無数の手
公開日: 心霊体験
昔、趣味で釣りによく行っていた時の話。
海釣りと言っても沖の方に出るのではなく、磯や岩場で釣る方だ。
その日も朝早くから支度をして車で出掛けた。
今回選んだ場所は、地元の釣り好きから穴場として知られる岩場で、よく釣れるということで知る人ぞ知るスポットだ。
その岩場はかなり高さがあって、海面まではほぼ垂直の岩肌が続いている。
岩肌は海面に触れた所からスッと消えるように海の底まで伸びている。
ここからでは海底を見る事は出来ず、水深はかなり深いと思われる。
今日は平日ということもあって、人は殆ど居なかった。
調子が上がらずに今日は早めに引き上げようと思った。
※
午後、日が暮れる直前の時刻になり、そろそろ帰ろうかと思っていると水面下に黒い大きな影が現れた。
初めは日が暮れてきたので何かの影だろうと思っていたが、どうやらイカか何かの大群である事に気付いた。
『こんな所にイカの群れが来るのはおかしいな』と思いながら、何となく釣り糸をそちらの方へやってみた。
すると数秒もしない内に食い付いてきた。
驚く間もなく急いでリールを巻くと、かなりの力で引っ張られた。
もしかしたら大物が紛れ込んでいたのかも知れないと思い、慎重にリールを巻いて行く。
不規則な感覚でやけに強い力で引っ張られるので不思議に思った。
こんな感覚は初めてだ。
なかなか引き上げることが出来ないので、まずは体力を奪おうと思い、竿を岩の間に固定することにした。
様子を見るために、そのイカの群れの方を近くで覗いてみる。
それはイカではなかった。
よく見ると、無数の人の手が糸にしがみ付き、必死に水面へ上がって来ようとしていた。
その光景はまるで地獄から這い上がろうとする沢山の怨霊が、天から垂らされた糸を奪い合っているような状態だった。
ふと気付くと、全身を使って糸にしがみ付き、こちらを睨み付ける男と目が合った。
身動きが取れずにただ絶句していると、苦しそうな顔、悔しそうな顔、怒りに満ち溢れた幾つもの顔がこちらを見ていた。
すると、その時。
「バキッ!」という大きな音を立て、岩に固定していた竿が外れ、その反動で海へ落ちて行った。
落ちた竿は一瞬で海に飲み込まれて見えなくなった。
あの霊は登って来ようとしていたのではなく、海に引き摺り込もうとしていたのだ。
後で知ったことだが、その崖は自殺の名所として有名な場所だったらしい。
それからは二度と岩場には近付いていない。