電話機の下の金属板の正の字

公衆電話

突然だが、僕は電話が苦手だ。

面倒だとか、メールの方が楽だとか、そういうことではない。

電話が掛かってくる度に、心臓をギュウッと掴まれたようになる。

着信音が鳴るたびに、思い出すものがある。

電話機の下の、金属板の正の字だ。

あの夏、僕たちはそれを三度見た。

見るたびに、画数が増えていた。

そのことに気づいたのは、ずいぶん後になってからだ。

気づいたときには、二人がもういなかった。

順番に書く。

とある夏休みのことだ。

僕、丸井、高島、伊勢、天満の五人は、いつものメンバーで、いつも通り暇を持て余していた。

夏のコンビニの光には、大量の虫と、大量の暇人高校生が集まる。

僕もその中の一匹だった。

田舎のコンビニは、駐車場だけはご立派だ。

あまり人が来ない時などは、店員とも話をするくらいには慣れていた。

と言っても、そのコンビニの店長は知り合いだったが。

田舎特有の気軽さというやつだ。

「何か面白いことない?」

そんな台詞を、一日一回は誰かが言う。

「ないなあ」

それに対する返答も、同じ数だけ誰かが言う。

その夏は、雨がほとんど降らなかった。

アスファルトが夜になっても温かくて、自転車のサドルが熱を持っていた。

そういう、どうでもいいことばかり覚えている。

丸井は、五人の中でいちばん背が高かった。

誰かが決めなければいけない場面で、必ず最初に口を開く。

高島はその逆で、決まってから文句を言う役だった。

伊勢は笑い、天満は黙っている。

僕は、そのどれでもない。

見ている側だった。

だから、たぶん、いちばんよく覚えている。

しかし、その日は少しいつもと違う日だった。

「お前らやることないなら、この人から面白い話聞いたから、そこ行けば?」

コンビニの店長が僕たちにそう言い、タクシーの運転手を紹介した。

その運転手は、レジの横で肉まんを買っていた人だった。

制帽を脇に挟んで、僕たちのほうを見た。

「幽霊が出るとか出ないとか、そういう公衆電話があるんだ」

そう言って、話し始めた。

「俺たちの中では有名なんだけど、あの霊園。あそこの裏手に山道あるよね」

「ああ、あそこ」

「そこの公衆電話、出るんだって」

「出るって、何がですか」

運転手は、そこだけ答えなかった。

「高速に出るにはあっち通る方が近いから、遠距離の客がいたら大体そこ通るんだけどさ」

「運転手さんは、見たことあるんですか」

「俺は見たことない」

「なんだ」

「でも、結構お盆辺りには出る出る言ってるから、今ぐらいの時期なんかちょうどいいんじゃないかい?」

当時は、携帯電話の普及に反比例するかのように、公衆電話の数が減ってきていた。

珍しいものになりかけていた頃だ。

その話を聞いた時のみんなの反応は、仕方がないからそこに行って暇潰しをするか、というものだった。

何も選択肢が無い状態で、行くか行かないかどちらかを選べと言われたら、誰でも消極的にだが行く方を選ぶだろう。

僕たちも、そんな心理状態だった。

いま思えば、ひとつだけ引っかかることがある。

運転手は、行けとは言わなかった。

行けばいいんじゃないか、とも言っていない。

ちょうどいいんじゃないかい、と言っただけだ。

何にちょうどいいのかは、聞かなかった。

トンネルを抜けた先

自転車で一時間。

途中にある長いトンネルを抜け、目的地に着いた。

真っ暗な中に、白い明かりが一つ。

周りには外灯すら無く、やたらと公衆電話ボックスの存在感があった。

これかあ、などとわいわい群がり、ああでもないこうでもないと感想を言い合う。

丸井が先に扉を開けて、中に頭を突っ込んだ。

「なあ、これ何だろ」

丸井が指さしたのは、電話機の下の金属板だった。

受話器を置く台の、すぐ下にある細長い板だ。

そこに、釘か何かで彫られた線があった。

「正」の字だった。

ただし、書きかけだ。

「三画しかないぞ、これ」

丸井が笑った。

横棒、縦棒、横棒。

たしかに三画で止まっている。

「数え間違えたんだろ」

「落書きだって」

「五まで数える気がなかったんだよ」

そんなことを言い合って、僕たちはそれきり忘れた。

一頻り騒いで満足したのか、はたまた飽きたのか。

誰かが帰るかと言ったのを合図に、帰ろうと自転車に跨った。

その時、公衆電話が鳴った。

「リーン」

僕たちは、その突然響いた音に固まった。

