
投書欄という、静かな仕事
地方紙の投書欄というのは、思っているより静かな仕事です。
私は二十年ほど前、島根の浜田にある支局で、その担当をしていました。
正社員ではありません。
週に四日だけ出て、届いた手紙を仕分けて、掲載する分を選んで、字を整える。
それだけの仕事でした。
日本海側の冬は、風の音がずっと続きます。
支局の窓は建て付けが悪くて、時化の日は紙が机の上で震えていました。
投書は、ほとんどが手書きです。
ワープロで打ってくる人は、当時はまだ少なかった。
七十代、八十代の方が多くて、便箋の折り方に癖があります。
三つ折りの人、四つ折りの人。
封筒の宛名を、定規で下線を引いてから書く人もいました。
そういうものを一年も見ていると、封筒だけで誰からか分かるようになります。
その中に、ひとりだけ、妙な出し方をする人がいました。
その人の手紙は、いつも二通ずつ届きました。
※
投書欄の仕事は、九割が地味な作業です。
届いた封筒を開けて、日付印を押して、台帳に一行書く。
掲載する分は、原稿用紙に清書し直します。
当時はまだ、そうやっていました。
清書していると、書いた人の呼吸が分かります。
句読点の打ち方で、その人が普段どんな喋り方をするか、なんとなく見当がつくのです。
支局には、私のほかに記者が二人と、事務の方がひとりいました。
冬になると、灯油ストーブの上でみんな弁当を温めます。
時化の日は、海のほうから来る風が窓を鳴らして、話し声が聞こえにくくなりました。
「あんた、また笑いよる」
事務の方に、よくそう言われました。
面白い投書を読むと、私は声を出して笑ってしまう癖がありました。
Kさんの手紙は、いつも私を笑わせる手紙でした。
だから、私はあの人の封筒を、いちばん最後に開けることにしていました。
楽しみは、あとに取っておく性分です。
いま思えば、その癖のせいで、気づくのが遅れたのかもしれません。
※
まったく同じ本文が、二通
差出人は、椿谷という集落の方でした。
浜田の市街から山のほうへ入って、谷をひとつ越えたところにある集落です。
当時でもう、十軒ほどしか家がありませんでした。
名前は、ここでは伏せます。
仮に、Kさんとしておきます。
七十八歳、無職、と毎回きちんと書いてありました。
Kさんの手紙は、同じ日の消印で、二通まとめて届きます。
封筒も便箋も同じもの。
そして、中身の文章が、一字一句まったく同じでした。
最初は、投函したことを忘れて、もう一度書いたのだろうと思いました。
年配の方には、よくあることです。
けれど、そうではありませんでした。
忘れて書き直したのなら、文章が少しは変わります。
Kさんの二通は、改行の位置まで同じでした。
複写したのかとも思いましたが、当時、あの集落にコピー機のある家はありません。
そして、よく見ると、筆跡がわずかに違うのです。
片方は、線が少しだけ丁寧でした。
払いの終わりが、きちんと止めてある。
もう片方は、その止めが甘い。
同じ人が、書き方を変えて二度書いたようにも見えました。
私は、丁寧なほうを掲載用に回しました。
※
「載っていたのは、わたしのほうではありません」
Kさんの投書は、よく採用されました。
文章がうまいのです。
山の畑のこと、鹿が出てきたこと、バスが週に二便になったこと。
不平を書かない人でした。
愚痴を書く投書は、たいてい載せられません。
Kさんは、どんなことも少し笑えるように書いてきました。
掲載から一週間ほどして、次の手紙が来ました。
やはり二通です。
その一行目に、こう書いてありました。
「先日は有難うございました。ただ、載っていたのは、わたしが書いたほうではありませんでした」
私は、読み返しました。
意味が分かりませんでした。
二通は同じ文章です。
どちらを載せても、Kさんの書いたものであることに変わりはありません。
それでもKさんは、自分が書いたほうではない、と書いてきました。
その一行のあとは、いつも通りの、少し笑える文章が続いていました。
山の柿が今年は不作であること。
猿が二匹、庭のほうまで下りてきたこと。
そして、最後にこうありました。
「近ごろ、出先から帰ると、居間に自分が座っております」
※
ユーモアのつもりで書いている
その一文を読んだとき、私は最初、うまい冗談だと思いました。
Kさんは、そういう書き方をする人です。
ところが、その次の段落が続いていました。
「わたしが玄関を開けますと、向こうがこちらを見て、少し驚いた顔をいたします」
「こちらのほうが驚いておるのですが、先に驚かれると、なんとも間が悪いものです」
「そのうちに立ち上がって、奥のほうへ行ってしまいます」
「追いかけたことは、まだございません」
そのあとに、焼き魚の話がありました。
