終電の次に来た列車

電車

あれは去年の11月、山形への出張の帰りだった。

商談が長引き、取引先の担当者と駅前の居酒屋で軽く飲んだのが間違いだった。気がつけば23時を過ぎていて、新幹線の最終はとっくに行ってしまっていた。

仕方なく在来線で何とか仙台まで出て、そこからネットカフェにでも泊まろうと思った。

だが在来線の終電も微妙な時間で、乗り換えの駅で降りたところで完全に足止めを食らった。

駅名は覚えている。けれど、ここには書かないでおく。理由は最後にわかる。

地方の小さな駅だった。改札は無人で、待合室にはプラスチックの長椅子が4脚あるだけだった。

11月の東北は夜になると冷え込む。コートの襟を立てて、スマホで近くのホテルを探したが、徒歩圏内にはなかった。タクシー会社に電話しても繋がらない。

諦めて始発を待つことにした。あと5時間。長い夜だ。

待合室の蛍光灯がジジ、と小さな音を立てて瞬いた。

うとうとしかけた頃、ホームの方から微かに音が聞こえた。

レールの軋む音。列車が近づいてくる気配。

時計を見ると0時47分だった。終電はとっくに終わっている。回送列車か何かだろうと思い、なんとなくホームに出てみた。

列車が滑り込んできた。

2両編成の古い車両だった。塗装が深い緑色で、窓枠が木製に見えた。今時こんな車両が走っているのかと不思議に思ったが、それ以上に気になったのはドアが開いたことだった。

回送なら客扱いはしないはずだ。

車内を覗くと、誰も乗っていなかった。座席はモケット張りの古いタイプで、照明は暖色の白熱灯のような柔らかい光だった。暖房が効いているのか、ドアの隙間からほんのり温かい空気が漂ってきた。

0時47分の、時刻表にない列車。誰も乗っていない。ドアは開いている。

普通なら乗らない。乗るべきじゃない。そんなことは分かっていた。

だけど、あの時の俺はどうかしていたんだと思う。寒さと疲労と酒の残りで判断力が鈍っていた。気がつけば乗り込んでいた。

ドアが閉まり、列車は静かに動き出した。

加速は穏やかだった。線路のジョイントを踏む規則正しいリズムが、妙に心地よかった。

窓の外は真っ暗で、時折遠くに民家の灯りらしきものが点々と見えるだけだった。

10分ほど走った頃、列車が減速し始めた。駅に停まるようだった。

ホームに滑り込み、窓から駅名標を見た。

読めなかった。

正確に言うと、文字は見えるのだが、意味として頭に入ってこない。ひらがなで4文字か5文字書いてあるのに、何度見ても読めない。目が滑るというのだろうか。焦点が合わないのとも違う。文字が、文字として認識できなかった。

背筋に冷たいものが走った。

降りようと思った。すぐにドアの前に立った。

だがドアは開かなかった。

ボタンもない。手で抉じ開けようとしたが、びくともしない。

列車はまた動き出した。

次の駅も、その次の駅も、駅名が読めなかった。そしてどの駅でもドアは開かなかった。

車内をくまなく歩いた。運転席を覗こうとしたが、仕切りのガラスが不透明で中が見えなかった。

非常用のコックらしきものも見当たらない。

スマホを見た。電波はゼロ。時計の表示は0時47分のまま動いていなかった。

座席に座り直して、窓の外を見つめ続けた。もう景色は完全な闇だった。民家の灯りすら見えない。

ただ、月だけがやけに大きかった。見たこともないくらい大きな月が、低い位置にかかっていた。色は淡い橙色で、表面の模様がいつも見る月とは違う気がした。

嘘だろ、と声に出して呟いた。

何度目かの駅に停まった時、ホームに人影が見えた。

背の低い老人だった。駅のベンチに座っている。

俺は窓を叩いた。声を上げた。老人はゆっくりとこちらを向いた。

穏やかな顔だった。にこりと笑って、手を振った。

それから口を動かした。声は聞こえなかったが、唇の動きで何を言っているか分かった気がした。

「乗っちゃ駄目だよ」

分かってる。分かってるけど、もう乗ってしまったんだ。

列車が動き出し、老人の姿が遠ざかっていった。

どのくらい走っただろう。体感では2時間か3時間だが、スマホの時計は相変わらず0時47分だった。

眠気が限界に来ていた。このまま寝てしまったらどうなるのか。もっと遠くに連れて行かれるのか。それとも——

意識が途切れた。

ガタン、という大きな揺れで目が覚めた。

列車が停まっていた。ドアが開いている。

反射的に飛び出した。ホームに足がついた瞬間、背後でドアが閉まり、列車はするすると闇の中に消えていった。

振り返ると、そこは最初に乗った駅だった。

同じプラスチックの長椅子。同じ蛍光灯。同じ無人の改札。

スマホを見た。時計が動いていた。5時12分。電波も復活している。

始発まであと30分ほどだった。

翌日、東京に戻ってからあの路線のことを調べた。

あの駅から先、列車が停まったどの駅名も、路線図には存在しなかった。それは当たり前だ。読めなかったのだから照合のしようもない。

だが一つだけ、気になることがあった。

あの路線の歴史を調べていくと、昭和40年代にいくつかの駅が廃止されていた。そしてその中の一つに、かつて「深夜に回送でない列車が通過する」という噂があったらしい。地元の古い掲示板の過去ログに、一件だけそんな書き込みが残っていた。

書き込みの日付は2003年。内容はこうだった。

「乗った。降りられた。でも関口さんは降りられなかった」

それ以降、そのスレッドには何も書き込まれていなかった。

俺はその駅名をここには書かない。万が一、誰かがあの列車に乗ってしまったら困るからだ。

俺は降りられた。でも、次に乗った人が降りられるとは限らない。

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