雨の晩に、堤防の道で前を行く車がいたら、追い越すな。
鳴らすな。
祖母に、そう言われて育った。
※
私が育ったのは、島根の東のはずれ、斐伊川の支流に沿った町だ。
家から勤め先までは、県道を回れば二十五分かかる。
堤防の上の道を通れば、十五分で着く。
堤防は、昭和四十年代に嵩上げされたものだ。
その前の堤防は、もっと低かったらしい。
何度も切れた川だと、祖母は言っていた。
「この川はな、我慢がきかん」
「無理に押さえたら、押さえたとこの下が抜ける」
だから、この土地では、水を通す道を残しておく。
田んぼの一枚を、わざと低く作ってある家もあった。
その一枚が浸かると、他が助かるという理屈だ。
実際、私が子どもの頃までは、そういう田があった。
舗装は古く、車一台がやっと通れる幅しかない。
両側は葦の原で、夏場は背丈より高く伸びる。
街灯は、三百メートルに一本あるかないかだった。
私は当時二十四で、町の診療所で准看護師をしていた。
入院用の病床が六つだけの、小さいところだ。
夜勤は二人体制で、たいていは何も起きない。
起きないから、事務室のテレビをつけて、音を小さくして過ごす。
朝の五時に検温を回って、六時に朝食の準備をして、九時に交代する。
その繰り返しで三年働いた。
その頃の私は、実家から通っていた。
父はとうに家を出ていて、母と祖母と、三人で暮らしていた。
夜勤明けは、朝の九時に上がる。
その日は、雨だった。
前の晩から降っていた。
夜勤の途中、廊下の窓を打つ音がずっと続いていた。
明け方、入院していたお婆さんが目を覚まして、私を呼んだ。
「川、上がっとるかね」
「まだ大丈夫ですよ」
「そんならええ」
そう言って、また眠った。
この土地の年寄りは、雨が降ると必ず川の話をする。
天気の話ではなく、川の話をするのだ。
私はそれを、ずっと年寄りの癖だと思っていた。
六月の、梅雨のなかでも特に強く降った日で、朝なのに夕方のような暗さだった。
※
祖母の話は、子どもの頃から何度も聞かされていた。
「雨の晩、堤防の道でな」
「前を行く車があったら、追い越したらいけん」
「鳴らしたらいけん」
理由を訊くと、決まって同じ答えが返ってきた。
「あれは、水を先に通しよるんだけん」
意味が分かるような、分からないような言い方だった。
祖母は、雨の日に車を出すとき、必ずワイパーを一往復だけ動かしてから、切った。
降っているのに、切るのだ。
私は、癖だと思っていた。
母に訊いたことがある。
「おばあちゃん、なんで雨の日にワイパー切るの」
母は、洗い物をしながら答えた。
「知らん。あの人、昔からああやけん」
母は、この土地の人ではない。
嫁いできて三十年経っても、祖母の言うことの半分は分からないと言っていた。
※
その朝、堤防に上がってすぐ、前に一台いた。
白い軽自動車だった。
ナンバーは、うちの町のものだ。
びっくりするほど遅かった。
時速でいえば、十キロあるかどうか。
しかも、まっすぐ走らない。
右へ寄って、左へ寄って、また右へ寄る。
時々、思い出したようにブレーキを踏む。
それも、一回ではない。
三回続けて、短く踏む。
少し進んで、また三回。
規則正しかった。
三回、間、三回、間。
その間隔まで、ほとんど同じだった。
私は、そのうち数えるのをやめた。
数えている自分に気づいたとき、少し嫌な気持ちになった。
知らないうちに、こちらの体がその拍子を覚えていた。
指が、ハンドルの上で三回叩いていた。
数えていると、こちらの呼吸まで合ってきそうだったからだ。
※
運転しているのは、私と同じくらいの年格好の女の人に見えた。
髪を後ろで束ねていた。
バックミラー越しに目が合った気がしたが、向こうは何の反応もしなかった。
私は苛立っていた。
夜勤明けで、頭の芯が重かった。
早く帰って寝たかった。
クラクションに指を掛けて、やめた。
祖母の言葉が、頭の隅に引っかかっていたからだ。
それでも五分も続くと、引っかかりは薄れていった。
五分というのは、堤防の道では長い。
本来なら、五分で三分の一は進んでいる距離だ。
私はハザードを出して、少し車間を空けた。
空けても、前の車との距離は変わらなかった。
アクセルを緩めたのに、変わらない。
そのときは、自分の運転の感覚が鈍っているのだと思った。
夜勤明けとは、そういうものだ。
※
そのとき、妙なことに気づいた。
前の軽の、ワイパーが動いていない。
これだけ降っているのに、一度も動かない。
私は前に出て確かめようとして、そこで気づいた。
私のフロントガラスにも、雨が当たっていない。
ワイパーは動いている。
音もしている。
なのに、拭き取っている水が、ない。
サイドミラーを見た。
