玄関の柱の木札は一枚だけ

暗い夜道(フリー写真)

私の住む町の街道筋では、玄関の柱の木札を数えれば、その家のことがだいたい分かると言われていました。

大晦日の晩に見た家は、木札が一枚しかありませんでした。

その一枚が何を意味するのかを知ったのは、年が明けてからです。

あれは、二年前の大晦日のことでした。

深夜、煙草が切れたので、少し離れたコンビニまで歩いて行きました。

私の住んでいるところは、はっきり言って田舎です。

ただ、昔は街道筋だったので、狭い道路を挟んで古い木造の家がずらりと並んでいます。

軒が深く、二階の窓が低い、そういう造りの家ばかりです。

普段なら、この時間は人通りがまったくありません。

その晩は、近所の寺や神社へ向かう人でしょうか、数人と擦れ違いました。

みな、こちらを見ずに黙って歩いていきました。

擦れ違ったのは、四人です。

三人は年配の夫婦と、その連れのようでした。

もう一人は、一人で歩く男でした。

その男とだけ、道の幅が狭くて肩が触れました。

薄い上着でした。

大晦日の深夜に着るような厚さではありません。

すみません、と私が言うと、男は少しだけ頭を下げました。

顔は見ませんでした。

いま思えば、あの男がどちらから来たのかも分かりません。

私の後ろから追い抜いたわけでも、前から来たわけでもない気がするのです。

肩が触れた感触だけは、はっきり残っています。

硬い肩でした。

薄い上着の下に、板でも入っているような。

コンビニで煙草と缶コーヒーを買いました。

レジの店員が、年末年始の営業時間の紙を貼っているところでした。

「今年もお世話になりました」

そう言われて、私は少し驚きました。

顔を覚えられているとは思っていなかったからです。

釣り銭を受け取るとき、店員が手を止めて言いました。

「帰り、街道のほう通られます?」

「そうですけど」

「気をつけて」

何に気をつけるのかは、言いませんでした。

この時期は酔った人が多いから、そういう意味だろうと思いました。

自動ドアが開くと、外の空気が冷たく入ってきました。

駐車場に、車は一台も停まっていませんでした。

店の明かりが、アスファルトを四角く照らしていました。

その四角から出た途端、足元が見えなくなります。

私は缶コーヒーの蓋を開けて、一口飲みました。

思っていたより熱く、舌を火傷しました。

その痛みが、帰り道のあいだずっと残っていました。

だから、夢ではないと言い切れるのです。

時刻は、午前零時を少し回ったところでした。

携帯で確かめたので、間違いありません。

零時七分。

その数字も、いまだに覚えています。

年が明けて七分後に、私はあれを見たことになります。

初詣の時間です。

町じゅうの人が、家を空けている時間でもありました。

外へ出ると、遠くで除夜の鐘が鳴り始めていました。

缶コーヒーを飲みながら、来た道をゆっくり戻りました。

除夜の鐘と街道筋

街道筋に入った途端、音が変わりました。

鐘の音が、急にくぐもって聞こえるようになったのです。

両側の家の壁が高いせいだと、そのときは思いました。

街灯は、五十メートルおきに一本しかありません。

その間は、ほとんど真っ暗です。

私は缶を持ったまま、道の真ん中を歩いていました。

この道は、昔から車がほとんど通りません。

子供の頃は、ここで自転車の練習をしました。

道の両側の家は、どれも似た造りです。

格子戸があって、その上に小さな庇が出ています。

二階の窓は、大人が手を伸ばせば届きそうな低さです。

昔は、そこから荷を出し入れしたと聞きました。

いまは、ほとんどの家が雨戸を閉めたままです。

空き家も増えました。

ただ、どの家も表札だけは出ています。

この町では、家を空けても表札を外さないのです。

「留守にしとるだけだから」

そう言う人が、多い土地でした。

私の家も、祖父の代から表札を替えていません。

祖父の名前のままです。

役所の人に言われても、父は外しませんでした。

「外すと、帰ってくる場所が分からんようになる」

そういう考え方をする土地でした。

右手に、古い薬屋の看板があります。

その先が、木札の家でした。

この町では、玄関の脇の柱に細長い木の札を打ちつける習慣があります。

私の家にも、七枚ほど重ねて打ってありました。

黒ずんで、字はもう読めません。

何のためのものか、子供の頃に父に聞いたことがあります。

「めでたいことがあると打つんだ」

それだけの説明でした。

札の数は、家によってまちまちです。

多い家は二十枚を超えています。

少ない家でも、三枚か四枚はありました。

その家だけが、一枚でした。

古い家で、間口も広いのに、柱に打たれているのは一枚だけです。

子供の頃から、そのことが少し気になっていました。

一度、母に聞いたことがあります。

「あそこの家、なんで札が一枚なの」

母は、洗い物の手を止めました。

「あそこの話はせんでええ」

それきりでした。

子供の頃の私は、貧しい家なのだろうと勝手に思っていました。

木札を打つのに、お金がかかるのだと思ったのです。

実際には、木札は自分で削るものでした。

お金は、一円もかかりません。

私の家の七枚も、曾祖父から順に増えたものです。

