青いチョークの丸が増える

子供の手(フリー写真)

町の外れに、青いチョークの丸が三つ描かれた門柱がありました。

描いたのは、その家の子です。

私はその隣に住んでいました。

丸が四つに増えた朝のことを、いまも人に話せずにいます。

私が小学三年のときの話です。

隣の家には、夫婦と、私より二つ下の男の子が住んでいました。

共働きの家で、その子はいつも夕方まで外にいました。

私も同じようなものでしたから、自然と一緒に遊ぶようになりました。

遊び場は、田んぼの間を通る農道か、神社の裏の空き地でした。

農道は、途中で二又に分かれています。

右へ行くと用水路、左へ行くと林に入ります。

大人からは、林のほうへは行くなと言われていました。

理由は教えられませんでした。

「暗いから」とだけ言われました。

実際、その林は昼でも薄暗い場所でした。

杉が密に植わっていて、下草がほとんど生えていません。

地面が、いつも湿っていました。

林の中には、崩れた石の祠がありました。

屋根が落ちて、中身は見えません。

誰が置いたのかも分からない祠でした。

正月にも、供え物をする人はいませんでした。

その子は、几帳面なところのある子でした。

遊び終わると、必ず門柱の同じ場所にチョークで丸を描きます。

「なにそれ」

「今日、遊んだしるし」

「毎日描くの」

「うん。でも、消えるからいいんだ」

雨が降ると消えるから、いくら描いても怒られない。

そういう理屈でした。

その子は、数を数えるのが好きでした。

田んぼの畦を歩くときも、歩数を数えていました。

「百二十七歩」

「昨日は?」

「百二十七歩」

いつも同じ数だと言い張りました。

私が数えると、百三十を超えることもありました。

その子は、歩幅を合わせていたのだと思います。

そういう決め事を、たくさん持っている子でした。

ランドセルの中も、いつも同じ並びでした。

教科書の背の高い順に入れています。

「なんでそんなに揃えるの」

「ずれると、わかんなくなるから」

何が分からなくなるのかは、聞きませんでした。

いま思えば、あの子は何かを数え続けていたのだと思います。

数えていないと不安になる、という顔をしていました。

実際には、門柱の低いところに、青いチョークの丸が三つ残っていました。

庇の下になっていて、雨のかからない場所です。

その三つだけが、いつまでも消えずにありました。

「これは特別」

その子はそう言いました。

何が特別なのかは、教えてくれませんでした。

高さは、ちょうどその子の腰のあたりでした。

しゃがまずに手を伸ばして描ける高さです。

私が同じ場所に描こうとすると、その子は嫌がりました。

「そこは、ぼくの」

子供の縄張りのようなものだと思っていました。

一度だけ、その子が三つの丸の意味を口にしかけたことがあります。

夕方、神社の石段に座っていたときです。

「あれね、数えてるんだ」

「なにを」

その子は、少し黙りました。

それから「やっぱりいい」と言って立ち上がりました。

石段を下りるとき、一段ずつ足を揃えて下りていました。

いつもは飛び下りる子でした。

帰り道、その子は急に立ち止まりました。

「ねえ、いま何人いる?」

「ふたりでしょ」

「うん。ふたりだね」

そう言って、また歩き出しました。

私は笑いましたが、その子は笑いませんでした。

同じことを、それから何度か聞かれました。

いつも「ふたりだね」で終わりました。

お化けに追われた日

秋の初めのことです。

その子が泣きながら家に帰ってきたことがありました。

私はちょうど、自分の家の玄関にいました。

隣のお母さんが出てきて、事情を聞いています。

「お化けに追いかけられたの」

声が震えていました。

お母さんは、不審者ではないかと思ったようでした。

どんな人だったのか、何度も聞き返していました。

その子は「わかんない」としか言いません。

「男の人? 女の人?」

「わかんない」

「どこから来たの」

「ずっと後ろ」

それきり、その子は黙ってしまいました。

私は、玄関の柱の陰から見ていました。

その子の運動靴が、片方だけ泥で汚れていました。

右足だけです。

左は、きれいなままでした。

走って逃げたなら、両方が汚れるはずです。

そのことに引っかかりましたが、口には出しませんでした。

お母さんは、靴を見ていませんでした。

翌朝、その靴が門の外に出してありました。

洗ってあったのではありません。

泥がついたまま、揃えて置いてありました。

玄関に入れずに、外へ出す。

そのやり方の意味が、私には分かりませんでした。

三日ほど置かれたあと、靴は無くなっていました。

お母さんは見間違いだろうと言って、家に入れました。

私はその夜、自分の部屋の窓から隣の門柱を見ました。

街灯の光で、青いチョークの丸が見えました。

三つのままでした。

翌日から、その子は外に出なくなりました。

学校の行き帰りも、お母さんが車で送るようになりました。

一週間ほどで、また外に出るようになりました。

けれど、農道には行きたがりませんでした。

「あっちは、いや」

そう言って、神社の裏だけで遊ぶようになりました。

遊び終わると、やはり門柱に丸を描きます。

その手つきが、前より速くなっていました。

