
静岡の牧之原の台地には、風の通り道が決まっています。
茶畑がどこまでも続いていて、遮るものがありません。
だから、雨が来るのが目で見えます。
遠くの空の下だけが灰色に濡れて、そこがゆっくり近づいてくるのです。
私はその台地の、二十軒ほどの集落で育ちました。
留守番の日に、呼び鈴が鳴る
小さい頃、私はよく一人で留守番をしていました。
両親は茶農家で、摘みの季節は日が暮れるまで帰りません。
祖母は早くに亡くなっていました。
だから、雨が来ると、家には私しかいません。
※
そういう日に、必ず呼び鈴が鳴りました。
そして、外から女の人の声がするのです。
「山田さーん、降ってきたよー」
苗字を、少し伸ばして呼ぶ声でした。
年配の方の声です。
※
私は毎回、玄関の戸を開けました。
けれど、そこには誰もいません。
庭にも、道にも、人影はありませんでした。
走って逃げたにしては、早すぎます。
台地の道はまっすぐで、どこまでも見えるからです。
※
それでも私は、怖いと思いませんでした。
声が、あまりに普通だったからです。
近所のおばさんが親切に教えてくれているのだと、ずっと思っていました。
実際、私はその声のあとで、いつも洗濯物を取り込んでいました。
摘みの季節の台地
うちは、二町ほどの茶畑を持っていました。
四月の終わりから、台地はいっせいに忙しくなります。
一番茶の時期です。
朝は暗いうちから機械の音がして、夜は工場の火入れの匂いが流れてきます。
※
火入れの匂いというのは、独特です。
香ばしいのに、少し焦げていて、鼻の奥に残ります。
あの匂いがしている晩は、大人は誰も家にいません。
子どもは、それぞれの家で待っています。
※
台地の家は、庭が広くて、物干しが二列あります。
風がよく通るので、洗濯物はすぐ乾きます。
そのかわり、雨も一気に来ます。
取り込みが遅れると、その日の洗濯はやり直しです。
※
だから、雨の日に声をかけてくれる人は、ありがたい存在でした。
私は、その声を疑ったことがありませんでした。
むしろ、声が聞こえない日のほうが、少し不安だったくらいです。
雨が来ても声がしない日は、たいてい、両親が早く帰ってくる日でした。
そのことに気づいたのも、ずっとあとになってからです。
郵便受けの、赤い洗濯ばさみ
うちの郵便受けには、いつも、赤い洗濯ばさみが一つ挟んでありました。
蓋の縁のところです。
色は褪せていて、ばねも弱くなっていました。
※
私は、それを母のものだと思っていました。
洗濯物を干すとき、余った一つをそこに挟んでいるのだろうと。
台地は風が強いので、洗濯ばさみはいくらあっても足りません。
そういう家は、ほかにもありました。
※
いま思えば、おかしなことがあります。
あの挟みは、私が留守番をする日にだけ、そこにありました。
家族が揃っている日曜には、無いのです。
子どもの私は、そのことに一度も気づきませんでした。
声の主を探した夏
四年生の夏、私は一度だけ、声の主を探したことがあります。
友達に話したら、そんなおばさんはいないと言われたからです。
※
雨の日を待ちました。
呼び鈴が鳴った瞬間に、戸を開けるのではなく、裏口から回ることにしたのです。
作戦としては、なかなかのものでした。
※
その日は、うまくいきました。
呼び鈴が鳴りました。
「山田さーん、降ってきたよー」
私は裏から出て、家の角を曲がりました。
※
誰もいませんでした。
道の先まで見えます。
茶畑の畝のあいだも、隠れる場所ではありません。
それでも私は、三十分ほど道に立っていました。
※
諦めて玄関に戻ったとき、たたきが濡れていました。
雨は、まだ庇の下までは入っていません。
点々と、三つでした。
あの日から二十年以上たって、去年もまた、同じ三つを見ることになります。
※
翌日、私は近所を回りました。
「昨日、うちに来てくれた人おる」
どの家でも、首を横に振られました。
最後に寄った家のおじいさんだけが、こう言いました。
「誰か来たんなら、礼は言わんでええ」
それが答えのつもりだったのだと、いまなら分かります。
二十年、忘れていた
高校を出て、私は静岡の市街に出ました。
それから仕事で県外に移り、実家に泊まるのは年に一度か二度になりました。
両親が二人ともいますから、留守番をすることもありません。
雨の日のおばさんのことは、すっかり忘れていました。
※
思い出したのは、去年の夏です。
父の通院に付き添うために、私は一週間ほど実家に帰っていました。
その日は、両親が二人で病院へ行きました。
久しぶりに、私が一人で家にいることになったのです。
※
