十時坊主
ある日、バイト先に群馬生まれの男が入って来た。
そこでの俺は勤務年数が長かったので、入って来るバイトに仕事の振り分けや作業指導などの仕切りをやっていた。
仕事を共にして行く内、休憩時間に群馬から流れて来た男の身の上話を聞くようになった。
実家が養蚕をやっていた大きな農家だった事、暮らし向きが思わしくなく、家族が散々になってしまった事などだ。
そして東京に来て部屋を見つけ、浮き草のようなバイト暮らし。
俺は家族の居ない不安などを聞いてやっていた。
※
そんな彼は幼い頃、夜寝る前に母親から十時坊主の話を聞かされていたという。
群馬の片田舎の農村は夜寝るのが早いらしい。
夜間には何もすることが無いからだそうだ。
そんな時、何時までも寝ないでいると母親に注意されたという。
「十時になったら十時坊主が出るよ」
他愛もない威し文句は、いつまでも効果を持続し得なかったのだろう。
その夜は遅くまで布団に潜って起きていた。
古い柱時計の振り子の音が十時を告げた時だった。
真っ暗な部屋の天井板の一枚がカタリと開き、真っ黒な男がスルスルと柱を伝って降りて来た。
そして布団の中の彼にこう言った。
「十時になりやしたが、如何致しやしょう?」
びっくりした彼は、布団の中で恐怖に震えていたそうだ。
そうしている内に男はまたスルスルと柱を昇ると、ポッカリ開いた天井板の闇の中に消えて行ったそうだ。
※
翌朝、彼は昨夜の恐怖体験を母に尋ねてみたが、
「だから見なさい。寝ない子を天井に連れて行くんだよ」
と言ったきり、多くを話してくれなかったそうだ。
それから彼は早く寝るようになったのだが、暫くするとあの怪物の正体が何だったのか知りたくて仕方がなくなってきた。
事ある事に母や祖母に尋ねるのだが、口篭り、一向に要領を得ない。
※
とうとうその夜、彼は十時坊主に再遭遇するため、寝ずに目を開けていた。
やがて柱時計が十時を告げた。
あの天井の一角をじっと睨んで見ていると、カタリと羽目板が開いた。
するとやはり、十時坊主が柱を伝いスルスルと降りて来た。
そして間違いなく彼を目がけて近付いて来るとこう言った。
「十時になりやしたが、如何致しやしょう?」
そこで彼は試しにこう言った。
「寿司が食べたい」
すると十時坊主は、何もせずに再び柱を伝い天井へ帰って行った。
翌日不意の来客があり、彼も夕刻には出前の寿司にありついたという…。