雨の日だけ挟まる赤い洗濯ばさみ

雨の日だけ挟まる赤い洗濯ばさみ

静岡の牧之原の台地には、風の通り道が決まっています。

茶畑がどこまでも続いていて、遮るものがありません。

だから、雨が来るのが目で見えます。

遠くの空の下だけが灰色に濡れて、そこがゆっくり近づいてくるのです。

私はその台地の、二十軒ほどの集落で育ちました。

留守番の日に、呼び鈴が鳴る

小さい頃、私はよく一人で留守番をしていました。

両親は茶農家で、摘みの季節は日が暮れるまで帰りません。

祖母は早くに亡くなっていました。

だから、雨が来ると、家には私しかいません。

そういう日に、必ず呼び鈴が鳴りました。

そして、外から女の人の声がするのです。

「山田さーん、降ってきたよー」

苗字を、少し伸ばして呼ぶ声でした。

年配の方の声です。

私は毎回、玄関の戸を開けました。

けれど、そこには誰もいません。

庭にも、道にも、人影はありませんでした。

走って逃げたにしては、早すぎます。

台地の道はまっすぐで、どこまでも見えるからです。

それでも私は、怖いと思いませんでした。

声が、あまりに普通だったからです。

近所のおばさんが親切に教えてくれているのだと、ずっと思っていました。

実際、私はその声のあとで、いつも洗濯物を取り込んでいました。

摘みの季節の台地

うちは、二町ほどの茶畑を持っていました。

四月の終わりから、台地はいっせいに忙しくなります。

一番茶の時期です。

朝は暗いうちから機械の音がして、夜は工場の火入れの匂いが流れてきます。

火入れの匂いというのは、独特です。

香ばしいのに、少し焦げていて、鼻の奥に残ります。

あの匂いがしている晩は、大人は誰も家にいません。

子どもは、それぞれの家で待っています。

台地の家は、庭が広くて、物干しが二列あります。

風がよく通るので、洗濯物はすぐ乾きます。

そのかわり、雨も一気に来ます。

取り込みが遅れると、その日の洗濯はやり直しです。

だから、雨の日に声をかけてくれる人は、ありがたい存在でした。

私は、その声を疑ったことがありませんでした。

むしろ、声が聞こえない日のほうが、少し不安だったくらいです。

雨が来ても声がしない日は、たいてい、両親が早く帰ってくる日でした。

そのことに気づいたのも、ずっとあとになってからです。

郵便受けの、赤い洗濯ばさみ

うちの郵便受けには、いつも、赤い洗濯ばさみが一つ挟んでありました。

蓋の縁のところです。

色は褪せていて、ばねも弱くなっていました。

私は、それを母のものだと思っていました。

洗濯物を干すとき、余った一つをそこに挟んでいるのだろうと。

台地は風が強いので、洗濯ばさみはいくらあっても足りません。

そういう家は、ほかにもありました。

いま思えば、おかしなことがあります。

あの挟みは、私が留守番をする日にだけ、そこにありました。

家族が揃っている日曜には、無いのです。

子どもの私は、そのことに一度も気づきませんでした。

声の主を探した夏

四年生の夏、私は一度だけ、声の主を探したことがあります。

友達に話したら、そんなおばさんはいないと言われたからです。

雨の日を待ちました。

呼び鈴が鳴った瞬間に、戸を開けるのではなく、裏口から回ることにしたのです。

作戦としては、なかなかのものでした。

その日は、うまくいきました。

呼び鈴が鳴りました。

「山田さーん、降ってきたよー」

私は裏から出て、家の角を曲がりました。

誰もいませんでした。

道の先まで見えます。

茶畑の畝のあいだも、隠れる場所ではありません。

それでも私は、三十分ほど道に立っていました。

諦めて玄関に戻ったとき、たたきが濡れていました。

雨は、まだ庇の下までは入っていません。

点々と、三つでした。

あの日から二十年以上たって、去年もまた、同じ三つを見ることになります。

翌日、私は近所を回りました。

「昨日、うちに来てくれた人おる」

どの家でも、首を横に振られました。

最後に寄った家のおじいさんだけが、こう言いました。

「誰か来たんなら、礼は言わんでええ」

それが答えのつもりだったのだと、いまなら分かります。

二十年、忘れていた

高校を出て、私は静岡の市街に出ました。

それから仕事で県外に移り、実家に泊まるのは年に一度か二度になりました。

両親が二人ともいますから、留守番をすることもありません。

雨の日のおばさんのことは、すっかり忘れていました。

思い出したのは、去年の夏です。

父の通院に付き添うために、私は一週間ほど実家に帰っていました。

その日は、両親が二人で病院へ行きました。

久しぶりに、私が一人で家にいることになったのです。

