怪談ドライブ
もう十数年前、大学生だった私は、部活の夏合宿に出かけ、その帰り、大学の合宿施設の近くに実家のある先輩に誘われて、地元の花火大会を見学していた。
花火大会の後、会場近くの河原で買い込んだ花火を楽しみ、そのまま先輩の車に同乗させてもらい、東京に帰ることになった。
河原で花火を楽しみ、しばらく休んだ後の出発だったので、時間は、12時を過ぎて、1時になろうとしていた。
今から考えれば危険極まりないが、若さゆえか、誰もそんなことを気にしていなかった。
「先輩、運転疲れたら行ってください、俺ら変わりますから」
「おお、そんときゃたのむは。ま、高速乗るまでは、道知ってんの俺だけだし。高速まではゆっくり行って60分位だし、高速乗った最初のSAで、運転変わってもらうかも。でもぶつけるなよ。俺の愛車」
「大丈夫ですよ」
皆で先輩の車に乗り込み、出発します。運転席に先輩、助手席にA、私ともう一人のBは後ろ座席です。
走り始めて10分~15分ぐらいで、車は山道に差し掛かり始めました。この道を越えるとインターがあるとのこと。
先輩「知ってるか? この辺りにはさ、神隠しの伝承があるんだ」
B「ああ、俺の田舎でも、そういう伝承のある山がありました」
先輩「ああ、でもさ、ここは、明治になった後、いや、戦後でも神隠しが発生したらしいんだ」
B「まじっすか?」
先輩「ああ、明治の頃、日本人は迷信にとらわれすぎている、って考えていた若い帝大の教授が、迷信であることを証明する。として、ここで、それを実行して、で、神隠しにあったんだと」
B「へえ? で、神隠しって事は、当然そのまま行方不明なんですよね?」
先輩「ああ、でな、その後、この辺の人達はそれを恐れて、この山に近づかなくなったんだ。でも戦後になって、その記憶が薄れたのと、戦後の雰囲気っていうのかな? 30年ごろ、東京の大学院生達がここにきて、神隠し事件を調べようとしてさ、やはり行方不明になったんだ」
私「でも、戦後じゃ、警察とか動きますよね。いや、明治でも動いと思いますけど」
先輩「ああ、警察、消防団とか総動員で山狩りをしたんだけど、結局何の手がかりもなかったんだって。まあ、戦後になったとはいえ、田舎だから、年寄りとかはまだまだ迷信深くて、最初は山に入りたがらなかったって話だけど」
私「へえ、新聞に載ったんですかね?」
先輩「地元の新聞には載ったらしい」
B「何かの事件に巻き込まれたんですかね?」
先輩「まあ、そんな所かもしれないが、地元の年寄りたちは、やっぱり神隠しの伝承は本当だった。物見遊山気分だから、神隠しにあったんだ。って噂し合ったんだ」
私「なんか横溝正史の小説か、浅見光彦みたいですね」
A「神隠し伝説殺人事件とか」
軽く笑う4人。
B「そういえば、俺の田舎でも…」
Bが話を引き継いで、地元の怪談を話し始めました。 Bが話を終えた後、Aが自分が高校時代に聞いた学校の怪談を始めました。こうなると私も話さない訳にはいきません。私も中学の頃聞いた怪談話を話します。
※
私が話し終わると、促されたわけでもないのに、再びBが怪談を始めましたまあ、眠気覚ましには話をするのが一番と言われているし、危険な夜間のドライブ、みんなで、こうやって話していれば、眠気も飛ぶかもしれない。
私もそう思い、Bの後、再び怪談を始めたAの話が終わった後、怪談を始めました。B→A→私、の順番で、話を続けます。
途中で先輩も話に巻き込もうとしましたが、運転に集中したい。また、怪談聞いていれば眠くならないから、聞き手に回っています。結局、私、A、Bで怪談を続けることになりました。
どのぐらい時間がったったのかは、時計を見ていなかったので覚えていませんが、途中で少々妙なことに気が付きました。もう10回以上私は怪談をしているのです。
B→A→私。
という順番は堅持されていたので、皆で30以上の怪談を話していることになります。一つの話に3分としても90分はかかっている計算になります。
もう高速に乗っていてもいい筈ですが、まだ山道から出た気配すらありません。
『こういう状況だから、時間が長く感じるのかな?』
疑問に思ってもいましたが、同時にそうとも考えました。
「おい、○○、お前の番だぞ」
「ああ、じゃあ…」
Aに促され、再び私も怪談を始めます。で、頭に沸いた疑問もそこで打ち切りになり、再び怪談話の輪に戻ります。
「……という話だ」
Aが、何度目になるかは分からない怪談を終えます。
『次は俺の番か』
どの話をしようか考え始めた時、ふと、先ほどの疑問が頭を過ります。
