
門前の面は、顎が白いまま売られる
以前つきあっていた彼女に聞いた話です。
彼女の実家は、茨城の笠間にありました。
稲荷さんの門前から少し入った、細い坂の途中の家だそうです。
笠間の門前には、昔から張り子の狐の面を売る店がありました。
菊まつりの時期になると、店先にずらりと並びます。
白い顔に、赤い隈。
目のところだけ穴が開いていて、耳の内側が朱で塗ってある。
ただし、門前で売られている狐の面は、どれも顎の下が白いままでした。
彼女は子どものころ、それを何とも思っていなかったそうです。
面の顎など、誰も見ませんから。
菊まつりのころの門前は、朝から人が出ます。
参道の両側に菊の鉢が並んで、その隙間に、綿飴と、焼きそばと、面の店。
彼女の父親は、酒が入ると必ず面を買って、家までかぶって帰る人だったそうです。
そのたびに母親に本気で怒られる。
「あんた、それ、外でかぶるもんじゃないって何度言えばわかんの」
「祭りだろ」
「祭りでもだよ」
子どもの彼女は、そのやりとりを毎年見ていました。
父親の側から見れば、ただの酔っぱらいの遊びです。
母親の側から見れば、まったく別の意味がありました。
それを知ったのは、ずっとあとのことです。
※
枕もとに立っていたもの
彼女が小学四年の秋のことです。
夜中に、枕もとの気配で目が覚めました。
薄目を開けると、誰かが立っていたそうです。
白い装束を着ていました。
顔には、狐の面。
何をするわけでもありません。
ただ、まっすぐこちらを見下ろしている。
形は、たしかに人の形をしていました。
肩があって、腕があって、袖が下がっている。
それでも、人間ではないことだけは、はっきり分かったといいます。
「なんでわかったん」
私が聞くと、彼女はしばらく考えてから答えました。
「息をしてなかった」
白い装束の胸のあたりが、まったく動かなかったのだそうです。
怖さで声が出なくて、そのうち、たまらずに泣き出しました。
あとになって、彼女はその週のことを思い出したそうです。
おかしなことが、少しずつ増えていました。
月曜の夕方、学校からの帰り道に、坂の上に子どもが立っていました。
狐の面をつけていました。
祭りは、その二週間前に終わっています。
顔を見ようと近づいたら、いつのまにかいなくなっていました。
水曜の夜は、雨戸の外で音がしました。
紙を手でこするような、軽い音です。
猫だと言われて、そのときは納得しました。
木曜の朝には、庭のすみの小さな祠の前に、油揚げが一枚置いてありました。
置いたのは母親ではありません。
父親でもありません。
その日、母親は珍しく、朝から祠の前を掃いていました。
そして金曜の夜に、あれが枕もとに立ったのです。
※
シッ、シッ
泣き声を聞いて、隣の部屋から母親が入ってきました。
ここから先が、彼女の話のいちばんおかしいところです。
母親は、電気もつけませんでした。
襖を開けて、立ったまま、片手を二、三度、下から上へ振ったそうです。
「シッ! シッ! でていきな!!」
野良犬か、台所に入り込んだ猫を追うときの、あの調子です。
すると、それは黙って消えました。
音もなく、争いもなく、なんの余韻もなく。
母親は、襖を閉める前に一言だけ言いました。
「はよ寝ぇ」
それだけで、自分の部屋に戻っていったそうです。
※
あぁ? ありゃ狐だよ
次の朝、彼女は台所で母親に聞きました。
「ゆうべの、なんだったの」
母親は、味噌汁の鍋から顔も上げませんでした。
「あぁ? ありゃ狐だよ!」
それで終わりです。
あんまりあっさりしていたので、彼女はそれ以上聞けなくなりました。
小学生というのは、大人が動じないと、自分の恐怖のほうが間違っていた気になるものです。
その話をするとき、彼女はいつも笑っていました。
「うちの母ちゃん、肝っ玉だけは日本一」
私も笑っていました。
その時点では、笑い話だったのです。
