雨を降らせる爺ちゃん

うちの爺ちゃんは、とにかく、やんちゃな人だった。

七十を過ぎても、いたずらが大好きだった。

そして、あの世に行ってからのほうが、もっとやんちゃになった。

やんちゃな花火師

爺ちゃんの家は、三河の岡崎、乙川のほとりにあった。

子どもの頃、私は爺ちゃんっ子だった。

両親が共働きで、放課後はいつも爺ちゃんの家にいた。

爺ちゃんは、私に下手な手品を見せては、自分で種明かしをして笑っていた。

川で魚を釣り、河原で焚き火をして、いもを焼いた。

叱られた記憶は、一度もない。

いたずらが過ぎて、婆ちゃんに怒られるのは、いつも爺ちゃんのほうだった。

爺ちゃんは、若い頃、花火師をしていた。

三河は、古くから花火職人の多い土地だ。

夏になると、乙川の川面に、大きな花火を映す人だった。

夏の大会では、爺ちゃんの上げる花火がいちばんの目玉だった。

川面に映る大輪を、私は爺ちゃんの肩車で見上げていた。

「どうだ、すごいだろう」

爺ちゃんは、自分の作った花火を、誰よりも自慢にしていた。

火薬の匂いと、爺ちゃんの煙草の匂いが、私の夏の記憶そのものだ。

打ち上げの晩、爺ちゃんの手は、いつも火薬で黒く汚れていた。

その手で頭を撫でられるのが、私は少しも嫌ではなかった。

夏の匂いのする、大きな手だった。

引退してからも、爺ちゃんは音と水が好きだった。

庭で線香花火をしては、子どもみたいにはしゃいでいた。

夏には、ホースで近所の子どもたちに水をかけて、一緒に笑い転げていた。

人を驚かせたり、笑わせたりするのが、何より好きな人だったのだ。

爺ちゃんのいたずらは、町内でも有名だった。

近所の人が玄関を開けると、軒先からバケツの水が落ちてくる。

そんな仕掛けを、本気で作る人だった。

仕掛けの糸の張り方だけは、妙に玄人はだしだった。

「花火も、いたずらも、仕込みが九割だがね」

それが爺ちゃんの持論だった。

正月には、お年玉袋の中に、わざと一円玉だけを入れて渡してきた。

こっちが膨れっ面をすると、後から本物の札をそっと足してくれた。

驚かせて、それから喜ばせる。

それが、爺ちゃんのやり方だった。

「今日は借りるで」

そんな爺ちゃんに、ひとつだけ、真面目な決まりごとがあった。

打ち上げの日の朝、必ず庭に出て、空に向かって頭を下げるのだ。

そして、こう言う。

「今日は借りるで」

子どもの頃、意味が分からなくて、聞いたことがある。

「じいちゃん、なにを借りるの」

「空をだがね」と、爺ちゃんは笑った。

「花火師はな、晴れた空を借りて、商売しとるんだわ」

「借りたもんは、いつか返さないかん。それが筋というもんだ」

何を返すのかまでは、教えてくれなかった。

私はその意味を、ずっと後になってから知ることになる。

葬儀の席で、爺ちゃんの弟弟子だという富田さんが、教えてくれた話がある。

爺ちゃんは、雨の日に機嫌の悪くなる花火師を、よく叱っていたそうだ。

「雨に文句を言うな」と。

「雨はな、川に落ちた燃えかすを、流してくれとるんだわ」

「わしらは晴れに借りて、雨に尻を拭いてもろうとる」

「花火師は、雨に頭が上がらんのだ」

そういう人だったのだ、と富田さんは笑った。

そして、少し声を落として、こう付け足した。

「兄さんにはね、ずっとつけとった帳面があったんだわ。上げた日の天気を、六十年ぶん、全部」

晴れの日を数えていたのだとしたら。

あの人は、返す当てもなく、借りを数え続けていたことになる。

晴れた葬儀の日

そんな爺ちゃんが、数年前に逝った。

大きな病気もなく、眠るように、ぽっくりと。

倒れたのは、いつもの縁側だった。

昼寝をしているのかと思ったら、そのまま目を覚まさなかった。

枕元には、作りかけの線香花火が、ひと束置いてあった。

最期まで、遊ぶ準備をしていたのだ。

いかにも、爺ちゃんらしい幕引きだった。

葬儀の日、不思議と空は晴れていた。

「爺ちゃん、最後くらい大人しくしとるな」

父は、そう言って笑っていた。

葬儀の日が晴れていたのには、後で気づいた理由があった。

その日は、乙川の夏祭りの初日だったのだ。

爺ちゃんが、毎年いちばん楽しみにしていた祭りだ。

きっと、自分の葬式よりも、祭りを優先したのだろう。

雨を降らせて、後輩たちの花火を中止にするわけにはいかなかったのだ。

そう考えると、降らせる日と降らせない日の区別まで、爺ちゃんらしかった。

手続きの日だけ、どしゃ降り

ところが、本当の騒ぎは、それからだった。

いざ墓を建てようとすると、しゃれにならないほどの手続きが必要だった。

役所を回り、書類を揃え、判子を押す。

その手続きに出かける日が、なぜか、決まってどしゃ降りの雨なのだ。

