忙しいから月末頃にそっち行くよ!」

との事だった。

そして月末の土曜日。

俺、慎、淳也。

小学校以来、本当に久しぶりの3人での再会だった。昼に駅前の喫茶店で落ち合った。久しぶりに会った慎は冬なのに浅黒く日焼けし、少しギャル男気味だった。まあ、それはさておき、夕方まで色々と語った。

それぞれの高校の話。恋の話。昔の思い出話。

もちろん「五寸釘の女」の話題も出てきた。

あの時それぞれが何よりも恐ろしく感じていた「五寸釘の女」も、今となればゴミ回収のおばさん。

病院での出来事を俺と淳也が慎に詳しく話してやると、慎は「あの頃と違って、今ならアイツが襲って来てもブッ飛ばせるしな!」と笑いとばした。

もう俺達にとって「五寸釘の女」は過去の人物、遠い昔話なのだ。

夕方になり、俺達はカラオケに行った。久しぶりの「3人」での再会と言うこともあり、俺達は再会を祝して酒を注文した。

まあ酒と言っても酎ハイだが。当時の俺達は充分に酔えた。各々、4、5杯ぐらい飲み、皆ほろ酔いだった。良い気分で歌を歌い、かなりハイテンションだった。

そして2時間経ち、歌にも飽き出した時、慎がある提案をした。

「よーし、今から秘密基地に行くぞ!あの時、見捨てちまったハッピーとタッチの供養をしに行くぞ!」と。

一瞬、空気が凍った。俺も淳也も言葉を失った。まさか「あの場所」に行こうなんて。

慎はそんな俺達を「オメーら変わってねーな!まだビビっんの!? 」と挑発。

その言葉に酔っ払い淳也が反応し「あ? 誰がビビるかよ!」とわめき始める。

俺は酔いながらも空気を読み「おいおい、やめとけって!第一、淳也まだ杖突いてんだぜ?」と言うと、慎がすかさず「あ、そっか…杖ついてちゃ逃げれねーしな?」と尚も仕掛ける。

淳也は益々ムキになり「うるせーよ!行きてーんなら行ってやるよ!お前こそ途中でビビんぢゃねーぞ?」と、当時の喧嘩のままになり、結局、「ハッピーとタッチの冥福を祈りに」という名目で行くことになった。

慎、淳也は二人とも引くに引けなかったんだと思う。「ハッピーとタッチの供養」はいずれしなければならないと思っていたので、良い機会かもと思った。

カラオケを出て、コンビニに寄り、あの2匹が大好きだったうまい棒とコーラを買い込んだ。自宅に照明道具を取りに戻りタクシーで小学校の裏山へ向かった。山に続く林道の入口でタクシーを降りた。

暗闇の中に、黒々とした山が広がっていた。俺は3人でよく遊んだ裏山という懐かしさと共に「あの日」の出来事を思い出した。こんな夜更けに、また入ることになるとは。

そんな俺の気持ちも知らずに淳也は意気揚々と「さあ、入ろうぜ!」と、杖を突きながらズカズカと入って行く。

その後ろをニヤニヤしながら慎が明かりを照らしながら付いて行った。俺は「淳也、足元、気つけろよ!」と言い慎に続いた。

登山途中、慎が淳也をからかうように「五寸釘の女がいたらどーする?俺、お前置いて逃げるけど♪」等、冗談ばかり言っていた。

思いの外スムーズに進めた。俺達が大きくなったせいだろう。30分程であの場所に到達した。

「あの場所」

初めてあの女と会った場所。

俺達は黙り込み、ゆっくりと明かりで周囲を照らしながら「あの樹」に近付いた。

「あの日」五寸釘の女が呪いの儀式をしていた樹。間近に寄り、明かりを向けた。

今は何も打ち込まれておらず、ただの大木。しかし、古い「釘痕」は残っていて、所々に穴が穿たれている。

しばらく3人で釘痕を眺めていた。

そして慎が「ここらへんでハッピーが死んでたんだよな」と地面を照らした。

無残なその姿が頭に浮かぶ。俺はその場にうまい棒とコーラを供えた。

そして3人で手を合わせ、次はタッチの元へ。秘密基地の跡へ向かった。

秘密基地に向かう途中、淳也が「色々あったけど、やっぱ懐かしいよな」とポツリと言った。

すると慎が「ああ。あの夜、秘密基地に泊まりに来なければ、嫌な思い出なんて無かっただろうな」と言った。

確かに。

この山で「五寸釘の女」に会わなければ、ここは俺達にとってはいつまでも秘密基地だったはずだ。

「ここらへんだったよな」

慎が立ち止まった。

俺達の秘密基地の跡地。危険な好奇心の痕跡。

もう、跡形も無かった。あの日バラバラにされていた材木すら一枚も無かった。淳也が無言でしゃがみ込み、うまい棒とコーラを置き、手を合わせた。俺と慎も手を合わせた。

しばらく黙祷した後、慎が言った。

慎「あの二匹がいなけりゃ、今頃、俺達いなかったかもな」

淳也「ああ」

俺「そうだよな…結局、五寸釘の女も更正して、なんだか、やっと悪夢から解放された感じだな」

しばらく沈黙が続いた。

ふと慎が周囲や目の前の池を電灯で照らし「この場所、あの頃は俺らだけの秘密の場所だったのに、けっこう来てる奴いるみたいだな」と言う。

慎が燈す場所を見ると、スナック菓子の袋や空き缶がぱらぱらと落ちていることに気付いた。

俺は「ほんとだな、あの頃はゴミなんて全然無かったもんな。今の小学生、この場所知ってんのかな?」と言うと、淳也が続けて「あの時は俺ら、まじめにゴミは持ち帰ってたもんな」と言った。

