お袋の笑み

公開日: 心霊ちょっと良い話

母の手(フリー写真)

誰が言ったか忘れたが、男が涙を見せて良いのは、財布を落とした時と母親が死んだ時だけだそうだ。

そんな訳で、人前では殆ど泣いたことの無い俺が生涯で一番泣いたのは、お袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっと頭が弱くて、よく家族を困らせていた。

思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。

非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。

高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。

その間、実家に帰ったのは三年に一回程度だった。

俺も三十歳を越え、いっぱしの家庭を持つようになったある日のこと。

お袋が危篤だと聞き、急いで駆け付けた。

意識が朦朧として長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、幼少期の悪い印象が強く、あまり悲しみも感じなかった。

そんな母親が臨終の際に言った。

「ダメなおかあさんでごめんね」

精神薄弱のお袋の口から出るには、あまりにも現実離れした言葉だった。

「嘘だろ? 今更そんなこと言わないでくれよ!」

間もなくお袋は逝った。

その後、葬式の手配やら何やらで不眠不休で動き回り、お袋が逝ってから丸一日が過ぎた真夜中のこと。

家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出て来た。

かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。みな笑っている。

裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で、家族の名前と、当時の年齢が書いてある。

それを見た途端、何故だか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。

三十歳過ぎの男がおえっおえっと泣いている姿は、とても見苦しい。だから自制しようとした。

でも止め処なく涙が出て来た。どうしようもなく涙が出て来た。

俺は救いようが無い親不孝者だ。格好なんて気にすべきじゃなかった。

やり直せるならやり直したい。でもお袋はもう居ない。

後悔先に立たずとは、正にこれのことだったのだ。

その時、妹の声がした。

「お母さん、笑ってる!」

みな布団に横たわる母親に注目した。

決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。

薄っすら笑みを浮かべているようにさえ見える。

「みんな悲しいってよ、お袋…。一人じゃないんだよ…」

気が付くと、そこに居た家族全員が泣いていた。

あれから私は、事ある毎に「両親は大切にしろ」とみんなに言っています。

これを読んだ皆さんも、ご健在であるならば是非、ご両親を大切にして下さい。

関連記事

崖

岩壁に残る足跡

10年前の話ですが、私が深く尊敬している先輩の話をします。クライミングを始めたばかりの頃、先輩が私に教えてくれた最初の言葉は忘れられません。 「ペアで登頂中にひとりが転落してし…

高野山(フリー写真)

動物たちの宴会

私は仕事の関係で、アジア圏を中心に出張や短期駐在に行くことがあります。 こういう生活を続けるとかえって日本の風物が懐かしくなるもので、今の趣味が休日利用の温泉や神社仏閣巡りが中…

坂道(フリー写真)

坂道と父

5年ほど前に父を亡くしました。 体を壊して働けなくなり、自棄になってアルコールやギャンブルに走って借金を作り、最後は 「飲んだら死ぬよ」 と医者に言われながらも、飲み…

マンション(フリー写真)

幸運の家

今から14年前に家を建て替えようという話になり、一時的に引っ越すことになりました。 その時に借りた家で体験したお話です。 場所は愛知県の岡崎市で、2年程前に近くを寄った時に…

雨の日の葉っぱ

雨の日のおばちゃん

小さな頃から、実家に一人で留守番をしている時に雨が降って来るとピンポンが鳴り、 「○○さ~ん(私の苗字)、雨降って来たよ~!!」 と叫ぶおばちゃんが居た。 玄関の戸…

白い蝶(フリー写真)

真っ白な蝶々

私の母が亡くなってから、色々な出来事がありました。 最初は、母の葬儀が終わって夕方家に戻った時のことです。 玄関の黒いドアの真ん中に、真っ白な蝶々がぴったり止まっていまし…

少年と祖母

今年33歳になるが、もう30年近く前の俺が幼稚園に通っていた頃の話です。 昔はお寺さんが幼稚園を経営しているケースが多くて、俺が通ってた所もそうだった。今にして思うと園の横は納骨…

お花畑(フリー写真)

まだ来るな

僕には四つ下の弟が居て、彼はバイクで通勤していました。 ある日、彼が出勤途中に事故に遭い、救急車で病院に担ぎ込まれました。 僕にも連絡があり、急いで駆け付けましたが、彼は意…

戦時中の軍隊(フリー写真)

川岸の戦友

怖いというか、怖い思いをして来た爺ちゃんの、あまり怖くない話。 俺の死んだ爺ちゃんが、戦争中に体験した話だ。 爺ちゃんは南の方で米英軍と戦っていたそうだが、運悪く敵さんが多…

カップル(フリー素材)

恋人との思い出

怖いと言うより、私にとっては切ない話になります…。 私が高校生の時、友達のKとゲーセンでレースゲームの対戦をして遊んでいました(4人対戦の筐体)。 その時、隣に二人の女の子…