角田の森

公開日: 怖い話 | 洒落にならない怖い話

神秘的な森

あれは小学6年の夏休みの事でした。

友人のHとTが角田の森で遊んでいた時、Hが奥の廃屋へ行ってみようと言い出したそうです。

当時、私達は角田の森でよく遊んでいました。

ただ、それは道路に面した崖の様に反り立った部分から飛び降りたり、木のツルにぶら下がってターザンの真似事をしたりといったもので、森の中へ入る事はありませんでした。

もちろん廃屋があることは知っていましたし、一部の怖いもの知らずの先輩や同学年の子が、その廃屋に忍び込んで何かを見たという噂も聞いてはいました。

まだ日の高い日中でしたが、Tはどちらかと言うと臆病な性格だったので「やめたほうがいい」とHに言ったそうです。

しかしHは聞き入れず、結局Hが一人で廃屋に行き、Tは森の崖の上で待つ事になりました。

Hが森の奥に消えてから数分が経った頃でしょうか。

突然、「うわぁぁぁぁぁ!」という叫び声と共に、物凄い形相のHが森の奥から飛び出してきたのです。

ただならぬ雰囲気を察したTは、Hの先に立って一目散に逃げ出し、二人は死に物狂いで走って近くの寺の境内に駆け込みました。

息を切らせながらTがHの顔を見ると、その顔は青ざめ、目はうつろでした。ただ左の頬だけが赤く染まっていたそうです。

何も話さないHを心配し、Tは自分の家へHを連れて行きました。

ようやく落ち着いてきたHは、廃屋で何があったのかを語り始めました。

Hは森の中に入り、廃屋の前へと出ました。

その廃屋は、壁はボロボロで窓は割れ、もう何十年も人の手が入っていない感じでした。

Hはその異様な雰囲気にたじろぎながらも、勇気を振り絞って引き戸に手を掛けたそうです。

その時、廃屋の脇から70歳くらいの婆さんが突然飛び出てきて、Hの手首を掴みました。

あまりの事に声も出ないHが立ち尽くしていると、さらに同じ歳くらいの爺さんが廃屋の脇から出て来て、絞り出すような声でこう言ったそうです。

「坊主、ここで何やってるんだ」

その爺さんの手には包丁が握られていました。

「すいません、すいません」

とHはひたすら謝ったそうですが、婆さんは物凄い力で握った手首を放さず、爺さんはHの前に回り込んで、顔を覗き込んできました。

そして、突然Hの頬を力まかせに平手打ちしたそうです。

その瞬間、Hは目が覚めたように婆さんの手を力一杯振りほどいて、Tの待つ森の入り口へ駆け出したのです。

翌日、私は学校のプール教室で仲の良かった四人組のもう一人、Yと一緒にその話を聞きました。

Hの話によれば、あれは幽霊などではなく、間違いなく生身の人間であったとのこと。

あんな所に人が住んでいるというのは、にわかには信じ難い話でした。

しかし、TはHの頬が赤く腫れているのを見ていましたし、Hがそんなに巧い嘘を吐けるとも思わなかったので、私はその話を信じました。

ただ、TはHが捕まっている間、廃屋の方からの物音や話し声などを一切聞かなかったそうです。

森の入り口から廃屋まではそんなに離れてはいません。

それから暫くは、角田の森へ行くことはありませんでした。