あの後、10回、いや20回は、怪談を話しています。合わせれば30回以上は怪談をしていたような気がします。いや、実際はそんなにしていないかもしれませんが、かなりの回数の怪談を話したのは事実です。
時間で言えば、1時間、いや、2時間はとっくに経過していていいはずです。なのに未だに山道から出ていないのです。
『道に迷ったのかな?』
そうも思いましたが、それにしても時間がかかりすぎです。ここが何処かは判りません。
周りは真っ暗。いや、真っ暗すぎます。まさに墨を流したような暗闇です。一気に不安が広がります。
「今のAの話で99話目だ」
「え?」
今まで黙っていた先輩が突然口を開いたので、驚いて聞き返す私。
「だから、今のAの話で、怪談99話目だったんだよ」
「へえ、そんなに話したんですか俺ら」
気軽に受けるB。
「案外怪談知っているもんなんですね」
Aも普通に受け答えしている中、私だけが、混乱し始めていました。
99話、一話3分程として、300分近い時間、つまり5時間は経過しているはずです。出発した時1時なのですから、今の時間は、6時近く。もう、夜が明けていいはずです。
いや、それほどの時間が経っていなかったとしても、高速のインターにはとっくに着いているはずです。
なのに相変わらず山道らしいところというか、何処かすら判らない真っ暗闇の中を車は走り続けているのです。恐怖の感覚が私を襲いました。
先輩「百物語って知っているか?」
恐怖にパニック寸前の私をしり目に先輩は話を続けています。
B「ああ、ろうそく百本立てて、一話ごとにろうそく消していくって奴でしたよね」
A「俺たちそれできましたね。ま、車内で100本蝋燭立てられないけど」
先輩「ああ、で、100本目が消えると、妖怪、幽霊が現れる」
B「俺たちも蝋燭消していたら、現れますかね?」
『ちょっとまって、ちょっとまって、ちょっとまって』
先輩の話に、平然と相手をしているA、Bに対して、すでにパニックになりかかっている私。叫びだしたかったが、恐怖のためか、緊張のためか、声が出ません。
先輩「ああ、出るかもな。でもさ、実は百物語っていうのは、最初は、真っ暗な中、屋外で、怪談百話を話すものだったんだ」
B「へえ、初めて知った」
先輩「ああ、この辺りでは、少なくともそうだったらしい。で、100話を話し終わると、妖怪が出るんじゃなくて、そういう物がいる異界への扉が開いてそこに引き込まれる…ってものだったんだ」
先輩が妙に抑揚の、いや、感情のない声で話します。
B「へえ、異界への扉って、漫画みたいですね」
先輩「ああ、で、明治の帝大教授や、昭和の院生も、この地に伝わるその伝説を聞いて…」
私「ちょっと待ってよみんな!!」
やっと声を放つ私。
A「なんだよ、○○ビビったのか?」
私「そうじゃないよ、先輩、ここどこですか? 周り真っ暗、街頭一つない、何時になったら高速に出るんですか?」
恐怖でほとんど涙声になっていました。
叫んでいるうちに気が付きましたが、この車、一度も停まっていません。
いや、よくよく考えてみると曲がった気配すらないのです。周りは真っ暗、いや、ヘッドライトすらついて居なのです。前方も真っ暗な闇です。
『なぜ今頃気が付いているんだ!!』
自分に毒づきましたが、このまま先輩の話し続けさせたら、危ない、いや、そんな生易しいものですらなくなる。
なんと言うのか、そんな言いようのない本能的な恐怖に駆られ、私はパニックと恐怖で涙声になりながらも続けました。
「よく考えろよ。なんでこんな周り真っ暗なんだよ!!99話怪談話したんだろ? いったい何時間経っているんだよ? なのに、なぜ、何処にもつかないんだよ!!」
「もうすぐ着く。いいから黙ってろ」
抑揚と感情のない、なんというのか、先輩の声ですが、先輩でない誰かが話している、そんな感じの声でした。
「その前に車止めてください!!とにかく!!」
ここで黙ったらおしまいだ。とにかく先輩にこれ以上話をさせてはいけない。そんな感じで、絶叫に近い声で、先輩に言いました。
「せ、先輩、とにかく車止めましょうよ」とBがやっと現状に気が付いたのか、Bも少々慌てた声で先輩に言います。
「話が終わったら着くから黙って聞けって」相変わらず抑揚のない声で話す先輩。
「B、ブレーキ踏め、ブレーキ」完全にパニック状態の私。
「先輩、話の前に止めて、ドア開けてください。そうしたら、聞いてもいいですから、先輩の話」Aもすでにパニック状態なのか、大声で叫んでいます。
「この山で、100物語を…」完全にパニック状態の我々3人をしり目に、先輩が、抑揚と感情のない声で続けます。
「先輩、すみません!!」
そういって、Bが先輩の横っ面を殴りました。
キキキー!