午後になって、南のほうの空が灰色になりました。
台地の雨は、来ると分かってから十分ほどで届きます。
私は縁側で、その灰色が近づいてくるのを見ていました。
洗濯物が出ていることには、気づいていませんでした。
ずぶ濡れのおばさん
最初の雨粒が屋根を打った、すぐあとでした。
呼び鈴が鳴りました。
私は、体が勝手に動きました。
二十年以上前の動き方でした。
※
戸を開けると、そこに人がいました。
ずぶ濡れのおばさんが、傘も差さずに立っていました。
白髪を後ろでまとめて、上は作業用の紺の上っ張りです。
知らない顔でした。
※
その人は、私の顔を見て、少しだけ驚いたようでした。
それから、はっきりと言いました。
「雨が降ってきたから、洗濯物をしまいなさい」
私は「はい」と答えました。
答えたときにはもう、そこには誰もいませんでした。
※
玄関のたたきに、水が落ちていました。
点々と、三つだけです。
それは、しばらく乾きませんでした。
母に訊いてみた
その晩、私は母に話しました。
母は、驚きませんでした。
急須のふたを閉めながら、こう言っただけです。
「ああ、来たん」
※
母によれば、うちの洗濯物は、昔から誰かに取り込まれていたのだそうです。
留守にした日に帰ってくると、軒下にきちんとたたんで置いてある。
誰がやったのかは、分かりません。
この集落では、それを訊いてはいけないことになっていました。
※
「取り込むのに、断りはいらんの」
「取り込んだもんは、名前を言わずに置いていくの」
母は、当たり前のことのように言いました。
礼を言われると、次からやりにくくなるからです。
だから名前を言わない。
そういう決まりでした。
赤い挟みの意味
私は、郵便受けの挟みのことも訊きました。
母は、少し黙りました。
それから、湯呑みを置いて言いました。
「あれ、うちが挟んどるんじゃないよ」
※
赤い挟みは、今日はこの家に誰もいないという印でした。
出かける人が、自分で挟んでいくのだそうです。
挟んである家は、雨が来たら、誰かが回って取り込む。
集落の、古い決まりです。
※
けれど、私が留守番をしていた日、家には私がいました。
母は挟んでいません。
父も挟んでいません。
それでも、挟まっていたのです。
※
つまり、あの人にとって、留守番をしている子どもは、いない者と同じでした。
正確には、取り込める者ではない、ということです。
だから、印を挟んで、そのうえで声だけをかけてくれていた。
取り込むのは子どもの仕事にして、印は自分でつけておく。
そういう回り方をしていたのだと思います。
雨回りという役
集落の集会所に、古い帳面が残っています。
私は去年、公民館長さんに頼んで見せてもらいました。
表紙に「雨回り当番」と書いてあります。
※
雨が来たときに台地を一周して、印の挟まった家の洗濯物を取り込む役です。
一年交代で、名前が書いてあります。
昭和の初めから、ずっと続いていました。
※
ところが、最後の名前が、五十年以上前で止まっています。
それ以降の欄は、白紙です。
役そのものが、なくなったのだそうです。
洗濯機が変わり、家に人がいる時間が増え、必要がなくなったからです。
※
最後の欄に書かれていた名前を、私は館長さんに読んでもらいました。
谷口タキさん。
茶工場の釜炒りをしていた方の奥さんです。
※
その人は、当番の年の途中で、台地を離れています。
息子さんの家に移ったのだと、館長さんは言いました。
だから、その年の当番は、最後まで務められていません。
欄の名前の下に、消しゴムで消した跡が一つありました。
何が書いてあったのかは、もう読めません。
谷口タキさんの息子さんに会った
帳面の名前を知ってから、私は谷口さんの息子さんを探しました。
島田の市街に住んでおられました。
八十近い方です。
電話をすると、思ったよりあっさり会ってくれました。
※
タキさんは、二十年ほど前に旅立っておられました。
台地を離れたのは、五十年以上前です。
息子さんが引き取ったのだと言いました。
「足を悪うしましてね。台地はきついで」
※
私が雨回りの話を出すと、息子さんは笑いました。
「ああ、やっとりましたね」
そして、少し声を落として続けました。
「うちに来てからも、雨が降ると、落ち着かん人でしたよ」
※
雨音がすると、タキさんは立ち上がったそうです。
そして玄関まで行って、外を見る。
市街には茶畑もなければ、印を挟む家もありません。
それでも、毎回行ったのだと言います。
※
息子さんが理由を訊いたことがあるそうです。
タキさんは、こう答えたと言います。
「あっちは、まだ挟んどる家があるでな」
