火の番
友人が何人かの仲間とキャンプに出掛けた時のことだ。
夜も更けて他の者は寝入ってしまい、火の側に居るのは彼一人だった。
欠伸を噛み殺しながら、
『そろそろ火の始末をして俺も寝ようかな』
などと考えていると、聞き覚えのない声が話し掛けてきた。
「何しているんだい?」
顔を上げると、火を挟んだ向こう側に誰かが座っていた。
ぼんやりとしか見えない、大きな黒い影。視界に霞でも掛かったかのよう。
何故かその時は怖いと思わず、普通に返事をした。
「んー、火の番をしてる」
相手の正体は何者なのか、何故こんな時間にこんな場所に居るのか。
そう言った類いの疑問が全く頭に浮かばなかった。
先程まではシャンと起きていたはずなのに、寝惚けた時のように思考が上手く働かなかったという。
ぼんやりと、
『俺、寝惚けているのかな』
と考えていると、また話し掛けられた。
「その火が消えたら、お前さんどうする?」
「んー、消えないよ」
「こんな山ン中じゃ、一寸先も見えない真っ暗闇だろうな」
「んー、この火が消えちゃったら、そうなるだろうね」
「闇は深いぞ。中に何が潜んでいるか分かったもんじゃないね」
「んー、暗いのは怖いよ。だから火の番をしなくちゃね」
※
声の主は、頻りと火を消すように勧めてきた。
「火の番なんか止めちゃえよ。もう眠いんだろ。寝ちゃえよ。ぐっすりと」
「んー、そうしたいけど、そういう訳にも行かないんだよね」
「俺が消してやろうか?」
「んー、遠慮しとくよ」
「消すぞ」
「んー、でもすぐまた点けるよ。暗いの嫌だから」
「一度消えた火はすぐ点かないぞ。無駄だからもう寝ちゃえよ」
「んー、ライターもあるし、火種があればすぐ点くよ」
「ライターか。それがあればすぐに火が点くのか」
「んー、点くと思うよ。簡単に山火事になるぐらい」
すると声は、ライターを無心し始めた。
「火が消えないなら、ライターなんてもう要らないだろ。俺にくれよ」
「んー、これは大切な物だから駄目だよ」
「俺が代わりに火を見ていてやるよ。だからライターくれよ」
「んー、僕のじゃないから、やっぱり駄目だよ」
こんな押し問答を何度繰り返しただろうか。
やがて影がゆらりと立ち上がる気配がした。
「火が消えないんじゃ、しょうがないな。帰るとするか。また遊ぼう」
その言葉を最後に、何かが山の闇の中へ去って行った。
「ばいばい」
小さくなる気配にそう挨拶していると、いきなり強く揺さ振られた。
※
ハッとして身構えると、揺すっていたのは先に寝ていたはずの仲間だ。
目が合うや否や、凄い勢いで問い質される。
「お前!今、一体何と話してた!?」
「何とって…あれ?」
そこでようやく思考がはっきりし、明瞭に物事が考えられるようになる。
「えっ。今、僕、何かと会話してたの!? 夢見てたんじゃなくて!?」
気が付くと、残りの皆もテントから顔を出し、こちらを恐ろし気に見つめている。
彼を揺すり起こした者が、次のように教えてくれた。
※
テントの外で話し声がしたので目が覚めた。
夜中に迷惑な奴だと思い、テント中の寝顔を確認していたら青くなった。
人数から判断する限り、外には今、一人しか出ていないはずだ。
恐る恐る外を覗くと、焚き火を挟んで座る影が二つ。
片方は間違いなく友人だったが、もう一方が何か分からない。
人の形をした、黒い塊に見えたらしい。
友人と影は、何度もしつこいほど言葉を交わしていた。
どうやら、火を消す、消さないで揉めている様子。
『絶対に消すんじゃないぞ!』
声に出せない願いを胸中で叫んでいると、じきに影は立ち上がり山奥へ消えた。
※
いつの間にか他の皆も起き出しており、背後で息を殺していた。
影が居なくなった時、テントの中では安堵の溜め息が重なったそうだ。
それから慌てて外に飛び出し、取り憑かれたように火を見つめる友人を引っ掴み、強く揺すって目を覚まさせたのだと、そう言われた。
思わず、影が消え去った方角の闇をじっと見つめてしまった。
何も動く気配は無い。足元で薪の爆ぜる音が聞こえるだけだった。
※
その後、彼らはその山を下りるまで絶対に火を絶やさないよう心掛けた。
不寝番を二人立てて、火の番を交代でしたのだという。
その甲斐あってか、あの黒い影はもう現れなかったそうだ。
「僕はあの時、何と会話していたのかな?」
思い出すと今でも鳥肌が立つのだそうだ。