引っ越しの挨拶に行ったとき、管理人さんは私の名前を訊かなかった。
ふつう、訊く。
部屋番号だけ確かめて、「三号棟の四〇二ね」と言って、それで終わりだった。
そのときは、無愛想な人だと思っただけだった。
※
十二年前の春の話だ。
私は離婚して、勤め先に近い古い団地に移った。
県が昭和四十年代に建てたもので、五階建てが六棟。エレベーターはない。
四〇二号室は、南向きで日当たりがよかった。
家賃が相場よりだいぶ安いのが、少し引っかかった。
不動産屋は「築年数ですよ」と言った。
そういうものかと思った。
当時はまだ、部屋ごとに固定電話の番号がついていた時代の名残があった。
前の入居者が使っていた番号を、そのまま引き継ぐ形になった。
手続きの書類に、前の人の名前が薄く残っていた。
「小久保」と読めた。
※
団地の暮らしは、思っていたよりも静かだった。
四〇二の左隣は空き部屋で、右隣は耳の遠い老人が一人で住んでいた。
階下の家族は共働きで、朝と夜しか音がしない。
私は毎朝六時に起きて、五階まで洗濯物を干しに上がった。
屋上は施錠されていたが、五階の廊下の端に物干し場があった。
そこからは、埋め立てた土地特有の、平らすぎる景色が見えた。
畑でも田でもない、ただ平らな草地。
三号棟の裏にだけ、その草地が残っていた。
草刈りは年に二度あるのに、そこだけは刈られていなかった。
「あそこは市の土地じゃけん」と、右隣の老人は言った。
「市の土地なら、余計に刈るんじゃないですか」
「刈らんのよ」
老人はそれ以上、何も言わなかった。
私はそのとき、この人はほとんど耳が聞こえないはずなのに、なぜ質問に答えられたのだろうと、少しだけ思った。
※
台所の壁に、木の電話台が作りつけてあった。
私はそこに、実家から持ってきた黒い電話機を置いた。
最初の一年は、何もなかった。
異変というほどのものではない。
ただ、六月のある平日の午後に、電話が鳴った。
私はその日、休みを取っていた。
受話器を取ると、子どもの声がした。
「ママ?」
それだけだった。
男の子か女の子かわからない、高い声だった。
「違いますよ」と言うと、切れた。
留守番をしていて寂しくなった子が、番号を押し間違えたのだろうと思った。
実際、そういうことはある。
その日はそれで終わった。
※
翌年の六月にも、鳴った。
同じ時間帯だった。
「ママ?」
同じ声だった。
私は「違いますよ」と答えた。
切れた。
その年、私は電話台の埃を拭いていて、妙なことに気づいた。
受話器のコードが、いつも同じ形にねじれている。
私は右利きで、受話器は右手で取る。
ねじれの向きは、その逆だった。
直しても、しばらくすると戻っている。
気味が悪いというより、不思議だった。
その年、もうひとつ気づいたことがある。
電話台の埃だ。
私は掃除が得意なほうではない。
電話台の上は、月に一度拭けばいいほうだった。
六月の電話のあった翌朝、その埃に、手の跡がついていた。
私の手ではない。
小さかった。
指の付け根から先までが、私の人差し指くらいしかない。
その跡は、電話台の縁を、内側からつかむような形についていた。
台の下から手を伸ばして、縁を握った形だ。
私は雑巾でそれを拭いた。
拭きながら、手が震えた。
震えた理由は、跡そのものではない。
その高さだった。
床から電話台の縁まで、七十センチほどある。
あの跡の主は、立ってその縁をつかんでいた。
私は電話台の裏を覗いてみた。
板の合わせ目に、細く鉛筆の字があった。
「三」
ただの数字だった。
誰かが工事のときに書いたものだろうと思った。
※
三年目の六月、また鳴った。
私はその頃には、六月になると少しだけ身構えるようになっていた。
「ママ?」
「違いますよ」
切れる。
その晩、洗い物をしながら、私はようやく一つのことに気づいた。
受話器の向こうに、音がない。
テレビの音も、車の音も、風の音もしない。
子どもが一人で留守番をしているなら、ふつうはテレビくらいついている。
あの声だけが、無音の中に浮かんでいた。
三年目のその晩から、私は時計を気にするようになった。
台所の壁掛け時計が、少しずつ遅れる。
電池を替えても、一年で十二分ほど遅れた。
翌年も、十二分だった。
電池の減り方でそうなるものだろうかと思ったが、時計屋に持っていくほどのことでもない。
ただ、六月の電話がかかってきた時刻だけは、正確に憶えている。
時計は、いつも二時十二分を指していた。
三年とも、同じだった。
遅れているはずの時計が、同じ時刻を指す。
それはつまり、実際の時刻のほうが、毎年ずれているということだった。
翌朝、私は管理人室へ行った。
管理人さんは七十くらいの女の人で、いつも編み物をしていた。
