用水路の向こう

月夜の田んぼ道

実家の農作業を本格的に手伝い始めたのは、三十五歳のときだった。

それまでは隣県の機械部品工場で修理の仕事をしており、盆と正月に帰省するだけだったが、父が腰を悪くして農作業がままならなくなったと聞き、仕事を畳んで広島の山あいにある実家に戻ることにした。

実家は中山間地の棚田地帯にある。田んぼは五反ほど、米と少量の野菜を作る小さな農家だ。林業もかつてはやっていたが、父の代から田んぼだけが残った。私は機械の扱いに慣れていたので、古い農機具のメンテナンスや、水路の管理といった細かい仕事はそれほど苦にならなかった。

むしろ、春の田植え前後の水管理というものが、思いのほか繊細な仕事だと知ったことが最初の驚きだった。

棚田に水を引く用水路は、山の上の溜め池からいくつかの分岐を経て各田んぼへ流れてくる。分水板という木の板を差し替えることで、どの田んぼにどれだけ水を流すかを調整する仕組みだ。板の差し方ひとつで水量が変わり、田んぼ一枚一枚に均等に行き渡るかどうかが決まってくる。私が管理していた板は全部で十一枚。場所と役割を覚えるのに、二年かかった。

一つひとつの板に名前はないが、それぞれ微妙に形が違い、慣れると見ただけでどれがどこの板かわかるようになる。昔から使われてきた板らしく、表面は年季が入っていて、田んぼの水と土とで黒く変色していた。父はこれを当たり前のように扱っていたが、よく考えればかなりの年数使い続けていることになる。

父が私に水路の管理を直接教えてくれたのは、帰省して三年目の春のことだった。

夕方の見回りに二人で出て、用水路に沿って土手を歩きながら、板の差し方と水量の読み方を教わった。帰り際、父が言った。

「夜中に気になって見に来ることもある。そのときに向こう岸に何かいても、見るな。声をかけるな。聞こえても聞こえないふりをして、自分の作業だけやったら帰ってこい」

私は少し笑って、なぜかと聞いた。

「じいちゃんにそう言われたから」と父は言った。

「じいちゃんが何か見たのか」

父は川面を見たまま少し黙ってから、「知らん」と言った。

それ以上は聞かなかった。夕暮れ時の用水路は普通の川だった。水が流れる音がして、向こう岸には雑草が茂っているだけだった。何もない場所に、ただそういう話がある。田舎にはよくあることだと、そのときは思っていた。

初めてそれを見たのは、父からその話を聞いた翌年の春だった。

田植えの一週間ほど前、午前一時を過ぎたあたりで目が覚めた。理由はわからない。ただ、水が足りなくなっているかもしれない、という感覚があった。父が前の年に「夜中に気になって出ることがある」と言っていたのを思い出し、私も長靴を履いて懐中電灯を持って外に出た。

夜の棚田地帯は静かだった。遠くで小川が流れる音だけがしている。懐中電灯の光が土手の草を照らし、用水路の黒い水面に落ちた。三月の下旬で、昼間は暖かくなってきていたが、夜はまだ息が白く見えた。山の輪郭が月明かりで薄く浮かんでいた。

分水板の位置を確認しながら土手を歩いていると、向こう岸に人の形をしたものが立っているのに気づいた。

最初は近所の人かと思った。あるいは自分と同じように夜の見回りに来た誰かだと。だが声をかけようとした瞬間、父の言葉が頭をよぎった。

見るな。声をかけるな。

私は懐中電灯を向こう岸に向けるのをやめた。手元の分水板だけを照らして、水量を確認した。流れを調整して、板を差し直した。その間、向こう岸に向けて目を上げなかった。

気配がした、とも言えないし、しなかった、とも言えない。ただ、作業をしている間中、誰かがそこにいる、という感覚だけが続いていた。水路の向こうで、何かがじっとしていた。

