壁の前で口笛を吹かない家

壁の前で口笛を吹かない家

小学生のころ、友だちの家に、一枚だけ違う壁がありました。

廊下の突き当たりです。

ほかの壁は白い漆喰なのに、そこだけ板が張ってあって、色も少し暗いのです。

そして、その家には、もう一つおかしなところがありました。

塩の町

広島の竹原という町です。

瀬戸内の、雨の少ない海沿いにあります。

昔は塩を作る町でした。

海の水を砂に撒いて、天日で乾かして、濃い水にしてから釜で煮つめます。

その作業を、浜子と呼ばれる人たちが何十人もで行いました。

広い浜に横一列に並んで、木の櫂で砂を返していくのです。

ばらばらに動くと、砂が均等に乾きません。

だから、唄で拍子を取りました。

塩浜の唄です。

私の祖父の代までは、まだ塩田が残っていました。

いまは埋め立てられて、道路と工場になっています。

それでも、古い町並みの一角には、白壁の家がそのまま残っています。

城戸くんの家も、その一軒でした。

祖父の話した浜

塩浜の唄のことは、私の祖父からも聞いていました。

祖父は若いころ、浜子として働いたことがあるそうです。

夏の作業は、朝の四時から始まります。

日が高くなる前に、砂を返し終えなければならないからです。

四十人ほどが、横に一列に並びます。

先頭の一人が唄い出し、あとの者が同じ節を追いかけます。

「なんで唄うん」

「揃わんかったら、砂の乾きが変わるけんの」

「揃わんかったら、どうするん」

「止める。揃わん唄は、途中で止めるんじゃ」

祖父は、そこを強く言いました。

揃わないまま続けるのが、いちばんいけないのだそうです。

ばらばらのまま長く続けると、誰の拍子でもない拍子ができる。

そうなると、もう誰にも止められない、と。

私は、子どものころ、その話を作り話だと思っていました。

そういう脅しは、どこの町にもあるものです。

祖父は、最後にこう付け足しました。

「浜がのうなっても、拍子は残るけんの」

口笛

城戸くんの家には、よく遊びに行きました。

間口が狭くて奥が深い、いわゆる鰻の寝床です。

土間があって、坪庭があって、廊下が長い。

子どもには迷路のように面白い家でした。

ただ、みんな自然と守っていた決まりがありました。

あの家では、誰も、壁の前で口笛を吹きませんでした。

誰かに言われたわけではありません。

吹こうとすると、なぜか唇が止まるのです。

一度、転校してきた子が知らずに吹いたことがありました。

そのとき、城戸くんが飛んできて、口を手でふさぎました。

「なんでや」

「知らん。じいちゃんが怒るけん」

理由は、城戸くんも知りませんでした。

一枚だけ違う壁

廊下の突き当たりの壁は、明らかに後から張ったものでした。

幅は、ちょうど襖一枚ぶんです。

下のほうに、細い隙間がありました。

覗いても、真っ暗で何も見えません。

叩くと、音が返りません。

ふつう、壁を叩けば、こつこつと乾いた音がします。

そこだけ、ぼす、という音になるのです。

「中に部屋があるとやろ」

「知らん」

「入ったことないと」

「じいちゃんが、絶対いかんて」

私たちは、その壁を「隠し部屋」と呼んでいました。

子どもというのは、入れない場所に名前をつけたがるものです。

肝試し

五年生の夏でした。

誰が言い出したのかは覚えていません。

誰がいちばん長く壁を叩き続けられるか、という遊びになりました。

四人いました。

私は、正直やりたくありませんでした。

それでも、断ると仲間はずれになります。

十一歳の夏に、それは重いことでした。

最初の子は、五回叩いてやめました。

「もうええわ、つまらん」

次の子は、七回でやめました。

城戸くんは、三回でやめました。

「三つでええ」

「なんでや」

「なんとなく」

そして、私の番になりました。

私は、負けたくありませんでした。

それだけです。

拳の横で、ゆっくり叩きました。

ぼす、ぼす、と、鈍い音が続きます。

私は、十まで叩いていました。

八つ目くらいから、手のひらの下の感じが変わりました。

板が薄くなったような、そんな感じです。

十を数えたところで、何かが聞こえました。

音楽です。

いや、音楽というより、人が低い声で唱えるような音でした。

私は、耳を壁に当てました。

はっきり聞こえました。

「ひとつ、あわせて、しおのみち」

「ふたつ、あわせて、しおのみち」

「みっつ、あわせて、しおのみち」

数え唄でした。

抑揚がありません。

速さも変わりません。

それが、いつまでも続くのです。

七つ、八つ、九つ、と数が上がっていきます。

私は、動けなくなりました。

怖いというより、体の言うことがきかないのです。

耳が壁に張りついたようになって、離れませんでした。

その唄が、十まで来ました。

「とお、あわせて、しおのみち」

