一七五八年の春、パリの社交界に、ひとつの噂が流れ始めました。
ヴェルサイユに、正体不明の男が出入りしている、と。
男は伯爵を名乗っていました。
サン・ジェルマン伯爵。
どこの生まれか、誰も知りません。
歳がいくつなのかも、誰も知りません。
わかっているのは、その男が退屈というものを知らない、ということだけでした。
社交界というところは、身元の調べにかけては警察より優秀です。
新顔が現れれば、三日で親の代までの醜聞が出揃う。
それが、あの男に限っては、何も出てこないのです。
パリ市内の宿の記録も、入市の記録も、たどれば途中で霧のように途切れる。
人々は苛立ち、苛立つほどに、夜会への招待状は増えていきました。
得体が知れない、ということは、社交界では最上の香水なのです。
やがて人々は、調べることを諦め、観察することにしました。
あの男は、いつか必ずぼろを出す。
食べるところ、老いるところ、狼狽えるところ。
何かひとつでも人間らしい綻びを見せた瞬間に、笑い話にしてやろう、と。
その機会は、最後まで訪れませんでした。
夜会に現れる伯爵は、黒い衣装に、目の眩むような宝石を縫い付けていました。
指には大粒のダイヤ、靴の留め金にまでルビーが光っていたと伝えられます。
フランス語は当然のように話しました。
ドイツ語、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語も、です。
興が乗れば、ギリシャ語とラテン語で古典を諳んじ、サンスクリット語やアラビア語、中国語の知識まで披露しました。
クラヴサンを弾かせれば名手、ヴァイオリンを持たせれば楽団がいらないと言われ、自作の曲まで残しています。
化学と錬金術に通じ、染料の新しい製法を貴族たちに売り込みもしました。
そして、これほど夜会に出ながら、誰ひとり、伯爵が食事をするところを見たことがありませんでした。
晩餐の席でも、皿には手をつけません。
口にするのは、自製だという丸薬と、オートミールのようなものだけ。
「伯爵、召し上がらないのですか」
問われるたび、伯爵は微笑んで答えました。
「私の体には、私の食事があるのです」
伯爵を宮廷に引き入れたのは、国王の寵姫ポンパドゥール夫人だったと言われます。
夫人のサロンで、伯爵は請われるままにヴァイオリンを取りました。
最初の一音で、広間のざわめきが消えたと伝えられます。
弾き終えた伯爵に、夫人は尋ねました。
「どちらで学ばれたのです。そのような音を」
「昔、良い師に恵まれました」
「昔とは、いつ頃のことかしら」
「奥様がお生まれになる、ずっと前でございます」
座が笑いに包まれました。
当意即妙の冗談として、です。
ただ、伯爵ひとりだけが、笑っていなかったといいます。
歴史の話をさせると、伯爵はさらに奇妙でした。
百年前の戦争の陣立てを、二百年前の婚礼の料理を、まるで見てきたように語るのです。
「まるでその場においでだったようですわね」
貴婦人にからかわれると、伯爵は否定も肯定もせず、こう返しました。
「歴史書というものは、書いた者の数だけございますから」
のちに、彼が古代の宴やバビロンの宮廷の陰謀まで語ってみせた、という証言も現れます。
聞き手はみな、途中まで笑い、途中から黙りました。
細部が、あまりに具体的だったからです。
※
最初の決定的な事件は、ある夜会で起こりました。
客の中に、ジェルジーという老伯爵夫人がいました。
夫人は若い頃、夫の赴任に伴って、ヴェネツィアで暮らしたことがあります。
サン・ジェルマンを一目見て、夫人は青ざめました。
「失礼ですが……あなたのお父上は、五十年前、ヴェネツィアにいらっしゃいませんでしたか」
伯爵は穏やかに首を振りました。
「いいえ、奥様」
「けれど、あまりに似ておいでです。私が向こうで知っていたサン・ジェルマン伯爵に。お顔も、お名前も」
「それは私です。五十年前、ヴェネツィアであなたにお会いしました」
夫人は、笑おうとしました。
五十年前に会った男が、当時と同じ四十代の顔で目の前に立っているなど、笑い話でしかありません。
けれど伯爵は、笑いませんでした。
それどころか、五十年前の夜会の細部を、昨日のことのように語ってみせたのです。
夫人が着ていたドレスの色。
演奏された舟歌の題。
夫人が扇を落とし、それを拾った青年士官の名前まで。
「そんな……では、あなたはあの頃、すでに四十五は超えていたはず」
「奥様」
伯爵は、静かに一礼しました。
「私はとても、年を取っておりますので」
夫人はその夜、早々に辞去しました。