七輪で鯵を焼いていると、火から下ろしたあとで、皿の上の魚がびちびちと跳ねるのだそうです。
一度だけではなく、この半年で四度あったと書いてありました。
「妻に先立たれてから退屈でおりますが、ユーモアにしても、いささか度を越しておるように思います」
その一行が、私はいちばん寒かった。
Kさんは、笑える話として書いているのです。
投書欄に載る、ちょっと面白い話として書いている。
怖がってはいませんでした。
※
私は、その回は掲載を見送りました。
掲載しない投書には、簡単な礼状を出すことになっていました。
私はその礼状を、一通だけ出しました。
二通来たから二通返すというのも変な話です。
いま思えば、それでよかったのです。
※
ここで、Kさんの投書がどう変わっていったかを書いておきます。
私は台帳を全部覚えているわけではありませんが、いくつかははっきり残っています。
春の投書は、こういうものでした。
「畑の柵を直しておりましたら、隣の家の猫が一日じゅう監督しておりました」
笑える話です。
夏になると、少しだけ変わりました。
「夜、縁側の板が鳴ります。猫かと思いましたが、猫は膝の上におります」
それでも、まだ笑えました。
秋の投書は、こうです。
「近ごろ、茶碗を洗って伏せますと、翌朝ふたつ伏せてあります」
「独り身の男が、寝ぼけて二つ洗ったのでしょう」
Kさんは、そうやって毎回、自分で落ちをつけました。
ご自分で、笑える話に直してしまうのです。
冬に入って、焼き魚の話が来ました。
そして、居間に自分が座っているという話が来ました。
あとから並べてみると、順番がはっきりしています。
音、物の数、そして人です。
階段を一段ずつ上がるように、増えていきました。
Kさんは、その階段を、毎回きちんと笑いに変えてから寄こしました。
それがどれほど大変なことだったか、私は当時、少しも分かっていませんでした。
※
消印が、二つあった
気になって、私は封筒の消印を確かめました。
それまで、消印など見たことがありませんでした。
二通のうち、一通は浜田の局の消印でした。
もう一通は、違いました。
椿谷簡易郵便局、と読めました。
私は、支局の古い管内地図を出して探しました。
載っていませんでした。
年配の記者に聞くと、その人はしばらく考えてから言いました。
「あそこ、わしが入る前に閉まっとるはずじゃ」
調べると、椿谷の簡易郵便局は、二十年以上前に廃止されていました。
建物も、もうありません。
局のあった場所は、いまは畑になっていると聞きました。
私は、それ以上調べるのをやめました。
やめたつもりでいました。
けれど、Kさんの手紙は、月に二度ずつ届き続けました。
※
簡易郵便局のことを、私はもう少しだけ調べました。
局を最後にやっていた方のご子息が、市街で商売をしておられると聞いたからです。
その方は、六十代の男性でした。
閉局の話をすると、よく覚えておられました。
「わしが中学のときじゃ」
お父さんが体を悪くして、後を継ぐ人がいなくて閉めたのだそうです。
日付印はどうしたのかと聞くと、その方は妙な顔をしました。
「返したはずじゃがな」
「返した、とは」
「局のもんは、全部返す決まりじゃ」
ただ、と続けました。
閉めるとき、集落の人が何人か来て、局の前で頭を下げていったそうです。
そのうちの何人かが、封筒を持ってきた。
「最後にここから出しときたいって、言うてな」
お父さんは、その封筒に印を押して受け取ったのだそうです。
「何通ぐらいですか」
「さあ。十や二十じゃなかったと思うで」
その封筒がどうなったのかは、その方も知りませんでした。
私は、それ以上聞きませんでした。
帰りの車の中で、私はずっと同じことを考えていました。
あの日に押された印は、まだどこかで押され続けているのだろうか。
※
数を数え直す家
その年の秋、私は取材の帰りに椿谷へ寄りました。
取材とは関係のない、私用でした。
谷を越える道は狭くて、ガードレールの外はすぐ杉です。
集落に入ると、家は思ったより整っていました。
草も刈ってあります。
畑で作業をしていた七十くらいの女の方に、道を聞くふりをして声をかけました。
Kさんの家は、いちばん奥だと教わりました。
それから、その方はこう言いました。
「あんた、新聞の人かね」
私はうなずきました。
「Kさん、ようけ書いとるじゃろ」
「はい、月に何度も」
「二通ずつじゃろ」
私は、そこで足が止まりました。
その方は、鍬を持ち直して、こう言いました。
「ここらはな、ひとりになった家は、手紙を二通書くんじゃ」
一通は出す用。
もう一通は、仏壇に置く用だそうです。
置いたほうは、出しません。
そのまま置いておくと、いつのまにか無くなっている。
「家が、出しに行くんじゃ」
そういう言い方をされました。
私は、うまく言葉が出ませんでした。
