二通ずつ届いた手紙

二通ずつ届いた手紙

投書欄という、静かな仕事

地方紙の投書欄というのは、思っているより静かな仕事です。

私は二十年ほど前、島根の浜田にある支局で、その担当をしていました。

正社員ではありません。

週に四日だけ出て、届いた手紙を仕分けて、掲載する分を選んで、字を整える。

それだけの仕事でした。

日本海側の冬は、風の音がずっと続きます。

支局の窓は建て付けが悪くて、時化の日は紙が机の上で震えていました。

投書は、ほとんどが手書きです。

ワープロで打ってくる人は、当時はまだ少なかった。

七十代、八十代の方が多くて、便箋の折り方に癖があります。

三つ折りの人、四つ折りの人。

封筒の宛名を、定規で下線を引いてから書く人もいました。

そういうものを一年も見ていると、封筒だけで誰からか分かるようになります。

その中に、ひとりだけ、妙な出し方をする人がいました。

その人の手紙は、いつも二通ずつ届きました。

投書欄の仕事は、九割が地味な作業です。

届いた封筒を開けて、日付印を押して、台帳に一行書く。

掲載する分は、原稿用紙に清書し直します。

当時はまだ、そうやっていました。

清書していると、書いた人の呼吸が分かります。

句読点の打ち方で、その人が普段どんな喋り方をするか、なんとなく見当がつくのです。

支局には、私のほかに記者が二人と、事務の方がひとりいました。

冬になると、灯油ストーブの上でみんな弁当を温めます。

時化の日は、海のほうから来る風が窓を鳴らして、話し声が聞こえにくくなりました。

「あんた、また笑いよる」

事務の方に、よくそう言われました。

面白い投書を読むと、私は声を出して笑ってしまう癖がありました。

Kさんの手紙は、いつも私を笑わせる手紙でした。

だから、私はあの人の封筒を、いちばん最後に開けることにしていました。

楽しみは、あとに取っておく性分です。

いま思えば、その癖のせいで、気づくのが遅れたのかもしれません。

まったく同じ本文が、二通

差出人は、椿谷という集落の方でした。

浜田の市街から山のほうへ入って、谷をひとつ越えたところにある集落です。

当時でもう、十軒ほどしか家がありませんでした。

名前は、ここでは伏せます。

仮に、Kさんとしておきます。

七十八歳、無職、と毎回きちんと書いてありました。

Kさんの手紙は、同じ日の消印で、二通まとめて届きます。

封筒も便箋も同じもの。

そして、中身の文章が、一字一句まったく同じでした。

最初は、投函したことを忘れて、もう一度書いたのだろうと思いました。

年配の方には、よくあることです。

けれど、そうではありませんでした。

忘れて書き直したのなら、文章が少しは変わります。

Kさんの二通は、改行の位置まで同じでした。

複写したのかとも思いましたが、当時、あの集落にコピー機のある家はありません。

そして、よく見ると、筆跡がわずかに違うのです。

片方は、線が少しだけ丁寧でした。

払いの終わりが、きちんと止めてある。

もう片方は、その止めが甘い。

同じ人が、書き方を変えて二度書いたようにも見えました。

私は、丁寧なほうを掲載用に回しました。

「載っていたのは、わたしのほうではありません」

Kさんの投書は、よく採用されました。

文章がうまいのです。

山の畑のこと、鹿が出てきたこと、バスが週に二便になったこと。

不平を書かない人でした。

愚痴を書く投書は、たいてい載せられません。

Kさんは、どんなことも少し笑えるように書いてきました。

掲載から一週間ほどして、次の手紙が来ました。

やはり二通です。

その一行目に、こう書いてありました。

「先日は有難うございました。ただ、載っていたのは、わたしが書いたほうではありませんでした」

私は、読み返しました。

意味が分かりませんでした。

二通は同じ文章です。

どちらを載せても、Kさんの書いたものであることに変わりはありません。

それでもKさんは、自分が書いたほうではない、と書いてきました。

その一行のあとは、いつも通りの、少し笑える文章が続いていました。

山の柿が今年は不作であること。

猿が二匹、庭のほうまで下りてきたこと。

そして、最後にこうありました。

「近ごろ、出先から帰ると、居間に自分が座っております」

ユーモアのつもりで書いている

その一文を読んだとき、私は最初、うまい冗談だと思いました。

Kさんは、そういう書き方をする人です。

ところが、その次の段落が続いていました。

「わたしが玄関を開けますと、向こうがこちらを見て、少し驚いた顔をいたします」

「こちらのほうが驚いておるのですが、先に驚かれると、なんとも間が悪いものです」

「そのうちに立ち上がって、奥のほうへ行ってしまいます」

「追いかけたことは、まだございません」

そのあとに、焼き魚の話がありました。

七輪で鯵を焼いていると、火から下ろしたあとで、皿の上の魚がびちびちと跳ねるのだそうです。

