カヨさんは人の名ではない

宮上荘では、清掃のカートを、廊下の突き当たりではなく、曲がり角の内側に停める決まりでした。

研修の初日に、それだけを教わりました。

理由は、誰も言いませんでした。

邪魔にならないようにだろうと、私は思いました。

実際には、角に置くほうが、よほど邪魔になります。

そのことに気づくのに、二年かかりました。

角の内側

私が働いていたのは、湯河原の奥にある企業の保養所です。

千歳川の細い支流に沿って、林道を七分ほど上がったところにありました。

宮上荘という名前でした。

もとは社員の慰安のための建物で、いまは一般の客も取っています。

私は大学を出たあと、リゾートバイトで入って、そのまま社員になりました。

仕事は、フロントと配膳と、朝の清掃です。

人が少ないので、全部やります。

建物は、二階建ての旧棟と、三階建ての新棟がつながっています。

渡り廊下のようなものはありません。

二階の途中で、床の高さが四センチ下がるところがあって、そこが継ぎ目です。

初めての人は、たいていそこでつまずきます。

建物は、斜面に沿って建っています。

だから、増築のたびに、床の高さが少しずつ合わなくなりました。

階段の段数も、場所によって違います。

旧棟の階段は十七段、新棟は十五段です。

夜勤の晩、その二つを続けて上ると、足の感覚が狂います。

宿の人間は、みんなそれを知っていて、口には出しませんでした。

カートの決まりを教えてくれたのは、清掃主任の遠山さんでした。

六十を過ぎた、口数の少ない方です。

「カートはね、角の内側」

「突き当たりのほうが、通りやすくないですか」

「角の内側」

それだけでした。

二回目に訊いたときは、こう言われました。

「置いとけば、いいの」

私は、それ以上訊きませんでした。

宿の仕事には、理由の説明されない決まりが、いくつもあるものです。

朝は東の雨戸から開ける。

客のいない部屋も、二日に一度は窓を開ける。

そういう決まりが、いくつもありました。

私は、カートの決まりも、その一つだと思っていました。

フロントには、年に何度か、同じ種類の問い合わせが来ます。

部屋に戻れない、という電話です。

酔った客が多いので、最初は誰も本気にしません。

ただ、内容がいつも似ていました。

「同じ廊下を二回通ってる」

「角を曲がったのに、また同じ廊下に出た」

そういう言い方です。

私たちは、部屋番号を聞いて、迎えに行きます。

行くと、たいてい、客は非常階段の踊り場に立っています。

自分でどうやってそこに出たのかを、覚えていない人が多いのです。

歩数の合わない廊下

おかしいと思ったのは、三年目の秋でした。

三階の西の廊下を、私は毎朝往復します。

リネン室が突き当たりにあるからです。

ある朝、なんとなく歩数を数えました。

行きが五十四歩でした。

帰りが六十一歩ありました。

荷物を持っているぶん歩幅が狭くなるのだろうと、そのときは考えました。

次の日は、行きも帰りも手ぶらで数えました。

行き、五十四。

帰り、六十一。

その次の日も、同じでした。

私は、遠山さんに言いました。

「三階の西、行きと帰りで歩数が合わないんです」

遠山さんは、手を止めませんでした。

「そう」

「気になりませんか」

「気にせんでいいよ。カートは置いた」

「置きました」

「ならいい」

その日の夕方、遠山さんが自分から一度だけ話しました。

「あたしも、置き忘れたことがあるの」

「どうなりましたか」

「戻れたよ」

「誰かに、教えてもらったんですか」

遠山さんは、答えませんでした。

代わりに、モップの水を絞りながら言いました。

「教えてもらったら、お礼は言わないの」

「お礼を、ですか」

「言うと、こっちの人になるから」

それだけ言って、遠山さんは廊下の端へ行ってしまいました。

その年の冬、忘年会のシーズンで宿が満室になりました。

深夜の一時過ぎ、三階の客室からタオルの追加を頼まれました。

私はリネン室へ向かいました。

三階の西の廊下です。

そのとき、私はカートを角に置いていませんでした。

昼のうちに、備品の入れ替えで一階へ下ろしたままだったのです。

廊下の照明は、深夜は半分落とします。

非常口の緑だけが、遠くに見えていました。

歩いていて、途中で足が止まりました。

角が、ありませんでした。

いつも曲がる場所に、曲がるところがないのです。

廊下は、そのまま先へ続いていました。

私は、後ろを振り返りました。

来た側の廊下も、まっすぐでした。

いかんいかん

そこから先のことを、私はうまく説明できません。

怖いとは思いませんでした。

ただ、足の裏の感じが変わりました。

絨毯の毛の向きが、逆になっていたのです。