今更だが、その霊園の近くの道は、恐ろしく車や人の気配が無い。

静まり返っていることに気が付く。

時間は夜中、田舎の山道。

山の中というのは、想像する以上に暗い。

公衆電話の蛍光灯だけが、周りを照らす唯一の光だ。

規則的な音が、妙に大きく聞こえる。

逆説的だが、公衆電話の大きい音が、却って静寂を気付かせた。

「リーン」

急かすように公衆電話は鳴り続ける。

僕たちも、誰かがこの電話に出なければならないのでは、と思い始めた。

今になって考えると、あの時逃げ出せば良かったと思う。

しかし、その時の僕たちは肝試し的な感覚だった。

電話が鳴ったら出なくてはならない、という思いに囚われていた。

「なあ。お前出ろよ」

「いや、お前こそ」

みんなでビクビクしながら、そんなことを繰り返していた。

公衆電話の音は鳴り止まない。

「じゃあ俺、出るよ」

僕たちの中でリーダー格だった丸井が言い出した。

おっかなびっくり電話に近付き、扉を開けた。

知らない人もいるかもしれないが、公衆電話ボックスは大体が一人しか入れない。

バリアフリー目的の広々としたものは、あまりこういう場所には設置されていない。

ぎゅうぎゅうになりながらも、僕たちは中に入ろうとすし詰めになる。

一人になるのが怖かったんだと思う。

少なくとも僕はそうだった。

扉を開け放し、丸井は僕たちにも聞こえるように受話器を取った。

「………………………………み……」

何かを喋っているのか解らないが、とにかく聞き取り辛い。

しかし、相手がいることは分かる。

何かを繰り返して言っているようだ。

「……か…………あ……と…………み……」

か、あ、と、み。

ずっとこれを繰り返している。

その内に、電話が切れてしまった。

「最初は怖かったけど、何か拍子抜けしたなあ」

丸井はそう言って、受話器を置いた。

僕も強がりから、「面白いネタできたなあ」とか何とか言っていた。

あとみっかという声

翌日には、みんなそのことを忘れていた。

またいつものようにコンビニに集まり、「何か面白いことない?」と言い合っていた。

さらに二日後。

丸井が、帰らぬ人になった。

僕たちは、あまりに突然のことに訳が分からなくなった。

通夜も告別式も、一言も喋れないまま終わった。

丸井の兄が、「君たちの事はよく聞いていたよ。今まで仲良くしてくれてありがとう」と言った。

その時に、初めて涙が出た。

僕たちは、コンビニではなくファミレスで話をした。

告別式の帰りで喪服だったからでもあるが、ちゃんと話をしたかったからだ。

「アイツがいないなんて、今でも実感がわかないよ」

伊勢は「亡くなった」とは言わず、「いない」と言った。

「そうだな。アイツと最後に会ったのいつだっけ。……コンビニか」

「いつもコンビニだもんな、はははっ……はは……」

それにつられて、他の三人も力無く笑う。

この喪失感を何とかしよう、そう考えていたんだと思う。

「たしか、あの公衆電話を見に行った後、すぐだったよな」

「そうそう。カートミとか何とか、ずっと言って切れちゃったんだよなアレ」

「正直に言うと、あの時俺ちょっと……ビビってた」

皆が笑いながら、実は俺も、俺もと言い合った。

「カートミって何だったんだろうなあ?」

皆、逃避したかったんだろう。

「訳分かんないよな」とか「幽霊とかそんなのいないし」とか、くだらない方向に話を持って行こうとしているのが分かった。

「カーコンビニクラブとかの車屋の宣伝じゃねえのかなあ」

「いやいや電話の電波チェックだよ多分」

「でも雑音が酷かったぞ、その割には」

僕たちは、やいのやいの努めて明るく、くだらなくなるように笑いながら話し合った。

「カートミ、カートミ、カートミかあとみ、か、あと、みっか、……あとみっか」

「あと三日……」

「………………何だよそれ」

おい、どういうことだ。

三日って。

丸井が居なくなったのは、公衆電話に行った三日後だった。

喪服のままの金槌

二時間後、僕たちは公衆電話の前にいた。

もしもこの公衆電話のせいで丸井が居なくなったのなら、僕たちは仇を討たなくてはいけない。

みんな手にバットや金槌を持っていた。

喪服姿の高校生が凶器を持って自転車に乗っているのは、さぞ奇妙に見えただろう。

途中のトンネルで、天満が金槌を落とした。

金属がコンクリートを打つ音が、前にも後ろにも長く伸びた。

