目をつぶったまま、その場で三回まわる。
たったそれだけのことが、私には長いあいだ、禁忌でした。
子どもの頃、私はそれをすると、知らない場所に立っていたからです。
※
最初は三歳のときでした。
記憶は断片ですが、足りない部分は、父が何度も語ってくれました。
場所は、県境の山あいにある古い遊園地です。
木製のジェットコースターと、ペンキの剥げた観覧車のある、昭和の匂いの残る場所でした。
父と二人で、コーヒーカップの順番待ちをしていました。
春の連休で、列は長く、三歳の私はすぐに退屈しました。
それで、目をつぶって、その場でくるくる回り始めたのだそうです。
母親の真似だったのかもしれません。
母は若い頃に社交ダンスを習っていて、台所でよくターンをしてみせたからです。
スカートが広がるのが楽しい、ただの遊びでした。
一回。
二回。
三回目を回りきって、目を開けました。
そこは、薄暗くて、青い場所でした。
大きな水槽が壁一面にあって、魚の影がゆっくり横切っていきました。
館内には、私のほかに誰もいませんでした。
ポンプの低い唸りと、水の揺れる音だけがしていました。
大きなウミガメが、ガラスのすぐ向こうで止まって、こちらを見ていました。
今でも水族館へ行くと、あの目を思い出します。
「どうやって来たの」と訊かれているような、あの目を。
園内の端にある、有料の水族館の中でした。
コーヒーカップから水族館までは、歩いて二十分はかかります。
入口では、切符を切られます。
三歳の子が、誰にも見られずに入れる場所ではありません。
私は泣きました。
泣きながら、出口がどちらかもわからず、青い通路を歩きました。
水槽の魚たちだけが、泣いている私と並んで泳ぎました。
床が冷たくて、自分の泣き声が水槽に反響して、それでよけいに泣きました。
係の人に保護されて、園内放送で父が呼ばれました。
保護してくれたのは、もぎりの席にいたおばさんでした。
「どこから入ったの」と、何度も訊かれました。
「くるくるしたら、きた」
三歳の説明では、それが精いっぱいでした。
おばさんは困った顔で笑って、それから、ふっと真顔になりました。
「……入ってくるところ、誰も見てないのよね」
独り言のような声でした。
もぎりの席からは、入口までの一本道が、まっすぐ見通せるのです。
駆けつけた父は、私を抱き上げる前に、なぜか周りを見回したそうです。
「煙草に火をつけようと、ほんの数秒、目を離したんだ」
大人になってから、父は何度もそう言いました。
「数秒だぞ。隣にいたのに、音もしなかった」
父は晩年まで、人混みで私の腕を取る癖が抜けませんでした。
「最初は、後ろの客に連れて行かれたと思った。本気で警察を呼ぶところだった」
「でもな、お前、靴の裏が乾いてたんだ」
その日は朝から小雨で、園内の地面はずっと濡れていました。
コーヒーカップから水族館まで、どこをどう歩いても、靴は濡れたはずでした。
私の白い靴の裏だけが、乾いたままでした。
帰りの車の中で、父は何度もバックミラーで後部座席の私を確かめたそうです。
「ちゃんといるか、何度見ても不安だった」と。
父はその日のうちに、遊園地の年間パスポートを解約しました。
以来、家族であの遊園地に行くことは、二度とありませんでした。
母にはあとで、こっぴどく叱られました。
「目を離したお父さんが悪い」と、夫婦喧嘩にもなりました。
私のせいで、というのが、子ども心に苦しかったのを覚えています。
※
五歳の夏にも、起きました。
母の実家は、海から五キロほど入った農村にありました。
築八十年を超える、太い梁の通った古い家です。
家には広い土間があって、夏でもひんやりしていました。
柱時計が三十分ごとに鳴り、納屋には使われなくなった農具が眠っていました。
夏休みのあいだ、私はそこに預けられていました。
朝は鶏の声で起きて、昼は縁側でスイカを食べる。
町育ちの私には、何もかもが新しい夏でした。
昼下がり、庭の柿の木の下で、私はあの遊びを思い出しました。
三歳の記憶は、もうほとんど薄れていました。
怖さよりも、好奇心が勝りました。
目をつぶる。
一回、二回、三回。
潮の匂いがしました。
目を開けると、見たことのない入り江に立っていました。
灰色の砂浜に、漁網と浮き球が転がっていました。
波の音と、どこかの船のエンジンの音。
不思議と、怖くはありませんでした。
波は穏やかで、入り江は傾きはじめた光で満ちていました。
ただ、ひとつだけ、今思えばおかしなことがあります。
あれだけ網や浮き球があるのに、人がひとりもいなかったのです。
