変わった妹

祖母は、山から持って帰ったものを家に上げるとき、必ず土間で一遍、裏返して置いた。

木の実でも、石でも、拾った空き缶でもそうした。

理由を訊いても、答えは決まっていた。

「こっちの向きに、直しとるんよ」

意味は分からなかった。

ただ、そういうものだと思って育った。

俺が住んでいたのは、徳島の那賀川をずっと遡ったところにある、奥檜という集落だ。

平成二年当時で、二十三戸あった。

谷が深く、冬は昼過ぎには日が当たらなくなる。

父は営林署の作業員で、朝の四時に出て、暗くなってから帰ってきた。

母は町のスーパーに勤めていた。

家にいるのはたいてい、祖母のハツエと、俺と、四つ下の妹だった。

妹の名前は七海という。

海のない谷に住んでいるのに、と、よく親戚に笑われていた。

集落は、川に沿って細長く続いている。

平らな土地がないので、家は斜面を削って建ててある。

どの家の裏も、すぐ山だ。

杉の間に、崩れた炭焼き窯の跡がいくつも残っていた。

子どもの遊び場は、そこか、川原しかない。

店は、週に二回来る移動販売の車だけだった。

車が来る日は、集落の年寄りが総出で坂の下に集まる。

祖母は、必ずいちばん最後に買った。

「先に取ったら、あとの人が困るやろ」

そういう人だった。

祖母には、言い付けがいくつもあった。

そのうち、いちばんきつく言われたのはこれだ。

「谷で拾うた字は、声に出して読むな」

「なんで」

「読んだら、読んだもんの口が借りられる」

「口が」

「貸したら、返ってくるまで、こっちは黙っとらんといかん」

奥檜には、字を彫った板があちこちにあった。

山の仕事で使う境界の杭や、古い祠の札や、崩れた炭焼き窯の脇に転がっている木札だ。

字といっても、多くは読めない。

墨が流れているか、彫りが浅くなっているかで、形しか残っていなかった。

子どもの頃は、それを拾って遊んだ。

拾って、祖母に見つかって、叱られた。

「読んどらんよ」

「口の中で読んだやろ」

祖母は、なぜかそれを見抜いた。

祖母は、若い頃に炭焼きの家に嫁いできた人だ。

この谷の生まれではない。

それなのに、谷の決まりごとについては、誰よりも細かかった。

「よそから来たけん、覚えなあかんかったんよ」

そう言って笑ったことがある。

笑いながら、目は笑っていなかった。

祖母が言い付けを破ったところを、俺は一度も見ていない。

平成二年の五月だった。

俺は高校二年で、成績が落ちていた。

その頃、家の中でよく苛立っていたと思う。

七海とは、しょっちゅう言い合いをした。

たいした喧嘩ではない。

テレビの取り合いとか、風呂の順番とか、その程度のことだ。

ただ、あの子は口が達者で、最後にひとこと余計なことを言う。

そこで俺が黙り込む、というのがいつもの終わり方だった。

それでも、七海は妙なところで俺の味方をした。

中学のとき、俺が近所の畑の柵を自転車で壊したことがある。

あの子は、自分がやったと言い張った。

なぜそんなことをしたのか、あとで訊いた。

「兄ちゃんは、怒られたら三日しゃべらんようになるけん」

「おまえは平気なんか」

「うちは、黙っとったら息が詰まるけん」

そう言って、あの子は笑った。

この言葉を、あとで何度も思い出すことになる。

その日は、川原へ二人で下りた。

五月一日だった。

連休の初日で、父も母も家にいなかった。

母に頼まれて、蕗を採りに行ったのだ。

水が少ない時期で、いつもは沈んでいる石が出ていた。

その石の間に、板が挟まっていた。

幅は手のひらほど。

長さは三十センチくらい。

片面に、字が彫ってあった。

字は、ふつうの字ではなかった。

ひらがなに見えるのに、どれも縦に長く引き伸ばされている。

行の途中から、右上へ、右上へと、少しずつ登っていく。

俺は板を持ち上げて、水を切った。

そのとき、七海が横から覗き込んだ。

「なんて書いとん」

「知らん」

「読んでみてよ」

「おまえが読んでみいや」

今でも、あの一言を思い出す。

俺は面倒くさかっただけだ。

板を妹のほうへ向けて、押し付けるようにした。

七海は、素直に受け取った。

そして、声に出して読んだ。

何と読んだのかは、覚えていない。

意味のある言葉ではなかった。

ただ、あの子の声が、途中から、川の音に混ざって聞こえなくなったのは覚えている。

その晩から、七海は喋らなくなった。

最初は、俺に腹を立てているのだと思った。

次の日も、その次の日も同じだった。

母が問い詰めても、口を開けたまま、息だけを出す。

喉に手を当てると、震えてはいる。

耳のそばに顔を寄せると、息の音の中に、何かの拍子のようなものが混じっていた。

言葉ではない。

