赤い空のエレベーター

建築基準法によると、5階以上の建物にはエレベーターの設置が義務付けられているそうだ。
私が以前住んでいた、高速道路沿いのマンションにも当然エレベーターが一基設置されていた。
私は6階に住んでいたので、日常生活で階段を使うことはほとんどなかった。
いや、おそらく誰もがそうだろう。
毎日のように、昇り降りにはエレベーターを使っていた。
階段は降りるならともかく、昇るのはそれなりに苦痛である。
しかし、そんな私が、現在はどこへ行くにも階段しか使わなくなった。
※
それは大学の講義がなかった平日の昼頃のことだった。
私はコンビニに昼食を買いに行こうと、部屋を出てエレベーターの前に立った。
エレベーターは最上階の8階に止まっており、ちょうど誰かが乗り降りしている最中のようだった。
私は階下のボタンを押し、エレベーターが降りてくるのを待った。
やがてドアが開き、中から中年の女性が一人乗っていた。
時折見かける方だったので、おそらく8階の住人だろう。
軽く会釈を交わし、私はエレベーターに乗り込んだ。
すでに1階のボタンは押されていた。
4階で再び停止し、宅配便業者の若い男性が乗り込んできた。
3人とも行き先は同じ1階だ。
※
だが、エレベーターは突然、3階と2階の中間あたりで停止してしまった。
軽い衝撃とともに、重力が体を押さえつけるような違和感があった。
私たち3人は顔を見合わせた。
「どうしたんでしょうね……?」
私がつぶやくと、女性も宅配便の男性も首を傾げるばかりだった。
故障だろうか?
しかし停電ではないようだ。
エレベーター内の照明は正常に灯っている。
宅配便の男性が、いち早く行動に移った。
彼はエレベーター内のインターホンボタンを押したが、反応はなかった。
男性はため息をつき、「一体どうなってるんでしょう」と困惑した表情で呟いた。
それは私たち全員が感じている疑問だった。
おそらく時間にすれば3分にも満たない沈黙だったろう。
しかし、状況が状況だけに不安と焦りが徐々に募っていった。
※
やがて、何の前触れもなくエレベーターが再び動き始めた。
女性が小さく「わっ」と声を上げ、私も驚いて体を固くした。
だが奇妙なことに、押していたのは1階のボタンだけにもかかわらず、エレベーターは下降ではなく上昇を始めた。
4階、5階、6階……と通り過ぎ、7階で静かに停止した。
ガラリと扉が開き、私たちは困惑した視線を7階の通路に向けた。
女性が「なんか不安定みたいだから……」と不安そうに言いながらエレベーターを降り始めた。
「階段で降りた方が良さそうよ。また変な動きをされたら困るもの」
宅配便の男性も「そりゃそうですね」と頷き、彼女の後に続いた。
私も当然その通りだと思った。
今は運よくドアが開いたが、再び閉じ込められたり、さらには事故に遭ったりする危険性もある。
だが、私は一歩踏み出そうとして、その足を止めた。
何かが妙だった。
※
エレベーターの外に広がる通路は確かに見慣れたマンションの7階だが、やけに暗い。
廊下の電灯がすべて消えている。
停電だろうかと一瞬思ったが、振り返ってエレベーター内を見ると、照明は煌々と灯っている。
停電であるはずがない。
得体の知れない違和感を覚え、私はそっと7階の外に見える景色に目をやった。
その瞬間、私は息を飲んだ。
空が真っ赤だったのだ。
朝焼けや夕焼けとも違う、まるで鮮血のような赤色の空だった。
太陽や雲の影も一切ない、ただひたすらに赤い空。
視線を下に移すと、そこには黒いシルエットだけの世界が広がっていた。
普段なら騒々しい高速道路やビル群からは、一切の明かりも音も存在していなかった。
静まり返り、生きているものの気配が全く感じられない、異様な赤と黒だけの世界だった。
再び振り返ると、エレベーターだけがその世界から孤立するように明るく光っていた。
私は恐怖に身体を強張らせた。
何が起こっている?
ここは本当に自分が知っている世界なのか?
※
ふと迷っている間に、エレベーターのドアがゆっくり閉まり始めた。
とっさに私は一歩下がり、エレベーターの中に踏みとどまった。
2人は既に外へ出ている。
しかし、彼らはどこか不自然に動きを止め、じっと立ち尽くしたままだった。
そして、ゆっくりと私の方を振り向いたその表情は、まるで別人のように無表情であった。
完全に閉じたドア越しに、私の鼓動だけが早鐘を打った。
※
その後、エレベーターは何事もなかったかのように1階へ直行した。
ドアが開くと、そこにはいつも通りの見慣れた光景が広がっていた。
人々が歩き、車が行き交う、日常そのものだ。
安堵のあまり、その場で崩れ落ちそうになった。
しかし次の瞬間、私は先ほどの2人のことを思い出し、階段の前で彼らを待った。
5分、10分、15分。
待てど暮らせど、誰も階段を降りてこなかった。
普通ならありえないことだった。
私は再び恐怖に襲われ、慌ててマンションを飛び出した。
※
それ以来、私はエレベーターを使うことが一切できなくなった。
やがて別のマンションへ引っ越したが、昇り降りは常に階段を使っている。
階段であれば地続きだ。別の世界に連れていかれる心配はない。
しかし、エレベーターは違う。
あれは日常と異界をつなぐ扉なのだ。
私はそう確信している。
あの日以来、私は二度とエレベーターには乗れなくなった。