そこで、少しだけ、間が空きました。

次を待っているような間でした。

じいちゃんが走ってきた

後ろから足音がしました。

城戸くんのおじいさんです。

七十をいくつか越えた、小さな人でした。

ふだんは縁側で新聞を読んでいるだけの、静かな人です。

その人が、廊下を走ってきました。

私の襟をつかんで、壁から引き剥がしました。

そして、耳もとで怒鳴りました。

「あわせたんか」

「あわせたんか」

私は、そのとき「起こしたのか」と聞こえました。

ずっと、そう思っていました。

「起こしたのか、起こしたのか」と怒鳴られたのだと。

この土地の年寄りの言葉は、聞き取りにくいのです。

あとから考えれば、まったく別のことを言われていました。

神社へ

おじいさんは、私をそのまま自転車の荷台に乗せて、近くの神社へ連れて行きました。

宮司さんは、何も聞きませんでした。

おじいさんの顔を見ただけで、奥へ入って支度を始めました。

そういう間柄なのだと、子どもにも分かりました。

お祓いのあいだ、私は目を閉じていました。

終わったあと、宮司さんが一つだけ言いました。

「今日から一年、口笛は吹かんように」

「はい」

「それと、なんぼ叩いても、三つで止めなさい」

「三つ」

「四つ目からは、返事になるけんね」

私は、意味も分からずうなずきました。

家に帰ってから、母にひどく叱られました。

叱られたのは、遅くなったからです。

壁のことは、言いませんでした。

それから、私には癖がつきました。

ものを考えるとき、机を指で叩くのです。

三つ叩いて、必ず止まります。

四つ目に手が動きません。

意識して四つ目を叩こうとすると、指が止まるのです。

試験のとき、会議のとき、電話を待っているとき。

三つで止まります。

妻に、一度指摘されたことがあります。

「あなた、いつも三回よね」

「そうかな」

「三回で止まる。癖って面白いね」

私は、笑ってごまかしました。

解体

城戸くんの家が取り壊されたのは、二十年ほど前です。

おじいさんが亡くなり、その息子さんの代で誰も住まなくなりました。

解体の日、私は帰省していて、たまたま前を通りました。

城戸くんも来ていました。

私たちは、道の向かいから見ていました。

重機ではなく、手で少しずつ壊す工事でした。

古い町並みの区域なので、そういう決まりがあるのだそうです。

昼過ぎに、あの廊下の壁が出ました。

板を剥がすと、中は空っぽでした。

部屋ではありません。

幅が一メートル足らずの、細長い隙間でした。

床も張っていない、ただの空洞です。

「なんもないやん」

「なんもないな」

私たちは、少し笑いました。

笑ったのは、そのときだけです。

あの家の来歴

解体のあと、私は町の郷土資料をあたりました。

城戸くんの家は、明治の中ごろに建てられたものでした。

もとは、浜子をまとめる役の人の住まいだったそうです。

浜の作業を仕切り、唄の先頭に立つ役です。

唄い出しの一人、ということになります。

その役は、代々その家が務めていました。

そして、大正の終わりに、一度だけ記録が途切れています。

三年ぶん、唄い出しの名前が空欄なのです。

空欄の年の欄外に、鉛筆で小さく書き込みがありました。

「浜、唄なし」

唄わずに作業をした三年、ということになります。

なぜ唄わなかったのかは、書いてありません。

その三年が明けた翌年から、また名前が入ります。

そして、家の図面に廊下の突き当たりの壁が現れるのも、その翌年からでした。

それ以前の図面には、廊下がまっすぐ坪庭まで抜けています。

誰かが、あるとき、そこを塞いだのです。

内側の跡

職人さんが、板を外に運び出しました。

私は、裏側を見てしまいました。

内側の面に、丸い跡が並んでいました。

直径三センチほどの、浅いへこみです。

それが、横一列に、等間隔で。

数えると、十でした。

職人さんが、それを見て言いました。

「これ、櫂の柄やね」

「櫂」

「塩浜の櫂。柄の先が、ちょうどこんくらいや」

つまり、内側から、櫂の柄で叩かれた跡でした。

誰かが、あの空洞の中で、壁を叩いていたことになります。

そして、その跡は十でした。

私が叩いた数と、同じです。

私は、その場でしゃがみ込みました。

城戸くんの父親

城戸くんの父親のことも、ここに書いておきます。

その人は、家を出た人でした。

高校を出てすぐ大阪へ行き、盆にも正月にも帰りませんでした。

おじいさんとは、ほとんど口をきかなかったそうです。

理由を、城戸くんは知りませんでした。

解体の日、その父親も来ていました。

六十を越えた、痩せた人です。

板の裏の丸い跡を見て、その人が言いました。

「まだ十か」

私は、聞き返しました。

「まだ、とおっしゃいましたか」

「わしが子どものころは、八つやった」

