義母の夢が告げた四十九歳

抽象画

知人のおばあさんは、我が強くて怖い人だ。

けれど、自分の母親の話をするときだけは、顔つきがすっと穏やかになる。

その日、聞かされたのは、母親が義母の夢の中で受け取った一言の話だった。

「迎えに来ますからね」

その言葉が、あとで自分の身に起きた奇妙な出来事と、どうしても重なって離れない。

おばあさんの家は、商店街の裏の、細い路地の奥にある。

玄関の脇に、鉢植えの南天が並んでいて、冬になると赤い実が、窓ガラスを叩くように揺れる。

私は、その家に、月に一度、頼まれ物を届けに行っていた。

届けるたびに、おばあさんは玄関で、小さく頷くだけだった。

その日だけは、なぜか、お茶に誘われた。

届かなかった電報

そのおばあさんの母親を、ここではAさんと呼ぶ。

Aさんは、おばあさんを含めて、六人の子を産んだ。

末の男の子が二歳のころ、Aさんの実家から電報が届いた。

実母の容体が悪いという知らせだった。

けれど、幼い子を抱えた身では、すぐには動けなかった。

やっと実家に帰れたとき、実母はもう、息を引き取ったあとだった。

Aさんは元々、気が強く、きつい性格の人だったという。

そのAさんが、実母の最期に間に合わなかったことだけは、ずっと胸に残った。

夢でもいいから、会いたい。

毎晩、そう願いながら布団に入っていたそうだ。

電報の紙は、あとで小さく折りたたんで、仏壇の引き出しにしまったという。

文面は、たった一行だった。

〈ハハ キトク スグ カエレ〉

その一行を、Aさんは何度も読み返した。

字の形を覚えてしまうほど、見つめていたらしい。

冬の台所で、水を替えるたびに、その引き出しを見た。

けれど、一度も開けなかったと、おばあさんは言った。

義母の夢の中の声

ある夜、願いが叶った。それは、義母の夢だった。

母親が、夢に出てきた。

ところが、枕元に立っていたのは、実の母ではなかった。

夫の母親、つまり義母だった。

義母は、夫が十四歳のときに、すでに亡くなっていた。

Aさんは、仏壇の写真でしか顔を知らない。

その義母が、夢の中でこう言った。

「四十九になったら、息子を迎えに来ますからね」

当時、Aさんは四十代の前半で、夫は四十七歳だった。

あと二年。

目が覚めても、義母の夢の声は、耳の奥に残っていた。

Aさんは、布団の中で、しばらく動けなかった。

障子の外が、白く明るくなり始めていた。

隣では、夫が、いつもどおりの寝息を立てていた。

その寝息を聞きながら、Aさんは、一つだけ数を数えた。

あと、二年。

頭の中で、その数字だけが、何度も回った。

子どもは六人。

末の子は、まだ二歳だった。

Aさんは、その朝のうちに、仏壇の前に座った。

「まだ、主人を連れていかれては困ります」

「下の子が一人前になるまで、どうか待ってください」

「そのためなら、不足は言いません。これからは、人に尽くして生きます」

そう誓って、毎日、手を合わせ続けた。

それからのAさんは、別人のように慎ましくなった。

訪問販売の詐欺に遭って、金を取られた年もあったという。

人に蔑まれたり、嫌がらせを受けたりしても、言い返さなかった。

「人を恨んだら、その分、自分に返ってくるかもしれない」

「私のせいで、主人の寿命が縮んでは、いけない」

そう言って、気の強さを、嘘のように引っ込めたそうだ。

二十年と二つの春

当時の「一人前」とは、成人することではなかった。

結婚して、家庭を持つことだった。

それから二十年。

末の子は、二十二歳の春に結婚した。

Aさんは、その祝いの席で、いちばん長く頭を下げていたという。

そして、その年の秋口。

夫は、何の前触れもなく、急に息を引き取った。

夫が四十九歳になる年は、とうに過ぎていた。

その年の誕生日にも、Aさんは、夫の好物の煮物を作ったという。

箸を動かす夫の手元を、じっと見ていた。

何も起きなかった夜に、Aさんは、台所で一人、長く手を合わせた。

あの夢は、ただの夢だったのかもしれない。

そう思おうとしても、四十九という数字は、いつまでも胸の奥に居座っていたそうだ。

夫は六十七歳まで生きたことになる。

義母の言葉は、二年ではなく、二十年待ってくれたのだ。

Aさんは、そう受け取った。

祈りが届いたのだと思った。

夫を見送ったあとも、Aさんは生き方を変えなかった。

人に尽くし、人を恨まず、九十歳ごろまで、穏やかに暮らしたそうだ。

おばあさんは、母親の晩年の手を、よく覚えているという。

節くれ立った指が、仏壇の線香を、毎朝、同じ位置に立てた。

