
これは、私が一度きり、人に語った怖い話だ。
もう半世紀ちかく前のこと、昭和四十九年の晩秋に、奥羽の山で起きたことを、書き残しておきたい。
当時の私は二十五歳で、里の森林組合に入って二年目の見習いだった。
女が山仕事をするのは珍しい時代で、現場では長いこと半人前あつかいをされていた。
それでも私は、山が好きだった。
父も祖父も杣(そま)で、私は物心のつく前から、木と土の匂いの中で育った。
その秋、組合は奥羽山系の北のはずれにある国有林の、境界の杭を見て回る仕事を請け負った。
ブナの天然林で、人の手のほとんど入っていない、古い古い山だった。
案内役は、佐古(さこ)さんという、七十がらみの老いた杣だった。
佐古さんは、その一帯を知りつくした、生き字引のような人だった。
口の重い人で、一日に十も言葉を交わさない日があった。
それでも、山の中での足の運びや、風の読み方は、見ているだけで惚れ惚れするほどだった。
私たちは尾根の中腹に建つ古い飯場(はんば)に寝泊まりし、毎朝そこから杭を探しに分け入った。
飯場は炭焼きの小屋を直したもので、土間には黒く煤(すす)けた囲炉裏があった。
夜はその火だけが頼りで、戸の外はもう、墨を流したような闇だった。
山は日に日に色を落とし、ブナの葉が、雪の先ぶれのように、はらはらと降っていた。
仕事を始めて三日目の晩のことだったと思う。
囲炉裏ばたで干し魚を焼いていると、佐古さんが火を見たまま、ぽつりと言った。
「北の、あの一つ目の尾根にだけは、目を向けるな」
一つ目の尾根、という言い方を、私はそのとき初めて聞いた。
地形図には載っていない、土地の者だけが使う呼び名らしかった。
「なして、ですか」と、私は尋ねた。
佐古さんはしばらく黙ってから、「あそこは、山が目を持っとる」と言った。
それきり、口をつぐんでしまった。
私は若かったし、年寄りの言う山の禁忌(きんき)を、半分は昔話のように聞いていた。
ただ、佐古さんのような人がそこまで言うのには、何かあるのだろうと、頭の隅には残った。
その晩、私は里に残してきた姉のことを、ひさしぶりに思い出した。
私には、三つ上の姉がいた。
私が八つのとき、長雨のあとの土砂に呑まれて、姉は山の向こうへ行ったきり、戻らなかった。
幼い私を背負って逃げ、自分だけが斜面に残ったのだと、あとで母から聞いた。
それからずっと、私にとって山は、姉のいる場所でもあった。
怖い、とは思わなかった。
山に入ると、どこかで姉が見ていてくれるような気が、いつもしていた。
飯場での暮らしは、単調だが、不思議と心が凪(な)いだ。
夜明け前に起き、囲炉裏で湯を沸かし、麦の握り飯を腰にさげて山へ入る。
日が落ちれば戻り、その日歩いた尾根の名と、見つけた杭の番号を、油紙の帳面に書きつける。
佐古さんは、私が知らない山言葉を、たくさん知っていた。
霧のことを「やまじ」、尾根の鞍部を「たわ」、谷のどん詰まりを「づめ」と呼んだ。
それぞれの呼び名の奥には、その土地で生き、その土地に還っていった人々の長い時間が、染みついているようだった。
ブナの古木には、ひとつひとつ顔があると、佐古さんは言った。
「この山はな、人より、ずっと長く、ものを見とる」
そう言いながら幹をなでる佐古さんの手は、節くれだって、木の皮のようだった。
私は、そういう佐古さんの言葉が、好きだった。
夜、囲炉裏の火がぱちりと爆ぜるたび、私はよく、姉の手のぬくもりを思い出した。
姉の背に負われたときの、雨の匂いと、土の匂いを。
※
異変に最初に気づいたのは、その翌日の昼すぎだった。
私たちは尾根づたいに東へ進み、古い炭焼き窯の跡で休んでいた。
ふと、あたりが妙に静かなことに気づいた。