午後になって、南のほうの空が灰色になりました。

台地の雨は、来ると分かってから十分ほどで届きます。

私は縁側で、その灰色が近づいてくるのを見ていました。

洗濯物が出ていることには、気づいていませんでした。

ずぶ濡れのおばさん

最初の雨粒が屋根を打った、すぐあとでした。

呼び鈴が鳴りました。

私は、体が勝手に動きました。

二十年以上前の動き方でした。

戸を開けると、そこに人がいました。

ずぶ濡れのおばさんが、傘も差さずに立っていました。

白髪を後ろでまとめて、上は作業用の紺の上っ張りです。

知らない顔でした。

その人は、私の顔を見て、少しだけ驚いたようでした。

それから、はっきりと言いました。

「雨が降ってきたから、洗濯物をしまいなさい」

私は「はい」と答えました。

答えたときにはもう、そこには誰もいませんでした。

玄関のたたきに、水が落ちていました。

点々と、三つだけです。

それは、しばらく乾きませんでした。

母に訊いてみた

その晩、私は母に話しました。

母は、驚きませんでした。

急須のふたを閉めながら、こう言っただけです。

「ああ、来たん」

母によれば、うちの洗濯物は、昔から誰かに取り込まれていたのだそうです。

留守にした日に帰ってくると、軒下にきちんとたたんで置いてある。

誰がやったのかは、分かりません。

この集落では、それを訊いてはいけないことになっていました。

「取り込むのに、断りはいらんの」

「取り込んだもんは、名前を言わずに置いていくの」

母は、当たり前のことのように言いました。

礼を言われると、次からやりにくくなるからです。

だから名前を言わない。

そういう決まりでした。

赤い挟みの意味

私は、郵便受けの挟みのことも訊きました。

母は、少し黙りました。

それから、湯呑みを置いて言いました。

「あれ、うちが挟んどるんじゃないよ」

赤い挟みは、今日はこの家に誰もいないという印でした。

出かける人が、自分で挟んでいくのだそうです。

挟んである家は、雨が来たら、誰かが回って取り込む。

集落の、古い決まりです。

けれど、私が留守番をしていた日、家には私がいました。

母は挟んでいません。

父も挟んでいません。

それでも、挟まっていたのです。

つまり、あの人にとって、留守番をしている子どもは、いない者と同じでした。

正確には、取り込める者ではない、ということです。

だから、印を挟んで、そのうえで声だけをかけてくれていた。

取り込むのは子どもの仕事にして、印は自分でつけておく。

そういう回り方をしていたのだと思います。

雨回りという役

集落の集会所に、古い帳面が残っています。

私は去年、公民館長さんに頼んで見せてもらいました。

表紙に「雨回り当番」と書いてあります。

雨が来たときに台地を一周して、印の挟まった家の洗濯物を取り込む役です。

一年交代で、名前が書いてあります。

昭和の初めから、ずっと続いていました。

ところが、最後の名前が、五十年以上前で止まっています。

それ以降の欄は、白紙です。

役そのものが、なくなったのだそうです。

洗濯機が変わり、家に人がいる時間が増え、必要がなくなったからです。

最後の欄に書かれていた名前を、私は館長さんに読んでもらいました。

谷口タキさん。

茶工場の釜炒りをしていた方の奥さんです。

その人は、当番の年の途中で、台地を離れています。

息子さんの家に移ったのだと、館長さんは言いました。

だから、その年の当番は、最後まで務められていません。

欄の名前の下に、消しゴムで消した跡が一つありました。

何が書いてあったのかは、もう読めません。

谷口タキさんの息子さんに会った

帳面の名前を知ってから、私は谷口さんの息子さんを探しました。

島田の市街に住んでおられました。

八十近い方です。

電話をすると、思ったよりあっさり会ってくれました。

タキさんは、二十年ほど前に旅立っておられました。

台地を離れたのは、五十年以上前です。

息子さんが引き取ったのだと言いました。

「足を悪うしましてね。台地はきついで」

私が雨回りの話を出すと、息子さんは笑いました。

「ああ、やっとりましたね」

そして、少し声を落として続けました。

「うちに来てからも、雨が降ると、落ち着かん人でしたよ」

雨音がすると、タキさんは立ち上がったそうです。

そして玄関まで行って、外を見る。

市街には茶畑もなければ、印を挟む家もありません。

それでも、毎回行ったのだと言います。

息子さんが理由を訊いたことがあるそうです。

タキさんは、こう答えたと言います。

「あっちは、まだ挟んどる家があるでな」

当番の年の途中で離れたことを、ずっと気にしていたのでしょう。