誰も拾いに戻らず、天満だけが引き返した。

戻ってきた天満は、何も言わなかった。

そのときの顔を、いまでも思い出す。

拾ってきた金槌を、彼はずっと両手で持っていた。

ボックスに着いて、伊勢が懐中電灯で中を照らした。

金属板の正の字は、まだそこにあった。

「これ、四画になってないか」

伊勢がそう言った。

「三画だろ」

「いや、下に横棒が一本ある」

そのときは、誰も本気にしなかった。

暗いし、彫り跡は浅い。

見間違いだろう、で終わった。

僕たちは夜が更けるまで待った。

「リーン」

電話が鳴る。

誰も声を出さない。

伊勢が身を出し、ボックスの中に入った。

僕たちも後に続く。

ぎゅうぎゅうとすし詰めで、またも扉は開け放している。

「……もしもし」

受話器の向こう側からは何も聞こえない。

「サー」という機械音が鳴るだけだ。

伊勢が受話器を耳から離して、こちらに向けた。

四人で顔を寄せる。

音の向こうに、風のようなものがあった。

ただの雑音だと思えば、そう聞こえる。

誰かが息を吸っていると思えば、そうも聞こえる。

どちらだと決めたくなくて、僕は目を逸らした。

しばらく待ってみたが、「プツッ、ツーツー」という音が聞こえ、切れてしまった。

「なあ、ただの偶然だったんじゃない?」

「…………」

トンネルの向こう側からクルマのライトが僕たちを照らし、駆け抜けて行く。

そのライトのおかげで、今やっていることが妙に気恥ずかしくなった。

「そうかも知れない。何だろうな、俺たち。バカみたいじゃないか」

伊勢が笑い、僕たちも笑った。

僕たちは、丸井のことに対して何も出来ないことに罪悪感を持っていた。

何かの理由を付けたかった。

「幽霊なんかいないって」

「そんなもんにあの丸井がやられるわけねーじゃん」

「ははは」

「リーン」

電話が鳴った。

僕たちはお互いの顔を見合わせ、黙った。

一番最初に動いたのは高島だった。

高島が受話器を取り、耳に押し当てる。

「…………あ…ふ…か…………と…………つ……あと……か」

「聞こえないって! もっと大きい声でいえよ!」

「……あ………………か…………ふ…………あと、ふつか」

「プツリ」と音を立てて電話が切れる。

「後、二日か……」

天満がそう呟いた。

「二日って、バカこんなの信じてるの? 俺があと二日でどうにかなるわけねーだろ!? なあ?」

誰に言っているのかは分からないが、高島はそう叫んだ。

「そうだよな。ゴメン」

天満が謝り、僕と伊勢もそれに対して文句を言う。

「偶然だって」

「そうだよ、混線してるんだよきっと」

「だよなあ」と言って、僕たち四人は笑い合った。

二日後、高島も居なくなった。

知らせは、天満からの電話で聞いた。

携帯が鳴ったとき、僕は受話器を取るのが怖かった。

それが、最初だったと思う。

電話に出るのが怖い、という気持ちを覚えたのは。

差し出されたコーラ

高島の出棺の後、その足でたまり場となっているコンビニに向かった。

店長からタクシーの運転手のことを聞き出すためだ。

伊勢、天満、それと僕。

少し前までは五人いた仲間が、三人。

ついこの前まであったものがない。

寂しいとか違和感とか、そういったものではない。

当たり前のものがない。

片腕と片足が無くなったようなものだ。

ちくしょう。

コンビニに着くと、店長は僕たちを見て悲しそうな顔をした後、コーラを三つ差し出した。

「残念だったな……」

「店長。タクシーのおじさんの連絡先知りませんか?」

「ああ、この前の人か? 知らないな。何か用事でもあるのか?」

「公衆電話について聞きたいんです」

「公衆電話か、あれなあ……」

店長は、そこで一度言葉を切った。

「いや、いいや。分かった。今度来たらお前達にメールするよ」

今更だったが、店長と僕たちは携帯のアドレスを交換し合った。

一週間経っても、二週間経っても、連絡は来なかった。

僕たちは、コンビニに行く習慣も無くなってしまった。

携帯が鳴る。

「いま、いるから」

伊勢だ。

そう言って、返事も聞かず電話を切った。

一人、自転車を走らせる。

もう何度この道を通ったのだろう。

この道を通るたびに、友達がいなくなって行く。

ポツンと佇む公衆電話からの明かりだけが、その道を照らす。

周りには何も無い。

何も無い?

