鮒おじさん
小学校4年生の夏休みの事で、今でもよく覚えている。
川と古墳の堀を繋いでいる細い用水路があって、そこで一人で鮒釣りをしてたんだ。
15時頃から始めたんだけど、いつになく沢山釣れるので面白くてやめられなくなった。
だんだん辺りが薄暗くなってきて、日の長い時期なので19時近かったと思う。
そろそろ帰らないと怒られるな、もう一匹だけ釣ったらやめようと思っていたら、ガサガサと藪を踏み分ける音がして、川原の丈の高い草の中を何かが近づいてくる音がする。
人が通るような道はないので動物かと思ってちょっと身構えたが、出てきたのは自分の父親より少し年上くらいのおじさんだった。
おじさんは神主さんのに似た上下白の着物を着て、顔は大人なんだけど小学生の自分と同じくらいの背丈で、頭に黒くて長い帽子を被っている。
それが烏帽子というものだとは後で知った。
はじめは怖いという感じは全然しなかった。おじさんはにこにこ微笑んでいてとても優しそうに見えたから。
おじさんは体に付いた草の葉を払いながら
「ぼうや釣れるかい?」と聞いてきたので、
「はい、釣れます」と返事をすると
「ちょっとお魚見せてくれるかい」と言いながら歩み寄って魚籠を引き上げ、
「ほーう大漁だねえ。いくらかもらってもいいかな」
と言い、こちらの返事も待たずに魚籠の中から一番大きい鮒を二本指で挟んでつまみ上げ、
「いただくよ」と両手で抱えて頭から囓り始めた。
バリバリという骨の砕ける音が聞こえてくる。
おじさんは、
「いいな、いいな、生臭いな」
と歌うように呟いて、頭の無くなった鮒を草の上に捨てた。
自分が呆然と見ていると
「殺生だよ、殺生はいいな、いいな」
と言いながら、魚籠の上にしゃがみ込んで、今度は両手をつっこんで2匹の鮒を取り出すと、こちらに背を向けるようにして、交互に頭を囓りだした。
やっぱりバリバリゴリゴリと音をたてて頭だけ食べている。生臭い臭いが強くした。
魚を捨てると立ち上がってこちらを振り向いた。
にこにこした顔はそのままだが、額と両側の頬に鮒の頭が生えていた。
鮒はまだ生きているようでぱくぱく口を開けてる。
「ああーっ!」と声を上げてしまった。ここから逃げなくちゃいけないと思ったが、体が動かない。
おじさんは動物のような動きで一跳びで自分の側まで来て、
「ぼうやももらっていいかな」と言って肩に手をかけてきた。
思わず身をすくめると、同時におじさんのほうも弾かれたように跳び離れた。
そしてこちらを見て不審そうに首を傾げ
「…ぼうや、神徳があるねえ、どこかにお参りにいったかい?」
そう言うおじさんの顔から目を離せない。
すると急におじさんの顔が黒くなり、吠えるような大声で
「どっかにお参りにいったかと聞いてるんだ」
と叫んだ。
気負されて、
「…この間お祭でお神輿を担ぎました」
と、なんとか答えると、おじさんは元のにこにこ顔に戻って
「そうか、お神輿ねえ、ふーん残念だなあ、じゃ20年後にまた来るよ」
ゴーッと強い風が顔に当たって、目を瞑ってもう一度開けるとおじさんの姿はなくなっていた。
体が動くようになったので釣り道具を全部捨てて家に逃げ帰った。
家族にこの話をしたけど、何を馬鹿なことをという反応だった。
母親が変質者かもしれないと少し心配そうにしたくらい。
翌日、中学生の兄と一緒に昼前に堀にいってみたら、釣り竿なんかは草の上に投げ捨てられたままになっていた。
ただ魚籠に近づくとひどい臭いがして、中はどろどろになっており、辺りの水面に油と魚の鱗が浮いていた。
その後はその古墳の堀には近付いていないし、特に奇妙な出来事も起きていない。
ただ、もうすぐあれから20年になるんだ。