うちの爺ちゃんは、とにかく、やんちゃな人だった。
七十を過ぎても、いたずらが大好きだった。
※
子どもの頃、私は爺ちゃんっ子だった。
両親が共働きで、放課後はいつも爺ちゃんの家にいた。
爺ちゃんは、私に下手な手品を見せては、自分で種明かしをして笑っていた。
川で魚を釣り、河原で焚き火をして、いもを焼いた。
叱られた記憶は、一度もない。
いたずらが過ぎて、婆ちゃんに怒られるのは、いつも爺ちゃんのほうだった。
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爺ちゃんは、若い頃、花火師をしていた。
川沿いの町で、毎年夏になると、大きな花火を打ち上げる人だった。
引退してからも、爺ちゃんは音と水が好きだった。
庭で線香花火をしては、子どもみたいにはしゃいでいた。
夏には、ホースで近所の子どもたちに水をかけて、一緒に笑い転げていた。
人を驚かせたり、笑わせたりするのが、何より好きな人だったのだ。
爺ちゃんのいたずらは、町でも有名だった。
近所の人が玄関を開けると、軒先からバケツの水が落ちてくる。
そんな仕掛けを、本気で作る人だった。
正月には、お年玉袋の中に、わざと一円玉だけを入れて渡してきた。
こっちが膨れっ面をすると、後から本物の札をそっと足してくれた。
驚かせて、それから喜ばせる。
それが、爺ちゃんのやり方だった。
※
花火師としての腕は、本物だったらしい。
夏の大会では、爺ちゃんの上げる花火がいちばんの目玉だった。
川面に映る大輪を、私は爺ちゃんの肩車で見上げていた。
「どうだ、すごいだろう」
爺ちゃんは、自分の作った花火を、誰よりも自慢にしていた。
火薬の匂いと、爺ちゃんの煙草の匂いが、夏の記憶そのものだ。
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そんな爺ちゃんが、数年前に亡くなった。
大きな病気もなく、眠るように、ぽっくりと逝った。
最期まで、爺ちゃんらしい去り方だった。
※
爺ちゃんが倒れたのは、いつもの縁側でだった。
昼寝をしているのかと思ったら、そのまま目を覚まさなかった。
枕元には、作りかけの線香花火が、ひと束置いてあった。
最期まで、遊ぶ準備をしていたのだ。
いかにも、爺ちゃんらしい最期だった。
葬儀の日、不思議と空は晴れていた。
「爺ちゃん、最後くらい大人しくしてるな」
父は、そう言って笑っていた。
葬儀の日が晴れていたのには、後で気づいた理由があった。
その日は、近所の夏祭りの初日だったのだ。
爺ちゃんが、毎年いちばん楽しみにしていた祭りだ。
きっと、自分の葬式よりも、祭りを優先したのだろう。
雨を降らせて、花火を中止にするわけにはいかなかったのだ。
そう考えると、雨を降らせる日と、降らせない日の区別まで、爺ちゃんらしかった。
※
ところが、本当の騒ぎは、それからだった。
いざ墓を建てようとすると、しゃれにならないほどの手続きが必要だった。
役所を回り、書類を揃え、判子を押す。
その手続きに出かける日が、なぜか、決まってどしゃ降りの雨なのだ。
※
最初は、ただの偶然だと思っていた。
梅雨の時期だから、雨も多いだろう、と。
だが、それにしては、出来すぎていた。
前日まで晴れていても、手続きの当日になると、空が真っ黒になる。
傘をさしても、足元がびしょ濡れになるような雨だった。
役所に着く頃には、家族全員、ずぶ濡れだ。
役所の人にも、不思議がられた。
「おたく、来るたびに、すごい雨ですねえ」
窓口の女性が、苦笑いでそう言った。
その日も、前日までは快晴の予報だったのだ。
私たちが家を出た途端、空が、みるみる暗くなった。
傘が、横なぐりの雨で、何度もひっくり返った。
※
墓が建ってからも、それは続いた。
爺ちゃんの法事の日は、必ず、大雨が降った。
一周忌も、三回忌も、判で押したように土砂降りだった。
親戚たちも、さすがに首をかしげ始めた。
「おたくの爺さん、雨男だったのかい」
叔父が、半分冗談で、そう言った。
※
あまりに続くので、父が、ある実験をした。
次の手続きの日を、わざわざ晴れの特異日に合わせたのだ。
何十年も、ほとんど雨の降らない日として知られる日だった。
その日も、見事に、土砂降りになった。
父は、空を見上げて、ただ笑うしかなかった。
「降参だ、爺ちゃん」
そう言って、両手を上げていた。
※
母などは、本気で気味悪がっていた。
「お義父さん、何か怒ってるんじゃないかしら」
そう言って、仏壇に手を合わせる回数が増えた。
だが、私はなんとなく、そうではない気がしていた。
あの爺ちゃんが、怒って雨を降らせるとは思えなかったのだ。
きっと、もっと別の理由だ。
※
三回忌の法事では、忘れられない出来事があった。
墓前で住職がお経を上げ始めた、その瞬間だった。
突風とともに、雨が一気に強まった。
親戚の差していた傘が、いっせいに裏返った。
喪服のおばさんが、足を滑らせて、尻もちをついた。
誰も怪我はしなかったが、その光景は、まるで喜劇だった。
住職まで、お経をこらえきれずに、肩を震わせていた。
あれは絶対に、爺ちゃんの仕業だ。