最初は、ただの偶然だと思っていた。

梅雨の時期だから、雨も多いだろう、と。

だが、それにしては、出来すぎていた。

前日まで晴れていても、手続きの当日になると、空が真っ黒になる。

傘をさしても、足元がびしょ濡れになるような雨だった。

役所に着く頃には、家族全員、ずぶ濡れだ。

役所の人にも、不思議がられた。

「おたく、来るたびに、すごい雨ですねえ」

窓口の女性が、苦笑いでそう言った。

その日も、前日までは快晴の予報だったのだ。

私たちが家を出た途端、空が、みるみる暗くなった。

傘が、横なぐりの雨で、何度もひっくり返った。

墓が建ってからも、それは続いた。

爺ちゃんの法事の日は、必ず、大雨が降った。

一周忌も、三回忌も、判で押したように土砂降りだった。

親戚たちも、さすがに首をかしげ始めた。

「おたくの爺さん、雨男だったのかい」

叔父が、半分冗談で、そう言った。

ひとつ、妙な法則もあった。

父が一人で役所へ行った日は、降らないのだ。

曇りはする。

空は、いかにも降りたそうに、低くなる。

けれど、降らない。

家族がそろって出かける日にだけ、バケツをひっくり返したような雨が来る。

「俺一人じゃ、張り合いがないんだろ」と父は言った。

そのときは、みんな笑って聞き流していた。

晴れの特異日の実験

あまりに続くので、父が、ある実験をした。

次の手続きの日を、わざわざ晴れの特異日に合わせたのだ。

十一月三日。

何十年も、ほとんど雨の降らない日として知られる日だった。

天気図を見ても、雨の気配など、どこにもなかった。

その日も、見事に、土砂降りになった。

しかも、降ったのはうちの町のあたりだけだった。

隣の町から来た叔母は、「うちのほうは晴れとったよ」と目を丸くした。

父は、空を見上げて、ただ笑うしかなかった。

「降参だ、爺ちゃん」

そう言って、両手を上げていた。

母などは、本気で気味悪がっていた。

「お義父さん、何か怒ってるんじゃないかしら」

そう言って、仏壇に手を合わせる回数が増えた。

だが、私はなんとなく、そうではない気がしていた。

あの爺ちゃんが、怒って雨を降らせるとは思えなかったのだ。

きっと、もっと別の理由だ。

三回忌の突風

三回忌の法事では、忘れられない出来事があった。

墓前で住職がお経を上げ始めた、その瞬間だった。

突風とともに、雨が一気に強まった。

親戚の差していた傘が、いっせいに裏返った。

喪服のおばさんが、足を滑らせて、尻もちをついた。

誰も怪我はなかったが、その光景は、まるで喜劇だった。

住職まで、お経をこらえきれずに、肩を震わせていた。

あれは絶対に、爺ちゃんの仕業だ。

みんな、心の中でそう思っていた。

法事の帰り道の一撃

そんなある年の、法事の帰り道のことだった。

その日も、もちろん、ひどい雨だった。

車のワイパーが、ばたばたと忙しく動いていた。

墓参りで濡れた家族は、みんな、どんよりと黙り込んでいた。

湿った服が、座席に貼りついて、気分まで重かった。

沈黙を破ったのは、運転していた父だった。

父は、フロントガラスの雨を見ながら、ぽつりと言った。

「爺ちゃん、きっとあれだな」

「向こうで爆笑しながら、みんなにホースで水かけとるんだろうな」

その一言で、車の中の空気が、ふっとゆるんだ。

あの、いたずら好きの爺ちゃんなら、やりかねない。

庭でホースを構えて、にやにや笑っている顔が、目に浮かんだ。

私たちは、久しぶりに、声をあげて笑った。

まさに、その瞬間だった。

横の道から、一台のトラックが飛び出してきた。

鈍い音とともに、車体が大きく揺れた。

私たちの車は、横腹をしたたかにぶつけられた。

幸い、家族にも、相手の運転手にも、怪我はなかった。

けれど、車は、見るも無残にへこんでいた。

全員、しばらく声も出なかった。

そして、誰からともなく、また笑い出した。

「爺ちゃん……図星だったのか」

父が、引きつった顔で、そう言った。

へこんだ車を修理に出すと、板金屋の主人が言った。

「ずいぶん、間の悪いところにぶつけられましたねえ」

ぶつかった位置は、ちょうど助手席の真横だった。

もう少し角度が違えば、大怪我をしていたかもしれない。

それなのに、誰一人、かすり傷ひとつ負わなかった。

驚かせて、それから守る。

やっぱり、爺ちゃんのやり方そのものだった。

事故のあと、警察を呼んで、現場検証になった。

雨はその間も、容赦なく降り続けた。

ところが、調書を取り終えた途端、雨がぴたりとやんだ。

雲の切れ間から、夕日が差し込んできた。

おまわりさんが、空を見上げて、首をかしげていた。

「さっきまでの雨は、なんだったんですかね」

私たちは、顔を見合わせて、笑いをこらえるのに苦労した。

