代わりの木

祖父の剪定鋏を、去年、譲り受けた。

柄の木が、握りの形に凹んでいる。

凹みは、二つあった。

うちは、津軽の岩木川沿いでりんごを作っている。

祖父の代からで、私は三代目にあたる。

園は八反ほど。

岩木山が、園のどこからでも見える。

春は摘花、初夏は摘果、夏は袋を掛けて、秋に外す。

外した実が日に当たって色づくまで、二週間ほど待つ。

その二週間が、一年でいちばん静かだ。

畑に入ると、葉ずれの音しかしない。

十一月に入ると、朝は霜が降りる。

軍手が、すぐに湿って重くなる。

古い木が多く、幹の太さが一抱えあるものも残っている。

子どもの頃、祖父の後をついて園を歩くのが好きだった。

祖父は無口で、質問には答えたが、自分からは何も言わない人だった。

ただ、園の中を歩く順路だけは決まっていた。

西の端から入って、畝を東へ、東の端で折り返して、また西へ戻る。

最後に必ず、園の南のはずれにある一本の前で立ち止まる。

その木の前で、祖父は少しのあいだ動かない。

それだけだ。

夏の夕方でも、雪の日でも、順路は変わらなかった。

雨で作業ができない日にも、長靴を履いて園を一周した。

最後の一本の前に立って、二十秒か三十秒、動かない。

数えたことがある。

いつも、だいたい同じ長さだった。

何を見ているのかと訊いたことがある。

「代わりだ」

そう答えた。

意味は分からなかった。

この土地には、木の「代わり」を決めておく習わしがある。

りんごの木は、そう長くはもたない。

枯れる木が出る。

そのとき、あらかじめ決めておいた別の一本を、枯れた木と同じ形になるまで仕立て直す。

枝の出る高さも、主枝の開く角度も、写す。

「形が揃わんうちは、園の名は変えられん」

祖父は、そう言っていた。

園の名というのは、共選所に出すときの屋号のことだ。

つまり、形が揃うまでは、代替わりも認められないということらしい。

子どものときは、面倒な決まりだと思った。

今は、少し違うふうに思う。

共選所の壁に、古い園の一覧が貼ってある。

屋号と、当主の名前が並んでいる。

名前の下に、括弧書きで年号が入っている。

継いだ年だ。

その年号が、うちだけ二つ書いてある。

昭和二十二年と、昭和二十三年。

一年ずれている。

子どもの頃から見ていたのに、何とも思っていなかった。

祖父には、兄がいた。

私は写真でしか知らない。

仏壇の脇に、一枚だけ小さいのが立ててある。

学生服のような詰襟を着て、片方の眉だけ上がっている。

戦後すぐに、二十歳で亡くなったと聞いた。

祖父はその兄の話を、一度もしなかった。

訊いても、うん、とだけ言って別のことをした。

父も知らないと言っていた。

「じいさんの兄貴の話は、この家では、しない」

理由を訊いたら、

「訊いたことがない」

と言われた。

訊かないという習慣だけが、二代続いていた。

異変に気づいたのは、祖父が施設に入った年の秋だ。

選果場のラジオが、毎晩、同じ時刻に別の局に変わる。

七時十二分。

私が付けているのはNHKなのに、気づくと民放の演歌が流れている。

最初は接触が悪いのだと思った。

選果場の配線を全部やり替えた。

それでも変わった。

時刻も、一分と狂わない。

七時十二分に、選果場にいる必要はない。

だから最初のうちは、後から気づくだけだった。

ある晩、時計を見ながら待った。

七時十一分。

何も起きない。

七時十二分。

ラジオの音が、途切れもせずに変わった。

つまみは回っていない。

私は、しばらくその場から動けなかった。

翌日、電気屋を呼んだ。

一時間かけて調べて、どこも悪くないと言われた。

「念のため」

と言って、新しいラジオを置いていってくれた。

その晩、新しいほうも七時十二分に変わった。

電気屋には、それは伝えなかった。

その次に起きたのは、音ではなく匂いだった。

十月の終わり、選果場に入ると、切ったばかりの枝の匂いがした。

剪定は冬にしかやらない。

十月に枝を切る者はいない。

匂いは、南側の壁のあたりでいちばん強かった。

壁の向こうは、園の南のはずれだ。

懐中電灯を持って出た。

木の下に、切られた枝が三本、揃えて置いてあった。

切り口は、まだ湿っていた。

どれも、左側から入った刃の角度だった。

次に気づいたのは、園の見取り図だ。

祖父が三十年前に方眼紙で作ったもので、木の一本ごとに番号が入っている。

一から百八十七まで。

それを数え直したら、番号のない木が一本あった。

南のはずれの、あの木だ。

枠だけが描かれて、中が空白になっている。

消しゴムで消した跡ではない。

はじめから、書かれていない。

父に見せたら、老眼鏡を掛けて長いこと見ていた。

「あるな、木は」

「あるよ」