張り子の面は、木型に和紙を何枚も貼り重ねて作ります。
乾かして、型から外して、二つに割れた面を合わせて、胡粉を塗る。
顎の下は、いちばん最後に塗る場所だそうです。
そこだけ紙の継ぎ目が来るので、丁寧に均さないと墨がにじむ。
だから、面師の家では顎の仕上がりで職人の腕を見たといいます。
「顎のきれいな面は、字がきれいに乗る」
母親は、そういう言い方をしました。
字を乗せることが前提の作り方なのです。
言い換えれば、顎の白い面は、まだ半分しか出来ていない。
※
顎を見る癖
おかしいと思いはじめたのは、彼女とつきあって二年目の秋でした。
笠間の菊まつりに行こうという話になって、二人で門前を歩いていたときです。
面を売る店の前で、彼女が急に足を止めました。
そして、並んだ面の顎の下を、一つずつのぞき込みはじめたのです。
屈んで、下から見上げるようにして。
「なにしてんの」
「んー」
「顎、なんかあんの」
彼女は、我に返ったような顔をしました。
「わかんない。なんか、見ちゃうんだよね」
癖なのだそうです。
面を見ると、顔ではなく顎を見てしまう。
いつからかは覚えていないと言いました。
私は一度だけ、その癖について彼女に踏み込んだことがあります。
面だけではありませんでした。
彼女は、人形の顎も見ます。
雛人形も、こけしも、パチンコ屋の前の像も。
顔ではなく、必ず顎の下を確かめる。
「気持ち悪い?」
「いや」
「自分でも、なんでかわかんないんだよ」
そのとき、彼女は少しだけ真顔になりました。
「あの晩さ」
「うん」
「母ちゃんが襖開けたとき、あたし、母ちゃんの目を見てたんだよね」
「うん」
「顔じゃなくて、下のほう見てた」
母親の視線が、面の顔ではなく顎に向いていたことを、四年生の彼女は見ていたのです。
意味も分からないまま、見る場所だけを覚えた。
作法というのは、そうやって残るのだと思います。
※
屋号を書く役
その日、彼女の実家に寄りました。
私が面の顎の話を出すと、母親は湯呑みを置いて、少しだけ間を置きました。
「あんた、それ、この子に聞いたの」
「はい」
「まあ、いいわ」
そう言って、母親は昔の話をしてくれました。
母親の実家は、門前で張り子を作る家だったそうです。
面師の家です。
そこでは、面を売るときに、必ず顎の下へ買った家の屋号を書きました。
細い筆で、小さく。
「なんで顎なんですか」
「顔に書いたら、面が変わっちまうだろ」
それはそうです。
「白いままなのは、まだどこの家のものでもないという印だよ」
店先に並んでいるあいだは、顎は白い。
買った人の家が決まって、初めて名前が入る。
そして、書くのは店の者と決まっていたそうです。
母親は、その書き手でした。
十代のころ、毎年、菊の時期になると筆を持たされたのだと言いました。
母親は、面師の家の決まりについても話しました。
屋号を書くのは、売った当日と決まっているそうです。
持ち帰る前に、必ず書く。
書かずに家に入れると、その面は誰のものでもないまま家の中にいることになる。
「うちの店は、それだけは絶対にやらなかった」
祭りのあいだは、店の奥に小さな机を置いて、そこで書いていたそうです。
筆は面用の一本だけ。
墨も、その日に磨ったものしか使わない。
書き終わると、乾くまで顎を上に向けて置く。
「顎を上に向けたまま、誰も跨がない」
その決まりだけは、理由を教えてもらえなかったと母親は言いました。
「うちのばあさんも、理由は言わなかったよ」
そういう作法は、たいてい理由のほうが先に消えます。
それでも、やり方だけは残るのです。
※
あの晩、母親が見たもの
私は、そこでようやく気づきました。
あの晩、母親は電気をつけていません。
襖を開けて、暗がりのなかで、それを見ています。
顔など見えなかったはずです。
「あの、暗かったんですよね」