後ろは、白く煙るほど降っていた。
※
窓を少しだけ開けた。
雨の音がした。
はっきり、降っている音がする。
腕を出した。
濡れなかった。
すぐに窓を閉めた。
閉めた指が、震えていた。
※
ラジオを付けた。
砂の音しか出なかった。
チューニングを回しても、どの周波数も同じだった。
この道でラジオが入らないことは、一度もなかった。
私は、ラジオを消した。
消したのに、砂の音が、あと二秒ほど続いた。
※
路面には、何かがいた。
無数に、跳ねているものがある。
雨の日の、この道の風物といえば、蛙だ。
アスファルトの上に出てきて、避けようがないほど跳ねる。
その日も、跳ねていた。
ただ、いくら進んでも、一匹も当たらなかった。
タイヤの下で潰れる、あの小さな感触が、一度も来ない。
避けようとしなくても、当たらない。
私はハンドルを握り直した。
ワイパーを止めてみた。
止めても、視界は変わらなかった。
もう一度動かした。
ゴムが、乾いたガラスを擦る音がした。
きゅ、きゅ、という、あの嫌な音だ。
その音だけが、やけにはっきり聞こえた。
※
前の車の後部座席に、何か置いてあるのが見えた。
白い布のような、丸いものだ。
最初は、洗濯物か何かだと思った。
少し進んで、街灯の下を通ったとき、それが二つあることが分かった。
さらに進んで、次の街灯の下では、三つになっていた。
私は、それきり後部座席を見るのをやめた。
前だけを見ることにした。
※
それから、対向車が一台も来ないことに気づいた。
この道は幅が狭いから、対向車が来たら、どちらかが待避所まで下がることになる。
朝の九時なら、五分に一台は来る道だ。
その日は、堤防に上がってから一度も来ていない。
時計を見た。
九時十七分。
上がったのが九時二分だから、十五分走っている。
十五分走っていれば、もう橋に着いているはずだった。
橋は、まだ見えなかった。
堤防の道は、一本道で、途中に分かれ道はない。
上がったら、下りるところまで下りるしかない。
私は速度計を見た。
針は、十のあたりで小刻みに揺れていた。
自分の足は、アクセルを踏んでいる。
踏んでいるのに、十から上がらない。
右足を、思い切り踏み込んでみた。
エンジンの音は、確かに上がった。
針は、上がらなかった。
足を戻した。
エンジンの音だけが、遅れて静かになった。
※
前の軽が、また三回ブレーキを踏んだ。
そのとき、ナンバープレートを見た。
数字の下二桁を、私は覚えていた。
乗ってすぐに見て、覚えたからだ。
下二桁が、変わっていた。
一つ増えていた。
見間違いだと思って、目をこすった。
もう一度見た。
また一つ増えていた。
そのとき初めて、私は、これを追い越してはいけないのだと、体で理解した。
理解したのに、私は鳴らしたのだ。
※
私は、鳴らした。
思ったより長く、鳴らしてしまった。
前の車の運転手が、びくっと肩を上げた。
その動きは、はっきり見えた。
それから、その軽は、猛烈な速さで走り出した。
十キロで走っていた車が、一瞬で、視界から消えた。
テールランプが、葦の向こうへ吸い込まれていった。
※
急に、雨がフロントガラスに当たり始めた。
ばたばたと、いきなり音が変わった。
ワイパーが、水を掻いた。
対向車が来た。
軽トラだった。
運転席の人が、片手を上げて挨拶をした。
橋が、すぐそこに見えていた。
時計は、九時十八分だった。
堤防を下りて、家までの道は、いつも通りだった。
コンビニの駐車場に、いつもの配送のトラックが停まっていた。
信号が二つあって、二つとも赤で止まった。
何もかもが普通だったので、かえって手が震えた。
※
家に着いて、祖母に話した。
祖母は、味噌汁の火を止めた。
「鳴らしたんか」
「鳴らした」
祖母は、しばらく何も言わなかった。
それから、こう訊いた。
「前の車の、ワイパーは」
「動いとらんかった」
祖母は、ゆっくり座った。
「そりゃ、逆だわ」
「逆って」
「先に通してもらう側はな、こっちの窓を拭いて見せるんだ」
「見とりますよ、いう合図だけん」
「拭いとらんかったら、それは、通す側だ」
私は、その言葉の意味を訊き返した。
「通す側って、何を通しよるん」
祖母は、味噌汁の椀を私の前に置いた。
「水だがな」
「昔から、決まっとる」
「先に行かせてやったら、こっちの下は抜けん」
「せかしたら、せかしたとこから先が、抜ける」
私は、それ以上は訊けなかった。
※
その晩、祖母は自分の部屋から古い封筒を持ってきた。
中に、色の褪せた紙が一枚入っていた。
祖母の父の字だという。
堤防の道の、通り方が書いてあった。
一、雨の晩は、堤防に上がる前に、一度停まって窓を拭くこと。