父が私の分を打ったときの話を、母から聞いたことがあります。

手が震えて、釘を三本曲げたそうです。

言われてみれば、いちばん下の一枚だけ、打ち方が少し斜めでした。

釘の頭が、少しだけ浮いています。

子供の頃、その浮きに指を引っかけて遊びました。

母に見つかると、必ず怒られました。

「そこは触るな」

理由は、やはり教えてくれませんでした。

白いものが揺れる

その家の前まで来たときです。

視界の端に、白いものがひらひらと入ってきました。

最初は洗濯物だと思いました。

大晦日に干しっぱなしにする家もあります。

気にせず通り過ぎようとしました。

近づくにつれ、形が分かってきました。

洗濯物ではありませんでした。

真っ白い着物を着た、女の人でした。

手足を広げて、二階の壁にべったりと貼り付いています。

ヤモリのような姿でした。

顔は壁のほうを向いています。

まるで、家の中を覗き込んでいるようでした。

壁は、板を横に張った古い造りです。

つかまるところなど、どこにもありません。

二階の窓は、女の右手のさらに先にありました。

届く距離ではありません。

それでも、女は落ちませんでした。

私は、その時点で相手が生きている人ではないと判断しました。

垂直の壁に貼り付くような真似は、人の体ではできないからです。

判断したのに、足は止まりませんでした。

いま思うと、なぜあんな行動を取ったのか分かりません。

私は、気づいたことを悟られてはいけないと思ったのです。

それで、そのまま通り過ぎることにしました。

冷静なつもりでしたが、かなり混乱していたのでしょう。

引き返して別の道から帰るという手も、あったはずなのです。

極力そちらを見ないようにしていました。

それでも、気になります。

歩きながら、何度か盗み見をしました。

若い女性のように見えましたが、自信はありません。

顔が見えなかったからです。

もし見えていたら、私は声を上げていたと思います。

着ているものは、着物というより白い経帷子のようでした。

葬儀のときに用いる、あの白い衣です。

帯はしていませんでした。

袖が、風もないのに揺れていました。

髪は、背中まで垂れていました。

その髪も、揺れていました。

ただし、袖とは違う方向にです。

袖は下から上へ、髪は左右へ。

同じ場所にいるのに、別々の風に吹かれているようでした。

そのことに気づいたとき、私は歩く速さを変えないようにするので精一杯でした。

速くしても、遅くしても、気づいたことがばれる気がしたのです。

足の裏の感覚だけが、やけに鮮明でした。

アスファルトの継ぎ目を、一つずつ数えていました。

家の間口ぶんで、継ぎ目は四つあります。

一つ、二つ、三つ。

四つ目を越えれば、あの家の前を抜けられる。

ところが、三つ目のあとがなかなか来ませんでした。

歩数だけが増えていきます。

顔を上げずに歩いていたので、距離の感覚が狂ったのだと思います。

そう思うことにしました。

あとで歩数を数え直しに行ったことがあります。

昼間に、同じ場所を同じ歩幅で。

三十二歩でした。

あの晩は、五十は歩いた気がしています。

そう思って歩いていました。

お前で終わりだ

ちょうど真下を通ったときです。

微かに、声が聞こえました。

「お前で終わりだ」

女の声でした。

低くはありません。

むしろ、若い人の声でした。

「お前で終わりだ」

同じ言葉を、繰り返していました。

抑揚がありませんでした。

数を読み上げるような調子です。

私は、その声が壁のほうから来ているのかを確かめようとしました。

確かめられませんでした。

声は、上からではなく、真横から聞こえていたのです。

ちょうど、自分の耳の高さでした。

「お前で終わりだ」

三度目を聞いたとき、私はようやく気づきました。

その声は、私に向けられたものではありませんでした。

語尾が、こちらを向いていないのです。

誰かに言い聞かせている調子でした。

言い聞かせる相手は、家の中にいるはずです。

しかしその晩、二階の雨戸は閉まっていました。

一階の格子戸も、外から錠が下りていました。

誰も出入りできない家に向かって、誰かが何かを告げている。

その構図に気づいた瞬間、背中の汗が冷たくなりました。

私は、缶コーヒーを落としました。

アスファルトの上で、音が転がりました。

拾いませんでした。

角を曲がって、相手から自分の姿が見えないと分かった瞬間、足がすくみました。

それから走りました。

家に着いて、鍵をかけて、部屋に入って布団をかぶりました。

除夜の鐘は、まだ鳴っていました。

その音を聞きながら、私は朝まで起きていました。

翌朝、明るくなってから、同じ道を見に行きました。

壁には、何もありません。

板の継ぎ目に、埃が溜まっているだけです。

落とした缶コーヒーは、道の端に転がっていました。

中身が全部こぼれて、凍っていました。

その家は、雨戸が閉まっていました。

玄関に、正月飾りはありませんでした。

表札は出ています。

郵便受けに、年賀状が挟まったままになっていました。

私は、郵便受けを覗きました。

年賀状は一枚だけです。

差出人の欄は、雨に濡れて滲んでいました。