それまで、うるさいほど鳴いていた小鳥の声が、その一角だけ、ぴたりと止んでいた。
風はある。
木の葉は揺れている。
それなのに、鳥の声だけが、なかった。
佐古さんも気づいていたのだろう、握り飯を使う手を止めて、北の方をちらと見た。
そして、すぐに、目を伏せた。
窯の跡には、片方だけの、真新しい草鞋(わらじ)が落ちていた。
こんな山奥に、しかも、片方だけ。
私が拾おうとすると、佐古さんが「触るな」と低く言った。
「片っぽのものは、片目様(かためさま)の通った跡だ」
片目様、と佐古さんは、たしかにそう言った。
その名を聞いたのは、それが初めてだった。
私が問い返しても、佐古さんは、もう答えなかった。
その日はそれで、山を下りた。
飯場に戻るころには、私は草鞋のことも、半ば忘れかけていた。
けれど、夜になって、それは戻ってきた。
真夜中、私は囲炉裏の火が爆ぜる音で目を覚ました。
佐古さんが、土間に立っていた。
戸を細めに開け、外の闇に向かって、塩を撒いていた。
遠くで、何かが聞こえた。
歌のような、経のような、高く細い声だった。
言葉は、分からない。
ただ、その節回しを聞いているだけで、胸の底が冷たくなった。
「佐古さん」と私が呼ぶと、「寝てろ」と短く返された。
塩を撒き終えると、佐古さんは戸を閉め、囲炉裏に薪をくべ直した。
「狐だ」とだけ言ったが、その声には、いつもの落ち着きがなかった。
私は朝まで、ほとんど眠れなかった。
翌朝、佐古さんは、麓の集落まで一度下りると言った。
古い知り合いの家に、用があるとのことだった。
私は飯場に残り、近くの杭の図面をまとめることになった。
一人になると、北の尾根のことが、どうしても気にかかった。
私は若く、そして、好奇心が強かった。
それが、いけなかったのだと思う。
測量に使う、倍率の高い遠眼鏡(とおめがね)が、道具箱にあった。
私はそれを持って、飯場の裏の、見晴らしのきく岩に登った。
北の尾根は、朝靄(あさもや)の中に、青く沈んでいた。
遠眼鏡を覗くと、はるか遠くの斜面の、木の一本一本まで、はっきりと見えた。
ブナの幹の白さ、ねじれた枝、その股に残った去年の鳥の巣まで。
私はしばらく、その美しさに見とれていた。
集落の方を見ると、煙突から立つ煙が、糸のように細く見えた。
腕時計を見ると、針は十時を指していた。
ところが、岩を下りて飯場の柱時計を見ると、まだ八時すぎだった。
どちらかが狂っているのだろうと、そのときは思った。
今になって思えば、あの北の尾根を覗いていた間の時間が、まるごと抜け落ちていたのだ。
その日から、山の様子が、少しずつ変わっていった。
翌々日、私たちは尾根を一本越えて、谷あいの杭を探しに下りた。
沢の水を汲もうと屈んだとき、水面に映った空が、やけに遠く感じられた。
顔を上げると、たしかに見上げたはずの空が、もう一度、はるか高い所にあった。
目の錯覚だと、私は自分に言い聞かせた。
昼の弁当をつかう頃、佐古さんが、ふと箸を止めた。
「お前、さっきから、北を見とるな」
言われて初めて、私は、自分の体が、いつのまにか北を向いていることに気づいた。
背を向けて座り直しても、しばらくすると、また体が、ゆっくりと北へ戻っていた。
その晩、飯場の柱時計が、夜中に一度だけ、妙な打ち方をした。
四つ刻むべきところを、五つ、打ったのだ。
佐古さんは、半身を起こして時計を見たが、何も言わなかった。
私は、布団の中で、姉の名を、声に出さずに呼んだ。
翌朝、戸口の前の地面に、片方だけの足跡があった。
裸の、毛のない、白く細い足の跡だった。
右足だけが、点々と、北の尾根の方から、飯場のすぐ手前まで続いて、そこでふつりと消えていた。
佐古さんは、その足跡の上に、黙って塩を撒いた。
そして、初めて、はっきりと言った。
