仏間から聞こえる声
俺の婆ちゃんの家は、不思議な現象が沢山起こる家だった。
俺自身、仏間の隣の部屋で寝ていたら、夜中に見知らぬ誰かに寝顔を覗き込まれるという経験をした事があり、翌朝、婆ちゃんにその事を報告すると「ああ。来てたんやねえ」と、訳知り顔で頷かれた事を今でも覚えている。
そんな摩訶不思議な家であるのだが、どうやらそういう経験をしていたのは、俺だけではなかったらしい。
※
まだ俺が小学校低学年であった頃、既に中学生であった五つ上の兄は、一人で婆ちゃんの家に泊まった事があったそうだ。
家族で泊まる時は、件の仏間に布団を並べるのだが、やはり一人であの部屋に泊まるのはなかなかに勇気がいるらしく、兄もまた数年後の俺と同じように、仏間の隣の部屋で眠ったそうだ。
寝つきが良く、一度眠ると基本的に朝までぐっすりである筈の兄ではあるのだが、その日だけは、何故か夜中に目が覚めてしまったそうだ。
どうして自分がこんな時間に起きてしまったのだろうと訝しがっていると、ふと隣の部屋に気配のようなものを感じたそうだ。
隣の部屋――つまりは仏間だ。婆ちゃんの爺ちゃんもこの部屋で眠ることはなく、夜中になると基本的に無人になる。
だと言うのに、そこには確かに何らかの気配があり、更に集中してみると、ひそひそと何かが囁き合っているような声が聞こえている事に気付いたらしい。
しかも、一人や二人のものではなかったと言う。
流石に不気味に思った兄だったが、元来、好奇心も人一倍強く、その正体を確認してやろうと言う気分になったらしく、声のする方に近付き、襖に手をかけてそっと中を覗き込んでみたらしい。
中の様子を覗き込み、兄はその場で固まってしまったそうだ。
この家には元々、婆ちゃんと爺ちゃんの二人しかいない筈である。
だと言うのに、仏間には六人か七人くらいの人影があり、それらが車座に並びながら額を突き合わせて、ひそひそと何かを喋り合っているらしい。
薄暗くてよく分からないが、殆どが爺ちゃんや婆ちゃんと同じくらいの歳の老人で、全員が全員、黒っぽい着物に身を包んでいたらしい。
その光景が余りにも異様だったので、思わず息を飲んだ。すると、それが聞こえたのかひそひそと言う話し声がぴたりと止んだそうだ。
『ヤバイ…』と思っていると、それまで車座の中心を向いていた顔が、ぬうっと兄の方を向いた。
表情は全く分からなかったが、無性に生気が無い感じだったと言う。
彼らはそのまま微動だにしない。兄は兄でどうして良いのか分からず戸惑っている。
すると、ずっと擦り付けるような音とともに、車座の中の一人が立ち上がった。
そしてそのまま足を引きずるようにしながら、兄に向かって迫って来たそうだ。
兄は流石に恐ろしくなり、襖をぴしゃんと閉めると、その場にへたり込んでしまった。半ば腰が抜けてしまったらしい。
だが襖一枚隔てた向こうに、あの足を引きずるようにして迫ってくる男がいると思うと、居てもたってもいられなくなり、どうにかその場から逃げ出そうとする。
しかし、やはり思うように動けない。どうしたものかと思い――ふと、いつまで経ってもあの男が襖を開けて現れない事に気付いた。
耳を澄ませてみても、あのひそひそ声も聞こえない。
兄は意を決して、襖をもう一度開けてみる。しかしそこには誰も居らず、薄暗い仏間が広がっていただけだと言う。
※
「結局、アレは何だったんだろうなあ…結局あれから眠れなくて、朝になってから婆ちゃんに聞いたけど、『そうか、そうか』と言うだけで教えてくれなかったしなあ」
腕組みをしながら語られる兄の話を聞きながら、俺は俺でどうして良いか分からない状態。
だって、俺はまだ自分が体験した話を兄に話していなかったんだから仕方がない。
結局、それから自分の体験談を兄に話したが、兄は「んな、アホな」と苦笑顔。
だけどお互いに、妙に嫌な空気を背負ったまま、黙り込んでしまった。