公園のブランコを一緒に漕いだ日

公園のブランコ(フリー写真)

これは、俺が小学二年生のときの話です。

怖い話ではありません。

けれど、今でも説明のつかないことが、いくつか残っています。

先月、親族席の空いた椅子の前で、そのうちの一つが、また増えました。

だから、順番に書いておこうと思います。

公園のブランコを、友達と一緒に漕いだ日のことからです。

俺の町の外れに、小さな公園がありました。

ブランコと滑り台と、砂場があるだけの公園です。

周りは古いアパートと畑で、昼でも人の声がしませんでした。

その公園で、俺は友也君と、友也君のおじいさんに出会いました。

おじいさんは、生きている人ではありませんでした。

それでも俺は、あの人ほど穏やかな顔の大人を、まだ他に知りません。

俺には、小さい頃から、そういうものが時々見えました。

親には言いませんでした。

言っても、困らせるだけだと分かっていたからです。

見えるものは、たいてい、こちらを見ていませんでした。

おじいさんだけが、違いました。

その日、俺は自転車でぶらぶらしていました。

仲のいい友達が、みんな用事で居なかった日でした。

知らない道を曲がると、小さな公園がありました。

こんなところに公園があったのか、と思いました。

自転車を止めると、男の子が一人、地面に絵を描いていました。

木の棒で、砂の上に、何かの動物を描いています。

俺と同じくらいの背でした。

俺は、後ろから声をかけました。

「何を描いてるの」

男の子は、驚いて目を丸くしました。

「えっ。あ、ラ、ライオン……」

砂の上のライオンは、たてがみだけが異様に細かく描かれていました。

「一緒に遊ぼ」

「……いいの? でも……」

男の子は、ゆっくり立ち上がりました。

足と手が、少し不自由なようでした。

「僕、走ったりとか、あんまり出来ないんだけど……いい?」

申し訳なさそうに、そう聞いてきました。

「いいよ。俺も、今日は走る気ない」

男の子は、笑いました。

名前は、友也君でした。

俺の二つ上の、四年生でした。

少し下かな、と思っていたので、驚きました。

公園の目の前のアパートに住んでいて、支援学校から送迎バスで帰ると、夕方までこの公園で遊んでいるのだそうです。

「この辺は子供も居ないし、ここは僕専用なんだ」

友也君は、そう言って笑いました。

友也君は、俺の知らないことを、たくさん知っていました。

特に、動物と昆虫のことです。

カブトムシの角の数え方。

アリの巣の深さ。

ライオンのたてがみが、なぜ雄にしかないのか。

ダンゴムシが、右と左に交互に曲がること。

俺は、すぐに友也君のことを「博士」と呼ぶようになりました。

友也君は、恥ずかしそうに照れていました。

「博士じゃないよ。本で読んだだけ」

「本で読んで覚えてるのが、博士だよ」

二日目に、友也君はポケットから、小さな木の彫り物を出しました。

ライオンでした。

掌に乗るくらいの大きさで、たてがみの一本一本が彫ってありました。

「じいちゃんが、彫ってくれたんだ」

「すごい」

「じいちゃん、器用だったんだ。手が震えてたのに」

友也君は、ライオンの底を見せてくれました。

木の底に、震えた字で『ともや』と彫ってありました。

線が、どれも少し波打っていました。

「じいちゃんの字、ミミズみたいだろ」

「ミミズじゃないよ。ちゃんと読める」

友也君は、ライオンを大事そうにポケットに戻しました。

砂の上のライオンのたてがみが細かいのは、このライオンを写していたからだと、そのとき分かりました。

親父のベルトと公園のブランコ

しばらく二人で遊んでいると、少し離れた場所に、おじいさんが立っていることに気づきました。

おじいさんは、にこにこしながら、友也君を見ていました。

体が、透けていました。

後ろのアパートの壁が、おじいさんの胸のあたりに見えていました。

生きている人ではないことは、すぐに分かりました。

怖いとは、思いませんでした。

怖い顔ではなかったからです。

俺が少し頭を下げると、おじいさんは気づいて、深々と礼をしました。

『よろしく』と言われているようでした。

俺たちは、その後も、しょっちゅう一緒に遊ぶようになりました。

おじいさんは、相変わらず、にこにこと友也君を見守っていました。

友也君には、見えていないようでした。

俺は、言いませんでした。

言えば、友也君が悲しむ気がしたからです。

おじいさんは、いつも同じ場所に立っていました。

砂場の端の、友也君がライオンを描く場所の、すぐ後ろです。

友也君は、公園のブランコに乗ったことがありませんでした。

手に、鎖を強く掴む力がないのです。

「ブランコに乗った時って、どんな感じ?」