ところが一週間ほど経ったある日、ダイエーの7階で遊んでいた時でした。

Hが「今度、夜にあそこへ行ってみようぜ」と言い出したのです。

あんなに恐ろしい思いをしたのに、こいつは何を考えているんだと思いました。

今思えば、ガキ大将的な存在だったHは、無様な姿を見られた事が我慢ならなかったのでしょう。

Tはすぐに反対しましたが、Yがやけに乗り気で「行こう、行こう、大丈夫だって」と、私やTをしつこく誘いました。

私も内心は絶対に行きたくないという気持ちでしたが、ここでビビッたら格好悪いという思いが先に働き、Yの粘りもあって最後には「別にいいよ」と答えたのです。

結局Tは、親が夜の外出を許してくれないという理由で参加しないことになりました。

その翌日の夜21時半、私達はサレジオ教会の前で待ち合わせました。

そして自転車をサレジオの前に置き、私達は角田の森へと向かったのです。

昼間でも不気味なこの森、夜に見るそれは表現し難い異様さを放っていました。

魔界への入り口というか、悪霊の巣窟というか、とにかくそれ以上近寄るなという邪悪な意思を発しているように感じました。

私はすっかり怖気づいてしまい、

「やっぱりやめよう、やばいよ」

と言いましたが、YとHは聞く耳を持たず

「ここまで来て何言ってんだよ、行くぞ」

と崖を登り始めました。

すぐにでも逃げ出したい気分でしたが、一人でサレジオまで戻るのも怖かったし、森の前で一人で待っているのもご免でした。

殆ど半泣きで二人の後を追ったのです。

真っ暗で殆ど何も見えない中、手探りで腰をかがめ、物音を立てないようにしながら、私達は廃屋の前まで辿り着きました。

私の心臓は早鐘のように激しく脈打っていました。

そんな私をよそに、Yは一人で廃屋の脇に回り、ガラスの無い窓から中を覗き込んだのです。

Yは虚勢を張っていたのか、本当に強い心臓の持ち主なのか、私は信じられない思いでYの行動を見ていました。

言いだしっぺのHでさえ、私の横で動けずにいましたから。

「何だ、誰もいねぇじゃん」

Yは持参した懐中電灯を点け、それを私とHの方に向けてそう言いました。

「じゃあ、入ってみようぜ」

Yはしゃがみ込んでいる私達の前へ来て、引き戸に手を掛けました。

引き戸がそのボロボロの外見に似合わず、スーッと静かに開いた瞬間を、何故か今でも鮮明に覚えています。

Yが懐中電灯で室内を一通り照らし、「大丈夫だ、入ってみよう」と私達を振り向きました。

先にHが立ち上がり、私もその後を追いました。

Yのあまりにも平然とした語り口に、私もHも拍子抜けしたというか、現実感を失っていたのだと思います。

YとHが懐中電灯で室内を照らすと、意外なほど片付いた室内が現れました。というより、殆ど何も無かったのです。

部屋の正面奥に置かれた祭壇のようなもの以外は。

Yがその祭壇を照らしました。

それは実際には祭壇と呼べるようなものではなく、小さな長方形の机の上に、両脇にはカップ酒のコップを花瓶代わりにして花を生けたものが置いてあり、その真ん中にお札が立てかけてありました。

