
あの本屋で働き始めて、もう三十年になる。
五十二歳になった今も、レジに立ち、棚を直し、客の問い合わせに答える毎日を送っている。
町の老舗と呼ばれる小さな書店で、店主夫妻はもう七十を超えていた。
私が新人として入ったのは、二十二歳の春のことだった。
あの頃から、店に通ってくる父娘の常連客がいた。
父親は地元の信用金庫に勤める寡黙な人で、娘さんはまだ小学校に上がる前の年頃だった。
父娘で毎週土曜日、決まって午後三時にやってきて、児童書の棚の前でしばらく時間を過ごしていた。
娘さんはおとなしい子で、こちらが声をかけても、にこっと笑って軽く頭を下げるだけだった。
父親も寡黙だったから、二人の会話はほとんど聞いたことがなかった。
ただ、娘さんが選んだ本を、父親が黙ってカウンターに運んでくる、その所作には穏やかな空気が流れていた。
あの親子のことは、店主夫妻も覚えていて、年に何度か話題にのぼった。
「桜井さんとこのお嬢さん、また背が伸びたわねえ」と、店主の妻が言う。
桜井、というのが父娘の名字だった。
私が新人だった頃の桜井さんは、まだ三十そこそこの若いお父さんだったと思う。
店の窓越しに、信用金庫の制服を脱いだ桜井さんの後ろ姿が映っていたのも、もう遠い記憶になっている。
桜井さんは仕事帰りに一度自宅に戻り、それから娘さんを連れて店に来ていたのだろう。
土曜日の昼に商店街でばったり会ったときも、必ず娘さんが半歩後ろにくっついていて、こちらに気づくと父娘で同じように小さく頭を下げてくれた。
※
娘さんが小学校に上がる頃から、児童文学の長編シリーズに夢中になっていたようだった。
全二十巻を超える長いシリーズで、半年に一冊ずつ刊行されるものだった。
新刊が出るたびに、父娘でやってきて取り置きの予約を入れていく。
「桜井で取り置きをお願いします」と父親が言う声を、私はよく覚えている。
シリーズの十二巻あたりまでは、私が直接予約を受けていた。
棚の裏に名前を書いた紙を貼って、新刊が入る日を待つのが、半年に一度の楽しみのようになっていた。
発売日になると娘さんは父親の手を引いて店に駆け込んできて、カウンターに頬を寄せて本を待っていた。
そんな時だけ、娘さんは普段の控えめな様子からは想像できないほど明るい顔をしていた。
シリーズの十巻目が出たときには、娘さんが私の方を見て「ありがとう」と小さく口を動かした。
声に出してくれたわけではなかったが、私はその唇の動きを、いまでもよく覚えている。
あの本のカバーには、長い髪の少女と、提灯のような明かりが描かれていた。
店主の妻は、桜井さんの娘さんを「うちのお店の小さな看板娘」と呼んでいた。
ある年のことだったと思う。
シリーズの十四巻が出る頃、桜井さん親子の姿を、店で見かけなくなった。
発売日にも父娘の姿はなく、棚の裏に貼っていた予約の紙は、しばらく置いたあとで剥がした。
そういうことは、書店ではよくある。
客の生活が変わって、足が遠のくということは珍しくない。
私もその時は、ただ「お引越しでもされたのだろうか」と思っただけだった。
それから何年か経って、桜井さんが一人で店に来るようになった。
髪に白いものが混じり、少し痩せたように見えた。
もう児童書の棚には立たず、文庫の歴史小説や、囲碁の入門書を選んで帰っていく。
声をかけても、軽く会釈をするだけで、こちらから何かを聞ける雰囲気ではなかった。
店主の妻が一度、私に小声で言ったことがある。
「桜井さんとこのお嬢さん、亡くなったらしいのよ」と。
事故だった、とだけ聞いた。
それ以上のことは、店主の妻も知らないようだった。
私はカウンターの裏で、しばらく動けなかったのを覚えている。
あのとき棚の裏に剥がさずに残しておいた予約の紙のことを、ふと思い出した。
もうとっくに捨ててしまったはずだったが、店主の妻に話を聞いた夜は、家に帰っても妙にその紙のことが頭から離れなかった。
翌朝、店に出てから、念のため在庫品の棚の奥を確かめてみた。
古い段ボール箱のひとつに、桜井様と書かれた紙の切れ端が、何枚か挟まったまま残っていた。
私は紙を取り出して、しばらくそれを見つめてから、また同じ箱の中に戻した。
※
それから何年が過ぎたのか、自分でも正確には数えられない。
ただ、桜井さんが一人で来店する姿には、いつの間にか慣れていた。
去年の秋のことだった。
閉店の三十分ほど前に、店の電話が鳴った。
私が受けると、若い女性の声で「予約をお願いしたいのですが」と告げられた。
電話越しの声は、二十歳前後だろうかと思うくらいの、落ち着いた女性の声だった。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」と聞くと、「桜井です」と返ってきた。
瞬間、手が止まったのを覚えている。
けれど、世の中に桜井という名字は珍しくはない。
予約したいのは来週発売の新刊で、と告げられたタイトルが、あのシリーズの最新巻だった。
全二十四巻のうちの、最終巻にあたる本だった。