宛名は読めました。

この家の名字でした。

その下の名前は、消えています。

玄関の柱を見ました。

木札は、やはり一枚です。

近くで見ると、字が彫ってありました。

日付でした。

元号の部分は読めましたが、数字が潰れていました。

指でなぞると、彫りの溝に土が詰まっていました。

爪で少しだけ掻き出しました。

そこでやめました。

他人の家の柱を掘るのは、さすがに気が引けたのです。

帰り際、もう一度二階を見上げました。

板の一枚だけが、ほかより白く見えました。

ちょうど、女が貼り付いていたあたりです。

玄関の柱の木札

正月の三日に、近所の寄り合いがありました。

私は、隣に座った古老に木札のことを聞きました。

「あれは、子が生まれたときに打つんよ」

「めでたいことがあると打つ、と聞いたことがあるんですが」

「まあ、それでも間違いではないな」

古老は、湯呑みを両手で持って言いました。

「昔はな、生まれた子の数だけ打ったんよ。無事に育つようにと」

「数が多い家は」

「子が多かった家だ」

私は、あの家のことを聞きました。

場所を言うと、古老は少し黙りました。

「あそこはな、代々、一人しか生まれん家だった」

「一人」

「そうだ。三代続けてな」

「いまは、どなたが」

「誰もおらん」

私は、聞き間違いかと思いました。

「表札は出ていましたが」

「出とるだけだ。三十年、誰も住んどらん」

古老は、湯呑みを置きました。

「最後の子が家を出て、それきりだ」

「木札は、一枚でしたが」

「打つ者がおらんかったんだろう」

私は、木札に日付が彫ってあったことを話しました。

古老は頷きました。

「生まれた日を彫るんよ」

「では、あの一枚は」

「最後に生まれた子の日だな」

「その方は、いまどこに」

古老は、答えませんでした。

湯呑みの底を、指でこすっていました。

「家を出た子のことは、この町では言わんことになっとる」

そう言って、話を変えました。

帰り際、玄関で靴を履いていると、古老が追いかけてきました。

「あんた、見たんか」

私は答えませんでした。

古老は、それで察したようでした。

「大晦日だろう」

「なぜ分かるんですか」

「うちの親父も見とる」

「同じものを」

「白いのが壁におる、と言うとった。三十年前のことだ」

三十年前。

古老は、下駄を履きながら続けました。

「親父はな、その晩から寝込んでな」

「何かあったんですか」

「別に。ただ、大晦日に外へ出んようになった」

「それだけですか」

「それだけだ。だが、十年続いた」

古老は、私の顔を見ました。

「あんたも、当分は出んほうがええ」

その言い方は、忠告というより、確認のようでした。

もう決まっていることを、なぞっているような。

あの木札が打たれた年と、たぶん同じです。

私は、あの晩の声をもう一度思い出しました。

お前で終わりだ。

あれは、私に向けられた言葉ではなかったのです。

壁に貼り付いた女は、家の中を覗いていました。

中には、誰もいません。

いや、正確に言えば、誰もいないことを確かめていたのかもしれません。

毎年、大晦日に。

玄関の柱の木札が増えていないことを、外から。

そう考えると、あの姿勢の意味が分かる気がしました。

壁に貼り付いていたのは、窓を覗くためではありません。

窓の位置は、右手のさらに先でした。

女が顔を向けていたのは、二階の壁そのものだったのです。

その真下に、柱があります。

二階の壁と、玄関の柱。

その二つは、同じ通り側の面にあります。

上から見下ろせば、木札の枚数は数えられるはずです。

一枚だけの柱を、毎年見下ろしている。

そして、同じ言葉を繰り返す。

そう考えたとき、私は自分の家の柱を思い出しました。

七枚あります。

三十年、誰も打っていない柱が、この道にはあります。

その家の柱には、三十年前の札が最後の一枚として打たれたままでした。

七枚あるということは、七回、誰かが釘を打ったということです。

大晦日ごとの音

その話を聞いてから、私はあの道を昼しか通らなくなりました。

妻には話していません。

話すと、この町に住みたがらなくなる気がしたからです。

去年の大晦日、私は煙草を買いに行きませんでした。

前の日に、二箱まとめて買っておきました。

それでも、深夜に外で音がしました。

壁を、何かが軽く叩くような音です。

一定の間隔で、二十回ほど続きました。

私は、窓を開けませんでした。

翌朝、うちの玄関を見に行きました。

柱の木札は、七枚のままでした。

ただ、いちばん下の一枚が、少しだけ浮いていました。

釘の頭が、二ミリほど出ていました。

私はそれを、金槌で打ち直しました。

打ちながら、古老の言葉を思い出していました。

無事に育つように。

うちには、子供がいます。

赤い服の男のように、この街道筋には夜だけ現れるものの話がいくつも残っています。

アキ様を読んだとき、家に付くものと土地に付くものの違いを考えました。

今年の大晦日も、煙草は前の日に買っておくつもりです。

そして玄関の柱の木札を、もう一度数えます。

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