急ブレーキの甲高い悲鳴とともに車が止まりました。シートベルトは着けていましたが、前席に頭をぶつけました。
「ああ、すまんみんな、大丈夫か?」と、先輩。
周りを見ると、遠くですが、民家の明かりが見え、道の先にある街頭も見えます。何よりも、ヘッドライトの灯りが見えます。
『も、戻れた』
なぜそう思ったかは知りませんが、安堵感と、恐怖から解放された感覚で、全身の力が抜けていくのを感じました。
先輩は、車から降りて、車の前の方を確認していました。
「すまん、目の前を横切った白い影が見えたもんで。…って、どうしたんだ、お前ら?」
車内3人の尋常ならざる雰囲気に、先輩が、質問します。少なくとも、先ほどの先輩ではなく、何時もの先輩であることに間違えはないようです。
我々3人も外の空気を吸うため車外に出て、落ち着いた後、今までの経緯を先輩に話します。
「お前ら、俺担いでいるのか?」
先輩の話だと、山道に入って、「この辺りに神隠しの伝説がある」って話した時、黒い靄のようなものがかかった感覚があったので、『眠気に襲われたか?』と思ったら、なんか、白い影が見えたので、急ブレーキを踏んだとのこと。そう、その後の話は、先輩の記憶にはないのです。
先輩の話だと、確かにこの辺で、明治時代と昭和30年代に神隠し事件があったこと。
この辺りの伝承だと、夜中に屋外で夜が更けてから夜明けまでの間百話怪談をすると異界に行けるという伝承があること。
地元の郷土史研究家とかは、戦国や、江戸時代、まだまだ過酷で、飢饉とかに結構頻繁に見舞われていた時代。
そういう『苦しい浮世を捨て、別世界に行きたい』的な信仰があったから、そんな伝承が生まれたのではないか?と、言っているのだとか。
で、明治時代の教授と昭和30年代の大学院生は、それを実行したといわれているのだとか。
「確かに俺もその話聞いた時は、やってみたいなって思った事はあったけど…」
先輩もさすがに青い顔をしていました。時間を見ると、1時30分過ぎ、山道の入り口は、すぐではありませんが、下に見えました。
そして、車の横には、小さな、石造りの祠が見えました。皆黙って、その祠にお祈りをした後車に乗りました。
不可思議な体験の後でしたが、なんと言うのか、もう大丈夫という、妙な安堵感があり、恐怖はあまり感じませんでした。
「わり、左の頬が少し痛むんで高速の入り口で運転変わってくれ」
「あ、ああ、いいですよ、俺が運転しますんで」とB。
その後は何事もなく無事東京に着きました。
しかし、その後いくら思い出そうとしても、30話近い怪談話は思い出せません。最初に話した数話は確かに覚えているのですが、その後、どんな話をしたのかが、まったく思い出せないのです。
ただ、その不可思議な体験、何よりもあの真っ暗な光景は今でもありありと覚えています。
最近部のOB会で久しぶりに先輩、A、Bと会いました。話題になったのは、やはりあの時の不可思議な経験です。
「まあ、ハイウェイヒュプノシスとか、集団催眠みたいな状態だったのかも?」
不可思議な体験を、無理やり説明づけようとする我々。そんな私たち3人に対し少々躊躇ってから先輩が
「実はな、あの道で、最近、失踪事件が起こったんだ」
何でも、地元の若者たちの乗った車があの道に入ったのを目撃されたのを最後に、その後行方不明になっている人たちがいるのだとか…。