二、前を行く者があれば、その速さのまま行くこと。
三、下りたら、振り返らぬこと。
三つだけだった。
「これ、いつのですか」
「わしが嫁に来る前だけん、昭和のはじめだわ」
「おばあちゃんも、貰ったんですか」
「貰った」
「誰から」
祖母は、少し笑った。
「嫁に来た日に、姑からだ」
「姑も、そのまた姑から貰ったと言うとった」
紙は、私が預かった。
今も財布に入れてある。
※
一つだけ、書かれていないことがある。
鳴らしてしまったら、どうすればいいか、だ。
祖母に訊いた。
祖母は、しばらく黙ってから、こう答えた。
「そりゃ、書けんわ」
「なんで」
「書いた人が、みんな、鳴らさんかった人だけん」
※
その日の夕方、堤防が落ちた。
三十メートルほど、川側に崩れた。
幸い、通りかかった車はなかった。
翌朝、私は見に行った。
崩れた場所は、堤防に上がってから、ちょうど半分より少し先だった。
つまり、私がクラクションを鳴らした、あの地点から先だけだった。
その手前は、何ともなかった。
崩れた場所には、しばらく単管の柵が立っていた。
柵の内側を覗くと、川側の土がえぐれて、木の根が出ていた。
根の下に、古い石積みが見えた。
石は、思ったより小さかった。
人の頭ほどの石を、隙間を詰めずに積んである。
役場の人が言うには、わざと水を通すように積んであるのだという。
「通した水は、どこへ行くんですか」
「下の田だ」
「昔は、そこが遊水地だったんだわ」
その田は、私が子どもの頃には、もう宅地になっていた。
昔の堤防の石だと、後から聞いた。
※
役場の人が、水位のせいだと言った。
上流の雨量が、記録的だったのだと。
それはそうなのだろう。
※
その年の秋、診療所の待合で、患者の老人と話した。
八十を過ぎた人で、この土地で生まれ育った人だ。
堤防の話をしたら、老人はこう言った。
「あそこはな、昔から先導さんの通り道よ」
「先導さん」
「水の先を歩く人だ」
「わしらの若い頃は、雨の晩に堤防を歩く人がおったら、後ろから声を掛けんかった」
「掛けたら、その人が消えてしまうけん」
私は、車のことは言わなかった。
老人は、それきり別の話を始めた。
別れぎわに、老人はもう一つだけ言った。
「先導さんはな、道を知らんのよ」
「知らん人が、なんで先を歩けるんですか」
「知らんけん、ゆっくり歩くんだ」
老人は、待合の椅子から立ち上がった。
「後ろから急かされたら、走るしかないわな」
※
役場の資料室で、古い水害の記録を見たこともある。
昭和二十年代の記述に、こういう一行があった。
決壊せし箇所は、いずれも人の追ひ越したる地点より下流なり。
筆で書かれた、そっけない一行だった。
誰が何を追い越したのかは、書かれていなかった。
ただ、私は同じ日の同じ雨で、なぜ手前が無事だったのかを、うまく飲み込めなかった。
祖母には、崩れたことを言わなかった。
言わなくても、知っていたと思う。
その年から、祖母は雨の日に車を出さなくなった。
※
祖母が亡くなったのは、その四年後だ。
遺品の中に、車の車検証を入れる袋があった。
中に、一枚だけ、古い紙が入っていた。
ワイパーのゴムの交換記録だった。
半年に一度、律儀に替えている。
最後の交換日は、堤防が落ちた年の、六月だった。
崩れた日の、三日前だ。
新品のゴムに替えて、三日後にあの雨が降った。
祖母は、あの朝、私が堤防を通ることを知っていた。
夜勤明けだったからだ。
自分の車のワイパーを替えて、どうするつもりだったのか。
私が鳴らさなければ、祖母は何かをするつもりだったのか。
訊く相手は、もういない。
※
私は今、四十を過ぎた。
同じ町に住んでいて、同じ堤防の道を使っている。
道は直されて、少し広くなった。
街灯も増えた。
それでも、雨の晩は、あの道を十キロで走る。
理由を訊かれたら、蛙を避けているのだと答えることにしている。
※
先月、雨の晩だった。
私が十キロで走っていると、後ろに一台ついた。
若い人の車だった。
しばらく後ろにいて、それから、鳴らした。
長く、苛立った鳴らし方だった。
私は、路肩に寄って、道を譲った。
その車は、猛烈な速さで走り抜けて行った。
その速さの出方に、見覚えがあった。
二十年近く前、私の前を走っていた白い軽と、同じ出方だった。
止まった状態から一気に、ではない。
十キロから、途中の速度をひとつも通らずに、消えた。
テールランプが、葦の向こうへ吸い込まれた。
※
私は車を止めたまま、ワイパーを一往復だけ動かして、切った。
見とりますよ、という合図だ。
誰に向けた合図なのかは、いまだに分からない。
翌朝の新聞に、堤防のことは何も出ていなかった。
※
その日から、私は下流のほうを、見に行っていない。