「じゃあ、書き忘れだ」

そう言って、父は方眼紙を裏返した。

裏返してから、また表に戻して、二度見た。

それきり、その話をしなくなった。

十二月に入って、園の木を全部、数え直した。

一本ずつ、番号を確かめて歩いた。

百八十七まで、番号は合っていた。

南の木を入れると、百八十八になる。

共選所に届けてある本数は、百八十八だった。

書かれていないのに、数には入っている。

その木には、祖父は毎年、袋を掛けなかった。

りんごの袋掛けは、色を良くするためにやる。

一本だけ掛けないというのは、商品にしないということだ。

実はなる。

なるが、祖父はそれを共選所に出さなかった。

毎年、その木の実だけを、木箱に入れて家の土間に置いた。

そして、正月が来る前に、いつのまにか無くなっていた。

どこへやったのかは、誰も知らない。

一度、中学生の頃に、その木の実を一つ食べたことがある。

土間の木箱から黙って取った。

甘くも酸っぱくもなかった。

味が薄いのではない。

味の記憶が残らない、という感じだった。

何を食べたのか、その日の夕方にはもう思い出せなかった。

祖父には、何も言わなかった。

言わなかったのに、その晩、祖父が土間から木箱を持って出て行った。

数を数えに行ったのだと思う。

鋏の握りの跡に気づいたのは、その冬だ。

祖父の剪定鋏を研ぎに出そうとして、柄をよく見た。

木の柄が、二か所で凹んでいる。

一つは、人差し指と中指のあたり。

もう一つは、そこから二センチほど下だ。

握る位置が違う。

手の大きさか、癖の違う人間が、同じ鋏を長く使うと、そうなる。

祖父の手は大きかった。

下の凹みは、明らかに小さい手のものだった。

祖父は生涯、鋏を人に貸さなかった。

それは私が一番よく知っている。

剪定の時期になると、園に人を頼む。

七、八人が入る。

そのとき、鋏を忘れてきた人がいた。

祖父は自分の鋏を貸さず、車で町の金物屋まで買いに行った。

往復で一時間かかった。

一時間ぶんの日当を払ってでも、貸さなかった。

剪定の仕方にも、妙な癖があった。

祖父は、剪定のとき、必ず鋏を右手から左手に持ち替えてから枝を落とした。

右手で位置を決めて、持ち替えて、切る。

面倒なやり方だ。

二度手間になる。

私が真似したら、

「お前は右でいい」

と言われた。

なぜ自分はそうするのか、とは言わなかった。

持ち替えるとき、祖父はいつも一度、鋏の刃を閉じた。

閉じてから、左手に渡す。

渡してから、また開く。

その手順が、三十年、一度も変わらなかった。

私は真似をして、何度か指を挟んだ。

共選所の古い台帳を見せてもらったのは、去年の三月だ。

昭和二十二年から残っている。

出荷者の名前と等級と箱数が、鉛筆で書いてある。

祖父の名前を探した。

あった。

その二行下に、同じ名前がもう一つあった。

姓も名も、一字も違わない。

等級も、箱数も違う。

上の行は、二十三箱。

下の行は、二十三箱。

箱数だけが、同じだった。

組合の松橋さんに訊いた。

八十五になる人で、今も帳面のことなら何でも知っている。

「ああ、それな」

松橋さんは老眼鏡を上げて、台帳を指でなぞった。

「兄さんが亡くなった年だ」

「同じ名前で二行あるのは、どうしてですか」

「代わったからだ」

松橋さんは、当たり前のことのように言った。

「うちの土地じゃ、園の名を継ぐときは、前の人の名で一度出す」

「前の人が出したことにして、それから、自分の名にする」

「形が揃うまで、な」

「その一年は、どっちの名前で出したことになるんですか」

松橋さんは、湯呑みの底を見ながら答えた。

「どっちでもない」

「園の名で出す」

「人の名前は、そのあいだ、空いとるんだ」

空いている、という言い方が、耳に残った。

形が揃うまで。

祖父が言っていたのは、木の話だと思っていた。

その日から、私は南の木を毎日見に行くようになった。

見に行っても、何も起きない。

ただ、木の形が、園のどの木にも似ていないことに気づいた。

主枝が三本しか出ていない。

うちの園の仕立て方ではない。

祖父の父の代の仕立て方でもない。

松橋さんに写真を見せたら、しばらく黙ってから言った。

「これは、隣の郡のやり方だ」

「この辺じゃ、誰もこうは仕立てん」

「ただな」

松橋さんは湯呑みを置いた。

「あんたの祖父さんの兄さんが、戦争の前に、一年だけ隣の郡に奉公に行っとった」

「その先の家も、りんごですか」

「りんごだ」

松橋さんは、少し考えてから続けた。

「あそこの家も、代わりの木を決める家でな」

「兄さんは、そこで仕立てを覚えて帰ってきた」

「帰ってきて、南のはずれに一本、その形で仕立てた」

「なんで、そんなことを」

「知らん」

