祖父の剪定鋏を、去年、譲り受けた。
柄の木が、握りの形に凹んでいる。
凹みは、二つあった。
※
うちは、津軽の岩木川沿いでりんごを作っている。
祖父の代からで、私は三代目にあたる。
園は八反ほど。
岩木山が、園のどこからでも見える。
春は摘花、初夏は摘果、夏は袋を掛けて、秋に外す。
外した実が日に当たって色づくまで、二週間ほど待つ。
その二週間が、一年でいちばん静かだ。
畑に入ると、葉ずれの音しかしない。
十一月に入ると、朝は霜が降りる。
軍手が、すぐに湿って重くなる。
古い木が多く、幹の太さが一抱えあるものも残っている。
子どもの頃、祖父の後をついて園を歩くのが好きだった。
祖父は無口で、質問には答えたが、自分からは何も言わない人だった。
ただ、園の中を歩く順路だけは決まっていた。
西の端から入って、畝を東へ、東の端で折り返して、また西へ戻る。
最後に必ず、園の南のはずれにある一本の前で立ち止まる。
その木の前で、祖父は少しのあいだ動かない。
それだけだ。
夏の夕方でも、雪の日でも、順路は変わらなかった。
雨で作業ができない日にも、長靴を履いて園を一周した。
最後の一本の前に立って、二十秒か三十秒、動かない。
数えたことがある。
いつも、だいたい同じ長さだった。
何を見ているのかと訊いたことがある。
「代わりだ」
そう答えた。
意味は分からなかった。
※
この土地には、木の「代わり」を決めておく習わしがある。
りんごの木は、そう長くはもたない。
枯れる木が出る。
そのとき、あらかじめ決めておいた別の一本を、枯れた木と同じ形になるまで仕立て直す。
枝の出る高さも、主枝の開く角度も、写す。
「形が揃わんうちは、園の名は変えられん」
祖父は、そう言っていた。
園の名というのは、共選所に出すときの屋号のことだ。
つまり、形が揃うまでは、代替わりも認められないということらしい。
子どものときは、面倒な決まりだと思った。
今は、少し違うふうに思う。
共選所の壁に、古い園の一覧が貼ってある。
屋号と、当主の名前が並んでいる。
名前の下に、括弧書きで年号が入っている。
継いだ年だ。
その年号が、うちだけ二つ書いてある。
昭和二十二年と、昭和二十三年。
一年ずれている。
子どもの頃から見ていたのに、何とも思っていなかった。
※
祖父には、兄がいた。
私は写真でしか知らない。
仏壇の脇に、一枚だけ小さいのが立ててある。
学生服のような詰襟を着て、片方の眉だけ上がっている。
戦後すぐに、二十歳で亡くなったと聞いた。
祖父はその兄の話を、一度もしなかった。
訊いても、うん、とだけ言って別のことをした。
父も知らないと言っていた。
「じいさんの兄貴の話は、この家では、しない」
理由を訊いたら、
「訊いたことがない」
と言われた。
訊かないという習慣だけが、二代続いていた。
※
異変に気づいたのは、祖父が施設に入った年の秋だ。
選果場のラジオが、毎晩、同じ時刻に別の局に変わる。
七時十二分。
私が付けているのはNHKなのに、気づくと民放の演歌が流れている。
最初は接触が悪いのだと思った。
選果場の配線を全部やり替えた。
それでも変わった。
時刻も、一分と狂わない。
七時十二分に、選果場にいる必要はない。
だから最初のうちは、後から気づくだけだった。
ある晩、時計を見ながら待った。
七時十一分。
何も起きない。
七時十二分。
ラジオの音が、途切れもせずに変わった。
つまみは回っていない。
私は、しばらくその場から動けなかった。
翌日、電気屋を呼んだ。
一時間かけて調べて、どこも悪くないと言われた。
「念のため」
と言って、新しいラジオを置いていってくれた。
その晩、新しいほうも七時十二分に変わった。
電気屋には、それは伝えなかった。
※
その次に起きたのは、音ではなく匂いだった。
十月の終わり、選果場に入ると、切ったばかりの枝の匂いがした。
剪定は冬にしかやらない。
十月に枝を切る者はいない。
匂いは、南側の壁のあたりでいちばん強かった。
壁の向こうは、園の南のはずれだ。
懐中電灯を持って出た。
木の下に、切られた枝が三本、揃えて置いてあった。
切り口は、まだ湿っていた。
どれも、左側から入った刃の角度だった。
※
次に気づいたのは、園の見取り図だ。
祖父が三十年前に方眼紙で作ったもので、木の一本ごとに番号が入っている。
一から百八十七まで。
それを数え直したら、番号のない木が一本あった。
南のはずれの、あの木だ。
枠だけが描かれて、中が空白になっている。
消しゴムで消した跡ではない。
はじめから、書かれていない。
父に見せたら、老眼鏡を掛けて長いこと見ていた。
