霊感テスト

あの夜、あの遊びを、試してしまったことを、僕はいまも、後悔している。

霊感テスト、というものだ。

もし、この先を読んでも、あなたは、決して、試さないでほしい。

大学二年の夏、僕の所属するサークルは、山あいの古い民家を借りて、合宿をした。

築百年は超えているという、大きな茅葺きの家だった。

夜になると、雨が、降り始めた。

屋根を打つ雨音だけが、やけに、大きく、響いていた。

その家は、どこか、妙な空気を、まとっていた。

廊下は、昼でも、薄暗く、奥が、見通せなかった。

仏間には、誰のものとも知れない、古い遺影が、何枚も、並んでいた。

その目が、どこに立っても、こちらを、追ってくるように、感じた。

管理人は、鍵を渡すとき、一言だけ、言い残していった。

「夜は、廊下の、いちばん奥の部屋には、入らんといてください」

理由を聞いても、ただ、首を振るだけだった。

その奥の部屋の襖だけが、なぜか、固く、閉ざされていた。

テレビもない、電波も届かない、その家で、僕たちは、退屈していた。

そんなとき、桐谷さんという先輩が、こう、切り出した。

「お前ら、霊感テストって、知ってるか」

桐谷さんは、その手の話が、好きな人だった。

「なんですか、それ」と、後輩の田中が、身を乗り出した。

「簡単な、遊びだよ。自分に、霊感があるか、わかるんだ」

桐谷さんは、ろうそくの炎を、見つめながら、説明を始めた。

「まず、静かに、目を閉じる」

「そして、自分が、生まれ育った家の、玄関を、思い浮かべるんだ」

「できるだけ、正確に。ドアの色、表札、傘立て、全部だ」

僕たちは、言われるまま、目を、閉じた。

「玄関を開けて、家の中に、入る」

「そして、家じゅうの窓を、一つずつ、順番に、開けていく」

「全部、開け終わったら、今度は、さっきとは、逆の順番で」

「一つずつ、閉めていくんだ」

桐谷さんの声が、雨音に、混じって、聞こえる。

「最後に、玄関から、外に出て、終わりだ」

「ただし」と、桐谷さんは、声を、低くした。

「途中で、目を、開けては、いけない」

「窓を、開ける順番と、閉める順番を、間違えても、いけない」

「もし、間違えたら……」

そこで、桐谷さんは、言葉を、切った。

「まあ、たぶん、大丈夫だ」と、彼は、薄く、笑った。

その笑い方が、なぜか、僕は、ひっかかった。

僕は、目を閉じたまま、子どもの頃の、実家を、思い描いた。

古い、木造の、二階建て。

玄関の、すりガラスの戸を、開ける。

廊下を、進む。

居間の窓を、開ける。

台所の、小さな窓を、開ける。

階段を、上がって、自分の部屋の窓を、開ける。

両親の寝室の、窓を、開ける。

想像のはずなのに、窓の建てつけの悪さまで、手に、感じた。

ぎい、という、軋む音まで、聞こえた気がした。

開けた窓から、生ぬるい、風が、入ってくる。

その風に、かすかに、線香の匂いが、混じっていた。

なぜ、想像の中で、匂いまで、するのだろう。

そう思った瞬間、背筋に、冷たいものが、走った。

一つ、また一つと、窓を、開けていく。

そして、また、逆の順に、閉めていく。

最後に、玄関を出て、僕は、目を、開けた。

「どうだ」と、桐谷さんが、にやりと笑った。

「想像してる間に、家の中で、誰かを、見たか」

「廊下とか、部屋の中に、人が、いなかったか」

その問いに、田中が、首を、かしげた。

「いました。台所に、母が」

「それは、普通だ。家族なら、想像に、出てくる」と、桐谷さんは、うなずいた。

佐倉という、女子の後輩は、青ざめていた。

「わたし……知らない、おばあさんが、二階に」

「ほう」と、桐谷さんの、目が、光った。

「家族じゃない人間を、見たやつは、霊感がある、ってことだ」

「しかも、見た人数が、多いほど、霊感は、強い」

佐倉が、二階で見た、おばあさんのことを、詳しく、話し始めた。

「白い、着物を着て……ずっと、わたしのほうを、見てました」

「顔は」と、桐谷さんが、聞いた。

「それが……のっぺりして、目だけが、あったような」

場の空気が、一段と、冷えた。

別の後輩は、誰も、見なかったと言った。

「俺は、霊感ゼロってことか。よかった」と、彼は、笑った。

だが、その笑い声は、どこか、引きつっていた。

僕は、黙っていた。

言い出せなかったのだ。

想像の中で、僕が、見た人の、数を。

廊下に、一人。

居間に、二人。

台所に、立っている、女が、一人。

二階の、自分の部屋には、布団に、座っている、誰かが、一人。

寝室の窓のそばに、こちらを、じっと見ている、男が、一人。

数えきれないほど、では、なかった。

だが、確かに、五人。

知らない人間が、僕の、実家の中に、いた。