「あの人は、最後まで、一度も大声を出さんかった」

おばあさんは、湯呑みを両手で包んで、そう言った。

さっきまでの怖い顔が、嘘のように、静かだった。

話し終えると、おばあさんは、私の肩の後ろを見て、深く頭を下げた。

私は、何に対して頭を下げているのか分からなかった。

ただ、その動作があまりに自然だったので、何も聞けなかった。

正直に言えば、そのときの私は、話の意味がよく飲み込めていなかった。

「はあ、そうですか。すごい話ですね」

そう相槌を打って、おばあさんの家を出た。

門のところで、振り返った。

おばあさんは、玄関の上がり框に正座したまま、まだこちらを見ていた。

その視線が、私の頭の少し上に向いているような気がした。

手を振ろうとして、やめた。

重くなった身体

坂道を下りながら、肩が妙に重いことに気づいた。

荷物は、何も持っていなかった。

立ち止まって、肩を回した。

夕方の光が、道の脇のブロック塀に、長い影を落としていた。

自分の影の後ろに、もう一つ、薄い影が重なっているように見えた。

電柱の影だろう、と思うことにした。

その足で、友人のBの家へ向かった。

Bの家には、大きな仏壇がある。

Bの祖母が、昔、お祓いをする人だったからだという。

客間と仏間を兼ねた和室で、いつ来ても、仏壇の大きさに圧倒される。

正直、落ち着かない部屋だった。

線香の匂いが、壁の奥まで染み込んでいる。

仏壇の前には、数珠が一つ、いつも同じ位置に置かれていた。

Bに聞いたことがある。

「お婆ちゃん、毎朝ここで、誰かと話してたんだ」

「誰かって」

「わかんない。でも、ちゃんと返事を待ってたよ」

Bの母親は、穏やかな気質の人だ。

霊が見えるわけではないが、何かがいる気配には、敏感だという。

その日、私は、いつものように、勝手知ったる顔で和室に入った。

敷居をまたいだ瞬間だった。

膝から力が抜け落ちて、その場に座り込んでしまった。

「何だ、これ」

立ち上がろうとしても、足に力が入らない。

気力というものが、体のどこにも見当たらなかった。

そこへ、Bの母親が入ってきた。

私の顔を覗き込んで、静かに言った。

「ちゃんと、ホッとしたでしょう」

「何処からか、沢山、引き連れてきてたのよ」

「全部、お婆ちゃんが、落としてくれたわよ」

そして、私の肩を、とん、と叩いた。

その瞬間、身体がふっと軽くなった。

私は、立ち上がれた。

畳に手をついて、立ち上がると、脇の下に冷たい汗をかいていた。

さっきまでの重さが、どこへ行ったのか、見当もつかなかった。

そう言えば、おばあさんと別れたあとから、ずっと身体が重かった。

その理由を、自分では、ひとつも説明できなかった。

Bの祖母は、私が小学生のころに、静かに息を引き取ったと聞いている。

お祓いをする人として、近所では知られていたらしい。

数珠を繰る音が、夜中に廊下まで聞こえたことがあると、Bは言っていた。

その数珠は、今も、仏壇の前に置いたままだ。

Bの祖母は、もう、亡くなっている。

それなのに、Bの母親は、「お婆ちゃんが落としてくれた」と言う。

「まさか、仏間にいるんですか」

そう聞くと、Bの母親は、少しだけ笑った。

「さあ、どうかしらね」

その視線は、部屋の隅の座布団に向いていた。

そのとき、仏壇の鈴が、一度だけ、ちりん、と鳴った。

誰も、触れていなかった。

Bの母親は、鈴のほうを見て、軽く会釈をした。

私は、息を止めていた。

誰も座っていない、薄い紫の座布団だった。

真ん中が、わずかに、へこんでいた。

Bの母親は、その座布団を、そっと手で撫でた。

「ここがね、お婆ちゃんの席なの」

「誰か来ると、必ず、この席で話を聞いてたの」

私は、膝の上で拳を握ったまま、聞いていた。

座布団の表面は、ほんの少しだけ、温かそうに見えた。

私は、霊感というものが、まったくない。

だから、あれが何だったのかを説明することはできない。

ただ、おばあさんが話し終えたあと、私の肩の後ろに向かって頭を下げたことを、今も、ときどき思い出す。

あのとき、おばあさんが頭を下げた相手は、私ではなかったのだ。

そう考えると、背中のあたりが、少し冷たくなる。

同じように、見えないものに導かれた話が、ほかにもある(乗り過ごした先の知らない駅)。

ずっと母だと思っていた人が、他人だったという話もある(赤の他人)。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

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