
これは、私の母の故郷に伝わる、ある特異な風習についての話です。
ごく最近になって知ったのですが、母の実家がある集落には、「ハカソヤ」と呼ばれる、女性だけに伝えられる不思議な習慣があります。
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ハカソヤには主に二つの意味があり、一つは「お祝いの言葉」、もう一つは「お守り」を指すものです。
お祝いの言葉としてのハカソヤは、初潮を迎えた女の子や、恋人ができた未婚女性に対して、「おめでとう」の代わりに女性同士でそっと交わされる言葉です。
そしてお守りとしてのハカソヤは、母親から娘に渡される「安産祈願」の護符。
妊娠していなくても、将来に備えて、娘が就職や結婚などを機に実家を離れる際に、必ず持たせるといいます。
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この風習で特に重要視されているのは、**「絶対に男性には見せてはならない」**という点です。
たとえ家族であっても、男性の前ではハカソヤの存在に触れてはいけません。
祝福の言葉を伝える時には、台所や物陰に呼び寄せて、そっと「ハカソヤ、ハカソヤ」と囁くように伝えるのが習わしです。
お守りを渡す際も、女の子の兄弟がいたりする場合は、母親ではなく、別の女性に代行を頼むこともあるそうです。
男性の前では徹底して隠されるこの風習は、もしかすると、今も多くの男性たちはその存在すら知らないかもしれません。
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私自身がその「ハカソヤ」を受け取ったのは、大学進学で東京に出ることが決まった18歳の春でした。
渡してくれたのは母ではなく、叔母でした。
というのも、私の母は古い習慣や迷信めいた言い伝えをあまり信じない人で、ハカソヤも自分の代で絶やすつもりだったようです。
母は結婚を機に集落を離れましたが、妹の叔母は近隣に嫁ぎ、祖母と共に地元に残っていたのです。
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叔母は私にこう言って手渡しました。
「おばあちゃんの気持ちもあるし、都会は怖いところだから。女の子には、どうしてもこれが必要なんだよ」
その時は深く考えず、ただの安産祈願のお守りだろうと軽く受け取ったのを覚えています。
ピンク色の布地でできた、どこにでもあるような小さなお守り。
――けれど、その中身を知るまでは。
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東京での暮らしが始まり、ちょうど一ヶ月が過ぎた頃。
私はと言えば、自由な都会の空気に酔いしれ、カフェ巡りや雑貨屋巡り、美味しい店の開拓などに明け暮れていました。
その結果、すぐに生活費が尽きてしまったのです。
アルバイトもまだ決まっておらず、さすがに親に仕送りを頼むには気が引けて、部屋中を漁って余りのお金がないか探し回っていました。
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そんな時ふと思い出したのが、あのハカソヤでした。
昔話によくある「お守りの中にお金が入っていて、困った時に使いなさい」的なエピソードをふと思い出し、もしかしたら……と淡い期待を抱いて開けてみたのです。
しかし、そこにはお金など入っていませんでした。
代わりに出てきたのは、小さな古びた布切れと、厚紙の台紙。
その布はわずか2~3センチほどのガーゼのような素材で、半分ほどが茶色く固く染みて波打っていました。
黄ばんだ地の色と、茶褐色に固まったその部分に、私はある不快な想像をしてしまいました。
「……これ、血じゃないの?」
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どうしても気になった私は、実家の母に電話をかけてみました。
すると、母は私がハカソヤを叔母から受け取っていたことすら知らなかったようで、少し驚いた様子でした。
「中に入っていた布、あれは何?」
私がそう尋ねると、母はしばらく黙った後、静かにこう言いました。
「……酷いことが起こらないように、気をつけてね」
それだけで、何も説明してくれませんでした。
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納得がいかなかった私は、叔母にも連絡をとりました。
そして、まくし立てるように尋ねたのです。
「あの布……血の染みたあれは、一体何なの!?」
すると叔母は、さも当然のように答えました。
「あれは“女の子の血”よ。ハカソヤっていうのは、男にひどいことをされないようにするお守りなの。姉さんから聞いてなかったの?」
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叔母の説明はこうでした。
昔――特に儒教や外部からの道徳観が伝わる以前の日本では、性に関する価値観は今とは大きく異なっていたといいます。
夜這いは当たり前で、女性の身体はある種“共有”されるものとされ、生まれた子どもは「村の子」として皆で育てていた。
しかし、女性にとってそれがどれほど過酷なことであったか。
中には望まぬ妊娠を繰り返し、誰の子かわからないまま命を産み落とすことすらあったでしょう。
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そんな風土の中、女性たちの間で密かに作られていったのが、この「ハカソヤ」だったのだそうです。
その由来には戦慄を覚えました。
死産で生まれた女の子の膣に、産婆が木綿布をあてがい、指を差し入れて血を染み出させる。
そしてその布を絞り、染みを全体に移し取ったうえで、乾かし、小さく切ってお守りの中に入れる。
それが、私の手元にあるハカソヤの正体だったのです。
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このお守りには二つの目的があるといいます。
ひとつは、望まぬ妊娠や性暴力から女性を守ること。
そしてもうひとつは――“もし被害にあったとしても、相手の男に呪いを返すことができる”という、呪符としての力です。
「ある女の子が男に襲われたとき、ずっと“ハカソヤ、ハカソヤ”と唱えていたら、男が突然、口から内臓を吐き出して死んだ」
そんな伝承まで残っているというのです。
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だからこそ、ハカソヤは「一人前の女」になると渡される。
それは、“あなたの身体は、あなたのものだ”という、切実で激しい願いだったのかもしれません。
叔母は語りました。
「ハカソヤって、“破瓜・初夜”のもじりじゃないかって説もあるよ。他にも“男に一泡吹かそうや”とか、“男に内臓吐かそうや”とか、いろんな説があるの」
私は震えるような気持ちで聞いていました。
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「でも……じゃあ、あんなお守りを“おめでとう”の意味で使ってたってこと?」
私がそう驚くと、叔母は優しく微笑みながら、首を振りました。
「女にとっての“初めて”が幸せなものになりますように――それが、あの言葉の意味よ」
男に向ければ呪い。
女に向ければ祝福。
それがハカソヤなのだと、叔母は言いました。
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今の時代、こうした習慣はほとんど失われ、意味すら知らぬまま形骸化した挨拶となって残っているのだそうです。
けれど、あの布を見たときの、ぞわりと這い寄るような違和感と恐怖。
それがすべての答えなのかもしれません。
母の故郷の女性たちは、長い時間をかけて、男性社会に抗うための知恵を、密やかに受け継いできたのです。
そして今も、集落の男たちはその存在を知ることはありません。
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私の手元には、あのピンク色のお守りが今もあります。
どこの誰のものかもわからない血の布が入った、小さな袋。
正直、持っているのは気味が悪いです。
でも――捨てていいものかどうか、私はまだ決められずにいます。