ライブチャットの恐怖体験

ウェブカメラ

数年前のこと。私は田舎を出て八王子のぼろアパートで一人暮らしをしていた。

女子大に通いつつ、サークル活動はせずにアパートの近所のファミレスでバイトをする生活だった。

ファミレスは時給900円ちょっと。親からの仕送りは家賃の5万円と生活費の2万円で7万円。

遊ぶためのお金は自分のバイト代で賄う感じだった。

学校帰りにファミレスで働いて稼げるお金なんてたかが知れていて、服やバッグや靴を買ったり、飲み会に顔を出したりしていたらすぐに無くなってしまう。

短時間で楽に稼げるバイトはないかな…なんて考えていた時、八王子駅前でティッシュ配りのお兄さんにキャバクラの求人広告をもらった。

私は見た目が派手じゃないし、内向的でキャバクラなんてできそうにない。それにアルバイトとは言え水商売には抵抗がある。

だけどキャバクラの求人の下の部分には、

「おしゃべり苦手でも大丈夫☆」

というコピーと共に、QRコードとURLが掲載されていた。

帰ってPCからアクセスしたら、そこはライブチャットの求人だった。

ライブチャットというのは女の子がWEBカメラで自分の姿を映して、その映像をサイトを通じてお客さんに配信するというもの。

映像の内容は女の子によってまちまち。顔を出しておしゃべりする子もいれば、顔を隠す子もいる。

露出度の高い格好で出演する子もいれば、普段着の子もいる。エッチな会話をしたり、裸になったりする子もいれば、しない子もいる。

サイト自体18歳未満登録禁止だったから、陰部さえ出さなければ脱いでもOKというルールがあった。

お客さんはほぼ全員男性。お金を払ってポイントを購入し、ポイントに応じて女の子の映像を見られる。その金額の何割かが女の子に支払われるというシステム。

私は早速登録した。カメラはPC内蔵だったから、その日からすぐに始められた。

バレることはないとは思ったけど、念のためウィッグを被った。

映像の配信をスタートしたらすぐにお客さんが来た。

人によっては「オ○ニーして」「脱いで」とリクエストが来たけど、それには応じずおしゃべりのみ。

エッチ目当ての人はすぐ出て行っちゃうけど、中にはおしゃべり目的で来ている人もいて、そういう人と会話を楽しんだ。

不思議とカメラ越しなら喋れるもので、私は身分を偽りつつ、じわじわポイントを貯めていった。

一ヶ月するとポイントは5万円分ほど貯まっていた。

講義が終わったらファミレスのバイトをして、帰宅してからはライブチャット。

週に3日程度、家で数時間のおしゃべりをするだけで月5万円。割の良いバイトだった。

それというのも固定のお客さんが付いてくれたから。

私がログインしていると必ずチャットルームに入室してくれる人が4人くらいいた。

その人たちはエッチよりおしゃべり目当て。いわく「のんびり話せて癒される」とのことだった。

田舎の出身だったからか「どんくさい」「ボーっとしてる」と言われることが多かったけど、固定客の人たちにとってはそれが良いらしかった。

固定客は殆どサラリーマンだったと思う。

たった1~2時間の会話のために数千円分のポイントを払えるような人たちだ。

文字チャットの時もあれば、肉声で喋る時もあったし、オープンチャット(他の人からも見られる状態)の時もあればプライベートチャット(他の人からは見られない状態)の時もあった。

