
私は今、県外で事務の仕事をしています。
年に二度ほど、車で実家へ帰ります。
帰り道はいつも遠回りをします。
松林の脇を通る道だけは、使わないと決めているからです。
あの林の奥に、朝顔のプランターが並んだ家があったのです。
正確に言えば、あったと私が覚えている、というだけの話です。
母に聞いても、そんな家は知らないと言います。
地図にも、古い航空写真にも、それらしいものは写っていません。
それでも私は、あの家の前の土の色まで覚えています。
以下は、私が小学校に上がる前後の、短い期間に起きたことです。
三十を過ぎて、ようやく人に話す気になりました。
話しても、たいていは笑われて終わります。
それでいいと思っています。
信じてほしいわけではありません。
ただ、書いておかないと、自分の記憶のほうが先に薄れます。
実際、去年までは六つという数を思い出せずにいました。
田んぼの向こうの家
小さいころの私は、人と少し違うところがありました。
言葉や文字の理解は普通だったようです。
ただ、人と話すときの間合いが、まるでつかめませんでした。
目は合わせません。
話し始めると、相手が困っていても止まりません。
そしてもうひとつ、うまく説明のできないことがありました。
気がつくと、さっきまでいた場所ではない場所に立っているのです。
最初は三歳くらいだったと聞いています。
母が私を、車で三十分ほど離れた公園に連れて行った日のことです。
砂場で遊んでいたはずの私が、ふっと見えなくなりました。
母が公園じゅうを探し回って、青くなって家に電話をかけました。
父が出て、こう言ったそうです。
「さっきから縁側におるぞ」
母は電話口で、しばらく声が出なかったそうです。
公園から家までは、子どもの足なら何時間もかかります。
途中には国道があり、信号のない横断箇所が二つあります。
私は家の縁側に座って、庭の犬を見ていたのだそうです。
靴も履いていたそうです。
砂場の砂が、そのまま靴の縁についていたと母は言いました。
父は、私が帰ってきた物音をまったく聞いていません。
その日、父はずっと台所の窓際でラジオを聞いていました。
玄関からも裏口からも、誰かが入れば見える場所です。
私の家は、周りを田んぼに囲まれた場所にありました。
道は一本しかありません。
誰かが車で送ってくれば、家の者は必ず気づきます。
けれどその日、私を見た人は誰もいませんでした。
田んぼの道は、二百メートル先まで見通せます。
夏は稲が伸びますが、それでも子どもの頭は隠れません。
近所には、一日じゅう縁側にいるお年寄りが何人もいました。
その人たちの誰も、あの日の私を見ていないのです。
同じことが、その後も何度かありました。
二度目は、隣町のスーパーの魚売り場でした。
母がかごを置いて振り向いたら、私がいなかったそうです。
そのとき私は、家の押し入れの中で膝を抱えていました。
三度目は、秋祭りの人混みの中です。
母は拝殿の前で、私の名前を呼び続けていました。
私は、家の裏の物置の屋根に座っていたのだそうです。
どうやって上ったのかは、今でも分かりません。
物置にはしごを立てかけていたのは、その半年前までのことでした。
そのたびに近所の噂が増えていきました。
あの家の子は神隠しに遭いやすい、という言い方をされました。
保育園でも、私は少し浮いていました。
迎えに来た母が、先生と長く話し込む日が増えました。
祖母は「この子は境目が薄い」と言っていたそうです。
意味は教えてもらえませんでした。
ただ、家の柱に貼られたお札が、年に二度ほど新しくなりました。
お札を替えるのは、いつも祖母の役目でした。
脚立に上がって、古いほうを剥がして、丁寧に畳みます。
畳んだ札は、庭の隅で燃やしていました。
その煙の匂いを、私は今でもよく覚えています。
燃やすときだけ、祖母は私を縁側に座らせました。
近づいてはいけない、とは言いません。
ただ「そこにおり」とだけ言うのです。
祖母は、私が松林で遊ぶことだけは止めませんでした。
止めれば余計に行く、と分かっていたのかもしれません。
私自身には、移動したという感覚がありません。
瞬きをひとつして、景色が入れ替わっている。
それだけのことでした。
怖いと思ったこともありませんでした。
怖いと思ったのは、あの夏の一度だけです。
朝顔のプランターの数
その夏、私は家の裏手の松林でよく遊んでいました。
大人の足なら五分ほどで抜けられる、細長い林です。
松の根が地面に浮いていて、その段差を飛ぶのが面白かったのです。
林の中は昼でも薄暗く、地面は赤茶けた松葉で覆われていました。