「あるな、木は」
「あるよ」
「じゃあ、書き忘れだ」
そう言って、父は方眼紙を裏返した。
裏返してから、また表に戻して、二度見た。
それきり、その話をしなくなった。
※
十二月に入って、園の木を全部、数え直した。
一本ずつ、番号を確かめて歩いた。
百八十七まで、番号は合っていた。
南の木を入れると、百八十八になる。
共選所に届けてある本数は、百八十八だった。
書かれていないのに、数には入っている。
※
その木には、祖父は毎年、袋を掛けなかった。
りんごの袋掛けは、色を良くするためにやる。
一本だけ掛けないというのは、商品にしないということだ。
実はなる。
なるが、祖父はそれを共選所に出さなかった。
毎年、その木の実だけを、木箱に入れて家の土間に置いた。
そして、正月が来る前に、いつのまにか無くなっていた。
どこへやったのかは、誰も知らない。
一度、中学生の頃に、その木の実を一つ食べたことがある。
土間の木箱から黙って取った。
甘くも酸っぱくもなかった。
味が薄いのではない。
味の記憶が残らない、という感じだった。
何を食べたのか、その日の夕方にはもう思い出せなかった。
祖父には、何も言わなかった。
言わなかったのに、その晩、祖父が土間から木箱を持って出て行った。
数を数えに行ったのだと思う。
※
鋏の握りの跡に気づいたのは、その冬だ。
祖父の剪定鋏を研ぎに出そうとして、柄をよく見た。
木の柄が、二か所で凹んでいる。
一つは、人差し指と中指のあたり。
もう一つは、そこから二センチほど下だ。
握る位置が違う。
手の大きさか、癖の違う人間が、同じ鋏を長く使うと、そうなる。
祖父の手は大きかった。
下の凹みは、明らかに小さい手のものだった。
祖父は生涯、鋏を人に貸さなかった。
それは私が一番よく知っている。
剪定の時期になると、園に人を頼む。
七、八人が入る。
そのとき、鋏を忘れてきた人がいた。
祖父は自分の鋏を貸さず、車で町の金物屋まで買いに行った。
往復で一時間かかった。
一時間ぶんの日当を払ってでも、貸さなかった。
※
剪定の仕方にも、妙な癖があった。
祖父は、剪定のとき、必ず鋏を右手から左手に持ち替えてから枝を落とした。
右手で位置を決めて、持ち替えて、切る。
面倒なやり方だ。
二度手間になる。
私が真似したら、
「お前は右でいい」
と言われた。
なぜ自分はそうするのか、とは言わなかった。
持ち替えるとき、祖父はいつも一度、鋏の刃を閉じた。
閉じてから、左手に渡す。
渡してから、また開く。
その手順が、三十年、一度も変わらなかった。
私は真似をして、何度か指を挟んだ。
※
共選所の古い台帳を見せてもらったのは、去年の三月だ。
昭和二十二年から残っている。
出荷者の名前と等級と箱数が、鉛筆で書いてある。
祖父の名前を探した。
あった。
その二行下に、同じ名前がもう一つあった。
姓も名も、一字も違わない。
等級も、箱数も違う。
上の行は、二十三箱。
下の行は、二十三箱。
箱数だけが、同じだった。
※
組合の松橋さんに訊いた。
八十五になる人で、今も帳面のことなら何でも知っている。
「ああ、それな」
松橋さんは老眼鏡を上げて、台帳を指でなぞった。
「兄さんが亡くなった年だ」
「同じ名前で二行あるのは、どうしてですか」
「代わったからだ」
松橋さんは、当たり前のことのように言った。
「うちの土地じゃ、園の名を継ぐときは、前の人の名で一度出す」
「前の人が出したことにして、それから、自分の名にする」
「形が揃うまで、な」
「その一年は、どっちの名前で出したことになるんですか」
松橋さんは、湯呑みの底を見ながら答えた。
「どっちでもない」
「園の名で出す」
「人の名前は、そのあいだ、空いとるんだ」
空いている、という言い方が、耳に残った。
※
形が揃うまで。
祖父が言っていたのは、木の話だと思っていた。
※
その日から、私は南の木を毎日見に行くようになった。
見に行っても、何も起きない。
ただ、木の形が、園のどの木にも似ていないことに気づいた。
主枝が三本しか出ていない。
うちの園の仕立て方ではない。
祖父の父の代の仕立て方でもない。
松橋さんに写真を見せたら、しばらく黙ってから言った。
「これは、隣の郡のやり方だ」
「この辺じゃ、誰もこうは仕立てん」
「ただな」
松橋さんは湯呑みを置いた。
「あんたの祖父さんの兄さんが、戦争の前に、一年だけ隣の郡に奉公に行っとった」
「その先の家も、りんごですか」
「りんごだ」
松橋さんは、少し考えてから続けた。
「あそこの家も、代わりの木を決める家でな」
「兄さんは、そこで仕立てを覚えて帰ってきた」