2ヶ月もすると常連さんとは大分親しくなった。

最初は身分を偽りながら喋っていたけど、本当のことも聞かれれば少しは答えるようになっていた。

「○○歳の女子大生なんだよ」「バイトはファミレスでしてる」「西東京に住んでるよ」とか。

そして、チャットのバイトを始めてから半年くらいの頃だったかな。生まれて初めて彼氏ができた。

友達に紹介してもらった人で、何回か遊んで、知り合って1ヶ月くらいで告白された。

恋人ができたらチャットはやめると決めていたから、プロフィールに「月末で退会します」と書いた。

それを見た固定客の人たちがお別れを言いに来てくれた。

「今まで楽しかったよ」「もう話せないなんて寂しい」と嬉しいことを言ってもらった。

チャット終了後にはメッセージ(簡易メール機能)で「これからも元気でね!勉強がんばれ!」なんて応援が届いて、ライブチャットを通した仲とは言えちょっとしんみりした。

その次の日もログインした。

ログインとほぼ同時に入室、プライベートチャットにして来た人がいた。常連のSさんだった。

Sさんはプライベートチャットでしか会話しない、「二人きり」にこだわりのある人だった。

『ログインした瞬間に入室なんて、待っていてくれたのかな?』なんて、呑気なことを考えていた。

応答ボタンをクリックしたら「〇ちゃん、やめちゃうの?」と挨拶もなく言われた。

「うん。色々あって(笑)」

ちょっと濁して答えたら「色々ってなに?」と少し強く聞かれた。

「学校とかバイトとか色々」

「もっと詳しく教えてよ」

「バイトの回数増やしたし、勉強もがんばりたいから」

「夜だけなら続けられるでしょ?」

「夜は勉強するから…ごめんね」

「毎日毎日そんなに勉強するの? チャットの時間も取れないくらい?」

「うん…資格の勉強もあるから…」

「土日は? 昼間とかログインできないの?」

「土日は教習所に行きたくて…」

Sさんは大分しつこかった。

私は嘘を交えつつ答えたものの、『面倒くさいなぁ…』という気持ちが大きかった。

Sさんは普段はもっと落ち着いているから、『どうしちゃったんだろう?』という戸惑いもあった。

「教習所? どこ? 八王子だよね? 〇〇学校?」

「ん~まあそんなとこ(笑)」

「ここで稼いだ金で免許とるのか」

「そういうわけじゃないけど」

「そうだろうが!!!」

いきなり怒鳴られた。びっくりして心臓が止まりそうになった。

「俺から巻き上げた金で免許とるんだろうがよ!」

「えっ!? えっ!?」

「お前にいくら使ったと思ってんだよ!ええ!? お前が」

ブツッ!