いちばん、ぞっとしたのは、寝室の、男だった。

他の四人は、ぼんやりと、立っているだけ。

だが、その男だけは、はっきりと、僕の、顔を、見ていた。

まるで、僕が、来るのを、待っていた、かのように。

目を開けたあとも、その視線の感触が、首筋に、残っていた。

「お前は、どうだった」と、桐谷さんが、僕に、聞いた。

僕は、正直に、答えた。

「五人……見ました。全員、知らない人です」

その瞬間、場が、しんと、静まった。

桐谷さんの、笑みが、消えていた。

「五人か」と、彼は、低い声で、つぶやいた。

「お前、相当、強いな」

「でも、ただの、想像ですよね」と、僕は、笑おうとした。

「ああ、想像だ」と、桐谷さんは、言った。

「ただ、一つだけ、言っておく」

「あのテストはな。やるたびに、人が、増えるんだ」

その言葉の意味を、僕は、深く、考えなかった。

合宿は、何事もなく、終わった。

いや、一つだけ、おかしなことが、あった。

最終日の朝、開かずの間の、襖が、半分、開いていた。

中は、何もない、ただの、空き部屋だった。

だが、畳の真ん中に、ろうそくが、一本。

火の消えた、それが、ぽつんと、立っていた。

誰が、置いたのか、誰も、知らなかった。

桐谷さんに、聞こうとしたが、その朝、彼の姿は、もう、なかった。

「先に、帰ったんだろ」と、皆、気にも、留めなかった。

楽しい、三日間だった。

あの遊びのことも、すっかり、忘れていた。

夏が、過ぎ、秋が、来た。

ある、雨の夜のことだった。

屋根を打つ雨音を、聞いていたら、ふと、あの夜のことを、思い出した。

なんとなく、もう一度、試してみたく、なった。

やるたびに、人が、増える。

あの、桐谷さんの言葉も、覚えてはいた。

だが、どうせ、ただの、暗示だろうと、高を、くくっていた。

いま思えば、僕は、何かに、呼ばれていたのかもしれない。

気づけば、僕は、布団の上で、正座を、していた。

僕は、部屋の電気を消して、目を、閉じた。

そして、また、実家の玄関を、思い浮かべた。

玄関を、開ける。

廊下を、進む。

だが、すぐに、僕は、異変に、気づいた。

廊下に、人が、立っていた。

一人では、なかった。

廊下の、両側に、ずらりと、並んでいた。

壁に、背を、つけるようにして。

皆、うつむいて、僕が、通り過ぎるのを、待っている。

僕が、横を通ると、その首が、ゆっくりと、持ち上がった。

前のときより、ずっと、多い。

窓を、開けるたびに、その数は、増えていった。

居間に、五人。

台所に、四人。

階段の、踊り場に、三人。

皆、無言で、こちらを、見ている。

その顔は、どれも、ぼんやりと、霞んでいた。

だが、視線だけは、はっきりと、僕に、注がれていた。

一番奥の、両親の寝室に、いちばん背の高い、男が、立っていた。

その男だけは、ゆっくりと、こちらへ、近づいてくる。

足音は、しなかった。

僕は、慌てて、窓を、閉め始めた。

逆の順に、窓を、閉めていく。

早く、終わらせたかった。

早く、玄関から、出たかった。

一つ、窓を、閉めるたびに、人影が、一人、増える。

閉じ込めているのか、招いているのか、わからない。

台所の窓を、閉める。

その、すぐ横に、女が、立っていた。

居間の窓を、閉める。

振り返ると、ソファに、誰かが、座っていた。

一つずつ、玄関に、近づくほど、家の中は、人で、埋まっていった。

最後の窓を、閉めて、玄関へ、向かう。

すりガラスの戸に、手を、かける。

だが、戸が、開かない。

何度、引いても、びくとも、しない。

背後に、気配を、感じた。

気配は、玄関のほうから、では、なかった。

廊下の、いちばん奥から、近づいてくる。

あの、合宿の家の、開かずの間と、同じ方向。

なぜ、実家の想像に、あの部屋が、あるのか。

考えると、頭が、割れそうに、痛んだ。

たくさんの、人の、気配。

振り向いては、いけない。

そう、思った。

そのとき、耳元で、声が、した。

聞き覚えの、ある声だった。

「だから、言っただろ」

桐谷さんの、声だった。

「やるたびに、増えるって」

僕は、思わず、目を、開けた。

真っ暗な、自分の部屋。

誰も、いない。

心臓が、激しく、打っていた。

全身が、汗で、濡れていた。

ただの、夢だ。

そう、自分に、言い聞かせた。

その夜から、僕の生活は、少しずつ、おかしくなっていった。

夜、廊下を歩くと、背後で、衣擦れの音が、する。

振り向くと、誰も、いない。

風呂に入っていると、磨りガラスの向こうに、人影が、立つ。

声をかけても、返事は、ない。

テレビを消した、暗い画面に、自分の後ろに立つ、誰かが、映る。

眠ろうとすると、布団の、足元に、重みを、感じる。