足を置くと、かさりと乾いた音がします。
風が通ると、頭の上で枝が擦れる音だけが動きます。
虫はあまりいませんでした。
蟻の行列を見た覚えもありません。
奥へ行くほど、松の幹が細くなっていきました。
日が差さないからだと、大人になってから思いました。
子どものころは、そういうものだと思っていました。
ある日、林の奥に小さな木造の家を見つけました。
平屋で、屋根が低く、板壁が灰色に乾いていました。
家の前には、朝顔のプランターが三つ並んでいました。
蔓は黒いポールに巻きついて、上まで伸びていました。
ポールは物干しにしては細く、根元が土に直接刺さっていました。
プランターの土は、三つとも表面が平らにならしてありました。
誰かが手で押さえたような、指の跡が残っていたのを覚えています。
花は咲いていませんでした。
蔓と葉ばかりで、蕾さえ見当たりません。
夏の盛りなのに、と子どもの私でも思いました。
私はそのポールが気に入って、何度も林へ通いました。
巻きついた蔓を指でなぞると、細かい毛が指の腹に触れます。
二度目に行ったとき、プランターは四つになっていました。
三つだったはずだと思いましたが、数え違いだろうと思いました。
その日は、家の戸が細く開いていました。
中は暗くて、何も見えません。
声をかけようかと思いましたが、やめました。
理由は、うまく言えません。
三度目は五つでした。
並びの端に、土だけ入った新しいものが増えていたのです。
三度目のとき、私は友達を誘いました。
同じ組の男の子で、家が三軒先の子です。
林の入口までは一緒に来ました。
けれど、途中で足を止めてしまいました。
「におうから、いやだ」
そう言って、彼は帰ってしまいました。
私には、松葉の匂いしか分かりませんでした。
その子とは中学で別々になり、今はもう連絡がつきません。
いま思えば、彼には何かが分かっていたのでしょう。
林の入口で足を止めたときの顔を、まだ覚えています。
怖がっている顔ではありませんでした。
嫌なものを避けるときの、落ち着いた顔でした。
そのころから、林の中の音がおかしくなりました。
私の足音だけが、半歩遅れて後ろから聞こえるのです。
立ち止まると、足音も止まります。
けれど、止まるまでに一拍ありました。
蝉の声も、家に近づくにつれて薄くなっていきました。
最後の十歩ほどは、耳が詰まったように静かでした。
音が戻るのは、家の前を離れて十歩ほど歩いたころです。
境目は、いつも同じ場所にありました。
地面に落ちた、太い枝が目印でした。
それでも私は、朝顔のプランターの前へ行くのをやめませんでした。
数が増えていくのが、面白かったのだと思います。
生ぬるいコップ
四度目に行った日、プランターは六つ並んでいました。
私が蔓を触っていると、後ろから声が聞こえました。
「よう来たね」
振り返ると、戸口に老婆が立っていました。
顔が平らでした。
鼻も頬も、ほとんど出っ張りがありません。
そして、目が異様に大きいのです。
深い海の魚を図鑑で見たとき、私はその目を思い出しました。
瞬きの間隔が、機械のように同じでした。
怖いというより、見てはいけないものを見ている気がしました。
「中で、休んでいきなさい」
老婆は戸を大きく開けました。
家の中は、外より暗く、土間のような匂いがしました。
奥に台所らしい場所が見えました。
流しはありましたが、蛇口が見当たりません。
壁には柱時計がかかっていて、針は止まっていました。
写真も、暦も、貼り紙も、何ひとつありませんでした。
畳の上には、座布団が一枚だけ置いてありました。
その座布団だけが、妙に新しく見えました。
縁のしつけ糸が、まだ取られていなかったのです。
私は上がり框に腰かけました。
老婆は、私の隣ではなく、真正面に座りました。
膝に置いた手は、指が細く、爪が白く濁っていました。
「学校は、まだかい」
「らいねん」
「そうかい。よう歩いて来たね」
私が来た回数を知っているような言い方でした。
老婆の声は、年寄りにしては高く、平らでした。
抑揚がないので、質問なのか独り言なのか分かりません。
「ここは、静かでええやろ」
私はうなずきました。
実際、その家の中では、自分の声だけがやけに大きく聞こえました。
しばらくして、老婆がコップを持ってきました。
中身は薄い黄色で、ジュースだと言われました。
受け取ると、コップが生ぬるいのです。
冷たくもなく、熱くもなく、人の手と同じ温さでした。
匂いをかぐと、生の小麦粉のようでした。
その奥に、少しだけ生臭さがありました。
コップの底に、白いものが薄く沈んでいました。