「もう、近くまで来とる」
※
佐古さんが戻ってきたのは、日の傾きかけた頃だった。
麓の古老から聞いてきた話を、その晩、囲炉裏ばたで、ぽつりぽつりと話してくれた。
北の尾根には、昔から「片目様」と呼ばれるものが棲むという。
額のまん中に、縦に、目がひとつ。
真冬でも裸で、片手に錆びた鎌を提げ、ゆっくりと尾根を歩くのだという。
その姿を、遠くから見るだけなら、何ということはない。
けれど、目を、見てはいけない。
片目様と目が合った者は、この世のいっさいが急にいやになり、何もかも捨てて、山の奥へ歩いていきたくなる。
そうして山に呼ばれた者は、戻らぬ人となる。
集落では、向かいの山の地主も、若い時分にその尾根に呼ばれ、それきり姿が見えなくなったと伝わっていた。
「だから、目を向けるなと言うたんだ」と、佐古さんは言った。
私は、昼間に遠眼鏡で北の尾根を覗いたことを、言い出せなかった。
言えば、佐古さんを困らせるだけだと思った。
けれど、その晩から、私の様子は、少しずつおかしくなっていった。
夜中に、誰かに名を呼ばれた気がして、何度も目を覚ました。
そのたび、北の尾根の方へ、戸を開けて出ていきたくなった。
次の朝、佐古さんは私の顔を見るなり、表情を硬くした。
「お前、北を見たな」
私は、隠しきれずに、うなずいた。
佐古さんは長いあいだ目を閉じ、それから、低い声で言った。
「来るぞ。もう、こっちに向かって歩いとる」
逃げましょう、と私は言った。
「無駄だ」と、佐古さんは首を振った。
「いったん目をつけられたら、里まででも、どこまでも、ゆっくりついてくる」
「振り切るには、向こうから来る前に、こっちが迎え撃つしかない」
その声は、不思議なほど、静かだった。
私たちは、煤で片面を黒く燻(いぶ)した古い硝子(ガラス)を、一枚ずつ懐に入れた。
それ越しに、斜めに見れば、目を直に見ずにすむのだと、佐古さんは言った。
塩の袋と、佐古さんの古い手鏡と、鉈(なた)と、提灯(ちょうちん)を持った。
「片目様は、けがれを嫌う」と、佐古さんは言った。
「塩と、汗と、人の血。山の獣でも、人の汚れたものだけは避ける」
「それと、鏡だ。あれの目を、あれ自身に返してやる」
佐古さんの話によれば、片目様は、急ぐということを知らないのだという。
麓の古老が子どもの時分にも、その尾根に呼ばれた炭焼きがいたそうだ。
その炭焼きは、ある朝ふらりと家を出て、にこにこと笑いながら、北の尾根へ登っていった。
村の者が追いかけても、足どりはゆっくりなのに、なぜか、どうしても追いつけなかった。
そうして、その人は、戻らぬ人となった。
それからというもの、村では、北の尾根に向いた窓には、必ず簾(すだれ)を下ろすようになった。
鏡を、北へ向けて置くことも、固く戒められていた。
「山が、こっちを覗いとるときに、こっちから覗き返すのが、いちばんいかん」
佐古さんは、囲炉裏の灰を、火箸でゆっくりとならしながら、そう言った。
その灰の上に、佐古さんは指で、縦に長い、目のかたちを描いた。
そして、すぐに、手のひらで、それを消した。
「名を呼ばれても、振り向くな。返事をすれば、向こうに、こちらが見えてしまう」
そう言って、佐古さんは、私の手に、小さな塩の袋を握らせた。
その手のひらの、乾いた温かさだけが、その晩の私の、たったひとつの支えだった。
※
待っているあいだ、私は、何度も眠気に引きこまれそうになった。
それは、ただの疲れとは、明らかに違う眠気だった。
まぶたの裏に、青い尾根の稜線が、繰り返し、繰り返し、浮かんだ。
その稜線の向こうへ、行ってみたい。
ただ、それだけの思いが、静かに、私の頭を満たしていった。
気づくと、私は立ち上がりかけていて、佐古さんに袖を掴まれていた。
