葬列

古い城下町の話だ。

石畳の路地が、迷路のように入り組んだ、あの町の話である。

私は、その町で生まれ、その町で育った。

城下町というのは、古い記憶を、たくさん抱えている。

石畳の一枚一枚に、幾百年の人の営みが、しみ込んでいる。

生きた者の足音も、死んだ者の足音も。

祖母は、よく、路地には気をつけろと言っていた。

「夜の辻には、この世のものでないものが、通る」

子どもの頃は、ただの脅し文句だと思っていた。

その言葉の意味を、私は、後になって思い知ることになる。

私には、佐野という古い友人がいた。

小学校からの、四十年来の付き合いだった。

町の中心には、今も、古い城の石垣が残っている。

その周りに、昔ながらの家並みが、ひしめいていた。

路地は狭く、日が暮れると、ひどく暗くなる。

その夜、佐野は、私の家で酒を飲んでいた。

私の家は、町のはずれにある、古い商家だった。

肴は、女房が煮た、里芋の煮っころがしだった。

二人とも、いい歳になっていた。

昔話に、花が咲いた。

死んだ級友のこと。初恋の相手のこと。

「あの頃は、よかったなあ」

佐野は、しみじみと、そう言った。

話は尽きず、時計の針は、とうに真夜中を回っていた。

「そろそろ帰るわ」

佐野は、赤い顔で、腰を上げた。

「泊まっていけよ」

「いや、女房が待っとるでな」

そう言って、佐野は、夜の路地へ出ていった。

私は、玄関先で、その背中を見送った。

提灯代わりに、と、私は懐中電灯を貸そうとした。

だが、佐野は、いらんいらん、と笑って断った。

「この道は、目をつぶってでも、歩けるわ」

月のない、暗い夜だった。

それが、いつもと変わらぬ、佐野の後ろ姿を見た、最後だった。

翌日の昼過ぎ、佐野が、青い顔で、また私の家を訪ねてきた。

「どうした、忘れ物か」

私が聞くと、佐野は、震える声で言った。

「昨夜、妙なものを見た」

佐野は、座敷に上がると、ぽつぽつと語り始めた。

昨夜、私の家を出て、路地を歩いていたときのことだ。

風もないのに、あたりの空気が、急に冷たくなったという。

線香の、甘く焦げたような匂いが、どこからともなく漂ってきた。

佐野は、なんだか嫌な気がして、足を速めた。

そのときだった。

向こうから、行列が、やってきたという。

提灯を提げ、みな、黒い喪服を着ていた。

どこかの、葬式の列だと、佐野は思った。

「こんな夜中に、葬式なんぞ、あるものか」

そう訝しみながらも、佐野は、道の端によけた。

行列は、しずしずと、佐野の横を通り過ぎていく。

不思議なことに、行列の足音は、まったく聞こえなかった。

みな、うつむいて、無言で歩いていた。

顔は、闇に沈んで、よく見えなかった。

提灯の灯りが、ゆらゆらと揺れていた。

よほど、大きな家の葬式なのだろう。

列は、いつまでも、途切れなかった。

佐野は、誰の葬式だろうと、気になった。

知った顔の、誰かだろうか。

つい、そんな好奇心が、頭をもたげた。

佐野は、ふと、列の一人に、声をかけた。

「これは、どちらの葬式ですかな」

すると、その男は、うつむいたまま、こう答えた。

「その先の、佐野さんのお宅のです」

佐野は、ぎょっとした。

佐野さんとは、ほかならぬ、自分のことだ。

耳を疑った。

心臓が、どくんと、跳ねた。

聞き間違いかと思い、佐野は、もう一度、口を開こうとした。

驚いて、もう一度、たずねようと振り返った。

だが、そこには、もう、誰もいなかった。

提灯の灯りも、喪服の列も、跡形もなく、消えていた。

ただ、暗い路地が、しんと、続いているだけだった。

佐野は、そこまで話すと、ごくりと、唾を飲んだ。

座敷の空気が、しんと、重くなった気がした。

「怖くなって、走って家に帰った」

佐野は、額の汗を、ぬぐった。

「そしたら、家に、誰もおらんのだ」

いつもなら、奥の間にいるはずの、女房の姿がない。

子どもたちの部屋も、もぬけの殻だった。

「おい、いるのか」と、佐野は、何度も呼んだ。

だが、しんと、静まりかえっているだけだった。

仏壇の、線香の匂いだけが、部屋に残っていた。

家中の電気を点けても、返事は、なかった。

「気味が悪くて、どうにもならん」

「それで、お前のとこに、また来たんだ」

佐野は、そう言って、うなだれた。

私は、笑い飛ばそうとした。

「飲みすぎだ。夢でも見たんだろう」

「今、うちに電話してみろ」

私は、佐野に、受話器を渡した。

佐野が、自分の家に、電話をかける。

呼び出し音が、二回鳴って、つながった。

佐野の指が、番号を押す音が、やけに大きく響いた。

私も、思わず、受話器に耳を寄せた。

受話器から、佐野の女房の、のんびりとした声が、聞こえた。