粉が溶け残ったのだと、そのときは思いました。
飲みたくありませんでした。
けれど断り方を、私は知りませんでした。
ひと口だけ含んで、すぐに立ち上がりました。
「ごちそうさま」
それだけ言って、私は戸口を出ました。
老婆は追ってきませんでした。
戸口を出るとき、プランターの数をもう一度見ました。
やはり六つでした。
いちばん端のものだけ、土が濡れて黒くなっていました。
ただ、戸のところに立って、こちらを見ていました。
林を走って抜けるあいだ、松の間隔が行きと違って感じました。
同じ根の段差を、二度またいだ気もします。
家の生垣が見えたとき、鼻の奥が急に熱くなりました。
鼻血でした。
手のひらで受けると、赤の中に白い粒が混じっていました。
米粒よりずっと小さな、動く粒でした。
私は声も出せずに、隣の家へ駆け込みました。
あとのことは、断片しか覚えていません。
救急車の中の天井の灯りと、母の手の冷たさだけです。
四角い窪みの跡
私は二週間ほど入院しました。
検査では、はっきりした原因は出なかったそうです。
血液の数値がいくつか低く、点滴を続けたと聞いています。
鼻血に混じっていたものについては、誰も説明しませんでした。
母が看護師さんに尋ねたときも、返事は曖昧だったそうです。
「そういうこともあります」とだけ言われたと、母は言います。
病室の窓から、松林の上の部分だけが見えていました。
私は二週間、その方向を見ないようにして過ごしました。
退院してから、私は変わりました。
人の目を見て話せるようになりました。
話し始めても、自分で止められるようになりました。
そして、景色が入れ替わることは、二度と起きませんでした。
母は「あの子は治った」と言って、近所に頭を下げて回りました。
私も、それでよかったのだと思っていました。
松林のことは、誰にも話しませんでした。
話しても信じてもらえないと、子どもなりに知っていたのです。
高校のとき、一度だけ、同級生に話したことがあります。
その子は最後まで黙って聞いて、こう言いました。
「あんた、それ、帰ってこれてよかったね」
笑われるものとばかり思っていたので、私は言葉に詰まりました。
去年の夏、私は二十数年ぶりにあの林へ入りました。
盆に帰省して、昼間の明るいうちにと決めて歩きました。
林は思っていたより狭く、五分もかからずに抜けられました。
下草が伸びて、子どものころより歩きにくくなっていました。
それでも、地面の感触には覚えがありました。
途中に、太い枝が一本、横たわっていました。
あの音の境目にあったものと、同じ形をしていました。
家はありませんでした。
基礎の跡も、瓦の欠片もありません。
ただ、林のいちばん奥に、黒い鉄の棒が一本だけ立っていました。
錆びて、根元が土に直接刺さっています。
上のほうに、枯れた蔓が乾いたまま巻きついていました。
その足元の地面を見て、私はしゃがみ込みました。
四角い窪みが、等間隔で並んでいたのです。
大きさは、どれも同じでした。
縁がはっきり残っていて、雨で崩れた様子がありません。
指で押すと、中の土だけが柔らかく沈みました。
雨のあとだったのに、水は溜まっていませんでした。
私はしゃがんだまま、しばらく動けませんでした。
耳の詰まる感じは、もうありませんでした。
プランターを長いあいだ置いていた場所だけ、土が沈んでいました。
私は数えました。
六つありました。
そのうちの端の一つだけ、縁の土が新しく見えました。
家に帰って、私は母に聞きました。
小さいころ、私は何回いなくなったのか。
母は少し考えて、台所の手を止めずに答えました。
「六回やね」
私は、なぜ数えていたのかと聞きました。
母は、数えないと気が済まなかったのだと答えました。
台所のカレンダーに、その日だけ丸を付けていたそうです。
丸の付いた古いカレンダーは、もう残っていません。
母は、七回目はなかった、とも言いました。
あの日、松林から帰ってきたのが最後だったからです。
私はそれ以上、何も聞きませんでした。
土地の決まりごとが人を守っている話は、水場の柄杓は伏せてなかったのほうが詳しく書かれています。
迎えに来るものについては、祖母は米粒を七十年見なかったという話も読んでいただければと思います。
あの朝顔のプランターが何だったのか、私は調べていません。
調べれば分かるような気もしますし、分かりたくない気もします。
ただ、実家へ帰るたびに、遠回りの道を選び続けています。
端の窪みの土が、今年はどうなっているのか。
それだけは、確かめないことにしています。