そう聞かれたとき、俺は上手く説明できませんでした。

空が近い、と言おうとして、やめました。

見せた方が早いと思ったのです。

その日曜日、俺は親父のベルトを、こっそり持ち出しました。

革の、幅の広いベルトです。

親父が仕事に行っていない日曜しか、持ち出せませんでした。

「友也君、今日は俺がブランコに乗せてあげる」

そう言うと、友也君とおじいさんが、同じ顔で驚きました。

二人の眉の上がり方が、そっくりでした。

「こうすれば、絶対に乗れる」

俺は、公園のブランコの前で、友也君と自分をベルトでくくりました。

友也君を太ももの上に乗せて、抱っこしているような形です。

二人で、鎖を持ちました。

俺の手の上に、友也君の手を重ねました。

鎖は、冷たかった。

おじいさんが、心配して、おろおろしているのが分かりました。

俺は、おじいさんの方を一度見て、頷きました。

「怖かったら言って」

それだけ言って、漕ぎ出しました。

最初の一往復で、友也君が声を上げました。

「わぁ~!!」

歓喜の声でした。

「凄い、凄いよ~! 空が近い!」

「雲に手が届きそうだよ!」

「風が気持ちいい~! 鳥になったみたいだ!」

俺は、気を良くして、ヘトヘトになるまで漕ぎました。

友也君は、酔って気持ち悪くなるまで、降りようとしませんでした。

二人でふらふらになりながら、公園のブランコを降りました。

ベルトを外して、地面に寝転がりました。

砂が、背中に冷たかった。

空が、ゆっくり回っていました。

友也君は、その間もずっと笑っていました。

おじいさんは、目を細めて、微笑んでいました。

透けた体が、その日だけ、少し濃く見えました。

「今日のこと、じいちゃんに言いたいな」

友也君が、空を見ながら言いました。

「言えばいいよ」

「もう居ないんだ。去年」

「……それでも、言えばいいよ」

友也君は、不思議そうに俺を見ました。

俺は、何も言いませんでした。

おじいさんは、頷いていました。

灰色のもやを払うおじいさん

次の日曜日、俺はその日も友也君と遊ぼうと、公園に向かっていました。

公園に着いて、自転車を停めていると、横からガシッと腕を掴まれました。

「うわっ!」

友也君のおじいさんでした。

透けているのに、腕を掴む力がありました。

冷たくはなかった。

ただ、強かった。

おじいさんは、険しい顔で、何かを伝えようとしています。

口が動いているのに、音が遅れて届きます。

「え? え!?」

「トモガ……トモガ……!!」

友也君に、何かあったんだ。

そう理解した俺は、公園に走りました。

「友也君! どこなの!? 友也……」

茂みの近くに、友也君が倒れていました。

腹を抱えて、顔は真っ青で、苦しそうに呻いています。

木の棒が、手の横に転がっていました。

俺が駆け寄ると、友也君の体に、薄い灰色のもやが掛かっていました。

煙のようで、煙ではありませんでした。

おじいさんが、両手で、それを懸命に払っていました。

払っても、払っても、もやは戻ってきます。

俺は、公園を突っ切って、道路側まで走りました。

「誰かー! 誰か助けてくださーい! 救急車を呼んでくださーい!!」

力の限り、何度も叫びました。

それから、友也君の家まで走りました。

アパートの二階です。

ドアを叩きました。

「おばさん! 友也君が大変だよ! 友也君が倒れてるんだよ!」

友也君の家は、両親が離婚していて、母親と二人暮らしだと聞いていました。

離婚してから、母親は床に伏せることが多くなり、あまり外に出なくなったそうです。

「お母さん……僕の顔を見ると悲しそうにするから……。公園で遊んでる方がいいんだ」

友也君は、いつかそう言って笑いました。

俺は、内心、その母親に怒っていました。

いつも一人で遊んでいる友也君に、姿も見せず、笑顔も向けない母親に。

今なら、心がひどく弱っていたのだろうと思います。

けれど、幼い俺に、分かるはずもありませんでした。

「おばさん、出てきてよ! おばさん!」

ドアを叩き続けていると、中から、青い顔をした女の人が出てきました。

「友也がどうしたの!? 何があったの!!」

説明する時間が、もどかしかった。

俺は、おばさんの手を取って、公園へ走りました。

おばさんは、裸足でした。

公園に戻ると、俺の声を聞いた大人たちが、友也君の周りに集まっていました。

「救急車呼んだからね!」

「君、どうしたんだ!? 聞こえるか!?」

代わる代わる、声をかけています。

友也君の周りのもやは、さっきより濃くなっていました。

黒に近い、灰色でした。

おじいさんは、もやを払い、吸い込み、また払っていました。

吸い込むたびに、おじいさんの体が、少しずつ暗くなっていきました。

それでも、もやはすぐに、友也君を覆っていきます。