一定の間隔で、短く息が切れる。

数えてみると、四拍で一区切りになっていた。

声にならないだけだ。

町の耳鼻科に連れて行ったが、異常はないと言われた。

徳島市の大きい病院にも行った。

そこでも同じだった。

祖母だけが、何も言わなかった。

俺が板のことを話そうとすると、祖母は俺の口の前に手のひらを立てた。

「言うな」

「けど」

「もう一遍やり直しになる」

異変は、少しずつ形を変えた。

最初の一週間は、音だった。

七海の部屋から、夜通し、鉛筆の音がした。

紙をこする音が、一定の速さで続く。

朝、俺は妹が学校へ出たあとに、部屋を覗いた。

机の上にも、屑籠にも、鉛筆の削りかすがひとつも落ちていない。

短くなった鉛筆だけが、筆立てに増えていく。

一週間で、五本増えた。

家に鉛筆を買った者はいない。

母に訊くと、「学校でもろうたんやろ」と言った。

俺は、その五本のうち一本を、こっそり抜いて筆箱に入れた。

翌朝、筆箱に戻っていた。

俺の筆箱ではなく、七海の筆立てに、である。

二週目からは、字だった。

七海のノートを、母が持って帰ってきた。

担任が渡してきたのだという。

数学のノートの前半は、いつもの妹の字だった。

丸っこくて、少し右に傾く。

ある行の途中から、それが変わっていた。

縦に長く引き伸ばされて、右上へ登っていく。

川原の板と、同じ形だった。

母は、そのノートを仏壇の引き出しにしまった。

捨てなかったのは、たぶん、捨て方が分からなかったからだ。

俺は一度だけ、そのノートを出して、字を写してみようとした。

三文字で、鉛筆が止まった。

書いている途中で、線の向きが分からなくなる。

右上へ登るはずのものが、どこから登り始めるのかが、どうしても掴めない。

写せない字がこの世にあるということを、そのとき初めて知った。

三週目には、証言が出てきた。

担任が家庭訪問に来て、居間でこう言った。

「授業中、口は動いとるんです」

「声は」

「出とりません。ただ、周りの子は、聞こえる言うんです」

母が、湯呑みを置く手を止めた。

「何が聞こえるんですか」

「それが、みんな、違うことを言うんですわ」

担任は、そこで少し笑った。

笑ってから、笑ったことを悔いたような顔をした。

そのあと、担任は玄関先で、思い出したように付け足した。

「あと、教室の匂いが変わった言う子がおりまして」

「匂い」

「水の匂いや、と。川の、と言うんですわ」

母は返事をしなかった。

その週から、七海の部屋の襖の下に、細かい砂が溜まるようになった。

掃いても、二日で戻る。

白い、川原の砂だった。

四週目に、俺は妹の部屋に入った。

あの子が帰ってくる前でないと、鍵を掛けられて入れない。

部屋の中は、前と何も変わっていなかった。

壁も、カーテンも、机の上のぬいぐるみも、そのままだ。

ただ一つだけ、違うところがあった。

日記帳が、机の上に、裏返して置いてあった。

表紙を下にして、背を手前にして。

そのときの俺は、その意味に気づかなかった。

ただ、開けやすいように置いてある、としか思わなかった。

俺は日記帳を開いた。

いま思えば、そこで手を止めるべきだった。

祖母は、拾ったものを裏返して置く理由を、一度も説明しなかった。

説明しなかったから、俺はそれを、ただの癖だと思っていた。

癖だと思っているものを、人は疑わない。

前半は、ふつうの日記だった。

友達の名前と、部活の愚痴と、俺の悪口が書いてある。

五月十二日の欄で、字が変わった。

あの、縦に長い字だ。

そこから先は、何十ページも同じ字が続いていた。

意味は取れない。

ただ、ひとつだけ分かることがあった。

日付だ。

いちばん最後のページに書かれていた日付は、まだ来ていない日だった。

六月九日。

その日は、三日先だった。

俺は指で、ページの端を押さえた。

紙が湿っていた。

その日は雨が降っていなかった。

背中に人の気配がして、振り返った。

七海が立っていた。

制服のまま、鞄も持ったままだ。

電気を点けていなかったので、顔は影になっていた。

俺は謝ろうとした。

口を開いた瞬間、七海が動いた。

驚くほど速かった。

俺の腕から日記帳を奪って、そのまま部屋を出て行った。

階段を下りる音がして、土間の戸が鳴った。

それきりだ。

七海は、あの晩から家に戻っていない。

捜索は一ヶ月続いた。

谷を上から下まで、大人が総出で見た。

営林署の父の同僚も、休みを潰して歩いてくれた。

何も出なかった。

同級生の女の子が、消えた日の下校のことを話してくれた。

七海は、いつもの分かれ道で、ひとりだけ立ち止まったという。

そして、口を動かした。

その子には「ごめん」と見えた、と言った。