会話が切れた。というか私が切った。キックボタンという強制退出機能を使った。

通話が切れて暫くしても心臓がドキドキ鳴っていた。

5分くらい経ったら、Sさんからメッセージが届いていた。

「さっきは怒鳴ってごめん。つい取り乱してしまいました。

大好きな○○ちゃんがチャットをやめてしまうと知って動揺してのことです。

嫌いにならないでください。ひどいことを言ったのは謝ります。

すみませんでした。どうかまた通話してください」

という内容のものだった。

「驚いてキックしちゃった。こっちこそごめんなさい。

今日はやめておきます。月末までは不定期でログインするので、また時間が合ったらチャットしようね」

そう返信して、その日はログアウトした。

次の日はログインしなかった。2日経って、バイトの後にログインした。

またログインと同時にSさんが入室して来た。もちろんプライベートチャット。

「〇ちゃん、一昨日はごめんね」

開口一番Sさんは謝ってきた。

「大丈夫。こっちも素っ気なかったしね(笑)」

私はそう答えた。あまりそうは思っていなかったけど。

「でも○○ちゃん、本当にやめちゃうんだ」

「うん。やめるのは変わんない」

「教習所がんばってね」

「ありがと」

「八王子だから〇〇ドライビングスクール?」

「ん~(笑)」

「〇〇自動車学校? 〇〇ドライビングカレッジ?」

「どうだろうねー(笑)」

この人、調べたのかな…と若干引きつつ答えを濁していたら、

「ここで○○ちゃんがチャット始めてもう半年だよね。

前に月5万円くらい稼いでるって教えてもらったじゃん。5万円×6ヶ月で30万円だよね。

○○ちゃんは女の子だからAT限定かな。

AT限定で学生コースのある学校に30万円で通うってことは、〇〇ドライビングスクールかな? どう?」

とか言い出した。

もう私はドン引きだった。

確かにずっと前に月額どれくらい稼げるのか聞かれて答えたけど、まさかそこまで調べているとは思わなかった。

「聞かれても答えないよ~(笑)」

「あっ、当たってるんだ? 図星でしょ?」

「どうかなー? ごめんね、今日はもう落ちるよ」

「当たったから逃げるんだ? そうでしょ?」

Sさんはまだ喋っていたけど私は退室した。

この間まで仲良くしていたSさんが、もうストーカーの類にしか思えなかった。

退会は月末を予定していたけど、前倒しにしようと思った。

ログアウト前にメッセージを確認したらSさんから届いていた。

「〇〇ドライビングスクール、評判いいみたいだよ^^ 僕も行ってみようかな(笑)」

「学校はどのへん?」とか「出身はどこなの?」と聞かれたことはあった。

プライベートチャットで二人きりだし、普段は優しくて話題も豊富だったから、私も油断して「八王子だよ」とか「〇〇県だよ」と答えていた。

さすがに学校名や住所は言っていなかったけど。

そんな訳無いとは思いつつ、もしかして私の素性が知れているんじゃないかと不安になった。

彼に相談したかったけど、ライブチャットをしていたことはバレたくない。

次の日からチャットにはログインしなくなった。

その夜は怖かったけど、何日かしたらそんなことも忘れた。彼とのデートに浮かれていたから。

でも月末に通帳の記帳をしたら、ライブチャットからのお給料が振り込まれていて、それで退会のことを思い出した。

気が乗らなかったけど、退会処理をするためにログインして固まった。

「新着メッセージ 100件」

お知らせ欄にはそんな表示が出ていた。

ライブチャットのメッセージは最大100件までしか保存されない。

限度一杯に届いたメッセージは、全部Sさんからだった。

「〇ちゃん! 次のログインはいつ?」

「〇ちゃん^^ もうすぐ月末だね」

「〇ちゃん? 今日はログインしないのかな?」

「〇ちゃん! 今日は教習所かな?」

「〇ちゃ~ん 予定がわかったら返信してね」

「〇ちゃん どうしたの?」

「〇ちゃん 見てますか?」

「〇ちゃん 逃げたの?」

「逃げたの?」

「退会 月末じゃないの?」

「ログインしないの?」

「逃げたの?」

「逃げるなよ」

「逃げたの?」

「逃げられると思ってる?」

「逃がさないよ」

そんなメッセージが100件続いていた。

怖くて全部は読んでいない。即効で退会処理をした。

この人ヤバイと思った。

逃げるって何? 逃がさないってどういうこと? 私が何かした?

私はパニックになっていた。心臓がバクバク鳴っていた。

思わず偶にニュースで見る情絡みの殺人事件を連想した。

キャバ嬢や風俗嬢に貢いだ男の人が、その女性を本気で好きになってしまう。

女性の方は仕事でやっているだけだから、もちろん恋愛感情なんて無い。

その行き違いが流血沙汰を起こす。

そりゃ私はSさんにお金を使わせた。だけど私は思わせぶりなことは一切言っていないし、Sさんを勘違いさせるようなことも無かったはず。

だけどそう思っているのは私の方だけ? Sさんは私のこと好きだったの?