最後に、息子さんは一枚の写真を出してくれました。

台地の集会所の前で撮った、集落の写真です。

前列の右端に、上っ張りを着た小柄な人が写っていました。

白髪を後ろでまとめています。

私は、その顔を知っていました。

去年の夏、うちの玄関に立っていた人です。

消された一行のこと

帳面の最後の欄にあった、消しゴムの跡が気になっていました。

私は、もう一度公民館へ行きました。

館長さんは、光にかざしてみようと言ってくれました。

斜めから当てると、紙のへこみだけが浮きます。

字は二文字でした。

下の字は「田」です。

上は、崩れていて読めません。

この集落で「田」のつく苗字は、うちだけです。

館長さんは、それには触れませんでした。

かわりに、こう言いました。

「当番はな、辞めるときに、次の名前を書いてから離れるんよ」

タキさんは、途中で台地を離れました。

次の当番を書いてから離れたのなら、その名前が消された理由が分かりません。

消したのは、誰なのか。

消したのは、書かれた側なのか。

館長さんは、そこまでで話を切りました。

「昔のことじゃ」

うちの父は、その頃まだ子どもです。

祖父は、当番をやったことがないと母は言います。

けれど、母が嫁いできたのは、それよりあとのことでした。

父に訊いても、覚えていないと言うだけでした。

訊き方が悪かったのかもしれません。

この集落では、そのことを訊いてはいけないのですから。

傘を差さない理由

私は、あの人が濡れていた理由を、あとから考えました。

雨回りの人は、傘を差さないのだそうです。

両手が塞がると、洗濯物を抱えられないからです。

館長さんは、こう言いました。

「タキさんは、合羽も着んかったな」

合羽は、脱ぐのに手間がかかります。

軒下で他人の洗濯物を抱えるとき、その手間がもったいない。

そういう人だったそうです。

私は、そこでようやく気づきました。

あの日、私が戸を開けたのは、洗濯物を取り込むためでした。

子どもの頃は、声を聞いてから取り込んでいました。

けれど去年のあの日、私は縁側から雨が近づくのを見ていたのです。

そして、呼び鈴が鳴る前から、立ち上がろうとしていました。

あの日、私は初めて、取り込む側になったのです。

だから、姿が見えたのだと思っています。

印が五軒に増えるまで

私が回りはじめた最初の年、赤い挟みのある家は三軒でした。

三軒とも、昔からの家です。

若い人の家は、挟みません。

習わしを知らないのですから、当たり前です。

二年目の春、集落に若い夫婦が越してきました。

茶の仕事を継ぎたいという方です。

ある日、その家の奥さんに声をかけられました。

「あの、洗濯物、誰かが入れてくれるんですけど」

私は、名前を言わない決まりを説明しませんでした。

かわりに、赤い洗濯ばさみを一つ渡しました。

「出かけるとき、これを郵便受けに挟んどいてください」

それだけです。

奥さんは、不思議そうな顔をしていました。

次の雨の日、その家の郵便受けに、赤い挟みがありました。

いまは、五軒に増えています。

増えたのは、私が説明したからではありません。

取り込まれた経験のある人が、次に自分で挟むようになるだけです。

この習わしは、そうやって五十年、名前を言わずに続いてきたのだと思います。

いまは、私が回っています

私は去年の秋に、実家に戻りました。

父の畑を手伝うためです。

台地の家は、いま十四軒に減っています。

南の空が灰色になると、私は軽トラで出ます。

郵便受けを見て、赤い挟みのある家だけを回ります。

最初の年は、三軒でした。

いまは、五軒になりました。

挟みを配ったわけではありません。

気づいた人が、自分で挟むようになっただけです。

取り込んだものは、軒下にたたんで置いていきます。

名前は言いません。

礼を言われても、聞こえなかったふりをします。

傘は差しません。

合羽も、着ないことにしました。

この集落のような、名前を言わない習わしにまつわる話としては、佐々間のおばちゃんという話も伝わっています。

留守の家に置かれていくものについては、不思議なお菓子の箱も、あわせて読んでいただけたらと思います。

私が回るようになってから、あの声は聞こえません。

一度だけ、聞こえたことがあります。

去年の十一月、うちの郵便受けに、赤い挟みが挟まっていた日です。

私は畑に出ていて、家には誰もいませんでした。

帰ると、軒下に洗濯物がたたんで置いてありました。

誰がやったのかは、訊きません。

訊いてはいけないことになっているからです。

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