一度だけではなく、この半年で四度あったと書いてありました。

「妻に先立たれてから退屈でおりますが、ユーモアにしても、いささか度を越しておるように思います」

その一行が、私はいちばん寒かった。

Kさんは、笑える話として書いているのです。

投書欄に載る、ちょっと面白い話として書いている。

怖がってはいませんでした。

私は、その回は掲載を見送りました。

掲載しない投書には、簡単な礼状を出すことになっていました。

私はその礼状を、一通だけ出しました。

二通来たから二通返すというのも変な話です。

いま思えば、それでよかったのです。

ここで、Kさんの投書がどう変わっていったかを書いておきます。

私は台帳を全部覚えているわけではありませんが、いくつかははっきり残っています。

春の投書は、こういうものでした。

「畑の柵を直しておりましたら、隣の家の猫が一日じゅう監督しておりました」

笑える話です。

夏になると、少しだけ変わりました。

「夜、縁側の板が鳴ります。猫かと思いましたが、猫は膝の上におります」

それでも、まだ笑えました。

秋の投書は、こうです。

「近ごろ、茶碗を洗って伏せますと、翌朝ふたつ伏せてあります」

「独り身の男が、寝ぼけて二つ洗ったのでしょう」

Kさんは、そうやって毎回、自分で落ちをつけました。

ご自分で、笑える話に直してしまうのです。

冬に入って、焼き魚の話が来ました。

そして、居間に自分が座っているという話が来ました。

あとから並べてみると、順番がはっきりしています。

音、物の数、そして人です。

階段を一段ずつ上がるように、増えていきました。

Kさんは、その階段を、毎回きちんと笑いに変えてから寄こしました。

それがどれほど大変なことだったか、私は当時、少しも分かっていませんでした。

消印が、二つあった

気になって、私は封筒の消印を確かめました。

それまで、消印など見たことがありませんでした。

二通のうち、一通は浜田の局の消印でした。

もう一通は、違いました。

椿谷簡易郵便局、と読めました。

私は、支局の古い管内地図を出して探しました。

載っていませんでした。

年配の記者に聞くと、その人はしばらく考えてから言いました。

「あそこ、わしが入る前に閉まっとるはずじゃ」

調べると、椿谷の簡易郵便局は、二十年以上前に廃止されていました。

建物も、もうありません。

局のあった場所は、いまは畑になっていると聞きました。

私は、それ以上調べるのをやめました。

やめたつもりでいました。

けれど、Kさんの手紙は、月に二度ずつ届き続けました。

簡易郵便局のことを、私はもう少しだけ調べました。

局を最後にやっていた方のご子息が、市街で商売をしておられると聞いたからです。

その方は、六十代の男性でした。

閉局の話をすると、よく覚えておられました。

「わしが中学のときじゃ」

お父さんが体を悪くして、後を継ぐ人がいなくて閉めたのだそうです。

日付印はどうしたのかと聞くと、その方は妙な顔をしました。

「返したはずじゃがな」

「返した、とは」

「局のもんは、全部返す決まりじゃ」

ただ、と続けました。

閉めるとき、集落の人が何人か来て、局の前で頭を下げていったそうです。

そのうちの何人かが、封筒を持ってきた。

「最後にここから出しときたいって、言うてな」

お父さんは、その封筒に印を押して受け取ったのだそうです。

「何通ぐらいですか」

「さあ。十や二十じゃなかったと思うで」

その封筒がどうなったのかは、その方も知りませんでした。

私は、それ以上聞きませんでした。

帰りの車の中で、私はずっと同じことを考えていました。

あの日に押された印は、まだどこかで押され続けているのだろうか。

数を数え直す家

その年の秋、私は取材の帰りに椿谷へ寄りました。

取材とは関係のない、私用でした。

谷を越える道は狭くて、ガードレールの外はすぐ杉です。

集落に入ると、家は思ったより整っていました。

草も刈ってあります。

畑で作業をしていた七十くらいの女の方に、道を聞くふりをして声をかけました。

Kさんの家は、いちばん奥だと教わりました。

それから、その方はこう言いました。

「あんた、新聞の人かね」

私はうなずきました。

「Kさん、ようけ書いとるじゃろ」

「はい、月に何度も」

「二通ずつじゃろ」

私は、そこで足が止まりました。

その方は、鍬を持ち直して、こう言いました。

「ここらはな、ひとりになった家は、手紙を二通書くんじゃ」

一通は出す用。

もう一通は、仏壇に置く用だそうです。

置いたほうは、出しません。

そのまま置いておくと、いつのまにか無くなっている。

「家が、出しに行くんじゃ」

そういう言い方をされました。

私は、うまく言葉が出ませんでした。

その方は、最後にひとつだけ、はっきりと言いました。