描いて、すぐに家へ入る。

振り返らずに引き戸を閉める。

そういう帰り方に変わっていました。

学校でも、少し変わりました。

休み時間に、廊下の窓から外を見ていることが増えました。

見ているのは、いつも同じ方角です。

校舎の裏の、林のあるほうでした。

「なに見てんの」

「べつに」

「こっち来て遊ぼうよ」

「うん」

返事はするのに、窓から離れませんでした。

担任の先生が心配して、家庭訪問に行ったと聞きました。

そのときも、特に何も分からなかったそうです。

青いチョークの丸

十月のある日、その子はいつものように外へ出ていきました。

夕方になっても帰りませんでした。

隣のお母さんが、私の家に来ました。

「うちの子、見なかった?」

私は首を振りました。

その日は、私は熱を出して家にいたのです。

布団の中で、外の声を聞いていました。

名前を呼ぶ声が、だんだん遠くへ移っていきます。

やがて、懐中電灯の光が障子を横切るようになりました。

夜の九時を過ぎても、声は続いていました。

私は熱のせいか、その声を夢の中でも聞いていました。

朝になって起きると、母が台所で立ったままお茶を飲んでいました。

「見つかった?」

母は首を振りました。

「林は」

「見たって」

「祠のとこも?」

母は湯呑みを置いて、私の顔を見ました。

「あんた、あそこ行ったことあるんか」

「ないよ」

嘘でした。

一度だけ、その子と入ったことがあります。

祠の前で、その子は手を合わせませんでした。

代わりに、石の台座を指で三回叩きました。

「なにそれ」

「あいさつ」

そのときも、意味は聞きませんでした。

両親も出て、近所を探しました。

神社の裏も、農道も、田んぼの脇の水路も見ました。

見つかりませんでした。

翌日、警察が来ました。

学校でも、下校時に集団で帰るようになりました。

一週間、二週間と過ぎました。

手がかりは何も出ませんでした。

ひと月ほどして、捜索の人が来なくなりました。

林も、ひととおり調べたと聞きました。

ただ、警察の人が妙なことを言っていたそうです。

林の入口に、子供の足跡が一組だけ残っていた。

入っていく向きの足跡です。

出てくる向きの足跡が、どこにも無かった。

そのまま奥まで追うと、途中で消えていた。

土が湿っているので、消えるはずのない場所だったそうです。

この話を私が聞いたのは、ずっと大人になってからです。

隣の家は、静かになりました。

夜、電気はついています。

けれど、声がしません。

私は時々、自分の部屋の窓から門柱を見ました。

青いチョークの丸は、三つのままでした。

庇の下ですから、消えるはずもありません。

消えないのが、なぜか怖くなりました。

冬の間、隣の家からは物音がしませんでした。

雪が積もった朝、隣の門の前だけが踏み固められていました。

誰かが何度も往復した跡です。

門から玄関までの、短い距離を。

その足跡は大人のもので、たぶん隣のお母さんでした。

待つというのは、そういう歩き方をすることなのだと知りました。

春になって、雪が解けました。

その頃から、隣のお母さんは庭に出るようになりました。

草むしりをしているように見えて、手が動いていません。

門のほうを向いて、しゃがんでいるだけです。

母がそれを見て、私に言いました。

「話しかけたらいかんよ」

「なんで」

「いま声かけたら、崩れてしまうから」

母は、それ以上の説明をしませんでした。

大人には、大人の言い方があります。

私はその日から、庭のほうを見ないで学校へ通いました。

翌年の春、私は門柱の前を通って気づきました。

丸が、四つになっていました。

四つ目は、少し右に離れたところにありました。

高さは、ほかの三つと同じです。

私は家に帰って、母に言いました。

母は隣のお母さんに話したようです。

その日の夕方、隣のお母さんが門柱の前にしゃがんでいるのを見ました。

指で四つ目の丸をなぞっていました。

消しはしませんでした。

その晩、隣から久しぶりに声が聞こえました。

お母さんが、お父さんに何か言っています。

壁越しでしたから、言葉までは分かりません。

ただ、一つだけ聞き取れました。

「生きとるってことでしょう」

お父さんの返事は、聞こえませんでした。

十年ぶりの引き戸

それから毎年、春になると丸が一つずつ増えました。

五つ、六つ、七つ。

どれも同じ高さでした。

私の背はその間にずいぶん伸びて、丸の列は膝のあたりまで下がりました。

中学に上がった年、私は一度だけ丸に触ってみました。

指で押すと、粉がつきました。

チョークというのは、時間が経つと固まります。

雨がかからなくても、埃を吸って表面が硬くなるものです。

けれど、その丸は柔らかいままでした。

私は手のひらを制服のズボンで拭いて、その場を離れました。

その日以来、門柱の前は小走りで通るようになりました。

私が高校二年の年です。

その子がいなくなってから、十年が経っていました。

四月の終わりの夕方でした。

家の前で自転車を停めていると、隣の引き戸が開く音がしました。

隣のお母さんが飛び出してきました。

私の腕をつかんで、こう言いました。

「帰ってきたの」

「誰がですか」

「あの子。あの子が帰ってきたの」