僕は、だんだん、夜が、来るのが、怖くなった。

病院にも、行った。

医者は、過労だと、言った。

ストレスによる、幻覚だろう、と。

だが、幻覚なら、なぜ、皆、同じ、白い着物を、着ているのか。

なぜ、誰も、足音を、立てないのか。

なぜ、日に日に、その数が、正確に、増えていくのか。

処方された薬は、何の、役にも、立たなかった。

僕は、霊感テストのことを、医者には、話せなかった。

話せば、その人にも、移る気が、したのだ。

翌日、僕は、サークルの仲間に、桐谷さんの、連絡先を、聞いた。

あの遊びについて、もう一度、聞きたかったのだ。

だが、田中は、不思議そうな顔を、した。

「桐谷さん? そんな先輩、いましたっけ」

「いただろ。合宿で、霊感テストの話を、した」

「合宿で、そんな話、誰も、してませんよ」と、田中は、言った。

佐倉に、聞いても、同じだった。

「霊感テスト? なんですか、それ」と、佐倉は、きょとんと、していた。

あの夜、白い着物のおばあさんを見て、青ざめていた、彼女が。

きれいさっぱり、忘れていた。

いや、忘れさせられていた、のかもしれない。

覚えているのは、世界で、僕、ただ一人。

そう思うと、足元が、すうっと、冷たくなった。

誰も、桐谷さんという先輩を、覚えていなかった。

あの夜、ろうそくの炎の前で、確かに、話を、していた、あの人を。

サークルの、古いアルバムを、調べてみた。

そして、見つけてしまった。

五年前の、合宿の、集合写真。

その隅に、桐谷さんが、写っていた。

だが、写真の下には、こう、添え書きが、あった。

「桐谷先輩を、偲んで」

彼は、五年前に、亡くなっていた。

その死因の欄を、見て、僕は、息を、呑んだ。

写真の桐谷さんは、僕の知る、あの先輩と、寸分、違わなかった。

同じ、笑い方を、していた。

五年前から、彼は、何も、変わっていなかったのだ。

「自宅にて。原因不明」

先輩たちに、それとなく、聞いてみた。

すると、一人だけ、桐谷さんを、覚えている人が、いた。

「ああ、あの人な。霊感テストに、ハマっててな」

「毎晩、何度も、繰り返してたらしいぞ」

「最後は、自分の部屋で、何かに、怯えて、死んでたって」

「壁を、ひっかいた跡が、いっぱい、残ってたって、話だ」

まるで、何かから、必死で、逃げようとした、ように。

僕は、その場に、立っていられなかった。

桐谷さんは、人が、増えすぎたのだ。

そして、逃げ場を、失ったのだ。

それ以来、僕は、二度と、あのテストを、していない。

だが、もう、遅かったのかもしれない。

最近、夜になると、家の中で、視線を、感じる。

廊下の、角や、部屋の、隅から。

数えたくは、ないが、増えている、気がする。

先週は、三人だった。

昨日は、たぶん、七人。

廊下を、通るたびに、肩が、何かに、触れる。

夜中に、台所で、水を飲む音が、する。

僕は、一人暮らしの、はずなのに。

部屋の隅に、立つ影は、日に日に、はっきりと、輪郭を、持ち始めている。

いちど、お祓いに、行こうとも、思った。

だが、神社の鳥居の前で、足が、すくんで、動かなかった。

背中の、たくさんの気配が、いやがるように、僕を、引き止めた。

結局、僕は、引き返すしか、なかった。

あれらは、僕から、離れる気が、ないのだ。

いや、もう、僕の、一部に、なりかけているのかもしれない。

そして、昨夜のことだ。

ふと、鏡を、見たとき。

僕の、すぐ後ろに、桐谷さんが、立って、笑っていた。

振り返ると、そこには、誰も、いなかった。

だが、鏡の中だけ、彼は、笑い続けていた。

その口が、ゆっくりと、動いた。

声は、聞こえない。

けれど、何を言っているのか、僕には、わかった。

「お前も、こっちに、来いよ」

そう、読めた。

僕は、鏡から、目を、そらした。

以来、家の鏡は、すべて、布で、覆っている。

それでも、ふとした拍子に、窓ガラスや、暗いテレビ画面に、彼が、映る。

いつも、僕の、すぐ後ろで、笑っている。

だから、お願いだ。

この話を、読んでも、あの遊びは、試さないでほしい。

目を閉じて、実家の、玄関を、思い浮かべることも、しないでほしい。

もし、想像の中で、知らない誰かを、見てしまったら。

その人は、もう、あなたの、すぐそばに、来ているのだから。

一度、扉を開ければ、二度と、閉じられない。

窓を、開ける順番は、覚えていても。

招き入れてしまったものを、追い出す方法は、誰も、教えてくれないのだ。

いま、この文章を、書いている、僕の背後にも。

気配が、一つ、増えた。

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