誰も居なかった。

「リーン」

あの鈴の音のような、電話ベルの音が闇夜に鳴る。

公衆電話以外のものは暗くて見えない。

自然と、その音の発信源に目を奪われる。

怖くて、足が、震える。

「ガチャリ、キイ…」という音が妙に響き、ボックスの中に入った。

「パタリ」と軽い音を立て、扉が閉まった。

目の前で、リーンリーンと五月蝿く鳴る電話。

僕は震える手でその受話器を持ち上げるが、耳に付けられない。

何やらぼそぼそ言っている。

「……ぃ………………」

聞きたくない、聞きたくない。

空いたもう片方の手で携帯電話を取り出し、伊勢に掛けようとする。

くそ、圏外だ、こんな時に。

白い足と手のひら

ボックスから逃げ出そうと扉に手を掛けるが、びくともしない。

さっきはあれほど軽い音を立てたのに、今度は壁にでもなったかのように全く動かない。

ぼそぼそと、受話器はずっと繰り返している。

もういいよ、助けて誰か。

バンバンと扉を叩く。

誰か、誰か。

「ヒタ、ヒタ…」

目線の先には、足が見える。

咄嗟に顔を上げるが、顔が見えない。

助けてくれと叫ぼうとしたが、その足は何も履いていなかった。

山中を裸足で歩く人などいない。

さらにその白さに、助けを求める人間でないことを理解した。

恐怖した。

「パン……パン……パン……パン……」

断続的に叩かれるボックスのガラス。

姿が見えない。

しかし、「パン」という音が鳴る瞬間に、暗闇からにゅっと手の平が現れる。

力無く窓ガラスを叩くような音。

目の前で鳴ったと思ったら、後ろで叩かれる。

色々な方向から「パン、パン」と手の平と共に音が鳴る。

異様に白い足、手。

見えるのはそれだけで、外は真っ暗闇で何も見えない。

ぼそぼそと、受話器はまだ何かを続けている。

狭い空間でこんなこと、頭がおかしくなりそうだ。

足元の隙間から、妙に指の長い手の平がスウッと入って来た。

そして、スウッと引っ込む。

その手がまた入り、引っ込む。

一本、二本、回数を重ねる度にそれは増える。

僕を探しているのか。

いやだいやだ。

手の平に触らないように逃げる、避ける。

沢山、沢山の手。

スウッ、スウッと沢山の手が足元で現れ消える。

ぼそぼそ言う、受話器。

「もう止めてください! ごめんなさい!」

咄嗟に返事をしてしまった。

僕を掴もうとしている手の平が、ひゅうっと闇に引っ込んだ。

受話器から声が聞こえる。

「いまいまいまいまいまいまいまいまいま」

あぁぁだめだ、と情けなくも体中から力が抜けた。

その時、轟音が耳をつんざいた。

バリバリとガラスが砕ける音。

顔や服にガラス片が散らばる。

伊勢と天満がボックスを壊している。

「おい! 大丈夫か!?」

助かったと思った瞬間、僕はその場でへたり込んでしまった。

金属板の正の字

コンビニに着いて落ち着いた僕は、夏なのにホットコーヒーをすすりながら話をした。

二人と僕の話は噛み合わなかった。

二人によると、僕がボックスの中で暴れているのが見えただけだという。

人。

手。

知らない、と言う。