俺は、友也君が居なくなってしまうのではないかと思うと、怖くなりました。

ただ震えて、泣いていました。

救急車が到着して、母親と友也君を乗せて走り去りました。

俺は、あのもやが友也君を飲み込んでしまう気がして、泣き続けました。

おじいさんは、救急車の後ろを、歩いて追っていきました。

走れないのか、走らないのか、分かりませんでした。

角を曲がるとき、おじいさんは一度だけ、こちらを振り返りました。

真っ黒い人の声

数日後、俺が一人で公園に居ると、救急車を呼んでくれたおばさんが来ました。

友也君が助かった、と教えてくれました。

盲腸をこじらせて、腹膜炎を起こしていたそうです。

病院を教えてもらって、母さんと一緒に見舞いに行きました。

「相当痛かっただろうに……。なんですぐに病院に行かなかったんかねぇ」

母さんは、不思議がっていました。

俺には、何となく理由が分かっていました。

きっと、母親に心配をかけたくなくて、我慢したのです。

我慢して、我慢して、我慢しすぎてしまったのです。

病室に入ると、友也君はうとうとしていました。

俺に気づくと、にっこり笑いました。

俺の母さんと、友也君の母親が、病室の外で話していました。

「この度はどうも……」

「いえいえ、そんな……」

そんな声が聞こえてきました。

俺が椅子に座ると、友也君が言いました。

「僕のこと……助けてくれて、ありがとうね」

俺は、もう泣きそうでした。

「俺だけじゃないよ。信じないかもしれないけど……友也君のおじいちゃんが、助けてくれたんだよ」

友也君は、驚きませんでした。

「……信じるよ」

「え」

「だってね……僕が公園で倒れたとき、ずっと耳元で『頑張れ! 負けるな!』って、じいちゃんの声が聞こえてたから……」

友也君は、涙をぽろぽろ流していました。

「それにね、夢かもしれないんだけど……」

「うん」

「手術の後で『もう大丈夫だから』って声が聞こえて、見たら、真っ黒い人が『頑張ったね』って言ったんだ」

「真っ黒い人」

「あれは、じいちゃんの声だった。だから、僕は信じるよ……」

真っ黒になったおじいさん。

きっと、最後まで、あのもやと闘ったのだと思います。

吸い込んで、吸い込んで、自分が黒くなるまで。

俺と友也君は、手を握り合いました。

「おじいちゃんのお陰だね」

二人で、そう言って泣きました。

友也君の枕元には、木のライオンが置いてありました。

俺は、何も言わずに、底の字を見ました。

震えた『ともや』が、そこにありました。

木のライオンの底の字

友也君が退院してからも、俺たちは相変わらず、よく遊びました。

公園のブランコには、ベルトを使って何度も乗りました。

ベルトは、結局、親父に見つかりました。

理由を話すと、親父は何も言わずに、古いベルトをもう一本くれました。

おじいさんの姿は、あの日から見ていません。

砂場の端には、誰も立っていませんでした。

友也君は、中学も、高校も、俺とは別でした。

それでも、月に一度は会いました。

友也君は、動物の専門学校に進み、今は小さな動物園で働いています。

俺は、そういうものが見える子どもの話を、大人になってから何度か読みました。

冬季分校の柱時計に出てくる子は、俺と少し似ていました。

不思議な話 取り置きの本の店主も、たぶん、見えていた人だと思います。

俺は、あの日以来、はっきりとは見えなくなりました。

見えなくなったことを、少し寂しく思います。

先月、友也君は、長く付き合った彼女と結婚式を挙げました。

俺は、友人代表で呼ばれました。

会場の親族席に、ぽつんと空席がありました。

不思議に思って、近くで見ました。

椅子の前に、手書きの席札が置いてありました。

『おじいちゃん』

友也君のお母さんが、式の前に、親族の席札を全部手書きしたのだと聞きました。

俺は、席札を、少し持ち上げて見ました。

線が、どれも少し波打っていました。

席札の字は、母親の字ではなかった。

隣の席札の、まっすぐな字と、違う手でした。

木のライオンの底の『ともや』と、同じ震え方でした。

俺は、席札を元の位置に戻しました。

友也君は、新郎の席で、笑っていました。

その後ろの壁に、一度だけ、人の形が重なって見えました。

深く、頭を下げていました。

『よろしく』ではなく、『ありがとう』の礼だったと思います。

俺も、おじいさんのあの微笑みを思い出しました。

あんなふうに、大事な人を守れる者になりたいと、今も思っています。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

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