馬車の中で、同乗した姪にこう漏らしたといいます。
「あの方、五十年前とひとつだけ違うところがあったわ」
「まあ。どこですの」
「あの頃より、少し若く見えるの」
この逸話は尾ひれをつけて広まり、伯爵の名を一躍、パリ中に知らしめました。
当の伯爵は、噂を否定して回るでもなく、かといって認めるでもなく、ただ夜会に通い続けました。
その泰然が、また人々を落ち着かなくさせました。
※
似たような話は、それからいくつも積み重なりました。
伯爵の使用人に、ある紳士が尋ねたことがあります。
「君の主人は、本当に二千歳なのかね」
使用人は、困ったように頭を下げました。
「それは、私にはお答えいたしかねます」
「なぜだ」
「私がお仕えして、まだ三百年しか経っておりませんので」
主従そろって人を食っている、と紳士は笑いました。
笑いながら、その笑いが強張っていくのを、自分でも感じていたといいます。
国王ルイ十五世も、伯爵を気に入っていました。
あるとき王は、傷のある中粒のダイヤモンドを伯爵に預けました。
「これの傷を消せると言ったな」
「二週間ほど、お預かりします」
二週間後、伯爵は同じ重さのままで、傷ひとつないダイヤを王に返しました。
宝石商は目を疑い、王は上機嫌で、宮廷の錬金術嫌いたちは青ざめました。
種があるとすれば、傷のない同じ石を用意することですが、それには途方もない金がかかります。
そして誰も、伯爵の金の出所を知らないのでした。
あの希代の遊び人カサノヴァも、回想録に伯爵のことを書き残しています。
曰く、あれほど巧みに人を魅了する嘘つきは見たことがない。
曰く、彼の話は九割方ほら話に違いない。
そう散々にこき下ろしたあとで、カサノヴァは妙なことを認めるのです。
彼の錬金術の腕前だけは、本物だったかもしれない、と。
銀貨を金貨に変えてみせられた、という体験談まで添えて。
嘘を見抜く達人が、嘘と断じ切れなかった男。
それがサン・ジェルマンでした。
また、ある老貴婦人が若返りの秘薬をせがんだとき、伯爵は丁重に断って、こう言ったと伝えられます。
「時間は、追い返すものではなく、隣に座らせるものです」
若さの秘訣を尋ねる者には、いつも同じ処方を口にしました。
食を慎むこと、酒を断つこと、そして憎まないこと。
「憎しみほど、人を老けさせるものはございません」
養生訓としては、まっとうすぎるほどまっとうです。
けれど言う本人の顔に皺ひとつないとなると、まっとうな言葉ほど、不気味に響くものなのでした。
意味を問われても、二度と説明しませんでした。
領地を持たず、商売らしい商売もせず、それでいて宝石を惜しげもなく配る。
当代一の皮肉屋ヴォルテールは、フリードリヒ大王への手紙に、こう書き残しています。
「彼は決して死なず、すべてを知っている男です」
皮肉のつもりだったのでしょう。
けれど受け取った大王のほうは、返信で伯爵をこう呼びました。
「死ぬことのできない男」
皮肉と皮肉が行き交ううちに、言葉だけが、妙な実在感を帯びていきました。
※
奇妙なのは、各国の宮廷が、この正体不明の男を実務に使ったことです。
ルイ十五世は伯爵を、公式の外交ルートを通さない秘密交渉に用いたとされます。
オランダでの和平工作が露見しかけたときには、外務大臣が激怒し、伯爵は英国へ逃れました。
逮捕状が出ても、なぜか本気で追われた形跡がありません。
その後もロシアへ、ドイツへ、イタリアへ。
現れる先々で名前を変え、リザネッツ伯、ウェルドン卿、ツァロギー伯。
いくつもの仮面を重ねながら、どの宮廷でも、なぜか最上級の扱いを受けました。
各国の外交文書に、彼はそのつど別の名で登場します。
まるで名前という服を、季節ごとに着替えるように。
※
不死身の男にも、公式の最期は訪れます。
一七八四年二月、北ドイツのシュレースヴィヒ。
晩年の伯爵を庇護していたヘッセン=カッセル方伯カールの領地で、サン・ジェルマン伯爵は死んだ、と記録されています。
教会の帳簿には、埋葬の記載も残っています。
享年は、記されていません。
生年を知る者が、ひとりもいなかったからです。
最期を看取った側の記録も、奇妙といえば奇妙でした。
庇護者だったカール方伯は、伯爵の死後、こう書き残しています。
彼はこの世で最も賢い人間のひとりだった、と。
けれど伯爵が生前に語ったという出自の話を、方伯は生涯、公表しませんでした。
「約束したのだ。彼の秘密は、私とともに葬ると」
そして伯爵の書類の多くは、死の前後に焼かれたと伝えられています。
誰が焼いたのか、何が書かれていたのか、今となっては知る術もありません。