船のエンジンの音は、ずっと聞こえているのに。
音のする方角を見ても、海の上には何もありませんでした。
祖父母の家の庭から、海までは五キロあります。
五歳の足で、歩ける距離ではありません。
だいいち、私は一歩も歩いていないのです。
今度は、泣きませんでした。
代わりに、しゃがんで、足元の砂をひと握り、ポケットに入れました。
なぜそうしたのか、自分でもわかりません。
ここに来た証拠が欲しかったのだと思います。
日が傾いた頃、堤防の上から男の人が私を見つけて、大声を上げました。
「嬢ちゃん、どっから来た」
「くるくるって、まわってきたの」
男の人は、笑いませんでした。
あとで知ったのですが、あの入り江は地元の子でも滅多に近づかない場所だったそうです。
理由を訊いても、大人は誰も教えてくれませんでした。
ポケットの砂は、家に着くまで握りしめていました。
手のひらに貝殻のかけらが食い込んで、痛かった。
その痛みだけが、あれが夢ではない証拠でした。
夕方、漁協の人に保護されて、軽トラックで家まで送ってもらいました。
荷台から見た夕焼けが、不自然なほど赤かったのを覚えています。
運転席の男の人は、家に着くまで一度も、こちらを振り返りませんでした。
家の前で、祖母が立って待っていました。
母よりも、誰よりも、青い顔をしていました。
「どこにいたの」
「うみ。くるくるって回ったら、ついたの」
祖母の手から、持っていた団扇が落ちました。
祖母は私の両肩を掴んで、しゃがみ込みました。
「回ったの。何回」
「……さんかい」
「目は。目はつぶってた?」
祖母があんなに強い力で私を掴んだのは、後にも先にも、あのときだけです。
その夜、祖母が仏間で長いこと手を合わせていたのを、襖の隙間から見ました。
仏間の鴨居には、私の知らない古い写真が並んでいました。
そのうちの一枚に、祖母は長いこと向かい合っていました。
白黒の、おかっぱの女の子の写真でした。
線香の匂いが、いつもより濃かったのを覚えています。
※
三度目は、中学二年の秋でした。
体育館での、マット運動の授業です。
マット運動は、もともと得意でした。
その日は連続前転のテストで、私の番は最後でした。
前転を三回続けて、立ち上がった瞬間、視界が暗転しました。
気がつくと、私は教室の自分の席に座っていました。
四時間目の、誰もいない教室です。
机の上には、開いたままの体育の出席簿がありました。
思い返せば、あの教室も少しおかしかったのです。
四時間目の校庭から、誰の声も聞こえませんでした。
窓から差す光は、昼にしては赤すぎました。
あれは、夕方の色でした。
私は体操着のまま、自分の席で、自分の手のひらを見ていました。
廊下を、上履きの音が走ってきました。
探しに来た友人が、教室の入口で立ち止まりました。
「……いた。なんでいるの」
「わかんない。気がついたら、ここにいた」
「先生が呼んでる。マットの上から、急に消えたって大騒ぎ」
体育館から教室まで、渡り廊下を含めて三分はかかります。
友人が言うには、私が消えてから見つかるまで、三十秒もなかったそうです。
でも、おかしいのです。
私の体感では、教室で座っていた時間だけで、五分はありました。
三十秒の中に、五分が入っていました。
時間の帳尻が、どこかで合っていないのです。
あの差額の四分半を、私はどこかへ置いてきたのか。
それとも、どこかから借りてきたのか。
あの五分間、私はどこの教室にいたのでしょう。
窓の外の景色を、確かめておけばよかったと、今でも思います。
騒ぎは、先生の手で「途中で抜けて教室に戻った」ことにされました。
大人は、説明のつく話のほうを選ぶのです。
三歳の遊園地のときと、同じでした。
友人だけは、今でも同窓会のたびにあの話をします。
「マットの上で、ほんとに、ふっと消えたんだよ」
酔うと必ず、同じ身振りで。
笑い話の口調なのに、彼女の目は笑っていません。
※
その年の冬、祖母の家で、私は思い切って訊きました。
訊こうと決めたのは、あの仏間の写真を、ふいに思い出したからです。
炬燵で二人きりになった夜です。
「おばあちゃん。私、回ると、変なところに行くの」
祖母は、蜜柑を剥く手を止めました。
止めたまま、長いこと黙っていました。
やがて、炬燵の上の蜜柑を見つめたまま、ぽつりと言いました。
「やっぱり、あんたに出たか」
祖母の話は、こうでした。
祖母には、トキエさんという三つ下の妹がいました。
私から見れば、大叔母にあたる人です。
仏間のあの白黒写真の、おかっぱの女の子でした。
トキエさんは子どもの頃から「回る子」だったそうです。
