幻の宴
旅行先で急に予定が変更になり、日本海沿いのとある歴史の古い町に一泊することになった。その時に体験した話。
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日が暮れてから最初に目に入った旅館に入ったんだけど、シーズンオフのせいかすんなり部屋が取れた。
表から見た時には気が付かなかったが、何やら格式のありそうな旅館で、長い廊下を案内されて辿り着いたのは古くて立派そうな部屋だった。柱などは黒光りしている。
とは言え、よく心霊話にあるように「嫌な気配を感じた」とか「寒気がした」ということは無かった。
畳や調度品も新しく、清潔で快適な部屋だった。従業員も愛想が良い。
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飯を食って露天風呂に浸かり、『さあ、あとは酒を飲んで寝るだけ』と部屋で寛いでいると、窓の外から何やら賑やかな音がする。
カーテンの隙間から覗いて見ると、植え込みの向こうに大きな離れのようになった建物があり、そこの座敷で宴会をしているらしい。
『騒がしくされたら敵わないな』と思っていると、三味線の音が耳に入った。
芸者さんらしい方が二人ばかり、ゆったりと優雅に舞っている様子が障子越しに見て取れる。
『ほう、今どき』と思いよく耳を傾けてみると、手拍子ひとつ、笑い声ひとつ取っても何とも言えない品がある。
セクハラおやじどもがカラオケをがなり立てるうちの会社の宴会とは大違いだ。
『今でもこういう遊び方をする人がいるんだな』と陽気さのおこぼれに預かった気分で酒を飲んだ。
そして酔いの回った体をぬくぬくと丸め、夜が更けて増々盛り上がる宴の賑わいを遠くに聞きながら眠りに落ちた。
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しかし翌朝になって窓の外を見ると、植え込みの向こうには有刺鉄線が張られた雑草の蔓延る空き地が寒々と広がるばかりで、座敷と見間違えそうな建物の影も無かった。