「返事はな、一通にだけ書きんさい」

「二通に返すと、こっちの数が増える」

Kさんの家

Kさんの家は、集落のいちばん奥にありました。

杉に囲まれた、平屋です。

戸は開いていました。

私は、名乗って声をかけました。

返事はありません。

土間に、長靴が二足並んでいました。

どちらも同じ大きさで、同じくらい古いものでした。

片方だけ、泥が乾いてついていました。

もう片方は、きれいでした。

居間のほうを見ると、卓袱台に湯呑みが二つ伏せてありました。

私は、そこで引き返しました。

入ってはいけない気がしたのです。

あとで区長さんに聞くと、Kさんはその日、市街の病院へ検査に出ていたそうです。

朝のバスで出て、夕方のバスで帰る。

週に二便のバスの、その日が便のある日でした。

つまり、私が訪ねた時間、Kさんは家にいなかったことになります。

二通目を書いていたのは、その人ではありませんでした。

椿谷から帰ったあと、私は一度だけ、区長さんに電話をしました。

Kさんの様子を、遠回しに聞くつもりでした。

区長さんは、七十代の男の方でした。

用件を言うと、しばらく間がありました。

「Kさんはな、しっかりしとるで」

「はい」

「常会にも出るし、字も達者じゃ」

「そうですか」

「新聞に載るんが、いちばんの楽しみでな」

そこまで言って、区長さんは声を落としました。

「あんた、あの家の玄関、見たじゃろ」

私は、答えられませんでした。

「長靴、二足あったじゃろ」

「……ありました」

「あれはな、Kさんの奥さんのじゃ」

奥さんが亡くなられて、もう十年以上になるそうです。

長靴は捨てずに、そのまま並べてある。

「片っぽだけ、泥がつくじゃろ」

私は、受話器を持ち替えました。

「あれは、Kさんが自分で泥をつけとるんじゃ」

「どうしてですか」

「両方きれいじゃと、使うとらんのが分かってしまうけえ」

そういうことでした。

誰に見せるためでもありません。

自分に見せるために、片方だけ泥をつけていたのです。

その話を聞いてから、私はKさんの手紙の読み方が変わりました。

二通ずつ書く人の気持ちが、少しだけ分かった気がしたのです。

一通は、新聞社に出す。

もう一通は、仏壇に置く。

置いたほうは、読む人がいます。

読む人がいると思って書くから、文章がうまくなるのです。

Kさんの投書がよく採用されたのは、たぶんそのせいでした。

あの人は、いつも二人に向かって書いていました。

だからこそ、と思うこともあります。

読む人がいるつもりで書き続けた家には、いつか読む側が現れるのかもしれません。

それが、こちらの数を数え直しにくるのだとしても。

最後の一通

その冬、Kさんからの手紙が来なくなりました。

三ヶ月ほど、何もありませんでした。

私は、体調でも崩されたのだろうと思っていました。

春先に、一通だけ届きました。

一通です。

二通ではありませんでした。

消印は、浜田の局でした。

封筒の宛名は、いつもの下線つきの丁寧な字でした。

便箋には、一行だけ書いてありました。

「きょうは、わたしのほうが、留守です」

それだけです。

日付も、名前もありませんでした。

私は、その手紙を掲載しませんでした。

返事も出しませんでした。

出すべきだったのかどうか、いまでも分かりません。

Kさんは、その年の秋に市街の施設へ移られたと、あとから聞きました。

お元気だったそうです。

私は会いに行っていません。

会いに行って、あの一行のことを聞く勇気がありませんでした。

椿谷の家は、いまはもうありません。

数年前に取り壊されて、いまは何も建っていないそうです。

いまも、二通は開けない

私はその後、支局を離れて、別の仕事に就きました。

投書欄の担当をしていたのは、結局四年ほどです。

四年のあいだに、二通ずつ出してくる人は、Kさんのほかに二人いました。

どちらも、ひとり暮らしの方でした。

どちらも、少し笑える文章を書く人でした。

私は、そのどちらにも、返事を一通しか出しませんでした。

二つの人影の話を読んだとき、私は椿谷のことを思い出しました。

数が合わなくなるというのは、増えることではないのだと思います。

合っていたはずの数を、あとから数え直されることです。

訳あり物件のおっちゃんの話のように、土地には土地の数え方があって、そこに住む人は、たいていそれを知っています。

Kさんも、知っていたはずです。

知っていて、笑える話として書いたのだと、私は思っています。

怖がらずにいるための書き方を、あの人は自分で見つけたのでしょう。

いまでも、同じ封筒が二通並んで届くと、私は一通しか開けません。

もう一通は、しばらく机の端に置いておきます。

気づくと、無くなっていることがあります。

捨てた覚えは、ありません。

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