「はい、佐野でございます」

佐野の顔に、ほっとした色が、浮かんだ。

「な、普通に、家におるじゃないか」

私は、そう言って、佐野の肩を叩いた。

それでも、佐野の顔色は、優れなかった。

私は、心配になって、佐野を家まで送っていくことにした。

車で、あの路地の近くを通った。

昼間に見ると、なんの変哲もない、古い町並みだった。

「このあたりで、行列を見たのか」

私が聞くと、佐野は、こくりとうなずいた。

「ちょうど、あの角のところだ」

佐野が指さしたのは、古い辻に立つ、小さなお地蔵さんの前だった。

苔むした、ずいぶん古いお地蔵さんだった。

私は、なんとなく、そこで手を合わせた。

車の窓から見ると、辻のお地蔵さんは、こちらを見ているようだった。

赤いよだれかけが、色あせて、灰色になっていた。

「昔から、あるお地蔵さんだよな」

私が言うと、佐野は、小さくうなずいた。

「じいさんの、そのまたじいさんの頃から、あるらしい」

佐野の家に着くと、女房と子どもたちが、普通に出迎えた。

「あなた、どこ行ってたの」

女房が、けろりとした顔で言った。

佐野は、力なく笑った。

「なんだ、やっぱり夢だったんだな」

私も、そう思うことにした。

そう、思い込もうとした。

だが、その夜、私は、なかなか寝つけなかった。

祖母の言葉が、頭から離れなかった。

夜の辻には、この世のものでないものが、通る。

まさか、と思いながらも、胸騒ぎが、収まらなかった。

翌朝、佐野に電話をかけると、いつもの、元気な声が返ってきた。

「昨日は、悪かったな。もう、なんともないぞ」

私は、少しだけ、安心した。

それでも、佐野は、その日から、ふさぎ込むようになった。

電話をかけるたび、声に、元気がなくなっていった。

「なあ」と、あるとき、佐野が言った。

「あの列の、いちばん後ろにな、もう一人、いた気がするんだ」

「その一人だけ、こっちを、じっと見ていた」

私は、なんと答えていいか、分からなかった。

だが、その安心は、長くは、続かなかった。

それから、三日が過ぎた。

その日の夕方、私のもとに、一本の電話が入った。

佐野の、女房からだった。

受話器の向こうで、彼女は、泣きじゃくっていた。

佐野が、交通事故で、亡くなったという。

仕事帰りに、あの辻の近くで、車にはねられたのだ。

信じられなかった。

つい昨日、電話で話したばかりだった。

あんなに、元気だったのに。

即死だった、と聞いた。

受話器を握る手が、小刻みに、震えた。

膝から、力が抜けていくのが、分かった。

まさか、と思った。

あの、たわいない夢だと、片づけたはずだった。

私は、しばらく、言葉が出なかった。

あの、葬列の話が、頭をよぎった。

「その先の、佐野さんのお宅のです」

あの男の、うつむいた声が、耳の奥で、よみがえった。

佐野は、自分の死を、あらかじめ、見せられていたのだ。

佐野の葬式は、しめやかに執り行われた。

喪主の女房は、憔悴しきっていた。

女房は、私の顔を見るなり、また泣き崩れた。

「主人は、あなたに、最後に会えて、喜んでいました」

その言葉が、胸に、深く刺さった。

あの夜、泊まっていけと、もっと強く言えばよかった。

私は、悔やんでも悔やみきれなかった。

私は、旧友として、棺を運ぶ役を、任された。

参列者は、みな、佐野の突然の死を、悼んでいた。

「まだ、若いのに」と、あちこちで、ささやく声がした。

祭壇の遺影の中で、佐野は、穏やかに笑っていた。

線香の煙が、細く、まっすぐに立ちのぼっていた。

あの夜、佐野が嗅いだという匂いと、同じ匂いだった。

私は、それに気づいて、ぞくりとした。

読経が終わり、いよいよ出棺のときがきた。

私は、ほかの者たちと、棺を担ぎ、霊柩車へと運んでいた。

そのときだった。

私の、すぐ後ろで、こんな会話が、聞こえた。

「これは、どちらの葬式ですかな」

「その先の、佐野さんのお宅のです」

私は、ぞっとして、足を止めた。

今の声は、聞き覚えがある。

間違いない。あれは、佐野の声だった。

棺を担ぐ手が、汗で、滑りそうになった。

心臓が、早鐘のように、打っていた。

私は、勢いよく、後ろを振り返った。

だが、そこにいたのは、見知らぬ参列者が、二人。

きょとんと、私を見ていた。

だが、確かに、私のすぐ後ろで、声がしたのだ。

聞き間違いなど、するはずがなかった。

四十年、聞き慣れた、佐野の声だったのだから。

「今、そこで話していた人は、どこへ行きました」

二人とも、佐野の遠い親戚だと、あとで聞いた。

私の後ろで話していた者など、心当たりがない、と言う。

私は、その一人に、たずねた。

すると、その男は、不思議そうに、答えた。