松橋さんは老眼鏡を外した。

「訊いた者は、おらんかったんだと思う」

つまり、この木は、祖父の兄が仕立てた形をしている。

祖父は三十年、その形を残していた。

枝を落とすたび、その形から外れないように落としていた。

だから、持ち替えていたのだ。

兄が左利きだったからだ。

右手で見て、左手で切る。

自分の癖ではなく、兄の癖で切っていた。

そこまで分かって、私は少し安心した。

弟が兄の形を写して残した。

悼み方としては、静かで、この土地らしい。

そう思った。

思ってから、鋏をもう一度見た。

柄の凹みは、二つある。

上のほうが、祖父の指の位置だ。

下の小さいほうが、兄のものだということになる。

だが、その鋏を私は、祖父が七十のときに新しく誂えたものだと聞いていた。

兄が亡くなって、三十年以上あとの鋏だ。

金物屋に確かめに行った。

先代の帳面が残っていた。

昭和五十八年、誂え。

柄は新しい朴の木だと書いてある。

「その後、柄を替えたことは」

「ないな。替えたら記録が残る」

店の主人は、鋏を光にかざして、こう言った。

「この凹み、二つあるべ」

「はい」

「同じ人が、二か所握ることはあるんだわ」

「けどな、木の減り方は、二か所とも同じ速さで減る」

「これは、下のほうが古い」

新しい柄の、下の凹みだけが古い。

帰りの車の中で、私は一つのことを考えていた。

祖父は、七十で鋏を誂えた。

誂えてから、亡くなるまで十六年ある。

十六年ぶんの握りが、上の凹みだ。

では、下のほうは、何年ぶんなのか。

店の主人は、こう言っていた。

「そっちのほうが深いな」

施設に祖父を訪ねた。

その頃はもう、私の顔と父の顔の区別がついていなかった。

ベッドの脇に座って、鋏を出して見せた。

祖父は、少しのあいだ天井を見ていた。

それから、右手を出して、左手に持ち替える仕草をした。

何も持っていない手で。

「ここは、まだ揃わんな」

そう言った。

「何がですか」

「形だ」

「誰の形ですか」

祖父は答えなかった。

代わりに、こう言った。

「兄が持ち替えとったのはな、兄の癖じゃない」

私は、意味が分からず訊き返した。

「じゃあ、誰の癖なんですか」

「知らん」

祖父は、天井を見たまま言った。

「わしも、訊く相手がおらんかった」

祖父はそれから、私の顔を見た。

その日、初めて焦点が合ったように思えた。

「南の木、袋掛けたか」

「掛けてません」

「それでいい」

祖父は目を閉じた。

「掛けると、色がつく」

「色がつくと、出せてしまう」

帰り道に、松橋さんの家に寄った。

祖父の言葉をそのまま伝えた。

松橋さんは、しばらく黙っていた。

「出したらいかんのだ」

「なんでですか」

「出したもんは、人の口に入る」

「人の口に入ったら、形が広がる」

それ以上は、何も言わなかった。

帰りぎわ、玄関でこう言われた。

「あんたの家の南の木な」

「わしの祖父さんの代からある」

祖父の兄が仕立てたという話と、合わない。

その年の秋、祖父は施設で穏やかに息を引き取った。

葬儀のあと、土間に木箱が一つ置いてあった。

南の木の実が、二十ばかり入っていた。

誰が採ったのか、家の者は誰も知らなかった。

正月の前に、木箱は無くなっていた。

今年、私は初めて南の木を自分で剪定した。

右手で位置を決めて、左手に持ち替えて、切った。

そうしないと、枝の落ちる場所が合わない。

合わせようとすると、体が勝手にそうなる。

選果場のラジオは、七時十二分に変わる。

もう直そうとは思わない。

先月、女房が妙なことを言った。

「あんた、最近、鋏の持ち方が変わったね」

「そうか」

「お義父さんじゃなくて、その上の人みたい」

「見たことないだろう」

と私は言った。

女房は、少し困った顔をした。

「写真の、手の位置」

仏壇の写真は、胸から上しか写っていない。

手は、写っていない。

女房は、祖父の兄の写真を、仏壇で毎日見ている。

先週、鋏を研ぎに出した。

戻ってきた柄を、明るいところで見た。

凹みが、三つになっていた。

一番上の、まだ浅いのが、私の指の位置だった。

共選所の台帳は、今年から私の名前で出している。

祖父の名で一度出してから、私の名にした。

松橋さんが、そうしろと言ったからだ。

帳面を閉じるとき、松橋さんがぽつりと言った。

「形が揃うと、次の代わりを決めることになる」

「誰が決めるんですか」

松橋さんは、少し笑って答えなかった。

南の木は、今年もよく実った。

袋は掛けていない。

実は、木箱に入れて土間に置いてある。

正月まで、あと少しある。

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