赤の他人
公開日: ほんのり怖い話
俺は物心付いた時から片親で、父親の詳細は判らないままだった。
俺は幼少期に母親から虐待を受けていて、いつも夕方の17時から夜の21時まで家の前でしゃがみ込み、母親が風呂に入って寝るのを待っていた。
ボロアパートの2階だったので、階段下でずっと待つんだ。
夏も冬も暑くても寒くても、とにかく4時間も外で待つのは辛かった。
しかし家に入ると母親に殴られるので外に居た。
21時になると母親は寝るのでこっそりと家に入り、朝まで押入れの中で眠った。
母親は明け方の3時頃に家を出て行くので、それから起きて家にあるご飯を食べた。
生活保護を受けていたのか仕事をしていたのかは不明だが、一応給食費だけは出していたので、平日は給食が唯一のまともなご飯だった。
母親は夕方の16時55分には必ず家に帰って来た。
男を連れて来る時もあった。
その男も母親と同じように、俺にしつけと言いながら殴る蹴るの暴力を行った。
そんな日々が、俺の小学校生活に於ける日常だった。
※
俺が小学5年生になったある日、学校の友人数人が万引きをして捕まった。
俺は万引きをしなかったのだが、一緒に居た事で注意を受けるために学校へ連れて行かれた。
親が迎えに来てぶん殴られる子も居れば、泣きながら謝る親も居た。
俺の親は迎えに来なかった。何度電話をしても。
担任は俺と一緒に家に行くと言うが、俺は必死で断った。怖かったんだ、暴力が。
何とか俺は無実だった旨を伝え、また親は忙しくて夜中しか家に帰らないと嘘を吐いた。
そして、注意指導と先生から母親への文書報告だけで済むことになった。
※
取り敢えず難を逃れたと思ったが、結局帰った瞬間に包丁で手を切られた。
初めて泣き叫びながら「死」を感じた。
異常だと思ったのかアパートの住人の誰かが警察を呼んだらしく、数人の警官が駆け付けて母親を取り押さえ、俺は養護施設(孤児院と呼ばれていたけど)へ入所することになった。
※
中学卒業と同時に俺は仕事を探し、今の仕事(とび)に就いた。
院の先生は良い人達だったので、今でも繋がりがある。
※
今だににぞっとするのは、俺が母親だと思っていた女性が赤の他人だったこと(あれ以来会っていないが)。
そして俺の母親は戸籍上、俺が2歳の時に死んでおり、俺には父しか居なかった。
父親との面識は一度も無い。それを本当につい最近知った。
ただ、俺は暴力を振るわれようと貶されようと涙を流しながら耐えて、いつかはいつかはと普通の家族を夢見て信じていた母親と呼べる女性が、他人で誰かも判らないと言う事実が正直怖かった。
あの女性は誰で、何の関係で俺を育てていたんだろう。
本当に極稀に俺を撫でた手の優しさは何だったんだろう。
そう考えると泣けてもくる。
あの家に行ってみたが、今は誰も住んでいなかった。
でも階段下の壁に『まーくん』と削られた文字を見つけて、不可思議な同居生活が何だか虚しく思い出された。
※
この投稿への返信
泣いた。
そして怖かった。
養護施設の人に聞いたら情報持ってるんじゃない?
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それが不思議なんだけど、院の先生は知らないと言うんだ。
警察から連絡があってそのまま預かった経緯は教えてくれたけど、それ以外は不明だと言って教えてくれないんだ。
それで俺は父に育てられていたことになっているんだけど、俺は父の顔も知らないんだよね。
もしかしたら事情を考慮して隠しているということも考えられるけど、嘘を吐く必要も無いし。
取り敢えず父親は俺に会いに来たことさえ無いし、今も不明だし。
あの女性は何者なのか知らないままの方が良いかもしれないから、俺も深くは探さないつもり。