当番の年の途中で離れたことを、ずっと気にしていたのでしょう。
※
最後に、息子さんは一枚の写真を出してくれました。
台地の集会所の前で撮った、集落の写真です。
前列の右端に、上っ張りを着た小柄な人が写っていました。
白髪を後ろでまとめています。
私は、その顔を知っていました。
去年の夏、うちの玄関に立っていた人です。
消された一行のこと
帳面の最後の欄にあった、消しゴムの跡が気になっていました。
私は、もう一度公民館へ行きました。
館長さんは、光にかざしてみようと言ってくれました。
※
斜めから当てると、紙のへこみだけが浮きます。
字は二文字でした。
下の字は「田」です。
上は、崩れていて読めません。
※
この集落で「田」のつく苗字は、うちだけです。
館長さんは、それには触れませんでした。
かわりに、こう言いました。
「当番はな、辞めるときに、次の名前を書いてから離れるんよ」
※
タキさんは、途中で台地を離れました。
次の当番を書いてから離れたのなら、その名前が消された理由が分かりません。
消したのは、誰なのか。
消したのは、書かれた側なのか。
館長さんは、そこまでで話を切りました。
「昔のことじゃ」
※
うちの父は、その頃まだ子どもです。
祖父は、当番をやったことがないと母は言います。
けれど、母が嫁いできたのは、それよりあとのことでした。
父に訊いても、覚えていないと言うだけでした。
訊き方が悪かったのかもしれません。
この集落では、そのことを訊いてはいけないのですから。
傘を差さない理由
私は、あの人が濡れていた理由を、あとから考えました。
雨回りの人は、傘を差さないのだそうです。
両手が塞がると、洗濯物を抱えられないからです。
※
館長さんは、こう言いました。
「タキさんは、合羽も着んかったな」
合羽は、脱ぐのに手間がかかります。
軒下で他人の洗濯物を抱えるとき、その手間がもったいない。
そういう人だったそうです。
※
私は、そこでようやく気づきました。
あの日、私が戸を開けたのは、洗濯物を取り込むためでした。
子どもの頃は、声を聞いてから取り込んでいました。
けれど去年のあの日、私は縁側から雨が近づくのを見ていたのです。
そして、呼び鈴が鳴る前から、立ち上がろうとしていました。
※
あの日、私は初めて、取り込む側になったのです。
だから、姿が見えたのだと思っています。
印が五軒に増えるまで
私が回りはじめた最初の年、赤い挟みのある家は三軒でした。
三軒とも、昔からの家です。
若い人の家は、挟みません。
習わしを知らないのですから、当たり前です。
※
二年目の春、集落に若い夫婦が越してきました。
茶の仕事を継ぎたいという方です。
ある日、その家の奥さんに声をかけられました。
「あの、洗濯物、誰かが入れてくれるんですけど」
※
私は、名前を言わない決まりを説明しませんでした。
かわりに、赤い洗濯ばさみを一つ渡しました。
「出かけるとき、これを郵便受けに挟んどいてください」
それだけです。
奥さんは、不思議そうな顔をしていました。
※
次の雨の日、その家の郵便受けに、赤い挟みがありました。
いまは、五軒に増えています。
増えたのは、私が説明したからではありません。
取り込まれた経験のある人が、次に自分で挟むようになるだけです。
この習わしは、そうやって五十年、名前を言わずに続いてきたのだと思います。
いまは、私が回っています
私は去年の秋に、実家に戻りました。
父の畑を手伝うためです。
台地の家は、いま十四軒に減っています。
※
南の空が灰色になると、私は軽トラで出ます。
郵便受けを見て、赤い挟みのある家だけを回ります。
最初の年は、三軒でした。
いまは、五軒になりました。
挟みを配ったわけではありません。
気づいた人が、自分で挟むようになっただけです。
※
取り込んだものは、軒下にたたんで置いていきます。
名前は言いません。
礼を言われても、聞こえなかったふりをします。
傘は差しません。
合羽も、着ないことにしました。
※
この集落のような、名前を言わない習わしにまつわる話としては、佐々間のおばちゃんという話も伝わっています。
留守の家に置かれていくものについては、不思議なお菓子の箱も、あわせて読んでいただけたらと思います。
※
私が回るようになってから、あの声は聞こえません。
一度だけ、聞こえたことがあります。
去年の十一月、うちの郵便受けに、赤い挟みが挟まっていた日です。
私は畑に出ていて、家には誰もいませんでした。
帰ると、軒下に洗濯物がたたんで置いてありました。
誰がやったのかは、訊きません。
訊いてはいけないことになっているからです。