盛り塩
俺が足を怪我して入院していた時、俺より早くから入院していた奴と仲良くなった。
ある日、消灯後に喫煙所でダベっていると「あ~、部屋帰りたくね~」と言う。
俺と奴は病室が違う。誰か気の合わない奴が病室にいるのかと思いそう聞くと、「いや、そんな事もないよ」と言う。
「ただジイさんがさ~」と顔をしかめるので「確かに年寄りって気難しい人いるよな」と話を合わせると、「いや、生きてるジジイならどうでも良いんだ」と言う。
俺は話が見えないので「はあ?」と聞くと、奴は話し始めた。
※
入院して暫く経った頃、消灯後に喫煙所から部屋に戻ろうとエレベーターを出て病室前の廊下に出ると、暗い廊下にお爺さんが一人、病室の入口前でボーっと突っ立っていた。
『ボケちゃってるのか、邪魔だな』と思い、「すいません、通りたいんですけど」と声を掛けても何も反応が無い。
奴は無視されたと思い、ムッとして「どけよっ」と多少声を荒げたんだけど、やっぱり無視。
もう強引に通るしかないなと思い肩をこじ入れようとしたら、無抵抗で通れた。
『エッ』と思って振り返ると、その爺さんは焦点の合わない目で奴の顔を見ている。と言うより、奴の頭のもっと後ろを見ている感じだったそうだ。全くの無表情で。
奴は『ヤバイ!』と思い、急いで自分のベッドに駆け込むと、布団に潜り込んでブルブル震えていた。
※
そして朝が来て看護師さんが検温に来た時、奴は聞いた。
「ここって…お爺さん、いるよね?」
そしたらその看護師はバツの悪そうな顔をして、
「あ~見ちゃった? 貴方、見えちゃう人なんだ…」
と言った。
※
奴はそれからもその病室に入院し続け、俺と仲良くなった。
奴が言うには、
「段々中に入ってるんだよ。昨日夜中に小便したくなって起きたら、俺のベッドの脇に立ってるんだよ。今日はどうなってるか考えると病室戻りたくないんだよ」
俺は笑うしかなかったな。
「取り合えず盛り塩して寝ろ」としか言えなかった。
でも、その事が結局奴を救った事になったのかもしれない。
※
次の日に話を聞いたら結構ヤバかった。
俺が話を聞いた夜、奴と奴の病室前まで行った。
「いる?」と俺が聞くと「いや、もう廊下にはいないよ。いるとしたら窓際だな」と言う。
入口から覗き込むと6人部屋で、一番奥の窓際の右手が奴のベッド。
「どう?」ともう一度聞いたが、奴は「今日は出ない日かも」と言う。
俺は「何だよ、作り話かよ」と笑いながら言うと、奴は固い表情のまま「塩を小皿に入れとけば良いの?」と聞いてきた。
「お前、塩なんて持ってるの?」
「この間彼女に持ってきてもらった」
「じゃあ皿に入れておけば良いんじゃね」
などと話して、俺は自分の病室に帰った。
俺はその日、何事もなく寝た。
※
次の日の朝、喫煙所で煙草を吸っていると、奴が青い顔をしてやって来た。
「ヤバかったよ…」
俺が挨拶する前に奴は話し出した。
奴の話によると、枕元に塩を入れた小皿を置いて寝たんだと。
なかなか寝つけなかったけど、気が付いたら夢を見ていたらしい。
その夢を要約すると、気が付くと古い藁葺き屋根の大きい民家の玄関前にいた。
玄関を上がると大きな土間だった。上がり框の向こうは畳み敷きの部屋があり、その向こうに障子が閉まっていた。
その障子を開けて進むと、四方が障子で区切られた部屋だった。
また奥へ進むと同じように四方が障子の部屋。
その奥へ入ったら、突き当たりに大きな仏壇のある部屋だった。
右手が障子。左手も障子。
左手はとても嫌な感じがしたので、右手に行きたかった。
どうしても右手に行きたいんだけど、体が引っ張られるように左へ行ってしまう。
「嫌だ、右に行くんだ、行くんだ」と叫んでも、強い力で左へ行かされる。
とうとう左手の障子を開けてしまうと、とても明るい場所だった。
ほっとして部屋を出る時、耳元で
「チッ!しくじったかっ!」
と野太い声が吐き捨てるように呟くのが聞こえ、ハッとして目が覚めたら朝だった。
起き上がって塩を入れた小皿を見ると、塩がぐちゃぐちゃのゲル状みたいに溶けていた。
「あのまま右に行ってたら、俺どうなってたんだろう…」
奴の質問に答えられる言葉は俺にはなかったな…。