
小学生のころ、友だちの家に、一枚だけ違う壁がありました。
廊下の突き当たりです。
ほかの壁は白い漆喰なのに、そこだけ板が張ってあって、色も少し暗いのです。
そして、その家には、もう一つおかしなところがありました。
塩の町
広島の竹原という町です。
瀬戸内の、雨の少ない海沿いにあります。
昔は塩を作る町でした。
海の水を砂に撒いて、天日で乾かして、濃い水にしてから釜で煮つめます。
その作業を、浜子と呼ばれる人たちが何十人もで行いました。
広い浜に横一列に並んで、木の櫂で砂を返していくのです。
ばらばらに動くと、砂が均等に乾きません。
だから、唄で拍子を取りました。
塩浜の唄です。
私の祖父の代までは、まだ塩田が残っていました。
いまは埋め立てられて、道路と工場になっています。
それでも、古い町並みの一角には、白壁の家がそのまま残っています。
城戸くんの家も、その一軒でした。
※
祖父の話した浜
塩浜の唄のことは、私の祖父からも聞いていました。
祖父は若いころ、浜子として働いたことがあるそうです。
夏の作業は、朝の四時から始まります。
日が高くなる前に、砂を返し終えなければならないからです。
四十人ほどが、横に一列に並びます。
先頭の一人が唄い出し、あとの者が同じ節を追いかけます。
「なんで唄うん」
「揃わんかったら、砂の乾きが変わるけんの」
「揃わんかったら、どうするん」
「止める。揃わん唄は、途中で止めるんじゃ」
祖父は、そこを強く言いました。
揃わないまま続けるのが、いちばんいけないのだそうです。
ばらばらのまま長く続けると、誰の拍子でもない拍子ができる。
そうなると、もう誰にも止められない、と。
私は、子どものころ、その話を作り話だと思っていました。
そういう脅しは、どこの町にもあるものです。
祖父は、最後にこう付け足しました。
「浜がのうなっても、拍子は残るけんの」
※
口笛
城戸くんの家には、よく遊びに行きました。
間口が狭くて奥が深い、いわゆる鰻の寝床です。
土間があって、坪庭があって、廊下が長い。
子どもには迷路のように面白い家でした。
ただ、みんな自然と守っていた決まりがありました。
あの家では、誰も、壁の前で口笛を吹きませんでした。
誰かに言われたわけではありません。
吹こうとすると、なぜか唇が止まるのです。
一度、転校してきた子が知らずに吹いたことがありました。
そのとき、城戸くんが飛んできて、口を手でふさぎました。
「なんでや」
「知らん。じいちゃんが怒るけん」
理由は、城戸くんも知りませんでした。
※
一枚だけ違う壁
廊下の突き当たりの壁は、明らかに後から張ったものでした。
幅は、ちょうど襖一枚ぶんです。
下のほうに、細い隙間がありました。
覗いても、真っ暗で何も見えません。
叩くと、音が返りません。
ふつう、壁を叩けば、こつこつと乾いた音がします。
そこだけ、ぼす、という音になるのです。
「中に部屋があるとやろ」
「知らん」
「入ったことないと」
「じいちゃんが、絶対いかんて」
私たちは、その壁を「隠し部屋」と呼んでいました。
子どもというのは、入れない場所に名前をつけたがるものです。
※
肝試し
五年生の夏でした。
誰が言い出したのかは覚えていません。
誰がいちばん長く壁を叩き続けられるか、という遊びになりました。
四人いました。
私は、正直やりたくありませんでした。
それでも、断ると仲間はずれになります。
十一歳の夏に、それは重いことでした。
最初の子は、五回叩いてやめました。
「もうええわ、つまらん」
次の子は、七回でやめました。
城戸くんは、三回でやめました。
「三つでええ」
「なんでや」
「なんとなく」
そして、私の番になりました。
※
十
私は、負けたくありませんでした。
それだけです。
拳の横で、ゆっくり叩きました。
ぼす、ぼす、と、鈍い音が続きます。
私は、十まで叩いていました。
八つ目くらいから、手のひらの下の感じが変わりました。
板が薄くなったような、そんな感じです。
十を数えたところで、何かが聞こえました。
音楽です。
いや、音楽というより、人が低い声で唱えるような音でした。
私は、耳を壁に当てました。
※
唄
はっきり聞こえました。
「ひとつ、あわせて、しおのみち」
「ふたつ、あわせて、しおのみち」
「みっつ、あわせて、しおのみち」
数え唄でした。
抑揚がありません。
速さも変わりません。
それが、いつまでも続くのです。
七つ、八つ、九つ、と数が上がっていきます。
私は、動けなくなりました。
怖いというより、体の言うことがきかないのです。
耳が壁に張りついたようになって、離れませんでした。
その唄が、十まで来ました。
「とお、あわせて、しおのみち」