「正気を、手放すな」と佐古さんは低く言った。
私は、自分の腿(もも)を、爪が食い込むほど強く、つねった。
私たちは、北の尾根との境の、ひらけた鞍部(あんぶ)で待つことにした。
昼を過ぎても、何も来なかった。
風が、ブナの梢を鳴らしていた。
私は、岩に背を預けたまま、いつのまにか、うとうとと眠っていた。
「起きて」
姉の声だった。
三つ上の、あの、土砂の向こうへ行ったきりの、姉の声だった。
「起きて。見ちゃだめ」
私は、はじかれたように目を開けた。
隣で、佐古さんも、眠り込んでいた。
あの緊張の中で、二人とも、眠らされていたのだ。
あたりは、もう夕闇に沈みかけていた。
そして、聞こえた。
あの、高く細い、歌のような声が、すぐ前の茂みの中から。
私は佐古さんを揺り起こした。
佐古さんは飛び起き、懐の煤硝子を、震える手で取り出した。
「足元だけ照らせ。顔を、見るな」
私は提灯を低く構え、茂みの根もとを照らした。
白い足が、見えた。
毛の一本もない、骨の浮いた、異様に白い足だった。
それが、生まれたての子馬が足を持てあますような、ぎこちない動きで、ゆっくりとこちらへ出てきた。
歌が、すぐ近くで聞こえた。
聞いているだけで、世の中のいっさいが、どうでもよくなっていく。
このまま立ち上がって、山の奥へ歩いていけたら、どんなに楽だろう。
そんな思いが、温(ぬる)い水のように、足元から這い上がってきた。
私の足は、もう半分、立ち上がろうとしていた。
そのとき、佐古さんが、私の腕を、力いっぱい引いた。
「煤硝子越しに、斜めに見ろ。正面を見るな」
私は煤で曇った硝子をかざし、その向こうを、横目で見た。
黒く煤けた硝子の中に、白いものが、ぼんやりと浮かんでいた。
それは、たしかに、人のかたちをしていた。
鼻があり、口があった。
けれど、眉のあるべきところに眉はなく、額のまん中に、縦に、目がひとつ。
その目が、煤硝子越しでも、まっすぐに私を捉えていた。
口の両端が、ゆっくりと、吊り上がった。
笑った、のだと思う。
白い手に提げた錆びた鎌の刃に、私の顔だけが、さかさまに映っていた。
佐古さんが、塩を、ひとつかみ、その白いものに投げつけた。
馬のいななきのような、高い叫びが、山にこだました。
それでも、それは、退かなかった。
佐古さんは指の腹を鉈の刃に当て、迷いなく、すっと引いた。
にじんだ血を煤硝子に塗り、もう一方の手で、手鏡を、白いものの顔の前にかざした。
「己の目を、見るがいい」
鏡の中で、額の縦の目と、額の縦の目とが、向かい合った。
その瞬間、それまで聞いたどの声ともちがう、地の底から噴くような呻きが、あがった。
ちょうどそのとき、佐古さんの腰の無線機が、雑音とともに鳴った。
この山では、無線など通じるはずが、なかった。
雑音の向こうから、女の声で、ひとこと、聞こえた。
「下を、照らして」
私は、わけも分からず、提灯をいっそう低く構え、その足元を照らした。
けがれを嫌うものは、低く差し出された灯と、塩と、血のにおいに、たじろいだようだった。
白いものは、くるりと背を向けた。
そして、来たときと同じ、杖をついた年寄りのような、ゆっくりとした足どりで、尾根の奥へ戻っていった。
歌が、だんだんと、遠ざかっていった。
私たちは、それが闇に溶けて見えなくなるまで、提灯でその背を照らし続けた。
いつ振り返るかという恐れに、息を殺しながら。
※
飯場に戻ると、佐古さんはすべての戸の閂(かんぬき)を確かめ、囲炉裏に火を熾(おこ)した。
切った指に布を巻きながら、佐古さんは、ぽつりぽつりと、昔のことを話しはじめた。
戦が終わってまもないころ、佐古さんは北の海をわたる船に、長く乗っていたという。