「ん、ジンカ? 何だこれ読めねぇや」と、お札に書いてある漢字を見てYが言いました。

私もお札の文字を見ましたが、漢字の苦手だった私には読めず、何かお経のようなものが書いてあるのかなと思いました。

すると、それまで黙っていたHが突然その祭壇を蹴り上げたのです。

「ガシャン」と音を立てて、祭壇はひっくり返りました。

私とYがびっくりしてHの顔を見ると、Hはひっくり返った祭壇を見下ろしながらポツリと「仕返しだよ」と言いました。

その時です。

何とも形容し難い「ゴォォォォォォォ」という唸り声というか、音というか、とにかく得体の知れない音が聞こえました。

どこかから聞こえるというより、耳のすぐ傍から聞こえるような感覚で、不協和音というか生理的に不快な音でした。

地震が来る時に、遠くから地響きのような音が聞こえる事がありますよね。

あの音を人の声で叫んだような、とにかくこの世のものとは思えない恐ろしいものでした。

私は声にならない声を上げながら廃屋を飛び出し、暗闇の中を森の出口へ駆け出しました。

YとHもすぐに私の後を追い、お互いに先に行く者を引っ張り合いながら、我先にと走りました。

何度も窪みや木の根っこに躓き転びながら、なんとか崖まで辿り着き、崖を滑り降りて森の外へ出ました。

サレジオに着くと、自転車に飛び乗りお互いの事など気にも留めず、とにかく早くあそこから離れたい一心で自転車を漕ぎました。

私は無意識に家の方へ自転車を走らせていて、このまま帰ろうと自転車を漕ぐ足を速めました。

もう他の二人はどこへ行ったのかも判りません。

自転車を必死に漕ぎながら、ずっと私のすぐ後ろを何かが追って来るような感じがしたのを今でも覚えています。

後にも先にもあれほどの恐怖を感じたことはありませんでした。

息も絶え絶えに家に着き、両親の寝室に駆け込み、母親の布団に入りました。

母親は私の様子に驚き、「どうしたの? 何かあったの?」と何度も聞きましたが、私はただ「何でもない」と答えるだけでした。

直感的に、この事は誰にも話しちゃいけないと思ったのです。

私はいつの間にか、眠りに落ちていました。

翌日の朝も母親が昨日の夜の事を聞いてきました。

私は小刻みに震えていたそうです。

私は「友達の家から帰る途中に変な人に追いかけられた」と嘘を吐き、その場を凌ぎました。

母親は納得したようでしたが、夜の外出は禁止されてしまいました。

私がその日のプール教室を休んで家に居るとYから電話があり、会うことになりました。

Yの家に行くとHとTも来ており、当然話は昨日の夜の話題になりました。

三人が三人ともあの声のような音を聞いており、Yは廃屋から出る時、何かに足首を掴まれた感じがしたそうです。

その後、私と同様に他の二人も何とか無事に家に帰れたとの事でした。

私とYは、Hになぜ祭壇を蹴り飛ばすような事をしたのかを聞きましたが、「仕返ししただけだよ」と答えるだけでした。

今思えば、名誉挽回のためにあの廃屋に行ったのに、Yの強者っぷりばかりが目立っていたので、Hはここで何かして根性を見せなければと思ったのではないでしょうか。

そしてこの話は、Tも含めた四人だけの秘密にすることを固く誓いました。

それからも私達四人は事ある毎にこの話をしましたが、角田の森へ遊びに行く事は二度とありませんでした。

そして時は経ち、私達四人は卒業を迎えました。

私達は別々の中学に進学し、YとHが不良グループと付き合っていた事もあって、段々と疎遠になっていきました。

それから5年後のことです。

私が思わぬ形で「角田の森」という言葉を聞いたのは。

高校2年の夏休み、外出から戻った私に母親が「なんか変な留守電が入ってたんだけど、あんた分かる?」と言いました。

私はすぐにそのメッセージを確認しました。

「私は東京大学で…の教授をしております…いうものです…」

それは、五十代から六十代くらいの男性の声で、電話が遠いのか所々で音声が途切れていて、断片的にしか内容を確認できませんでした。

そして次の瞬間、私の体は凍りつきました。

「…K君(私の下の名前)に…の『角田の森』での事で…したいことがありまして…。

…折り返しご連絡を…番号は…です…」

そこでメッセージは終わっていました。

「うーん、分かんないなぁ、間違い電話じゃないの」と母親に答えると、私は自室に入り、高鳴る鼓動を感じながらなんとか混乱する頭を整理して、この電話の意味を推理しようとしました。

私達四人しか知らないはずのあの夜の事を、なぜ東大の教授を名乗る男が聞いてくるのか。

他の三人が誰かに話したのか。

それとも、私がつい喋ってしまった中学や高校の何人かの友人から漏れたのか。

いや、あの事を知っているあの三人を含めた誰かが悪戯でした事かもしれない。

しかし、そんな手の込んだ悪戯をするだろうか。

何度聞き返しても、留守電の声は中年以上の男性の声でした。

結局、この電話の謎は解明できませんでした。

電話を掛け直そうにも電話番号は一部しか聞き取れませんでしたし、電話帳で東大の様々な学部の電話番号と照合して似た番号を探そうとしましたが、番号のうち四つの数字しか分からないのではそれも無駄でした。

また先方からも二度と電話が掛かってくることもありませんでした。

電話があってから一週間ほどは、友人(あの三人以外の)に当たるなどして、真相を確かめようとしましたが何も判らず、次第にその熱も冷め、日々の忙しさの中でその電話のことは忘れていきました。