私はメモを取りながら、「お電話番号を伺えますか」と聞いた。
向こうは少し沈黙してから、「数字を覚えていなくて、すみません」と言った。
それから、「父が取りに行きますので」と短く付け足した。
妙な答えだとは思った。
けれど業務としては問題なく、本が入荷したらお取り置きしておく旨を伝えて、電話を切った。
電話を切ったあと、しばらく、受話器の置かれたカウンターの一角を見つめていた。
桜井という名字で、長編シリーズの最終巻を取り置きする父娘の客には、私はかつて覚えがあった。
けれど、いまその名前で電話をかけてきた声の主は、当時の娘さんとはどう考えても年齢が合わなかった。
あの子が生きていたとしたら、いま二十歳をいくつか過ぎたあたりのはずだった。
もちろん、私の知らないところで桜井さんに別のお子さんが生まれていた可能性も、なくはなかった。
あるいは、お孫さんがいる年齢にさしかかっていてもおかしくはなかった。
けれども、桜井さんは新しい家族の話を、こちらに一度もしたことがなかった。
店を閉めて帰る道すがら、私はあの予約の電話の声を、何度も頭の中で再生していた。
落ち着いた、丁寧な口調の女性の声で、長編シリーズの最終巻のタイトルを、ためらいもせずに告げてきたあの声を。
※
発売日に、シリーズの最終巻が入荷した。
私は棚の裏に「桜井様」と書いた紙を貼り、本を一冊置いた。
翌日の昼過ぎ、桜井さんが店に来た。
髪はほとんど白くなっていて、少し背中が丸くなったように見えた。
桜井さんは文庫の棚を二、三冊覗いたあと、カウンターの前で立ち止まった。
「予約していた本があると、家内に聞いたんですが」と、桜井さんは静かに言った。
家内、という言葉に、私は内心で少しだけ違和感を覚えた。
桜井さんに奥さんがいらっしゃるかどうか、私は正直なところ、よく知らなかった。
ただ、ここで余計なことを聞くべきではないと判断して、棚の裏から本を出した。
桜井さんは表紙を見て、ふっと小さく息を吐いた。
「ああ、これでようやく、最後まで読み終えられる」と、桜井さんは言った。
そのまま桜井さんは、本を胸の前で抱えるように持ち、レジに代金を出した。
私が釣り銭を渡すと、桜井さんはいつものように軽く会釈をして、店を出ていった。
その背中を見送ったあと、私は店主の妻のところへ行った。
そして、昨日電話で予約を受けたこと、若い女性の声だったことを、できるだけ淡々と話した。
店主の妻は私の顔をしばらく見て、それから視線を伏せた。
「桜井さんとこのお嬢さん、もう七年になるのよ」と、店主の妻は言った。
「亡くなったの、八歳のときだから」と、続けた。
私はうまく相槌が打てなかった。
桜井さんは、なぜ「家内に聞いた」と言ったのだろう、と思った。
けれど、それを尋ねる相手は、もう店にはいなかった。
※
それから半年ほど経った頃、桜井さんがまた一人で店に来た。
今度は文庫の棚から離れて、児童書のコーナーに立っていた。
あのシリーズの全巻揃いが、平台に並んでいるところだった。
桜井さんはその背表紙を、しばらく目で追っていた。
そして、最終巻だけを手に取り、ぱらぱらとめくった。
栞のように、間に何かが挟まっていたらしく、桜井さんはそれを取り出して、何度か見つめていた。
私の位置からは、それが折りたたまれた小さな紙だということだけが分かった。
桜井さんは紙をもとに戻し、本を平台に置いて、店を出ていった。
私は気になって、その本に近づいた。
ページの間には、子供の字で書かれた、小さな絵入りのしおりが挟まっていた。
「とうさん、よんでくれて、ありがとう」と書かれていた。
そのしおりは、私の知る限り、店で配ったものではなかった。
※
あれから一年が過ぎようとしている。
桜井さんは月に一度くらいの頻度で、いまも店にやってくる。
新しいシリーズに手を出している様子もない。
ただ、児童書のコーナーで、しばらく時間を過ごして帰っていくことが多い。
私はあの夜の電話のことを、桜井さんに尋ねたことはない。
店主の妻にも、それ以上は聞かないことにした。
もしかすると、あれは私の聞き違いだったのかもしれない。
けれど、桜井さんがあの最終巻を「ようやく最後まで読み終えられる」と言ったときの、あの落ち着いた声を、私はいまも覚えている。
あの子は、まだ続きを読んでいるのかもしれない。
そう思うと、本屋という仕事は、ずいぶんと不思議な場所のように思えてくる。
本は誰かに読まれるために棚に並んでいて、その誰かが、いまもどこかに居続けているのかもしれない。
今日も店の電話が鳴る。
受話器の向こうから誰かが、桜井で取り置きをお願いしますと言う日が、また来るかもしれない。
私はそのときに、ただ静かにメモを取って、棚の裏に名前を書いた紙を貼るのだろうと思う。
本屋に三十年もいると、本というものは案外、人の側ではなく、人のいた場所の側に長く残るのだと思うことがある。
閉店間際の店の灯りの下で、私はいつも、ほんの少しだけ、そんなことを考えるようになった。