そこで、少しだけ、間が空きました。
次を待っているような間でした。
※
じいちゃんが走ってきた
後ろから足音がしました。
城戸くんのおじいさんです。
七十をいくつか越えた、小さな人でした。
ふだんは縁側で新聞を読んでいるだけの、静かな人です。
その人が、廊下を走ってきました。
私の襟をつかんで、壁から引き剥がしました。
そして、耳もとで怒鳴りました。
「あわせたんか」
「あわせたんか」
私は、そのとき「起こしたのか」と聞こえました。
ずっと、そう思っていました。
「起こしたのか、起こしたのか」と怒鳴られたのだと。
この土地の年寄りの言葉は、聞き取りにくいのです。
あとから考えれば、まったく別のことを言われていました。
※
神社へ
おじいさんは、私をそのまま自転車の荷台に乗せて、近くの神社へ連れて行きました。
宮司さんは、何も聞きませんでした。
おじいさんの顔を見ただけで、奥へ入って支度を始めました。
そういう間柄なのだと、子どもにも分かりました。
お祓いのあいだ、私は目を閉じていました。
終わったあと、宮司さんが一つだけ言いました。
「今日から一年、口笛は吹かんように」
「はい」
「それと、なんぼ叩いても、三つで止めなさい」
「三つ」
「四つ目からは、返事になるけんね」
私は、意味も分からずうなずきました。
家に帰ってから、母にひどく叱られました。
叱られたのは、遅くなったからです。
壁のことは、言いませんでした。
※
癖
それから、私には癖がつきました。
ものを考えるとき、机を指で叩くのです。
三つ叩いて、必ず止まります。
四つ目に手が動きません。
意識して四つ目を叩こうとすると、指が止まるのです。
試験のとき、会議のとき、電話を待っているとき。
三つで止まります。
妻に、一度指摘されたことがあります。
「あなた、いつも三回よね」
「そうかな」
「三回で止まる。癖って面白いね」
私は、笑ってごまかしました。
※
解体
城戸くんの家が取り壊されたのは、二十年ほど前です。
おじいさんが亡くなり、その息子さんの代で誰も住まなくなりました。
解体の日、私は帰省していて、たまたま前を通りました。
城戸くんも来ていました。
私たちは、道の向かいから見ていました。
重機ではなく、手で少しずつ壊す工事でした。
古い町並みの区域なので、そういう決まりがあるのだそうです。
昼過ぎに、あの廊下の壁が出ました。
板を剥がすと、中は空っぽでした。
部屋ではありません。
幅が一メートル足らずの、細長い隙間でした。
床も張っていない、ただの空洞です。
「なんもないやん」
「なんもないな」
私たちは、少し笑いました。
笑ったのは、そのときだけです。
※
あの家の来歴
解体のあと、私は町の郷土資料をあたりました。
城戸くんの家は、明治の中ごろに建てられたものでした。
もとは、浜子をまとめる役の人の住まいだったそうです。
浜の作業を仕切り、唄の先頭に立つ役です。
唄い出しの一人、ということになります。
その役は、代々その家が務めていました。
そして、大正の終わりに、一度だけ記録が途切れています。
三年ぶん、唄い出しの名前が空欄なのです。
空欄の年の欄外に、鉛筆で小さく書き込みがありました。
「浜、唄なし」
唄わずに作業をした三年、ということになります。
なぜ唄わなかったのかは、書いてありません。
その三年が明けた翌年から、また名前が入ります。
そして、家の図面に廊下の突き当たりの壁が現れるのも、その翌年からでした。
それ以前の図面には、廊下がまっすぐ坪庭まで抜けています。
誰かが、あるとき、そこを塞いだのです。
※
内側の跡
職人さんが、板を外に運び出しました。
私は、裏側を見てしまいました。
内側の面に、丸い跡が並んでいました。
直径三センチほどの、浅いへこみです。
それが、横一列に、等間隔で。
数えると、十でした。
職人さんが、それを見て言いました。
「これ、櫂の柄やね」
「櫂」
「塩浜の櫂。柄の先が、ちょうどこんくらいや」
つまり、内側から、櫂の柄で叩かれた跡でした。
誰かが、あの空洞の中で、壁を叩いていたことになります。
そして、その跡は十でした。
私が叩いた数と、同じです。
私は、その場でしゃがみ込みました。
※
城戸くんの父親
城戸くんの父親のことも、ここに書いておきます。
その人は、家を出た人でした。
高校を出てすぐ大阪へ行き、盆にも正月にも帰りませんでした。
おじいさんとは、ほとんど口をきかなかったそうです。
理由を、城戸くんは知りませんでした。
解体の日、その父親も来ていました。
六十を越えた、痩せた人です。
板の裏の丸い跡を見て、その人が言いました。
「まだ十か」
私は、聞き返しました。
「まだ、とおっしゃいましたか」