それから更に二年後、再び私は角田の森の一件を思い出す事になりました。

浪人時代に予備校の夏期講習で偶然Tに会ったのです。Tと会うのは中一の夏以来でした。

一緒に昼飯を食い、昔話に花が咲きました。

そして、ふと思い出したあの不可解な電話の事をTに聞いたのです。

一瞬Tの顔が曇り、「おまえんとこにもあったのか」と呟きました。

Tのところにその電話があったのは一年前の夏、つまりTが高三の時の夏で、同じように留守電に録音されていたとの事でした。

東京大学の教授とは言っていなかったそうですが、角田の森という単語ははっきりと聞き取れたそうです。

やはりその電話も声が聞き取り辛く、電話番号も判らず、再び電話が掛かってくる事も無かったとの事でした。

その時はあまり深くその話題には触れず、変な事もあるもんだなあといった感じで話は終わりました。

私の話に合わせて嘘を吐いたのかなとも思いましたが、電話が聞き取り辛かったといった細かい事はTに伝えていなかったので、恐らく彼の家にも似たような電話があったのは事実でしょう。

二週間ほどの夏期講習の間は毎日Tと会い、最後に「大学入ったらまた遊ぼう」と私達は別れました。

私は無事大学に受かり、忙しい毎日を送っていました。

そして私が大学3年の夏、Hが死んだのです。

自殺でした。

当時、Hは下北沢の近くで一人暮らしをしていたのですが、その傍のマンションから飛び降りたそうです。

深夜に8階の手摺を乗り越えて飛び降りたそうで、翌日の朝、給水タンクの脇に横たわっているのを管理人に発見されました。

私とTは連絡を取り、二人で通夜に出席しました。

その席で、Hと仲の良かった中学時代の同級生から色々な話を聞きました。

Hが覚醒剤に溺れていた事、最近は全然顔を見せなかった事、そして遺書の内容も。

遺書には「もう耐えられない。死んで楽になります。ごめんなさい」とだけ記されていたそうです。

焼香を済ませ酒を飲んでいると、Hの友人が私とTのところに来て、こう聞きました。

「あのー、ニシナって人知らないかなぁ。あいつの知り合いだと思うんだけど」

その友人がHの両親に聞いたところによれば、Hの部屋の机の上に大学ノートが開きっ放しになっており、そのノートには「ニシナ」という字が何ページにも渡ってびっしりと書き込まれていたそうです。

机の上の物以外にも同じように「ニシナ」と書き込まれたノートが数十冊見つかったそうです。

「あいつが追っ掛けてた女の子か何かじゃないかと思うんだけど」とその友人は尋ねましたが、私達二人はHとは何年も会っていないので分からないと答えました。

その友人が去り、Yが「ニシナかぁ、なんだろうね」と言った瞬間、私の脳裏に、あの夜懐中電灯に照らし出されたあのお札が鮮明に浮かび上がりました。

ニシナ、仁科…ジンカ。

そう、あのお札に書かれていたのは間違いなく仁科という漢字でした。

最初の二文字の仁科以外は何が書いてあったのか思い出せませんでしたが、仁科という文字はYがジンカと読んだ事もあって覚えていたのです。

私はずっと背筋に寒いものを感じながら通夜の席を後にし、その帰り道、Tにその事を伝えました。

Tは泣きそうな顔になり「そんな事あんまり深く考えない方がいいよ。もうあそこの事は忘れようよ」と言いました。

それから私達は押し黙ってしまい、そのまま別れました。

私は翌日の告別式にも出席しましたが、Tは来ませんでした。

Yは通夜にも告別式にも現れず、数年前に千葉に引っ越したとのことでしたが、最近はどこで何をしているのか誰も知りませんでした。

Hの通夜以来、Tとも会っていません。

最後に、Hの死やあの不可解な電話が、あの夜の出来事に関係あるのかどうかは分かりません。

単なる偶然かもしれません。

Hが老夫婦に捕まったという話も、今となっては事実かどうか確かめようがありません。

ただ、あの夜、あの廃屋へ行った事を今でも後悔しています。

何としてでもHとYを説得して止めるべきだったのではと。

そして、ここで軽はずみにあの森の事を書き込んでしまった事も。

全てを語ってしまった事も。

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