別の子は、同じ場面を「またね」と見えたと言った。

警察は、二人の証言を並べて書き取り、それきりだった。

母は、その一ヶ月で、七海の分の茶碗を出すのをやめなかった。

誰も、やめろとは言わなかった。

ひと月が過ぎたころ、区長が家に来て、捜索を切り上げる話をした。

父は、何も言わずに聞いていた。

玄関を出るとき、区長が振り返って、こう言った。

「奥檜は、昔から、そういうことがある谷やけん」

父は、そのときだけ声を荒らげた。

「そういうこと、とは何ぞ」

区長は答えずに、坂を下りていった。

その背中を、父は長いこと見ていた。

鞄も、靴も、日記帳も。

ひと月経ったころ、父が営林署の古い書庫から、一冊の作業日誌を持ち帰った。

昭和八年のものだった。

ある頁に、担当者の走り書きがあった。

字を読み上げた作業員が一名、以後声を発せず。

三十七日後、山中にて所在不明。

手荷物いっさい発見に至らず。

頁の下に、別の筆跡で、後年の書き足しがあった。

読み上げしめたる者の名は記さず。

記せば同じことになると里の者が申すによる。

父は、その頁を俺に見せてから、静かに閉じた。

「三十七日や」

七海がいなくなったのは、板を読んだ日から数えて、三十七日目だった。

そして、日記の最後にあった六月九日の朝。

土間に、濡れた靴跡が一組だけあった。

戸には内側から心張り棒がかかっていた。

跡は、土間の真ん中で終わっていた。

上がり框には、一歩も上がっていない。

母はその日、初めて泣いた。

父は何も言わずに、土間を水で流した。

祖母が寝込んだのは、その秋だ。

枕元で、俺は初めて、板のことを話した。

祖母は天井を見たまま、しばらく黙っていた。

それから、こう言った。

「あの子は、ようやっとった」

「どこが」

「日記を、裏返して置いとったやろ」

俺は答えられなかった。

「あれは、こっちの向きに直してから置く、いうことや。読ませんための置き方や」

祖母は、それきり板の話をしなかった。

祖母は年が明けて、静かに息を引き取った。

最後の一週間は、ほとんど喋らなかった。

喋れなかったのではない。

母が枕元で話しかけると、うなずいたり、首を振ったりはした。

ただ、声だけを、出さなかった。

俺はそれを、看護の人に「衰弱です」と説明された。

そうなのだろうと思うことにした。

妹が黙っていたのは、口を貸したからではなかった。

貸したままの口で、何も外に出さないよう、こらえていたのだ。

そして最後に、日記帳を持って出た。

俺に読ませないためだと、いまは思っている。

妹が声を出したのは、あれが最後だった。

あれから三十四年が経った。

俺は谷を出て、鳴門で所帯を持った。

父も母も、もういない。

奥檜の家は、盆に行って風を通すだけになった。

谷を出たのは、二十歳の春だ。

理由は自分でも説明できない。

ただ、あの家にいると、夜中に鉛筆の音がするような気がして、眠れなくなった。

妻には、妹のことを一度だけ話した。

行方が分からない、とだけ伝えた。

板のことは話していない。

話せば、口に出すことになるからだ。

去年の夏、中学生になる娘を連れて、久しぶりに泊まった。

川原へ下りるな、とだけ言っておいた。

言っておいたのに、娘は夕方に濡れた靴で帰ってきた。

手に、板を持っていた。

幅は手のひらほど。

長さは三十センチくらい。

片面に、縦に長い字が、右上へ登っている。

「これ、なんて読むん」

俺は、答えなかった。

板を受け取って、土間で一遍、裏返して置いた。

娘が不思議そうに見ていた。

説明はしなかった。

娘は、その板をどこで拾ったかも覚えていないと言った。

気づいたら手に持っていた、と。

俺はそれ以上、訊かなかった。

その晩、娘が寝てから、俺は懐中電灯を持って土間へ下りた。

板は、置いたときのままだった。

ただ、床との間に、白い砂がひとつまみ溜まっていた。

三十年以上、誰も川原の砂を持ち込んでいない家だ。

俺は掃かなかった。

掃けば、板を動かすことになる。

その板は、今も奥檜の土間にある。

裏返したままだ。

去年、風を通しに行ったとき、位置が半歩ぶんずれていた。

誰も上がっていない家だ。

俺はそれを、元の場所に戻さなかった。

ずれ方には、規則があるように思う。

去年は半歩、その前の年は指三本ぶん。

毎年少しずつ、上がり框のほうへ寄ってきている。

この調子でいけば、あと何年かで框に届く。

そのとき自分がどうするのかは、まだ決めていない。

戻すには、一度持ち上げなければならない。

持ち上げれば、どうしても、下の面が目に入る。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。