「ああ、その人なら、佐野さんのお宅のほうへ、走っていきましたよ」

「でも、妙でしてね」

男は、首をかしげた。

「なんというか、黒い靄がかかったみたいで、顔が、よく見えなかったんです」

私の、背筋が、凍りついた。

あの黒い靄がかかった男。

それが、誰であったのか。

考えるまでもなかった。

あれは、佐野、そのものだったのだ。

自分の葬式に、佐野は、来ていたのだ。

私は、いてもたってもいられず、佐野の家へ向かった。

葬儀を抜け出し、あの路地を、駆け抜けた。

佐野の家の戸を、叩いた。

だが、返事は、なかった。

胸騒ぎが、抑えられなかった。

何度も、戸を叩いた。

「奥さん、いますか」と、声をかけた。

だが、しんと、静まりかえったままだった。

戸を開けると、家の中は、がらんとして、誰もいなかった。

三和土には、女房のサンダルが、きちんと揃えて置かれていた。

まるで、たった今まで、誰かがいたかのように。

喪服の女房も、子どもたちも、いない。

みな、葬儀場にいるのだから、当たり前だった。

外は、まだ明るい昼間だった。

それなのに、家の中だけが、やけに、薄暗く感じられた。

畳が、ひやりと、冷たかった。

だが、私は、思い出していた。

あの夜、佐野が言った言葉を。

家に帰ったら、誰もいなかった、と。

佐野が見たのは、これだったのだ。

自分の、葬式の日の、光景だったのだ。

葬儀のあと、私は、しばらく、眠れぬ夜が続いた。

目を閉じると、あの喪服の列が、まぶたに浮かんだ。

そして、佐野の、うつむいた声が、聞こえてくるのだ。

これは、どちらの葬式ですかな、と。

後日、私は、町の古老に、あの話をした。

あの辻の、お地蔵さんのことも、たずねた。

古老は、深くうなずいて、こう語った。

「あれは、影送り、というものだ」

「この町では、昔から、言い伝えられておる」

「死ぬ者のところへ、あの世から、迎えの葬列が来る」

「その列に、うっかり声をかけて、名を聞いてしまうとな」

古老は、湯呑みの茶を、ひとくちすすった。

「わしが子どもの頃にもな、一人、おった」

「夜道で、葬列に声をかけた、若い衆がな」

「その者も、三日と経たずに、川に落ちて死んだ」

私は、背筋が寒くなるのを、感じた。

「昔の者は、みな、知っておった」

「だから、夜の辻では、決して、口をきくなと」

「たとえ、知った顔が通っても、声をかけてはならん、とな」

「聞いた者は、もう、逃れられんのだ」

「その地蔵はな、影送りを、町に入れぬための、見張りだ」

古老は、そう言った。

私は、あの辻のお地蔵さんの意味を、悟った。

あれは、影の葬列を、この町へ入れぬための、結界だったのだ。

「だが、道を広げてから、地蔵の力も、弱くなった」

「昔は、そういう境が、あちこちにあった」

「祠や、地蔵や、道祖神がな」

「それが、次々と、失われていった」

古老は、そう言って、目を伏せた。

佐野の四十九日が過ぎた頃、私は、あの辻のお地蔵さんに、参った。

新しいよだれかけを、掛けてやった。

線香を上げ、手を合わせた。

「佐野を、頼みます」

風が、よだれかけを、そっと揺らした。

どこか遠くで、鴉が、一声、鳴いた。

そして、こうも、祈った。

どうか、この町に、もう、あの列が来ませんように、と。

お地蔵さんは、ただ、静かに、そこに立っていた。

それから、何年も経った。

あの町を出て、私は、別の土地で暮らすようになった。

それでも、あの夜のことは、片時も、忘れられない。

私は、あの辻を、通らないようにしている。

あれから、この町でも、いくつかの家が、葬式を出した。

そのたびに、私は、あの夜のことを、思わずにいられない。

死は、いつも、静かに、すぐ隣を歩いている。

それを、私は、佐野から教わった。

けれど、ときどき、夜の路地を思い出す。

提灯を提げた、黒い喪服の列を。

提灯の、ゆらめく灯りを。

足音のしない、静かな行列を。

そして、佐野の、あのうつむいた声を。

死者の列に、決して、声をかけてはいけない。

たとえ、そこに、懐かしい顔があったとしても。

それが、この町に生きる者の、古い掟なのだ。

もし、いつか、私の前に、その行列が現れたら。

私は、決して、たずねはしないだろう。

これは、どちらの葬式ですか、とは。

たとえ、その列の中に、佐野の顔を見つけたとしても。

私は、目を伏せて、やり過ごすつもりだ。

その答えを、聞いてしまったら、もう、終わりなのだから。

死は、名を呼ばれるのを、静かに待っている。

私は、そう信じて、今日も口をつぐんでいる。

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