目をつぶってくるくる回って、気がつくと、隣村の鎮守の森や、誰もいない蔵の中に立っている。
「神隠しだ」と騒ぐ人もいれば、「狐つきだ」と眉をひそめる人もいました。
「うちはね、何代かにひとり、出るの」
「曾々祖母さんの妹も、そうだったと聞いてる」
「みんな女で、みんな、回る子」
祖母は、蜜柑の白い筋を、いつまでも剥き続けていました。
炬燵の天板に、蜜柑の皮の匂いが満ちていました。
家では、トキエさんが回ることを固く禁じました。
それでも、十七の年の夏祭りの晩。
浴衣のトキエさんは、櫓の灯りの輪の外で、くるくると回っていたそうです。
「楽しかったんだろうね。お囃子に合わせて、ただ、楽しくて」
それきり、トキエさんは戻りませんでした。
山も川もさらいましたが、下駄の片方さえ見つかりませんでした。
祭りの夜の話をするとき、祖母は一度だけ声を詰まらせました。
「あの晩、私が手を引いて帰ればよかった」
「六十年経っても、お囃子の音を聞くと、足が竦むの」
トキエさんの名前は、戸籍の上では今も生きているそうです。
死亡届を出すことを、曾祖父母が最後まで拒んだからです。
「帰ってきたとき、家がないと困るから」
「回るのはやめなさい」
祖母は、私の目をまっすぐ見て言いました。
「行った先から戻れるかどうかはね、こっちが決めることじゃないの」
「戻る場所は、向こうが決めるんだから」
それから祖母は、少しだけ間を置いて続けました。
「あんたが五歳の夏、海から帰ってきた日ね」
「ばあちゃん、本当は、もう会えないと思ってたの」
「トキエのときと、おんなじ色の夕方だったから」
炬燵の中なのに、足の先が冷たくなりました。
私はそれ以来、一度も回っていません。
盆踊りの輪にも、入ったことがありません。
遊園地のコーヒーカップにも、メリーゴーラウンドにも、乗れません。
回るものすべてが、私には少しだけ、扉に見えるのです。
※
あれから、ずいぶん経ちました。
白状すると、大人になってから、二度だけ試したことがあります。
一度目は、大学の卒業旅行の夜、酔った勢いで。
二度目は、祖母の葬儀から帰った晩、どうしても確かめたくて。
葬儀の晩に回ったのは、半分は祈りでした。
もし扉がまだ開くなら、トキエさんを探せるのではないか。
祖母に、妹の居場所を土産にできるのではないか。
そんな、子どもみたいな考えでした。
どちらも、何も起きませんでした。
目を開けると、ただ目が回って、同じ部屋の同じ床に立っているだけでした。
畳の上にへたり込んで、ひとりで少し泣きました。
「扉」は、もう閉じたのだと思います。
閉じたのなら、それでいい。
ただ、扉というものは、開くから閉じるのだ、とも思うのです。
では、誰が閉めたのか。
どちら側から。
それとも、子どもにしか開かないのか。
トキエさんのように「向こう」に気に入られるほどには、私は回らなかったのか。
今となっては、確かめようがありません。
ただ、ひとつだけ、手元に残っているものがあります。
五歳の夏、あの入り江でポケットに入れた、ひと握りの砂です。
母が小さなジャム瓶に移して、取っておいてくれました。
瓶は今、私の部屋の本棚にあります。
淡い灰色の、なんの変哲もない砂です。
ただ、地図でいくら調べても、あんな入り江は、祖母の村の海岸線のどこにも見当たらないのですが。
数年前、ふと気づいたことがあります。
砂が、減っているのです。
初めは、気のせいだと思いました。
瓶の横に油性ペンで印をつけて、写真も撮りました。
砂の線は、一年に数ミリずつ、確かに下がっています。
瓶の蓋は、固く閉まったままです。
誰も触っていません。
それでも、昔は瓶の三分目まであった砂が、今は底に薄く残るだけになりました。
少しずつ、少しずつ、どこかへ帰っているみたいに。
砂が全部なくなったとき、何が起きるのか。
何も起きないのか。
わかりません。
わからないまま、私は瓶を捨てられずにいます。
娘が生まれたとき、真っ先に考えたのは、この瓶のことでした。
娘には、あの遊びを教えていません。
それでも時々、目をつぶって回りたがるのです。
子どもとは、そういうものだから。
そのたびに私は、祖母と同じ強さで、娘の肩を掴んでしまいます。
あの日の出来事を、なかったことにする勇気がないからです。
今はもう、三回まわっても、何も起きません。
ただ、私はあのとき、確かに瞬間移動したのです。
あの青い水槽の前と、灰色の入り江と、誰もいない四時間目の教室に。
三回まわった、その先に。
そして、トキエさんは今も、帰っていません。