黒い同居人

アパート

ある日を境に、私の部屋に“黒い人影”のような存在が棲みつくようになりました。

おそらく、どこかで拾ってきてしまったのか、それとも偶然入り込んでしまったのか――とにかく、それは静かに、けれども確実に私の生活の中に居座るようになったのです。

当初は、ただの悪戯好きな存在だと思っていました。

積み上げた物はことごとく倒され、ハンガーに掛けていた服は落とされ、挙げ句の果てにはトイレのドアまで勝手に開けられる。

しかし、大した害はないし、まぁ放っておいても大丈夫だろう……そう高をくくっていたのです。

ところがある日、包丁を動かされ、その拍子に手を切ってしまいました。

その瞬間、それまで「しょうもないヤツ」と思っていた私の中に、確かな恐怖が芽生えました。

もしかしたら、この“黒い存在”は、油断させておいて、いずれ私を殺すつもりなのではないか――。

そんな疑念が、頭をよぎりました。

それからしばらく経ち、私は突然高熱を出して寝込んでしまいました。

体温計を見れば、40度近い熱。起き上がる力もなく、携帯はベッドから少し離れた場所にあって、誰かに助けを求めようにも動けない。

視界がぼやける中、ふと足元に“アイツ”の姿がありました。

――やっぱり、殺す気だったのか。

そんな考えが一瞬、頭をかすめました。

しかし、次の瞬間、その考えは吹き飛びました。

なぜなら、アイツが焦っているのが、伝わってきたのです。

まるで、必死に私の様子を伺っているかのように。

「おまえじゃねえのかよ……」

かすれた声で、空元気ながらも、私は思わずツッコミました。

そのとき、“がこっ”という音がして、何かが床に落ちたのが分かりました。

手を伸ばして探ると、それは携帯でした。

すぐに友人へ電話をかけましたが、声が出ず、助けを呼べません。

電話口では、友人が冗談半分に「イタズラ電話すんなよ〜」と笑っています。

必死になって何とか伝えようとしたその時――

『うあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!』

突然、部屋中に響き渡るような叫び声が響きました。

アイツの声だと直感しました。

その叫びに恐れをなした友人は、すぐに私の家に駆けつけてくれて、私は何とか一命を取り留めることができました。

それ以来、相変わらず“黒いアイツ”は私の部屋に居ます。

トイレに入っていると、相変わらずドアを勝手に開けてきます。

そして、出ようとするタイミングで思い切り扉を閉められて、挟まれることもあります。

萌えでもなんでもなく、ただただ痛い。

けれども、まったく害がないというわけでもなく、不思議なことに、必要なときには手助けもしてくれます。

たとえば、テレビのリモコンが見当たらないと慌てていると、ふと気づけばテーブルの上に置かれていたり。

みかんが好きなようで、親戚から送られてきたみかんの箱の周辺には、よく気配を感じます。

一度、「一緒に寝るか」と声をかけたら、その瞬間どこかへ消えてしまいました。

……恥ずかしかったのかもしれません。

それでも、今、こうして文章を書いている背中にも、確かに視線を感じます。

喋ってくれたらいいのになと思うこともありますが、こういう存在は、喋らないのが“普通”なのかもしれません。

怖い存在かと問われれば、そうでもない。

けれど、心から安らげる存在かといえば、それも違う。

でも――仲は、悪くないと思っています。

関連記事

アパート

一瞬の異界体験

その頃、私は一人暮らしのアパートに住んでいました。ある日、母から頼まれた回覧板を隣の部屋に渡しに行きました。 手早く回覧板をポストに入れた後、自分の部屋に戻りました。しかし、ド…

欅(フリー写真)

欅の木のお地蔵さん

小学生だった頃に体験した話です。 当時は夏休みや冬休みといった長い休みになると、従兄弟達の家に何日も泊りがけで行ったり来たりしていた。 夏休み前半を従兄弟達が私の家で過ご…

不敬な釣り人の顛末(宮大工11)

とある休日、久しぶりにオオカミ様の社へと参りに出かけた。 途中、酒を買い求めて車を走らせる。 渓流釣りの解禁直後とあって、道には地元・県外ナンバーの四駆が沢山停まっている。…

抽象的(フリー素材)

親父の予言

数年前、親父が死んだ。食道静脈瘤破裂で血を吐いて。 最後の数日は血を止めるため、チューブ付きのゴム風船を鼻から食道まで通して膨らませていた。 親父は意識が朦朧としていたが、…

山祭り

久しぶりに休みが取れた。たった2日だけど、携帯で探される事も多分ないだろう。 ボーナスも出た事だし、母に何か美味いものでも食わせてやろう。 そう思って、京都・貴船の旅館へ電…

蜘蛛の巣(フリー画像)

クモ様

我が家は東北の片田舎にある古い一軒家。 うちでは昔からクモを大事にする習慣があり、家には沢山のクモが住み着いてクモの巣だらけ。 殺すなどもっての外で、大掃除の時もクモの巣を…

古いアパート

ワケアリ物件の守護霊

半年前の出来事です。 現在住んでいるアパートは「出る」という噂のある物件で、私は恐怖を感じない0感体質のため、破格の家賃に惹かれて入居しました。 台所の壁には、逆さまに吊…

女性のシルエット(フリー素材)

イトウ

高校から現在にかけて、俺の周りをウロチョロする謎の同級生がいる。 高一の時に言われたのが一番最初。夏休み明け直後の日だったのだが、いきなりクラスの奴に 「イトウって知ってる…

オオカミ様のお堂(宮大工1)

俺が宮大工見習いをしてた時の話。 大分仕事を覚えてきた時、普段は誰も居ない山奥の古神社の修繕をする仕事が入った。 だが親方や兄弟子は同時期に入ってきた地元の大神社の修繕で手…

霧のかかる山(フリー写真)

酒の神様

去年の今頃の時期に結婚して、彼女の実家の近くのアパートに住んでいる。 市内にある俺の実家から離れた郡部で、町の真ん中に一本国道が通っており、その道を境に川側と山側に分かれている。…