私は、意味が分かりませんでした。

お母さんの顔は、笑っていました。

頬に涙が流れているのに、笑っていました。

そのまま、腕を引かれて隣の家に入りました。

子供部屋の襖が開いていました。

中に、男の子がいました。

畳の上に座って、こちらを見ていました。

十年前と、同じ背丈でした。

同じ髪の長さで、同じ服でした。

私はそのとき、身長が百七十を超えていました。

その子を見下ろす形になりました。

「お帰り」

部屋の中は、十年前のままでした。

学習机の上に、使いかけの漢字ドリルが開いてあります。

鉛筆が、ページの上に転がっていました。

壁のカレンダーは、あの年の十月のままです。

埃は、ほとんど積もっていませんでした。

お母さんが、毎日拭いていたのでしょう。

そう言うのが精一杯でした。

その子は、返事をしませんでした。

ただ、口の端を少しだけ上げました。

笑ったのだと思います。

部屋の空気が、妙に冷たく感じられました。

外は四月の終わりで、廊下は暖かかったのです。

襖ひとつ隔てただけで、温度が違いました。

私は腕をさすりました。

その子は、半袖のままでした。

腕に、傷も汚れもありません。

十年、外にいた子の腕ではありませんでした。

爪も、切りそろえられていました。

そのあと、その子はゆっくりと立ち上がりました。

そして、私の顔を見上げたまま、片手を胸の高さに上げました。

丸を描くときの手つきでした。

私は、部屋を出ました。

台所で、隣のお父さんが立っていました。

私と目が合うと、首を横に振りました。

その顔は、笑っていませんでした。

お父さんは、私を玄関まで送ってきました。

三和土で靴を履いていると、小さい声で言いました。

「君にも見えるか」

「え」

「あそこに、座っとるのが」

私は頷きました。

お父さんは、しばらく黙っていました。

それから「そうか」とだけ言いました。

安心したようにも、諦めたようにも聞こえました。

「うちのは、毎日話しかけとる」

「返事は」

「せん」

引き戸を閉める音が、やけに大きく響きました。

住職が見たもの

翌日、隣のお父さんは近所の寺の住職を呼びました。

私は、垣根の隙間から見ていました。

住職は、玄関を入ってすぐ足を止めました。

それから、後ろへ一歩下がりました。

隣のお母さんが、子供部屋から男の子を連れてきました。

手を引いて、住職の前に立たせました。

住職は、しばらく黙っていました。

「奥さん」

「はい」

「そこには、誰もおられません」

お母さんの顔が、ゆっくり変わりました。

「何を言うんですか。ここにいるじゃありませんか」

「わたしには、影が見えるだけです」

住職は、男の子の立っている場所を指しました。

「黒い、もやのようなものが、そこに」

お父さんは、黙って壁を見ていました。

たぶん、同じものが見えていたのだと思います。

お父さんは、ずっと壁の一点を見ていました。

その視線は、男の子より少し上を向いています。

大人の背丈のあたりです。

私は、そちらを見ないようにしました。

それでも、視界の端で何かが動いた気がしました。

天井に近いあたりです。

もう一度見ようとしたときには、何もありませんでした。

住職は続けました。

「この世にも、あの世にも、お子さんはおられません」

「どういうことですか」

「向こうへ渡れなかったものが、寄り集まっております」

「集まって、なんだと言うんですか」

住職は、答えませんでした。

代わりに、玄関のほうへ後ずさりしました。

「わたしには、手に負えません」

そう言って、帰ってしまいました。

その日、私は初めて門柱の丸を数えました。

十三ありました。

いなくなってから十年です。

最初の三つを引くと、十でした。

丸は、あの子がいなくなってからも、毎年ひとつずつ増えていました。

表札のままの家

それから、隣の家の様子を見かけることがなくなりました。

引っ越しの車も来ませんでした。

雨戸が閉まったままになり、庭に草が伸びました。

表札だけが、そのままになっています。

私は大学で町を出て、就職して、結婚しました。

去年、父の法事で久しぶりに実家に戻りました。

隣の家は、まだ建っていました。

門柱も、そのままでした。

庇の下を見ました。

青いチョークの丸が、びっしり並んでいました。

数えようとして、途中でやめました。

高さは、三十年前と同じでした。

腰のあたりではありません。

子供が手を伸ばして届く高さのまま、そこにありました。

私は、しゃがんで一つに触れました。

指に、青い粉がつきました。

乾いていませんでした。

その晩、私は実家に泊まりませんでした。

妻には、仕事が入ったと言いました。

いまも、あの町には年に一度しか戻りません。

戻るときは、隣の門柱を見ないように歩きます。

兄が消えた朝のように、帰ってきたはずの誰かの話は、この町にいくつもあります。

仏壇の異変を読んだとき、あの住職が後ずさりした理由を考えました。

ひとつだけ、確かめられていないことがあります。

あの丸を描いているのは、本当にあの子なのか。

それとも、あの子を連れていったもののほうなのか。

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