その方は、最後にひとつだけ、はっきりと言いました。
「返事はな、一通にだけ書きんさい」
「二通に返すと、こっちの数が増える」
※
Kさんの家
Kさんの家は、集落のいちばん奥にありました。
杉に囲まれた、平屋です。
戸は開いていました。
私は、名乗って声をかけました。
返事はありません。
土間に、長靴が二足並んでいました。
どちらも同じ大きさで、同じくらい古いものでした。
片方だけ、泥が乾いてついていました。
もう片方は、きれいでした。
居間のほうを見ると、卓袱台に湯呑みが二つ伏せてありました。
私は、そこで引き返しました。
入ってはいけない気がしたのです。
あとで区長さんに聞くと、Kさんはその日、市街の病院へ検査に出ていたそうです。
朝のバスで出て、夕方のバスで帰る。
週に二便のバスの、その日が便のある日でした。
つまり、私が訪ねた時間、Kさんは家にいなかったことになります。
二通目を書いていたのは、その人ではありませんでした。
※
椿谷から帰ったあと、私は一度だけ、区長さんに電話をしました。
Kさんの様子を、遠回しに聞くつもりでした。
区長さんは、七十代の男の方でした。
用件を言うと、しばらく間がありました。
「Kさんはな、しっかりしとるで」
「はい」
「常会にも出るし、字も達者じゃ」
「そうですか」
「新聞に載るんが、いちばんの楽しみでな」
そこまで言って、区長さんは声を落としました。
「あんた、あの家の玄関、見たじゃろ」
私は、答えられませんでした。
「長靴、二足あったじゃろ」
「……ありました」
「あれはな、Kさんの奥さんのじゃ」
奥さんが亡くなられて、もう十年以上になるそうです。
長靴は捨てずに、そのまま並べてある。
「片っぽだけ、泥がつくじゃろ」
私は、受話器を持ち替えました。
「あれは、Kさんが自分で泥をつけとるんじゃ」
「どうしてですか」
「両方きれいじゃと、使うとらんのが分かってしまうけえ」
そういうことでした。
誰に見せるためでもありません。
自分に見せるために、片方だけ泥をつけていたのです。
※
その話を聞いてから、私はKさんの手紙の読み方が変わりました。
二通ずつ書く人の気持ちが、少しだけ分かった気がしたのです。
一通は、新聞社に出す。
もう一通は、仏壇に置く。
置いたほうは、読む人がいます。
読む人がいると思って書くから、文章がうまくなるのです。
Kさんの投書がよく採用されたのは、たぶんそのせいでした。
あの人は、いつも二人に向かって書いていました。
だからこそ、と思うこともあります。
読む人がいるつもりで書き続けた家には、いつか読む側が現れるのかもしれません。
それが、こちらの数を数え直しにくるのだとしても。
※
最後の一通
その冬、Kさんからの手紙が来なくなりました。
三ヶ月ほど、何もありませんでした。
私は、体調でも崩されたのだろうと思っていました。
春先に、一通だけ届きました。
一通です。
二通ではありませんでした。
消印は、浜田の局でした。
封筒の宛名は、いつもの下線つきの丁寧な字でした。
便箋には、一行だけ書いてありました。
「きょうは、わたしのほうが、留守です」
それだけです。
日付も、名前もありませんでした。
私は、その手紙を掲載しませんでした。
返事も出しませんでした。
出すべきだったのかどうか、いまでも分かりません。
※
Kさんは、その年の秋に市街の施設へ移られたと、あとから聞きました。
お元気だったそうです。
私は会いに行っていません。
会いに行って、あの一行のことを聞く勇気がありませんでした。
椿谷の家は、いまはもうありません。
数年前に取り壊されて、いまは何も建っていないそうです。
※
いまも、二通は開けない
私はその後、支局を離れて、別の仕事に就きました。
投書欄の担当をしていたのは、結局四年ほどです。
四年のあいだに、二通ずつ出してくる人は、Kさんのほかに二人いました。
どちらも、ひとり暮らしの方でした。
どちらも、少し笑える文章を書く人でした。
私は、そのどちらにも、返事を一通しか出しませんでした。
二つの人影の話を読んだとき、私は椿谷のことを思い出しました。
数が合わなくなるというのは、増えることではないのだと思います。
合っていたはずの数を、あとから数え直されることです。
訳あり物件のおっちゃんの話のように、土地には土地の数え方があって、そこに住む人は、たいていそれを知っています。
Kさんも、知っていたはずです。
知っていて、笑える話として書いたのだと、私は思っています。
怖がらずにいるための書き方を、あの人は自分で見つけたのでしょう。
いまでも、同じ封筒が二通並んで届くと、私は一通しか開けません。
もう一通は、しばらく机の端に置いておきます。
気づくと、無くなっていることがあります。
捨てた覚えは、ありません。