「わしが子どものころは、八つやった」
その人は、それだけ言って、車のほうへ歩いて行きました。
城戸くんが、あとを追いかけました。
私は、その場に残って、板をもう一度見ました。
跡は、確かに十でした。
等間隔で、ぶれもなく。
いちばん端の二つだけ、へこみが浅いように見えました。
新しい、ということです。
私は、それ以上見るのをやめました。
※
合わせ 一
その年の秋、私は町の資料館へ行きました。
塩業組合の古い帳面が保管されています。
浜子の名簿が、年ごとに綴じてありました。
誰がどの浜に入ったか、日当がいくらか。
ふつうの記録です。
ただ、どの年の名簿にも、末尾に一行だけ、名前でない行がありました。
「合わせ 一」
年によっては「合わせ 二」です。
合計は、どこにも書いてありません。
係の人に聞いても、分かりませんでした。
「作業の記録やと思うんですけどねえ」
「毎年ありますよね」
「ありますね。塩田がなくなった年まで、ずっと」
私は、その数字を全部足してみました。
八十年ぶんで、九十七ありました。
あの唄が数えていたのは、合わせてしまった人の数でした。
※
あわせたんか
城戸くんに、おじいさんの言葉のことを話しました。
私が「起こしたのか」と聞こえたと言うと、城戸くんは首を振りました。
「ちがう」
「ちがうんか」
「あわせたんか、や。うちのじいちゃん、そう言うた」
合わせたのか。
壁の向こうの拍子に、こちらが合わせてしまったのか、という意味です。
塩浜では、拍子が揃うことが仕事でした。
揃わなければ、塩はできません。
だから、揃えることは善いことでした。
ただし、揃える相手を間違えなければ、の話です。
「じいちゃん、こう言いよった」
「なんて」
「壁の向こうから拍子が返ってきたら、こっちは合わせん。合わせたら、こっちが唄い手になる」
口笛は、いちばん合わせやすい音だからです。
誰かが吹けば、つい、同じ節を追ってしまいます。
だからあの家では、誰も口笛を吹かなかったのです。
※
宮司さんに聞いた話
神社の宮司さんは、私が四十を過ぎたころに代替わりしました。
先代は、九十近くまで元気でした。
一度だけ、訪ねて話を聞いたことがあります。
あの夏のことを覚えているか尋ねると、覚えていると言われました。
「城戸さんが、子どもば連れて来たな」
「はい。私です」
「あんた、あのとき、何回叩いたね」
私は、正直に十と答えました。
宮司さんは、しばらく黙っていました。
それから、こう言いました。
「言うといたほうがええな。あの祓いはな、消すもんじゃないんよ」
「消すものではない」
「数え直しを、いっぺん止めるだけじゃ。止めても、また始まる」
「じゃあ、一年というのは」
「一年、口笛を吹かんかったら、あんたの拍子は忘れられる。それだけじゃ」
忘れられる、という言い方でした。
消える、ではありません。
「忘れられたら、もう大丈夫ですか」
「思い出させんかったらな」
私は、その意味を、しばらく考えていました。
いまでも、考えています。
※
三つまで
叩くのは三つまで、という決まりも、同じ理屈でした。
三つは、まだ音です。
四つ目からは、拍子になります。
拍子になれば、向こうは合わせてきます。
合わせてきたものに、こちらが返せば、それはもう二人で唄っていることになる。
私は、十まで叩きました。
そして、耳を当てて、最後まで聞きました。
聞いてしまった、ということは、たぶん、合わせたということです。
あの日、宮司さんが「一年」と言ったことを、私はいまでも考えます。
一年で終わるものだったのでしょうか。
それとも、一年ごとに数え直すものだったのでしょうか。
※
いま
私は五十を過ぎました。
竹原には、年に一度だけ帰ります。
あの家の跡は、いまは駐車場になっています。
白い線が引かれ、乗用車が四台停まります。
そこを通るとき、私は口笛を吹きません。
吹こうとしても、やはり唇が止まります。
去年の正月、台所で息子が指で調理台を叩いていました。
大学生になった息子です。
三つ叩いて、止まりました。
四つ目は、ありませんでした。
私は、その癖のことを、一度も教えていません。
「おまえ、それ癖か」
「え、なにが」
「三回で止まっとる」
「そう? 気づかんかった」
息子は、そのまま冷蔵庫を開けました。
私は、何も言いませんでした。
言えば、たぶん、数え直しになるからです。
土地の決まりごとが理由も分からないまま残っている話は、ほかにもあります。
鎖で封印された祠やお地蔵様の顔を読むたびに、私はあの廊下の突き当たりを思い出します。
塩業組合の帳面の合計は、いまも書かれていません。
書けば、数え終わることになるからだと、私は思っています。