祖父母の人生
私のおじいちゃんとおばあちゃんの話。
この間、おばあちゃんの家に泊まった時にしてくれた話です。
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おばあちゃんは生まれつき目が悪かったんだけど、戦時中は9人居る兄弟の為に働いたりご飯などを分けてあげたりして、十分な食事を摂らなかったから、目が殆ど見えなくなった。
その頃からばあちゃんは、人が見えないものが見えるようになった。
多分、ばあちゃんの目が見えなくなった原因は、それだけではない。
結婚するはずの男性が、戦艦に乗って『名誉の戦死』をして帰って来た。
その人が戦場に往く前の夜、
「沢山の仲間達が御国の為に死んでるのに、こんな事を言ってはいけないと思うけど…。
俺はあなたの為に生きて帰って来たい。
あなたと家を作って、子供いっぱい作って、幸せに暮らしたい。
俺が漁に行って、あなたはそこの浜で子供たちと一緒に手を振り『ご飯だよ』と待ってて欲しいんだ」
「生きて帰って来てね。待ってる。ヒュウズ沢山作って待ってるよ」
「うん、帰って来る。腹いっぱい、あなたの作ったヒュウズ食べるんだ」
と、ばあちゃんを抱き締めて言ったそうだ。
その人と結婚式をするはずだった一ヶ月前の出来事だった。
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ばあちゃんはその人の無事を祈った。
その人から手紙が届いたら何度も読み返して(ばあちゃんは殆ど学校へ行けなかったから、平仮名とカタカナで書いてくれたそうな)、拙いながら何度も
『オクニノタメニガンバッテクダサイ』
と、帰って来る祈りを込めて返事を書いた。
本当は『生きて帰って来て』と書きたかったと言っていた。
『あなたを、ずっとずっと愛しています。忘れません。どうか幸せになってください』
の言葉を最後に、その人からの手紙は途絶えた。
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そして数ヵ月後、終戦を迎えた。
ばあちゃんが畑を耕していると、畑の向こうに軍服姿の許婚の姿があった。
「謙蔵さんですか」
その人は悲しそうに頷いたそうな。
「戻って来たのですか?」
また頷く。
「じゃぁ、一緒になれんがね…」
首は横に振られた。
嫌な予感がしたのと、何やらその人の実家が騒がしいので行って見たら、その人の変わり果てた姿があった。
もう骨だったそうだけど、遺品の中にばあちゃんの写真と手紙があったという。
ばあちゃんが見たクリアな映像は、それが最後だと言っていた。
ばあちゃんはその人が食べたかったヒュウズを、食糧難の中、材料を掻き集めて、頑張って作って供えた。
ご家族は泣いていたそうだ。
「謙蔵が好きな物…食べたかったろう。ありがとう、ありがとう」
と…。
※
数年後、落ち込んで力も出ないばあちゃんに、見合い話が舞い込んだ。
相手は、ばあちゃんの住む村から遠く離れた山奥にある農家の長男だった。
それまでも何度か見合い話があったけど、ばあちゃんは断っていたそうだ。
しかし曾じいちゃんと曾ばあちゃん(ばあちゃんの父母)の勧めもあって、その人と結婚した。
その人が私のじいちゃんとなる人だ。
じいちゃんは、牛を育てたり畑を耕したり、山に入って獲物を獲って来たりと働き者だけど、お酒と煙草がやめられない人だった。
ある意味、ちょっと自暴自棄だった。
一人で大木を切り出して来たり、犬も連れずに熊狩りに行ったり。大怪我をして帰って来ることも多かった。
ばあちゃんは心配して、
「もう、何でそんな事するの」
と、いつも泣いていたそうだ。
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ある夜、じいちゃんが
「俺はな、特攻隊に入るはずだった」
と語り始めた。
「特攻隊に入るかも知れないって時、俺は死んだ仲間を思い出していた。
赤ん坊の頃から友達だった近所の○○や●●だって、特攻したりでこの世に居ない。
俺がこのまま生きている訳にもいかないからな。
でも、覚悟を決めた時に、終戦を迎えた。俺は死ねなかったんだ」
と、酒をかっ食らった。
でもばあちゃんには、じいちゃんのその幼馴染が見えていた。
一人は航空隊、もう一人は海兵だった。
『はっちゃん、何でそんな事するの』
『そんな事しないでくれよ、ちゃんと生きてくれよ』
と、幼馴染達は嘆いていたそうだ。
「幼馴染の人達が泣いてるよ」
と言うと、じいちゃんは少し黙って、
「そうか」
と言って項垂れた。
それからは、じいちゃんは自暴自棄な事を抑えた。酒と煙草はやめなかったけど。
子供は四人儲けて、一人は亡くなったけど、結構幸せな家庭だった。
※
時は流れて、私が生まれた。
6人の孫の中で一番年下の私を、じいちゃんは猫可愛がりして、どこへ行くにも連れて行った。
小さかった私は、じいちゃんの後ろを付いて歩き、じいちゃんがちょっとでも見えなくなると、
「じいちゃ、じいちゃ」
と泣く赤子だったそうな。
山菜採りなどへ行く時に、背負い篭に入れられて行った事も覚えている。
私が八歳の時に、じいちゃんは脳に血の塊が出来て倒れた。
じいちゃんのお見舞いには一回しか行っていない。
見舞いに行くと手が痛くなるほど手を握られた。
闘病生活があまりにも壮絶で、
「●●(私)の前では元気なじいやんで居たい」
と、まだ大丈夫だった頃にじいちゃんは言ったそうだ。
もう何も分からなくなった頃、頻りに
「ばあやん、ばあやん」
とじいちゃんは言うようになった。
昼も夜もずーっと「ばあやん、ばあやん」。
ばあちゃんは目が全く見えなくなっていたので、介護できずに家に居たのですが、ばあちゃんの妹やうちの母さん達が看病している時に、ずっと「ばあやん、ばあやん」。
「私はばあやんじゃないよ。今度ばあやんって言ったら10円取るよ」
と、ばあちゃんの妹は言った。
「ふん」と頷くけど、じいちゃんは「ばあやん、ばあやん」。
亡くなる時も、最期まで「ばあやん、ばあやん」と呼んでいたという。
※
そしてじいちゃんは年の暮れに逝った。72歳だった。
亡くなる時に、私に挨拶をしに来た。
いつもの農作業着で、農協の帽子を被って、
「おー、●●。ほんじゃな。良い子にするっこだぞ」
と言い、じいちゃんは消えた。
その頃、ばあちゃんの家では玄関が開いた音がして、ばあちゃんが
「じいやんか」と聞くと、「ふん」と頷く声がしたそうで、
「逝くのか」と聞くと、また「ふん」と言う。
ばあちゃんは泣いた。
「お盆になりゃ帰って来るけどね」
と笑うけど。
※
でも、ばあちゃんはそれから夢を見るようになった。
玄関の所にじいちゃんが立っていて、
「どこに行くの」
とばあちゃんが尋ねると、
「ちょっとよ」
と言って歩いて行ってしまう。
家を離れて曲がり角を曲がると、じいちゃんと幼馴染達が談笑していて、亡くなった娘も居る。
その中に何故かばあちゃんの昔の許婚も居て、ばあちゃんを見てニコッと笑う。
そして皆で何処かに行ってしまう。
「まだ呼んでくれないのね」
と、ばあちゃんは笑っていた。