混乱して頭が働かなかった。

意味なんて無いと解っていたけど、カーテンを閉めてドアのチェーンを掛けた。

月末を過ぎてからも何事もなく生活していた。私も安心して、『変な人だったなー』くらいに思っていた。

だけどある日、異変が起こった。

学内の掲示板コーナーに、こんなお知らせが貼り出された。

「注意 つきまとい事件が発生しました

〇月〇日 〇時ごろ 当行の学生が自動車学校帰りに、40代~50代と見られる男性にしつこく声をかけられる事案が発生。

学生の皆さんは十分警戒すると共に、防犯ブザーの持ち歩きを徹底しましょう。

緊急時には助けを呼び、民家に助けを求めるなどしましょう」

うちは女子大だったから防犯意識が高かった。

入学時には全員に防犯ブザーが配布されるし、つきまといや不審な声かけが起きると、学校に報告してお知らせが貼り出される。

多い時で週に5回くらいあったと思う。

いつもは特に意識しないけど、この貼り紙には「自動車学校」とあった。

チャットで怒鳴られた時、それから100件のメッセージを受信した時の恐怖が蘇った。

私は学生課に駆け込み、貼り紙について聞いた。

報告者が誰か問い合わせると、学生課の職員は名前を明かすのを渋ったけど、「心当たりがあるかもしれないんです」と伝えると、当該の生徒に連絡を取ってくれた。

その生徒は講義の合間に学生課に来てくれた。違う学部の子だった。

髪型はセミロングで、私がチャット中に被っていたウィッグに似ていた。

「〇〇女子大の生徒?」

「同じ学校の子で教習所に通ってる子いない?」

「この教習所じゃないかもしれないんだけど」

「お姉さんくらいの背格好と髪型」

「○○歳だから〇年生だと思う」

その女の子は教習所から駅までの道すがら付きまとわれて、そんなことを延々と聞かれたらしい。

私は確信した。男はSだ。明らかに私を探している。

「たぶんクラッチバッグ(※大学名が印刷されてる)を見て声をかけてきたと思う。

名前はわかんないけど、この辺の女子大に通ってて、ファミレスでバイトしてる子だって。

顔を見ればわかるって言ってた」

私はSさんに、「八王子周辺の女子大に通っていること」「実年齢」「ファミレスのバイト」を明かしていた。

八王子周辺にある女子大は決して多くない。

年齢とアルバイトから照合して、手当たり次第に聞いていけば、いつかは私に辿り着くだろう。

その子には、その人が探しているのは私かも知れないと伝えた。

ライブチャットのことは伏せて、SNSで知り合った人だと説明した。

もし次に見かけたら逃げて欲しいということも言い含めておいた。

その日の講義は欠席してタクシーで帰宅した。

荷物を置いて、家中の戸締まりを確かめて、彼氏のアパートに泊めてもらった。

バイクで迎えに来てくれて、凄く心強かった。

彼の家で洗いざらい説明した。彼は黙って聞いてくれた。

ライブチャットの存在は知っていたから勘違いもされずに済んだ。

もう二度としないで欲しいと言われたから、私はもちろん頷いた。

彼の家から学校に通って、バイトにも行った。帰りが遅くなる時は彼が迎えに来てくれた。

やっぱり男の人がいると頼もしくて安心できた。

1週間くらいして、一旦アパートに帰る用事ができた。

彼が付き添ってくれたし、昼間だし、あまり怖くはなかった。

『何か異変が起こっていたらどうしよう…』と思いつつ、これと言って変化は無かった。

溜まっていた郵便物を回収して、また彼の家に戻った。

そしてまた1週間、彼の家で過ごした。学校もバイトも通常通り通っていたし、トラブルは起こらなかった。

『Sさんも私を探すのは諦めたんだろうなー』と思っていた。警戒心も薄くなっていた。

1週間後のお昼くらいの時間、また郵便物の回収に自分のアパートに戻った。

今回は彼の付き添いは無し。一人で電車に乗って、駅からは徒歩で行った。

集合ポストには何通か手紙が届いていた。美容院からのDMなどが殆ど。

その中に1通だけ宛先の無い茶封筒があった。

たまにアパートの管理人から宛先なしで封筒がポストに投函されていることがあったから、きっと大家さんからだと思い回収して、階段を上がって自分の部屋に行った。

ドアを開けようとしてギクッとした。部屋の中からガサガサ音がした。

虫が立てるような小さな音じゃない。ガサゴソガサゴソと、何かを漁っているような音。

合鍵は両親と彼にしか渡していない。

両親が来るなんて話は聞いていないし、彼はその時バイトに行っていた。

私は物音を立てないように後ずさりしながら階段を降り、そこからは猛ダッシュだった。

全力で走って駅前の交番に駆け込んで事情を説明した。

お巡りさんが2人居て、片方のおじさんが無線で応援を呼んでいた。

私は交番で待たされた。1時間くらいしてパトカーが来て、アパートまで連れて行かれた。

アパートの前にお巡りさんが何人か居て、車を降りて話を聞かされた。

空き巣だった。ベランダから窓を割って侵入したらしい。

応援が到着した時には犯人は立ち去った後で、部屋の中は空だった。

何を盗まれたか立ち会いで確認することになった。

財布や通帳は彼のアパートに置いてあった。金目のものは無いはずだった。

でも私の部屋からはパソコンが無くなっていた。

タンスも荒らされていた。

チャットの時によく着ていた花柄のワンピースだけが盗まれていた。

間違いない。Sだ。

「タイミングが悪かったら、空き巣と鉢合わせになってたかもしれないですね」

お巡りさんはそう言っていた。

家を突き止められた。侵入された。個人情報が詰まったPCを盗まれた。服を盗られた。

私はショックでその場に蹲ってしまい、お巡りさんがパトカーで休ませてくれた。

交番で事情を説明した。

ネットでトラブルがあったことから始めて、うちの学校の生徒が付きまとわれたことも話した。

頭が混乱していたけど、頑張って話した。

おまわりさんは最初の内は首を傾げていたけど、私の鬼気迫る様子を見てか、信用してくれた。

親に連絡が行って、暫く実家に帰ることにした。

彼のアパートまで突き止められると迷惑が掛かるから、荷物をまとめてすぐに帰省した。

実家に帰ると家族は優しかった。

みんなライブチャットどころかSNSの存在すら知らないようなアナログな人たちだから、空き巣被害に遭ったことしか伝えなかった。

荷物を整理していたら、バッグの中から茶封筒が出てきた。

Sが私の部屋に侵入した日にポストから回収したもの。騒動で存在を忘れていた。

中を見るとプリンターから出力したA4の紙が入っていた。

「○○ちゃんへ

○○ちゃんが恋しくて つい来ちゃった^^

しばらく留守にしているようなので 勝手にお邪魔します。

また遊びに来るね。次は会えるといいな^^

Sより

追伸 ちょっとPCを借りるけど 返すから安心してね」

その後、アパートは引き払って、バイトも辞めた。

学校は半年間休学した(後に復学したけど留年した)。

警察はアパート周辺のパトロールを強化したらしいけど、Sは未だに捕まっていない。

その一件以来、一人暮らしが怖くてできなくなった。留守番すら怖い。

とにかく家で一人になるのが怖くなった。

電話越しの男の人の声も怖いし、ネットでのチャットも怖い。

彼との付き合いが続いていることと、無事に卒業、就職できたのが救い。

長い割にあまり怖くなくてごめん。

でも、私にとっては恐怖体験でした。

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