架空の最終電車
大阪から奈良へ抜ける近鉄奈良線。
大阪と奈良の間には生駒山があり、電車は長いトンネルを通ることになる。
現在のトンネルは『新生駒トンネル』と言い、その昔、数々の死傷事故を起こした『旧生駒トンネル』に代わり、昭和30年代になって掘削されたものだ。
しかし多くの死者を出した旧トンネルのせいか、今だに怪現象が多発するという。
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私は、昭和21年に旧生駒トンネルで発生した車両火災事故に、実際に遭遇した人物の話を聞いたことがある。
その人物とは私の小学校時代の美術の先生で、当時既に50歳を超えていたと思う。
どういう訳か、私は彼に大変かわいがられていたと記憶している。
ある放課後、どのようないきさつかは忘れたが、彼は忌まわしい旧生駒トンネルの火災事故の話をしてくれた。
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戦後間もない頃(昭和21年)のこと。
大阪から奈良へ向かう彼を乗せた近鉄電車が、旧生駒トンネルの中ほどまで差し掛かった時だった。
登り急勾配の難所に旧式のモーターが耐えられず、突如発火した。
古い車体はあっという間に炎に包まれ、乗客はパニックに陥った。
暗いトンネル内を我先に逃げ惑う人々。
電車は奈良側の出口まであと少しの所で停まっていた。
当然、大多数の乗客が、より近い奈良側の出口を目指して坂を登って行った。
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「なあ、坊(先生はなぜか私をこう呼んでいた)。
どんな時も、落ち着かなければあかんよ。
僕はその時、咄嗟に気付いたんや。
この時期、大阪湾からの浜風は生駒山に向けて吹いてるはずやってな。
それで指を舐めて、風向きを調べたんや。
そしたら案の定、風はトンネルの下の方から吹いていたんや…」
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狭いトンネル内での火災は、火そのものよりも有毒ガスによる中毒が命取りになる。
彼は冷静な判断で、遠いけれど風上になる大阪側の出口を目指し、無事生還することが出来たのだ。
逆に風下の奈良側へ逃げた乗客の多くが、有毒ガスによって命を落としたのだった。その数28名。
私は固唾を呑んで先生の話に聞き入っていたが、その後、彼の口をついて出た話に…恐怖した。
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その後も不可解かつ不幸な事故を繰り返した『旧生駒トンネル』は、そもそも掘削当初から落盤事故によって多数の犠牲者を出した、曰く付きのトンネルだった。
そのため、幽霊話や怪奇現象の類が絶えず噂されていたが、中でもこの逸話は最も印象深い。
事故の後、沿線の利用客の間で奇妙な噂が流れた。
「奈良方面行きの最終電車が…おかしい」
深夜、乗客もまばらになった最終電車が、石切駅を発車する。
ごとん、ごとんと電車は勾配を登り、トンネルに差し掛かる。
急坂を全力で登る電車のモ-ター音が、悲鳴のように車内に響き渡る頃、がらんとしていた車内が突然…『満員乗車』に変わるのだ。
窓という窓に、無数の人影が映る。
連結幌の所に佇む男…。
この様子は、車外からも目撃されたという。
あまりの目撃談の多さに、電鉄会社も対応を余儀なくされた。
そして、ある作業によってこの状況を改善しようとしたのだった。
その作業とは…『最終電車の後に、もう一本電車を走らせる』というものだった。
つまり回送電車である。
しかしこれでは解決しなかった。いや、悪化したとも言える。
無人のはずの回送電車に、以前にも増してギッシリと人が乗っているのが、外から確認できるのである。
業を煮やした電鉄会社は、更にダイヤの改正を行った。
すなわち、ダイヤ上に『架空の最終電車』を設定したのだ。
そして石切駅の時刻表には、決して走ることのない最終電車の発車時刻が記されるようになったのだ。
その効果があったのか、不思議とその後、奇怪な目撃談は聞かれなくなったという。
一件落着…いや、事はそんなに容易くないようだ…。
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最近になって、私は友人Oの兄の体験を聞かされた。
彼は霊感が非常に強く、数々の心霊体験の持ち主である。
彼は通勤でいつも近鉄奈良線を利用しているのだが、毎日のように悩まされるというのだ。
彼曰く、
「ラッシュで満員の車内で、人の話し声がする。
もちろん乗客も喋ってるけど、何か違うんや。
あれは…異次元の声や。
想像してくれ、ヘッドホンの左右から別々の会話が聞こえるとしたら…。まさにステレオ状態なんや。
ただ、片方の声ははっきり意味が解るのに、もう一方は全く聞き取れない。
「うわわわわわわ……」
と言うだけなんや…」
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現在では『旧生駒トンネル』は閉鎖され、電源施設等に再利用されており、草生した入り口は立ち入り禁止となっている。
昼間でも山肌に黒々と口を開けたトンネルの様子は不気味である。
ただし、奈良側の出口は現在の近鉄東大阪線のトンネルと共用されているようなので、大阪向きの先頭車からは覗くことができるかもしれない。