その人は、それだけ言って、車のほうへ歩いて行きました。

城戸くんが、あとを追いかけました。

私は、その場に残って、板をもう一度見ました。

跡は、確かに十でした。

等間隔で、ぶれもなく。

いちばん端の二つだけ、へこみが浅いように見えました。

新しい、ということです。

私は、それ以上見るのをやめました。

合わせ 一

その年の秋、私は町の資料館へ行きました。

塩業組合の古い帳面が保管されています。

浜子の名簿が、年ごとに綴じてありました。

誰がどの浜に入ったか、日当がいくらか。

ふつうの記録です。

ただ、どの年の名簿にも、末尾に一行だけ、名前でない行がありました。

「合わせ 一」

年によっては「合わせ 二」です。

合計は、どこにも書いてありません。

係の人に聞いても、分かりませんでした。

「作業の記録やと思うんですけどねえ」

「毎年ありますよね」

「ありますね。塩田がなくなった年まで、ずっと」

私は、その数字を全部足してみました。

八十年ぶんで、九十七ありました。

あの唄が数えていたのは、合わせてしまった人の数でした。

あわせたんか

城戸くんに、おじいさんの言葉のことを話しました。

私が「起こしたのか」と聞こえたと言うと、城戸くんは首を振りました。

「ちがう」

「ちがうんか」

「あわせたんか、や。うちのじいちゃん、そう言うた」

合わせたのか。

壁の向こうの拍子に、こちらが合わせてしまったのか、という意味です。

塩浜では、拍子が揃うことが仕事でした。

揃わなければ、塩はできません。

だから、揃えることは善いことでした。

ただし、揃える相手を間違えなければ、の話です。

「じいちゃん、こう言いよった」

「なんて」

「壁の向こうから拍子が返ってきたら、こっちは合わせん。合わせたら、こっちが唄い手になる」

口笛は、いちばん合わせやすい音だからです。

誰かが吹けば、つい、同じ節を追ってしまいます。

だからあの家では、誰も口笛を吹かなかったのです。

宮司さんに聞いた話

神社の宮司さんは、私が四十を過ぎたころに代替わりしました。

先代は、九十近くまで元気でした。

一度だけ、訪ねて話を聞いたことがあります。

あの夏のことを覚えているか尋ねると、覚えていると言われました。

「城戸さんが、子どもば連れて来たな」

「はい。私です」

「あんた、あのとき、何回叩いたね」

私は、正直に十と答えました。

宮司さんは、しばらく黙っていました。

それから、こう言いました。

「言うといたほうがええな。あの祓いはな、消すもんじゃないんよ」

「消すものではない」

「数え直しを、いっぺん止めるだけじゃ。止めても、また始まる」

「じゃあ、一年というのは」

「一年、口笛を吹かんかったら、あんたの拍子は忘れられる。それだけじゃ」

忘れられる、という言い方でした。

消える、ではありません。

「忘れられたら、もう大丈夫ですか」

「思い出させんかったらな」

私は、その意味を、しばらく考えていました。

いまでも、考えています。

三つまで

叩くのは三つまで、という決まりも、同じ理屈でした。

三つは、まだ音です。

四つ目からは、拍子になります。

拍子になれば、向こうは合わせてきます。

合わせてきたものに、こちらが返せば、それはもう二人で唄っていることになる。

私は、十まで叩きました。

そして、耳を当てて、最後まで聞きました。

聞いてしまった、ということは、たぶん、合わせたということです。

あの日、宮司さんが「一年」と言ったことを、私はいまでも考えます。

一年で終わるものだったのでしょうか。

それとも、一年ごとに数え直すものだったのでしょうか。

いま

私は五十を過ぎました。

竹原には、年に一度だけ帰ります。

あの家の跡は、いまは駐車場になっています。

白い線が引かれ、乗用車が四台停まります。

そこを通るとき、私は口笛を吹きません。

吹こうとしても、やはり唇が止まります。

去年の正月、台所で息子が指で調理台を叩いていました。

大学生になった息子です。

三つ叩いて、止まりました。

四つ目は、ありませんでした。

私は、その癖のことを、一度も教えていません。

「おまえ、それ癖か」

「え、なにが」

「三回で止まっとる」

「そう? 気づかんかった」

息子は、そのまま冷蔵庫を開けました。

私は、何も言いませんでした。

言えば、たぶん、数え直しになるからです。

土地の決まりごとが理由も分からないまま残っている話は、ほかにもあります。

鎖で封印された祠お地蔵様の顔を読むたびに、私はあの廊下の突き当たりを思い出します。

塩業組合の帳面の合計は、いまも書かれていません。

書けば、数え終わることになるからだと、私は思っています。

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