残されたのは、宝石の行方さえ判然としない、身軽すぎる遺産目録だけでした。
二千歳を自称した男は、紙一枚の過去も残さずに、帳簿の一行になったのです。
ここで終われば、十八世紀の変わり者の話で済みました。
ところが、終わらないのです。
死の翌年、一七八五年。
ドイツで開かれたフリーメイソンの大きな会合の出席者に、サン・ジェルマンの名が記されていたと伝えられます。
死んだはずの男の名が、なぜ名簿にあるのか。
同名の別人か、記録の誤りか、それとも。
さらに数年後、フランス革命の前夜には、こんな伝説が囁かれました。
王妃マリー・アントワネットのもとに、旧知の伯爵から警告が届いた、というのです。
王家に迫る破滅を予言し、逃亡を促す警告だったと。
側近の回想録が伝える再会の場面は、こうです。
教会の礼拝堂で、頭巾を目深に被った男が、静かに近づいてきた。
「私を覚えておいでですか」
「……サン・ジェルマン伯爵。けれど、あなたは亡くなったはず」
「亡くなったことに、なっております」
男は王妃への言伝を託し、雑踏に消えたといいます。
回想録の筆者は、後年まで頑なに主張を変えませんでした。
あれは見間違いでも、偽者でもなかった、と。
むろん、回想録という代物は、往々にして物語に寄っていくものです。
けれど、寄っていくにしても、です。
なぜ人々は、よりにもよって死んだ男を、生かし続けたがるのでしょうか。
王妃の側近だった女性の回想録には、革命の混乱のさなかに伯爵と再会した、という証言まで残されています。
死んだはずの男は、その後も、歴史の要所要所に顔を出し続けました。
十九世紀にも、二十世紀にも、私はサン・ジェルマンに会った、と主張する者が現れ続けたのです。
二十世紀に入ってからは、自らを伯爵その人だと名乗る人物まで現れました。
神智学の世界では、伯爵は今も人類を導く存在のひとりに数えられています。
信じるかどうかは、別の話です。
ただ、死後百年経っても二百年経っても、この男だけは「まだ生きている」ことにされ続ける。
歴史上、死をこれほど信じてもらえない人物は、そういません。
※
もちろん、種明かしを試みる研究者は大勢います。
伯爵の正体は、トランシルヴァニアの亡命貴族の子だったという説。
ポルトガル系の富豪の隠し子だったという説。
語学と音楽と化学に長けた、桁外れに頭のいい山師だったという説。
どの説にも、一理あります。
そしてどの説も、ひとつの問いには答えられません。
なぜ彼は、生涯ただの一度も、ぼろを出さなかったのか。
詐欺師は必ず、どこかで嘘の辻褄を合わせ損ねます。
けれどサン・ジェルマンの逸話には、破綻の記録がほとんど残っていません。
生きているうちに化けの皮が剥がれなかった、というだけではありません。
死んでから二百年以上、歴史家たちが寄ってたかって調べても、まだ生年ひとつ確定できないのです。
十八世紀は、記録の時代です。
洗礼も、婚姻も、埋葬も、教会の帳簿に几帳面に残る時代です。
その網の目を、あの派手な男は、するりと抜けてみせました。
まるで最初から、帳簿の外で生まれた人間のように。
考えてみれば、不死の証明ほど難しいものはありません。
どれだけ長く生きて見せても、明日死ぬかもしれない以上、証明は永遠に終わらない。
逆もまた然りです。
埋葬の記録が一行あったところで、棺の中身を確かめた者が誰もいなければ、死の証明もまた宙に浮きます。
サン・ジェルマンという男は、その宙ぶらりんの隙間に、二百年以上住み続けているのです。
記録の時代が産んだ、記録しきれなかった男。
人類が帳簿を発明して以来、あれほど見事に帳簿から逃げ切った人物を、私はほかに知りません。
五十年前の扇の逸話も、三百年の使用人も、傷の消えたダイヤも、その場にいた者たちの証言として残るばかりです。
彼が本物の不死者だった、と言いたいのではありません。
ただ、こう考えると少し眠れなくなるのです。
もし本当に死なない人間がいたとして、その人物が賢明なら、二度と同じ名前は使わないでしょう。
サン・ジェルマンという名は、派手すぎました。
注目を集めすぎ、記録に残りすぎました。
つまりあの十八世紀の三十年間だけが、死なない男がうっかり目立ってしまった、ただ一度の失敗だったのだとしたら。
今も彼は、別の名前で、どこかの夜会にいるのかもしれません。
食事には手をつけず、あらゆる言語を話し、あなたの祖母の若い頃を、昨日のことのように覚えている誰かが。
そういえば、と思い当たる顔が、あなたにもひとつくらい、ありはしないでしょうか。