「四〇二の電話に、毎年同じ時期に間違い電話が来るんです」
編み棒が止まった。
「なんて言うてくるね」
「ママ、って。それだけです」
「あんた、名前は言うたね」
私は、質問の意味がわからなかった。
「名前って、私のですか」
「そう。名乗ったかね」
「いえ。違いますよ、としか」
管理人さんは、しばらく編み物に目を戻して、それから短く言った。
「ええよ。名乗らんかったら、ええ」
私が理由を訊くと、その人は初めて顔を上げた。
「この棟ではね、電話に名乗らんことになっとるんよ」
「決まりですか」
「決まりというか、そういうもんよ」
そして、こう付け加えた。
「わたしがここの人の名前を訊かんのも、それと同じ」
※
その団地が建つ前、そこには溜池があったのだと、あとで知った。
農業用の池で、造成のときに埋められた。
市の図書館に、造成前の航空写真があった。
三号棟のあたりが、ちょうど池の北の端にあたる。
郷土資料の薄い冊子に、その池についての記述が二行だけあった。
この池は昔から「呼び池」と呼ばれ、夕方に子どもの声で人を呼ぶことがあると言い伝えられた、と。
図書館の郷土資料室で、私はもう少し調べた。
造成前の地図には、池の南側に小さな祠の記号があった。
いまの三号棟の集会所のあたりだ。
集会所には、たしかに古い石が一つ置いてある。
子ども会の物置の裏で、誰も気にしていない石だった。
私はその石を見に行った。
字は風化していて、二文字だけ読めた。
「呼」と、あとひとつ。
もうひとつの字は、削られているように見えた。
削ったのが風なのか人なのかは、わからなかった。
資料室の司書に尋ねると、その人は少し困った顔をした。
「あのあたりの資料は、あまり残っとらんのです」
「二行しかないんですね」
「二行でも、残っとるほうですよ」
司書はそう言って、わずかに笑った。
私は、ばかばかしいと思った。
思いながら、その二行を手帳に書き写している自分がいた。
※
四年目の六月、私は少し変わっていた。
その春に、勤め先が変わった。
前の職場では、私は名字で呼ばれていた。
新しい職場では、下の名前で呼ばれた。
そんなことが妙にうれしくて、私はその頃、自分の名前を口に出す機会が増えていた。
電話に出るときも、うっかり名乗りかけたことが二度あった。
二度とも、途中で止めた。
止めながら、なぜ止めるのだろうと自分でも思った。
管理人さんの言葉が、頭の隅に引っかかっていたからだ。
その引っかかりが、あの年の六月には、ほとんど消えかけていた。
※
四年目の六月、電話が鳴った。
その年、私は少し疲れていた。
仕事も、生活も、うまくいっていなかった。
ずっと同じことを繰り返すのに飽きていた、と言ってもいい。
だから、いつもと違うことを言ってしまった。
「ママ?」
「……あなたは、誰?」
沈黙があった。
二秒か、三秒だと思う。
その沈黙の中で、私は生まれて初めて「無音」というものをはっきり聞いた。
耳の奥が痛くなるような無音だった。
そして、切れた。
それきり、電話は鳴らなくなった。
五年目の六月も、六年目の六月も。
私は、ようやく終わったのだと思っていた。
右隣の老人が、その夏に施設へ移った。
荷物を運び出す日、私は挨拶に行った。
老人は私の顔を見て、はじめて自分から口を開いた。
「あんた、まだおるんか」
「はい」
「六月は、どうな」
私は答えられなかった。
老人は頷いて、それから廊下の端の物干し場のほうを見た。
「あそこからな、裏の草地がよう見える」
「見えます」
「夕方に、草が揺れよるじゃろ」
「風が吹けば」
「風のない日もな、揺れよる」
老人はそれだけ言って、息子さんの車に乗り込んだ。
その日の夕方、私は物干し場から裏を見た。
草は揺れていなかった。
揺れていないことのほうが、なぜか怖かった。
※
七年目の春、私はその団地を出た。
引っ越しの前日、押し入れの天袋を空にしていて、奥から古い電話帳が出てきた。
私のものではない。
前の入居者、小久保さんが置いていったものだった。
ページのほとんどは白紙だった。
ただ、最後のほうの余白に、鉛筆の書き込みがあった。
日付と、短い言葉。
六月十四日、ママと言われる。答えず。
翌年の六月十一日、同じ。
その翌年の六月十六日、同じ。
そして四行目。
六月十二日、四回目。こちらから訊いてしまった。以後、鳴らず。
電話帳の書き込みには、続きがあった。
四行目の下に、日付のない一行が足してある。
筆圧が違っていた。
鉛筆の芯を、紙が破れるほど押しつけて書いてある。
「こちらの番号から、実家に電話が入っているらしい」
それだけだった。
私はその一行を、そのときは意味もわからず読んだ。