絨毯の柄も、少し違いました。

宮上荘の三階は、細かい市松です。

そのときの床は、縞でした。

色は同じ、えんじです。

私は、しゃがんで確かめました。

縞の幅は、指二本ぶんくらいでした。

立ち上がって、もう一度見ると、市松に戻っていました。

そのことを、私はいまでも人にうまく話せません。

見間違いだと言われれば、そうかもしれないからです。

私は、そのまままっすぐ歩きました。

戻るより、進むほうが早い気がしたのです。

五十四歩を数えたところで、壁が来ました。

壁には、何もありませんでした。

非常口の表示も、消火栓も、額縁もありません。

私は、その壁を手で触りました。

塗り壁でした。

宮上荘の廊下は、全部クロス貼りです。

手のひらに、砂のようなものがつきました。

照明にかざすと、白い粉でした。

私は、それを作業着の腿でこすって落としました。

そのとき、耳の奥で、川の音が聞こえていることに気づきました。

三階の西の廊下に、窓はありません。

そのとき、背中のほうで、人の声がしました。

「いかんいかん」

年配の男の人の声でした。

振り返ると、作務衣の人が立っていました。

宿の作務衣ではありませんでした。

色が濃く、袖の形が違いました。

その人は、私の顔を見ませんでした。

右の手を上げて、私の後ろのほうを指しました。

「いかんいかん。そっち」

指の先に、階段がありました。

さっきまで、そこに階段はありませんでした。

私は「すみません」と言いかけて、口を閉じました。

遠山さんの言ったことを、そのとき思い出したのです。

教えてもらっても、お礼は言わない。

私は、頭を下げるだけにしました。

顔を上げたときには、作務衣の人はいませんでした。

足音も、衣ずれの音も、しませんでした。

私は、その階段を下りました。

下りきると、二階の非常階段の踊り場でした。

そこは、客も従業員も、普段は使わない場所です。

扉を押すと、廊下に出ました。

床の高さが、四センチ下がるところでした。

カヨさんという話

翌朝、私は遠山さんに話しました。

遠山さんは、モップの柄を持ったまま、少しだけ笑いました。

「カヨさんに会ったの」

「カヨさん」

「うちらのあいだじゃ、そう言うの」

遠山さんによると、その言い方は昔からあるそうです。

宮上荘で道が分からなくなっても、カヨさんという主が助けてくれるから大丈夫。

そういう言い方です。

「主って、あの作務衣の人ですか」

「知らない」

「知らないって」

「見た人が、みんな違うこと言うから」

遠山さんは、モップを動かしはじめました。

「じいさんだって人もいるし、誰も見てないって人もいる」

「異世界に迷い込んだ、みたいな話ですか」

「そう言う子も、いたよ」

遠山さんは、モップを持ち替えました。

「言い方は、どうでもいいの」

「どうでもいい、ですか」

「出られりゃ、いいの」

私は、そのあと、何人かの元従業員に話を聞きました。

二十年前に辞めた調理場の方は、こう言いました。

「うちの頃はな、女の人だったよ」

「女の人、ですか」

「割烹着でな。指はささんかった。ただ、突っ立っとった」

「それで、どうしたんですか」

「そっちに行っちゃいかんな、と思うたから、逆に行った」

「異世界みたいなもんやろ、あれは」

その方は、笑いながらそう言いました。

笑ってはいましたが、目は笑っていませんでした。

「ただな、こっちが焦ったら、いかん」

「焦ると、どうなるんですか」

「歩き回ると、角が増える」

その方も、階段に出たそうです。

見えるものは違っても、出る場所はいつも同じでした。

廊下の曲がり角か、階段です。

近くの旅館にも、似た話があると聞きました。

私は休みの日に、隣の谷の宿の人に会いに行きました。

そこでは、迷った人が出口を教えられるという話でした。

教えるのは、やはり年配の人だそうです。

指さす先は、たいてい廊下の曲がり角か、階段でした。

「うちは、名前はついてないですね」

「宮上荘さんは、カヨさんて言うんでしょう」

「はい」

「なんで、カヨなんですか」

私は、答えられませんでした。

従業員名簿を、旧いものまで遡って見ましたが、そういう名前の人はいませんでした。

加代でも、佳代でも、香代でもありません。

調理場にも、仲居にも、庭師にも、いませんでした。

創業からの名簿は、事務室のロッカーに全部残っています。

私は、休みの日に、それを最初から最後まで見ました。

三百人ほどの名前を、指でなぞって確かめました。

カヨという読みは、一人もいませんでした。

その代わり、妙なことに気づきました。

カヨさんの話が出てくるのは、二度目の増築の年より、あとの世代だけでした。