ある異国の港町で、土地の男に「面白いものを見せる」と、裏路地の小さな家に連れていかれた。
みすぼらしい外見とは裏腹に、中は、香のにおいと、見たこともない調度で満ちていた。
奥の間に、年老いた男が、夜だというのに、色のついた眼鏡をかけて座っていた。
その男こそ「邪(よこしま)な目を持つ者」だと、土地の男は言った。
悪意をこめて睨むだけで、相手にわざわいを背負わせることができるのだと。
西の国では、それを邪視(じゃし)とも、魔の目とも呼ぶのだと、佐古さんは教えてくれた。
試しに、と男が色眼鏡を外し、佐古さんを、ほんの一、二秒、見た。
「今日のあれを見たときと、同じになった」と、佐古さんは言った。
「ただの、なんの変哲もない目玉なんだ。それなのに、見た途端、何もかもが、どうでもよくなる」
「あのときも、このまま海にでも歩いていきたいと、本気で思った」
その異国の老人は、土地の悪い組織に、長く使われていたらしい。
佐古さんが国へ帰る少し前、その老人は、自らの両の目を布で固く縛り、誰にも見られぬまま家を出て、それきり戻らなかったという。
「あれも、きっと、山か海か、どこか遠くへ、呼ばれていったんだろうな」と、佐古さんは言った。
片目様が、その邪視を持つ者の成れの果てなのか、はじめからそういうものなのか、佐古さんにも分からなかった。
「ただ、逃げるだけではいかんと思うてな」と、佐古さんは、苦く笑った。
私は、岩で眠らされていたとき、姉の声を聞いたことを話した。
「起きて、見ちゃだめ、と、姉が」
佐古さんは、長いこと、黙っていた。
それから、腰の無線機を手に取り、周波数の目盛りを見て、首をかしげた。
「この機械が拾った中継所はな、もう何年も前に、たたんで、誰もおらん所だ」
「あんな声が、通じるはずが、ないんだ」
私は、声が出なかった。
姉が私を背負って逃げてくれたのだと、子どものころから、ずっと聞かされて育った。
あの尾根でも、姉は、私を背負って逃げてくれたのかもしれない。
コーヒーの代わりに、佐古さんは、湯に番茶を放りこんだだけのものを、二つ、すすめてくれた。
熱い茶をすすると、ようやく、体の震えが、少しおさまった。
「あの白いものは、本当に、生きているものなんでしょうか」と、私は尋ねた。
佐古さんは、しばらく考えてから、こう言った。
「生きとるとか、おらんとか、そういう物差しが、そもそも合わんのだろうな」
「山には、人の物差しが届かんものが、まだ、いくらでもおる」
私は、岩の上で見た、あの長い長い時間のことを思い出していた。
わずかな間のはずが、まるで、何日もまどろんでいたように感じられた、あの時間を。
「時間まで、あれは、食うんですか」と私が訊くと、佐古さんは、ただ、ゆっくりと首を振った。
「分からん。分からんことは、分からんままにしておくのが、山の作法だ」
その言葉を、私は、今でもよく思い出す。
分からないことを、無理に分かろうとしないこと。
それが、半世紀のあいだ、私を、山と折り合わせてきた、たったひとつの知恵だったように思う。
あの晩、私は、姉が確かにそばにいてくれたのだと、静かに信じることにした。
翌朝、私たちは杭の確認を切り上げ、山を下りた。
佐古さんは、それからまもなく杣の仕事をやめ、麓で静かに暮らした。
私は、組合は続けたが、二度と、あの北の国有林の仕事だけは、引き受けなかった。
それから、半世紀ちかくが経った。
私はもう、姉が呑まれた歳の、ずっと先まで来てしまった。
今でも、よく晴れた日に遠くの山を眺めると、つい、目を細めてしまう自分がいる。
あの北の尾根の、青い稜線のあたりを。
そして、いつも、思い直すのだ。
――山の目を、こちらから、見てはいけない。
これが、私が一度きり、人に語った、怖い話だ。