ただ、押しつけられた鉛筆の跡が、指に触れてざらついたのを憶えている。
私は、電話台の裏の鉛筆の字を思い出した。
あれは工事の印ではなかった。
小久保さんが、回数を数えていたのだ。
三回目まで数えて、四回目は書けなかった。
書く余裕がなかったのか、書く気がなくなったのか。
引っ越しの荷物をまとめながら、私は電話台をもう一度見た。
七年ぶんの傷と、拭き残した埃。
板の合わせ目の鉛筆の「三」は、まだ消えていなかった。
私はその横に、自分の指で四本目の線を引きかけて、やめた。
数える権利は、たぶん私にはない。
私は数えるのではなく、訊いてしまった側だ。
私は電話帳を持って、管理人室へ行った。
管理人さんは、表紙を見ただけで、中を開こうとしなかった。
「あんた、訊いたね」
私は答えられなかった。
「訊いたんじゃね」
「……四年目に、一度だけ」
管理人さんは編み物を膝に置いて、長いこと窓の外を見ていた。
三号棟の裏には、まだ低い草地が残っている。
そこが、埋めた池のいちばん深かったところだと聞いた。
「名前を訊くいうんはね」
その人は、ゆっくり言った。
「こっちが、相手を憶えるということよ」
「はい」
「憶えたら、繋がるが」
私は、その意味を、まだ半分も理解していなかった。
「小久保さんは、どうされたんですか」
「よそへ移られた」
「その後は」
管理人さんは編み棒を持ち直して、それきり何も言わなかった。
※
私はいま、隣の市のマンションに住んでいる。
固定電話は解約した。
携帯の番号は、団地にいた頃から変えていない。
この五年、私の電話は、一度もあの手の着信を受けていない。
だから、終わったのだと思っていた。
先月、実家の母から電話があった。
母は七十八で、耳が遠い。
用件が終わったあと、母がふと言った。
「あんた、うちに何度も電話かけてくるじゃろ」
「かけとらんよ」
「かけとる。着信に、あんたの番号が出とるもん」
私は、少し笑った。
母がまた何か勘違いをしているのだと思った。
「出たら、なんて言いよるん」
母は、こともなげに答えた。
「ママ? って、それだけ言うて切れるんよ」
※
私は、その場で母の携帯の着信履歴を確認してもらった。
私の番号だった。
間違いなく、私の番号だった。
私の携帯の発信履歴には、その通話が一件も残っていない。
日付を聞いて、手帳と照らし合わせた。
一件目が、去年の六月。
二件目が、今年の六月。
母は「三回目もあったかね」と言って、まだ数えていなかった。
私は母に、ひとつだけ頼んだ。
誰からかかってきても、絶対に、相手に名前を訊かないでほしい。
「なんでね」
「憶えられるけん」
母は「よう意味がわからん」と笑った。
笑いながら、わかった、と言った。
母の家の電話に出た人の話も、あとで聞いた。
母が留守のとき、たまたま来ていた叔母が受話器を取ったのだという。
叔母は、母とは声がまったく違う。
それでも相手は「ママ?」と言ったそうだ。
叔母は「違うよ」と答えて切った。
叔母は、相手に名前を訊かなかった。
訊かなかったから、叔母のところには何もない。
私はそれを聞いて、少しだけ安心した。
安心して、それから、もっと怖くなった。
作法が効くということは、あれが作法の通じる相手だということだ。
※
あの団地は、去年の秋に取り壊された。
更地になったところを、一度だけ見に行った。
三号棟の基礎が抜かれて、裏の草地との境目がなくなっていた。
境目がないと、どこまでが池だったのか、もうわからない。
重機の轍に、水が溜まっていた。
六月でもないのに、私はその水面を長いこと見ていた。
子どもの声はしなかった。
そのかわり、帰り道でずっと、誰かに名前を呼ばれかけているような感じがあった。
呼ばれかけて、途中でやめる感じだ。
やめてくれているうちは、まだ大丈夫なのだと思っている。
※
あのとき管理人さんが名前を訊かなかった理由が、いまはわかる。
あの人は、私を守ってくれていたのではない。
覚えない、という作法を、ただ守っていただけだ。
そして私は、四年目の六月に、その作法を破った。
私は相手に名前を訊いた。
訊いたから、繋がった。
繋がったものは、電話を替えても、番号を替えても、たぶん切れない。
いまも、六月になると、実家の母のところに私の番号から電話が入る。
私はそのたび、自分の発信履歴を確かめる。
何も残っていない。
それでも、確かめずにはいられない。
あの日、電話の向こうにいたものが「ママ」を探していたのだとしたら。
いま、私の番号で母を呼んでいるものは、いったい何を探しているのか。
私は、それだけがわからない。
訊けば、たぶんわかる。
けれど、二度と訊かないと決めている。