それより前に働いていた人は、そういう言い方を知りませんでした。

増築の図面

答えが出たのは、宮上荘の改修が決まった年です。

耐震のために、旧棟の一部を直すことになりました。

設計事務所の人が、古い図面を借りに来ました。

四十くらいの、細い眼鏡の方でした。

その人は、着いてすぐ、館内をひと回りしたいと言いました。

私が案内しました。

三階の西に来たとき、その人は立ち止まりました。

「ここ、床が鳴りますね」

「鳴りますか」

「下に、何か走ってるんじゃないかな」

そう言って、靴の先で二、三度、床を叩きました。

音が、二種類ありました。

角の手前と、角の先で、まるきり違う音がしました。

「継ぎ目ですね」

「継ぎ目は、二階のはずなんですが」

「じゃあ、二か所ありますね」

その人は、あっさりそう言いました。

私は、そのあいだ、カートのことを考えていました。

角の手前と角の先で、建物が違う。

そこにカートを置くというのは、二つの建物にまたがって物を置くということです。

物を置いておけば、そこが一つの場所であることが、いつでも確かめられます。

そのときは、そこまで考えて、自分でおかしくなりました。

台車一つで、建物が保てるはずがありません。

図面は、事務室のスチール棚の上に、丸めて置いてありました。

私は、それを一緒に広げました。

三枚あって、いちばん古いのが最初の建物、次が一度目の増築、最後が二度目の増築です。

建物は、二度、増やされていました。

設計の人が、鉛筆の先で図面をなぞりながら言いました。

「昔の図面は、部屋じゃなくて角に符号を振るんですよ」

「符号、ですか」

「大工さんの番付です。イロハとか、カタカナとか」

私は、図面に顔を近づけました。

廊下の折れているところに、小さな片仮名が書いてありました。

ア、イ、ウ、エ、と続いています。

一度目の増築の図面には、その続きから振り直してありました。

二度目の図面も、同じでした。

設計の人は、三枚を並べて、しばらく黙っていました。

「これ、増築のたびに振り直してますね」

「振り直すと、まずいんですか」

「まずくはないです。ただ、あとから見る人は困る」

「同じ場所に、違う符号がつくからですか」

「そう。よく分かりましたね」

私は、事務室の蛍光灯の下に、三枚を持って行きました。

三枚の図面を、光に透かして重ねました。

ほとんどの角は、ずれていました。

三十センチ、五十センチと、少しずつ外れています。

斜面に建てているので、当たり前のことでした。

私は、一枚ずつ位置を直しながら、三階の西を探しました。

指の腹で、紙の上をなぞりました。

一つだけ、ぴったり重なる角がありました。

三階の西です。

図面の角には、カとヨが、隣り合って振ってありました。

旧棟の図面では、その角は「カ」でした。

新棟の図面では、同じ場所が「ヨ」でした。

設計の人は、それを見て、少し首をかしげました。

「重なってますね。珍しい」

「まずいんですか」

「まずくはないです。施工の都合でしょう」

その人は、あっさりそう言って、図面を丸めました。

私は、事務室の窓の外を見ていました。

駐車場の向こうで、川の音がしていました。

備品の台帳を出したのは、その日の夕方です。

清掃カートを最初に買った年は、二度目の増築の年でした。

それより前の台帳に、カートの記載はありません。

それまでは、掃除の道具は各階の物入れに置いていたそうです。

わざわざ台車を買って、廊下に出しておく必要はありません。

買った年に、置き場所の決まりも一緒にできています。

備考の欄に、ボールペンで一行だけ書いてありました。

置き場、三西の角内。

三階の西の角の内側、という意味です。

その一行だけ、字が違いました。

ほかの記載は、事務の人の細い字です。

その一行だけ、太く、力を入れて書いてありました。

角にカートを置くのは、角を、角のままにしておくためでした。

いまも角に

いま、私は宮上荘にいません。

小田原の駅前のホテルで働いています。

廊下は、まっすぐです。

角は、二か所しかありません。

それでも、私は掃除のワゴンを、必ず角の内側に置きます。

理由を訊かれたら、置いておけばいいのだと答えることにしています。

遠山さんと、同じ答え方になりました。

——似たような話は、キミアキ君や、道を教えて下さいにもあります。

自宅のマンションでも、廊下の角に傘立てを置いています。

去年、それを片づけた晩がありました。

翌朝、私の階の角は、一つ増えていました。

いまも、そう思うことにしています。

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