婆ちゃんだけが知っていたこと

婆ちゃんだけは、最初から動じなかった。

「あの人は、昔からこうなんだよ」

そう言って、仏壇の写真に向かって、ぽんと手を合わせた。

「ほどほどにしときなさいよ、あんた」

まるで、生きている人に話しかけるような口ぶりだった。

その夜から、しばらく雨は降らなかった。

婆ちゃんの言うことだけは、爺ちゃんも聞くらしい。

逆のことも、一度だけあった。

日照りの続いた夏、婆ちゃんの畑の茄子が、しおれかけたことがある。

婆ちゃんは仏壇の前に座り、写真に向かって言った。

「あんた、たまには役に立ちなさい」

その日の夕方、夕立が来た。

降ったのは、うちの畑のあたりだけだった。

二軒隣の田中さんの庭は、乾いたままだった。

茄子は、見事に持ち直した。

婆ちゃんは、お礼も言わずに、漬物の支度を始めた。

「夫婦だでね」と、それだけだった。

ある晩、婆ちゃんの家で、私は例の口癖のことを聞いてみた。

打ち上げの朝の、「今日は借りるで」のことだ。

婆ちゃんは、お茶をすすってから、こともなげに言った。

「あの人はね、借りた分は、返す人なんだよ」

「六十年も空を借りて、花火を上げさせてもろうたでね」

「返しに来とるんだわ、今」

私は、湯呑みを持ったまま、しばらく動けなかった。

雨は、爺ちゃんが返しに来た水だったのだ。

六十年ぶんの晴れの借りを、爺ちゃんは律儀に、一回ずつ返している。

ただし、返しに来るのは、家族が全員集まる日に限る。

どうせ返すなら、みんなの顔を見ながら。

そういう魂胆まで、透けて見えるようだった。

「だで、あんたらが集まる日にしか降らんのだわ」

婆ちゃんは、そう言って、からからと笑った。

二人の出会いも、爺ちゃんのいたずらが始まりだったらしい。

川辺で、わざと帽子を風に飛ばし、婆ちゃんに拾わせたのだという。

そうやって、人の心に入り込むのが、爺ちゃんは抜群にうまかった。

怒らせるすれすれで、最後はいつも笑わせてしまう。

そんな人だから、葬式でも、誰も湿っぽくなれなかった。

遺影の中の爺ちゃんが、今にも舌を出しそうな顔で笑っていたからだ。

後になって、富田さんの言っていた帳面が、物置から出てきた。

古い大学ノートに、日付と、天気と、玉の数。

最後の頁の隅に、鉛筆の小さな字で、一行だけあった。

「晴れ、通算千と八十日。ぼちぼち返す」

書いた日付は、逝く半月前だった。

千と八十回。

私たちは、まだ数十回ぶんしか、濡れていない。

先は長いぞ、と家族で笑った。

雨の日の挨拶

今では、法事の日に雨が降ると、家族は決まってこう言う。

「お、爺ちゃん来たな」

傘をさしながら、誰もが、少しだけ笑っている。

雨の中の墓参りは、相変わらず大変だ。

それでも、その雨が、私たちには少しもいやではないのだ。

雨は、爺ちゃんが今もそばにいる、何よりの証だからだ。

会えない代わりに、爺ちゃんは雨を降らせて、私たちに会いに来る。

近所のおばさんたちも、口を揃えて言う。

「あんたんとこの爺さんは、あの世に行ってもやんちゃだねえ」

そう言いながら、みんな、どこか懐かしそうに笑う。

生きていた頃、さんざん水をかけられた人たちだ。

それでも、悪く言う人は、一人もいなかった。

旅立った人が挨拶に来る話は、世の中に案外多いらしい。

四十九日の夢のように、枕元へ静かに来る人もいれば、祖父母の夢のように、夢の中で笑っていく人もいる。

うちの爺ちゃんは、その点、騒がしい。

なにしろ、空ごと持ってくるのだから。

先日、私にも子どもが生まれた。

いつか、この子を乙川へ連れて行こうと思っている。

焚き火をして、いもを焼いて、下手な手品を見せてやりたい。

爺ちゃんがしてくれたことを、今度は私が、この子にしてやるのだ。

そして、夏の花火を、肩車で見せてやろう。

「どうだ、すごいだろう」と、あの口ぶりを真似しながら。

きっと爺ちゃんも、その日は雨を降らせないだろう。

花火の見える夜は、爺ちゃんにとっても特別だからだ。

いや、案外、ご機嫌で線香花火に火でもつけるかもしれない。

そんなことを考えると、自然と頬がゆるんでしまう。

この前、子どもの宮参りの帰り、快晴の空から、ひと粒だけ雨が落ちてきた。

私の腕の中の、子どもの額に、ぽつりと。

空を見上げても、雲ひとつなかった。

「……来たな、爺ちゃん」

ひ孫への、最初の挨拶だったのだと思う。

やんちゃな爺ちゃんは、きっと、これからもずっとそばにいる。

そう思えば、どしゃ降りも、悪くない。

きっと爺ちゃんは、今日もどこかで、ホースを握って笑っている。

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