そもそも伊勢は、僕に電話などしていない。

確かに着信履歴に伊勢の名前は無かった。

大体、何故あの声が伊勢だと思ったのだろう。

妙に抑揚のない、女のような声だったはずだ。

伊勢は天満と僕の家に行こうとしたらしい。

天満とは連絡が付いて合流したが、僕とは連絡が取れない。

もしやと思い、公衆電話に行ってみた。

着いてみると、僕がボックスの中で暴れていた、と。

謎だらけだった。

ただ、僕はひとつだけ確かめたいことがあった。

金属板の正の字だ。

次の週の昼間、僕は一人で自転車を漕いだ。

明るいうちなら大丈夫だろうと思った。

ボックスは、ガラスが割れたままだった。

受話器は台の上に置かれていた。

僕はしゃがんで、電話機の下を覗き込んだ。

正の字は、いつのまにか五画そろっていた。

最後の一画は、ほかより新しかった。

彫り跡の金属が、そこだけ白く光っている。

数えた。

初めて見たとき、三画。

喪服で行った夜、伊勢が四画だと言った。

そして、いま、五画。

四画目が刻まれたのは、丸井が居なくなった日だった。

五画目は、高島の出棺の日だ。

正の字は、僕たちが来た回数を数えていたのではない。

連れて行った数を数えていた。

そして、三画はもう、僕たちが来る前から埋まっていた。

僕の前に、三人いたということになる。

その夜のことも、これで説明がつく。

あの字は、あの晩に完成していた。

だから、受話器は日数を言わなかった。

言うべき数字が、もう無かったからだ。

「いま」としか言えなかった。

そして僕は、次の字の一画目になるはずだった。

伊勢と天満がガラスを割ったのは、ちょうどその前だった。

数を数えるものが道具の跡として残る話は、テンポポ様と白い装束の少年という話でも読んだことがある。

あの手の話は、数が合ってしまうのがいちばん怖い。

その後、公衆電話は撤去された。

タクシーのおじさんは、結局二度とあのコンビニには来なかった。

何の意図であの話を僕たちに教えたのか、店長は知っているようだったが、教えてくれなかった。

撤去された跡地には、コンクリートの土台だけが残っている。

草が伸びて、境目が分からなくなっていた。

電話があった場所には、四角い影のような跡がある。

雨に濡れても、そこだけ色が変わらない。

近くに立っていた電柱も、いつのまにか別の場所に移されていた。

去年、車で通りかかったときに、寄ってみた。

土台の縁に、釘で彫ったような線が一本あった。

横棒が、一画だけ。

誰のぶんなのかは、考えないようにしている。

あの土台は、いまも撤去されていない。

草を刈る人がいるらしく、夏でも線は見える。

誰が刈っているのかは、聞いていない。

聞けば、また数が増える気がする。

夜の道を走る電話ボックスの話は、幹線道路の電話ボックスという話でも読んだ。

読むたびに、受話器を置く手つきばかり思い出す。

あの声が、耳から離れない。

僕は電話が苦手だ。

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