「帰ってきて、南のはずれに一本、その形で仕立てた」
「なんで、そんなことを」
「知らん」
松橋さんは老眼鏡を外した。
「訊いた者は、おらんかったんだと思う」
※
つまり、この木は、祖父の兄が仕立てた形をしている。
祖父は三十年、その形を残していた。
枝を落とすたび、その形から外れないように落としていた。
だから、持ち替えていたのだ。
兄が左利きだったからだ。
右手で見て、左手で切る。
自分の癖ではなく、兄の癖で切っていた。
※
そこまで分かって、私は少し安心した。
弟が兄の形を写して残した。
悼み方としては、静かで、この土地らしい。
そう思った。
思ってから、鋏をもう一度見た。
柄の凹みは、二つある。
上のほうが、祖父の指の位置だ。
下の小さいほうが、兄のものだということになる。
だが、その鋏を私は、祖父が七十のときに新しく誂えたものだと聞いていた。
兄が亡くなって、三十年以上あとの鋏だ。
金物屋に確かめに行った。
先代の帳面が残っていた。
昭和五十八年、誂え。
柄は新しい朴の木だと書いてある。
「その後、柄を替えたことは」
「ないな。替えたら記録が残る」
店の主人は、鋏を光にかざして、こう言った。
「この凹み、二つあるべ」
「はい」
「同じ人が、二か所握ることはあるんだわ」
「けどな、木の減り方は、二か所とも同じ速さで減る」
「これは、下のほうが古い」
新しい柄の、下の凹みだけが古い。
帰りの車の中で、私は一つのことを考えていた。
祖父は、七十で鋏を誂えた。
誂えてから、亡くなるまで十六年ある。
十六年ぶんの握りが、上の凹みだ。
では、下のほうは、何年ぶんなのか。
店の主人は、こう言っていた。
「そっちのほうが深いな」
※
施設に祖父を訪ねた。
その頃はもう、私の顔と父の顔の区別がついていなかった。
ベッドの脇に座って、鋏を出して見せた。
祖父は、少しのあいだ天井を見ていた。
それから、右手を出して、左手に持ち替える仕草をした。
何も持っていない手で。
「ここは、まだ揃わんな」
そう言った。
「何がですか」
「形だ」
「誰の形ですか」
祖父は答えなかった。
代わりに、こう言った。
「兄が持ち替えとったのはな、兄の癖じゃない」
私は、意味が分からず訊き返した。
「じゃあ、誰の癖なんですか」
「知らん」
祖父は、天井を見たまま言った。
「わしも、訊く相手がおらんかった」
祖父はそれから、私の顔を見た。
その日、初めて焦点が合ったように思えた。
「南の木、袋掛けたか」
「掛けてません」
「それでいい」
祖父は目を閉じた。
「掛けると、色がつく」
「色がつくと、出せてしまう」
※
帰り道に、松橋さんの家に寄った。
祖父の言葉をそのまま伝えた。
松橋さんは、しばらく黙っていた。
「出したらいかんのだ」
「なんでですか」
「出したもんは、人の口に入る」
「人の口に入ったら、形が広がる」
それ以上は、何も言わなかった。
帰りぎわ、玄関でこう言われた。
「あんたの家の南の木な」
「わしの祖父さんの代からある」
祖父の兄が仕立てたという話と、合わない。
※
その年の秋、祖父は施設で穏やかに息を引き取った。
葬儀のあと、土間に木箱が一つ置いてあった。
南の木の実が、二十ばかり入っていた。
誰が採ったのか、家の者は誰も知らなかった。
正月の前に、木箱は無くなっていた。
※
今年、私は初めて南の木を自分で剪定した。
右手で位置を決めて、左手に持ち替えて、切った。
そうしないと、枝の落ちる場所が合わない。
合わせようとすると、体が勝手にそうなる。
選果場のラジオは、七時十二分に変わる。
もう直そうとは思わない。
※
先月、女房が妙なことを言った。
「あんた、最近、鋏の持ち方が変わったね」
「そうか」
「お義父さんじゃなくて、その上の人みたい」
「見たことないだろう」
と私は言った。
女房は、少し困った顔をした。
「写真の、手の位置」
仏壇の写真は、胸から上しか写っていない。
手は、写っていない。
女房は、祖父の兄の写真を、仏壇で毎日見ている。
※
先週、鋏を研ぎに出した。
戻ってきた柄を、明るいところで見た。
凹みが、三つになっていた。
一番上の、まだ浅いのが、私の指の位置だった。
※
共選所の台帳は、今年から私の名前で出している。
祖父の名で一度出してから、私の名にした。
松橋さんが、そうしろと言ったからだ。
帳面を閉じるとき、松橋さんがぽつりと言った。
「形が揃うと、次の代わりを決めることになる」
「誰が決めるんですか」
松橋さんは、少し笑って答えなかった。
※
南の木は、今年もよく実った。
袋は掛けていない。
実は、木箱に入れて土間に置いてある。
正月まで、あと少しある。