板の確認が終わって、私はそのまま家に戻った。振り返らなかった。

翌朝、明るくなってから水路へ出た。

向こう岸に人の姿はなかった。足跡もなかった。夜露で湿った草は、誰かが踏んだような跡もなく、きれいなままだった。

分水板を数えると、一枚多かった。

十一枚のはずが、十二枚あった。余分な一枚は向こう岸側の分水口の脇に、ほかの板と同じように立てかけてあった。新しい板ではなかった。表面の古び方はほかの板と変わらず、まるで最初からそこにあったかのように、ごく自然に置かれていた。

父に電話で伝えると、父はしばらく黙った。

「そのまま置いといたらいい。触らんでいい」

「何なんだ、あれは」

「そういうもんだ」

それだけだった。以来、その板は向こう岸の定位置に置かれたままだ。私は一度も触れていない。

その後も、春の水入れの時期に夜中の見回りをしていると、向こう岸にそれが立っていることがあった。

二年目に一度。三年目に二度。四年目にはなかった。五年目の春には、深夜に出たとき、向こう岸のそれがいつもよりずいぶん水路に近い場所に立っていた気がしたが、確かめなかった。確かめる気にならなかった。

あるとき、村の古老に雑談のついでに用水路の話を振ってみたことがある。向こう岸に人が立っているのを見たことがあるか、と。老人はしばらく間を置いてから、「そういうことはある」とだけ言い、それ以上何も話さなかった。村の人間はたぶんみんな知っているのだ。そしてみんな、同じように黙っていた。

五年が経つころには、慣れてしまっていた。

向こう岸に輪郭が浮かんでいても、動揺しなくなった。板の確認をして、水量を整えて、家に帰る。それだけのことだった。声をかけたいとも、正体を確かめたいとも思わなくなった。父から言われたことを守り続けた。

向こう岸の十二枚目の板は、その間もずっと同じ場所にあった。

父が亡くなったのは今年の一月のことだ。

入院中に一度だけ、水路のことを聞こうとした。父は少し考えてから口を開いた。

「じいちゃんが若いころ、一度だけ声をかけたことがあったらしい。そのあと、一冬ずっと体の具合が悪くて起き上がれなかったと聞いた」

「それだけか」

「声をかけなければ何もない。見なければ何もない。ただそれだけのことだ。お前も、そのまま引き継いでくれ」

父はそれだけ言って、話を終えた。それ以上はもう聞けなかった。

今年の春、田植えの準備が始まった。父がいなくなって初めての水入れだった。

夜中の一時ごろ、いつものように目が覚めた。長靴を履いて懐中電灯を持ち、水路へ出た。夜の空気は冷たく、遠くで何かの動物の声がした。田んぼの土はまだ湿っていて、歩くたびに靴底が沈んだ。

向こう岸は暗く、何も見えなかった。

板の位置を確認して、水量を調整した。作業を終えて帰ろうとしたとき、ふと足元を見た。

泥の上に私の足跡が続いていた。

その隣に、別の足跡があった。

私の靴と同じくらいの大きさで、私が歩いてきた方向から、ずっと並走するように続いていた。それは水路の端まで来て、そのまま水の中へ入っていた。水から出てきていなかった。

私はしばらく、その足跡を懐中電灯で照らしていた。水面は黒く、音もなくゆっくりと動いていた。何も浮いていなかった。

そのとき気づいた。向こう岸に立てかけてあった十二枚目の板が、なくなっていた。

翌朝、水路を確認しに行くと、板は元の場所に戻っていた。何ごともなかったように、ほかの板と並んで立てかけてあった。

あれはどこへ行って、何をして帰ってきたのか。

私にはわからない。父も、じいちゃんも、何も残していかなかった。

板は今も十二枚ある。今年もまた、水入れの季節が近づいてきた。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

ミステリーを応援する

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

月額 150円(初月無料)または 480円 の買い切りで、
広告のない、静かな読書体験をお届けします。

プランを見る
メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
それでも応援したいと思ってくださる方へ、心より感謝いたします。