みんな、心の中でそう思っていた。
※
そんなある年の、法事の帰り道のことだった。
その日も、もちろん、ひどい雨だった。
車のワイパーが、ばたばたと忙しく動いていた。
墓参りで濡れた家族は、みんな、どんよりと黙り込んでいた。
湿った服が、座席に貼りついて、気分まで重かった。
※
沈黙を破ったのは、運転していた父だった。
父は、フロントガラスの雨を見ながら、ぽつりと言った。
「爺ちゃん、きっとあれだな」
「向こうで爆笑しながら、みんなにホースで水かけてるんだろうな」
※
その一言で、車の中の空気が、ふっとゆるんだ。
あの、いたずら好きの爺ちゃんなら、やりかねない。
庭でホースを構えて、にやにや笑っている顔が、目に浮かんだ。
私たちは、久しぶりに、声をあげて笑った。
どんよりしていた車内が、一瞬で、ほんわかとあたたかくなった。
※
まさに、その瞬間だった。
横の道から、一台のトラックが飛び出してきた。
鈍い音とともに、車体が大きく揺れた。
私たちの車は、横腹をしたたかにぶつけられた。
※
幸い、家族にも、相手の運転手にも、怪我はなかった。
けれど、車は、見るも無残にへこんでいた。
全員、しばらく声も出なかった。
そして、誰からともなく、また笑い出した。
「爺ちゃん……図星だったのか?」
父が、引きつった顔で、そう言った。
※
へこんだ車を修理に出すと、板金屋の主人が言った。
「ずいぶん、間の悪いところにぶつけられましたねえ」
ぶつかった位置が、ちょうど助手席の真横だった。
もう少し角度が違えば、大怪我をしていたかもしれない。
それなのに、誰一人、かすり傷ひとつ負わなかった。
驚かせて、それから守る。
やっぱり、爺ちゃんのやり方そのものだった。
事故のあと、警察を呼んで、現場検証になった。
雨はその間も、容赦なく降り続けた。
ところが、調書を取り終えた途端、雨がぴたりとやんだ。
雲の切れ間から、夕日が差し込んできた。
おまわりさんが、空を見上げて、首をかしげていた。
「さっきまでの雨は、なんだったんですかね」
私たちは、顔を見合わせて、笑いをこらえるのに必死だった。
※
考えてみれば、辻褄が合いすぎていた。
私たちが、爺ちゃんのいたずらに気づいて笑った、その瞬間。
まるで、ばれて照れ隠しでもするように、爺ちゃんは一発かましてきた。
やんちゃにも、ほどがある。
※
あれ以来、私は、雨が降るたびに爺ちゃんを思い出す。
法事の日に降る雨は、爺ちゃんからの、いたずらの挨拶なのだと思っている。
怒っているのでも、悲しんでいるのでもない。
ただ、家族にかまってほしくて、水をかけているだけなのだ。
※
婆ちゃんだけは、最初から動じなかった。
「あの人は、昔からこうなんだよ」
そう言って、仏壇の写真に向かって、ぽんと手を合わせた。
「ほどほどにしときなさいよ、あんた」
まるで、生きている人に話しかけるような口ぶりだった。
その夜から、しばらく雨は降らなかった。
婆ちゃんによると、二人の出会いも、爺ちゃんのいたずらが始まりだったらしい。
川辺で、わざと帽子を風に飛ばし、婆ちゃんに拾わせたのだという。
そうやって、人の心に入り込むのが、爺ちゃんは抜群にうまかった。
怒らせるすれすれで、最後はいつも笑わせてしまう。
そんな人だから、葬式でも、誰も湿っぽくなれなかった。
遺影の中の爺ちゃんが、今にも舌を出しそうな顔で笑っていたからだ。
婆ちゃんの言うことだけは、爺ちゃんも聞くらしい。
※
今では、法事の日に雨が降ると、家族は決まってこう言う。
「お、爺ちゃん来たな」
傘をさしながら、誰もが、少しだけ笑っている。
雨の中の墓参りは、相変わらず大変だ。
それでも、その雨が、私たちには少しもいやではないのだ。
※
あれから、何度も法事を重ねた。
そのたびに、空は判で押したように曇る。
けれど、もう誰も、いやな顔をしない。
傘を用意しながら、みんな、どこか嬉しそうなのだ。
雨は、爺ちゃんが今もそばにいる、何よりの証だからだ。
会えない代わりに、爺ちゃんは雨を降らせて、私たちに会いに来る。
近所のおばさんたちも、口を揃えて言う。
「あんたんとこの爺さんは、死んでもやんちゃだねえ」
そう言いながら、みんな、どこか懐かしそうに笑う。
生きていた頃、さんざん水をかけられた人たちだ。
それでも、悪く言う人は、一人もいなかった。
※
先日、私にも子どもが生まれた。
いつか、この子を川へ連れて行こうと思っている。
焚き火をして、いもを焼いて、下手な手品を見せてやりたい。
爺ちゃんがしてくれたことを、今度は私が、この子にしてやるのだ。
そして、夏の花火を、肩車で見せてやろう。
「どうだ、すごいだろう」と、あの口ぶりを真似しながら。
きっと爺ちゃんも、その日は雨を降らせないだろう。
花火の見える夜は、爺ちゃんにとっても特別だからだ。
いや、案外、ご機嫌で線香花火に火でもつけるかもしれない。
そんなことを考えると、自然と頬がゆるんでしまう。
やんちゃな爺ちゃんは、きっと、これからもずっとそばにいる。
そう思えば、どしゃ降りも、悪くない。
きっと爺ちゃんは、今日もどこかで、ホースを握って笑っている。