その時、慎が「何だこれ」と呟いた。俺と淳也はその 声に驚き、慎の照らす先に視線をやった。

一本の木に何やらゴミが張り付いている。菓子袋や空き缶、雑誌が木に釘で打ち付けられていた。

「なんだこれ!? 」

慎が明かりを照らしながら近付いていった。俺と淳也も後を着いて行った。

「誰かのイタズラ??」

俺は打ち付けられたゴミを見た。

その時、

「ああああ…これ…俺の、ゴミぃ…ああああ」

と淳也が震えた声を出して硬直した。

「は!? 」

俺と慎は聞き直した。

淳也は「あ゛あああ…俺が、病院で捨てた…あああ…」と言いながら後ずさりした。

慎が「おい!淳也!しっかりしろ!んなわけねーだろ!」と怒鳴りながら、釘で打たれた一枚の菓子袋を引きちぎった。

それを見て、淳也は「あー…」と奇妙な声を出し、尻餅を付いた。その行動に俺と慎は呆気に取られたが、次の瞬間、慎が手に持っていた袋を投げた。俺がその袋に目をやると、袋の裏に

「淳也呪殺」

とマジックで書かれていた。俺は『まさか?』と思い、木に釘打たれたゴミを片っ端から引き剥がし、裏を見た。

「淳也呪殺」

「淳也呪殺」

「淳也呪殺」

「淳也呪殺」

周囲に落ちているゴミ全てにそう書かれていた。

淳也は口をパクパクさせながら尻餅を付いた状態で固まっていた。

俺はその時、理解した。

「五寸釘の女」は更正なんて初めからしていなかったんだ。ずっと俺達を怨んでいたんだ。

俺が病院で見掛けた、ゴム手袋をして必死で分別していたのも、淳也のゴミだけを分けていたんだ!

俺達に「ごめんね」と言っていたのも全部嘘だったんだ。俺は急にとてつもなく寒気を感じた。

何も終わっていない。ここにいてはいけない!

「おい!しっかりしろ!行くぞ!」と言ったが、淳也は「俺の、俺の…」と繰り返すだけ。

淳也は壊れていた。慎と俺で淳也を担ぎ、山を降りた。

あの日以来、もちろん山には行っていない。「五寸釘の女」とも会っていない。

まだ俺達を怨んでいるんだろうか? どこかで見ているんだろうか? 俺達3人はまだ生きている。

ただ淳也は未だに歩く事が出来ない。

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タクシー(フリー写真)

タクシーの先客

M子さんは、新宿から私鉄で一時間ほどの所に住んでいる。 その日は連日の残業が終わり、土曜日の休日出勤という事もあって、同僚と深夜まで飲み終電で帰る事になった。 M子さんの通…

焼かれた十円玉

一昨年まで東京の三鷹に住んでたけど、アパートの部屋に朝4時頃になると必ず誰か来て、郵便受けにバーナーかなんかで焼いた10円を入れられた。 最初気付いた時は3枚。 たいして気…

人形の夢

前月に学校を辞めたゼミの先輩が残して行った荷物がある、という話は久保から聞いた。 殆ど使われていない埃っぽい実験準備室の隅っこに置かれた更衣ロッカーの中。 汚れたつなぎや新…

高速道路(フリー写真)

レッカーの仕事

私は運送の仕事をしていまして、主に牽引の仕事を回されます。 交代制で日勤と夜勤を月毎にやるのですが、夜勤の時は大体仕事が決まります。 故障、もしくは事故で自走出来ない車のレ…

アケミちゃん(長編)

大学に入学し友達も何人かできたある日の事、仲良くなった友人Aから、同じく仲良くなったBとCも遊びにきているので、今からうちに来ないかと電話があった。 時間はもう夜の9時過ぎくらい…

ばりばり

先日酷く怖い夢を見た。 私は学校にいた。中学校だ。もう随分前に卒業した。これが夢だとすぐに気づいたのは、あまりにも校内がしーんと静まり返っていたからだ。 何より今の自分に中…

夜の砂浜

夜の砂浜

昔、一人で海辺の町に旅行したことがある。 時期的に海水浴の季節も過ぎているため民宿には俺以外客は居らず、静かな晩だった。 俺は缶ビール片手に夜の浜辺に出て、道路と浜辺を繋ぐ…