「暗かったよ」
「じゃあ、何を見たんですか」
母親は、湯呑みの縁を親指でなぞりました。
「顎」
廊下の常夜灯の明かりは、下から入ります。
だから、面の顎だけが、白く浮いて見えたのだそうです。
母親が追い払えたのは、あれの顎に、うちの名がなかったからでした。
どこの家のものでもない。
ならば、この家の者として扱う必要がない。
犬猫と同じに追えばいい。
「名前が入ってたらどうしてたんですか」
母親は、そこで初めて、少し笑いました。
「そりゃ、お茶出すよ」
笑いながら言われたので、私は笑い返しました。
あとから思い返すと、あれは冗談ではありませんでした。
父親が面をかぶって帰るのを母親が怒った理由も、そのとき分かりました。
家に置いてある面には、当然、うちの屋号が入っています。
その面をかぶって、暗い坂を上がってくる。
外から見れば、顎にうちの名の入った面が、うちへ向かって歩いてくることになります。
「あれをやられると、追えないんだよ」
母親は、そう言いました。
「本人だって分かってても、追えないんですか」
「顎に名前があるうちは、家の者だからね」
父親は、そのことを最後まで知らなかったそうです。
ただの縁起の悪い遊び、くらいに思って、毎年やめられずにいました。
ちなみに、あの母親は面以外にも肝が据わっていました。
台所に蛇が入ったときは、菜箸で外に出したそうです。
雷が落ちて庭の木が裂けた朝も、「まあ、切る手間が省けた」で終わり。
彼女いわく、驚いた顔を一度も見たことがない。
ただ、面の話をするときだけは、声の調子が変わりました。
※
名を呼ぶな
母親は、もう一つ教えてくれました。
笠間の、そのあたりの家には、決まりごとがいくつかあるそうです。
面をつけた者が来た晩は、家の者の名前を呼ばない。
呼べば、こちらの数に入れてしまうから。
追い払うときは、人として扱わない。
人として扱うと、上がり込んで居ついてしまうから。
そして、正体を口にしない。
「ありゃ狐だよ、で終わらせるんだよ」
母親が翌朝あっさり流したのは、知らなかったからではありませんでした。
名を言えば、呼ぶことになるからです。
「じゃあ、狐じゃないんですか」
「さあね」
母親は、それきり話をやめました。
※
鴨居の裏から出てきたもの
彼女とは、その二年後に別れました。
穏やかな別れ方でした。
それから十数年が経って、共通の友人づてに、一度だけ連絡をもらいました。
笠間の実家を建て替えることになった、という知らせです。
解体のときに、茶の間の鴨居の裏から、狐の面が一枚出てきたそうです。
釘で打ちつけてあったのではなく、鴨居と長押のあいだの隙間に、顔を奥に向けて差し込んであった。
つまり、外からは顎しか見えない向きです。
そして、その顎には、細い筆で屋号が書いてありました。
彼女の実家の屋号ではありませんでした。
母親の実家の屋号でもありません。
書いてあったのは、彼女が結婚して名乗るようになった姓だったそうです。
面の古さからすると、書かれたのは五十年は前だといいます。
彼女は、隣に住んでいた老人にも聞いてみたそうです。
八十を越えた人で、門前の掃除を長くやっていた人でした。
「鴨居の裏に、面をな」
老人は、それだけで話が通じたようでした。
「うちにもあるよ」
「どういう意味なんですか」
「先に、うちの名前を入れた一枚を、内側に向けて置いとくのさ」
先に置いてあれば、あとから来たものは、その家の名を名乗れない。
そういう考え方なのだと老人は言いました。
「じゃあ、うちの鴨居のは」
老人は、そこで黙りました。
彼女の姓ではなく、これから彼女が名乗る姓が入っていたからです。
五十年前に、それを書ける人がいたことになります。
「まあ、書き間違いだろ」
老人は、そう言って話を切り上げたそうです。
※
帳面の、白のまま一
そのあと、彼女は母親の実家に残っていた古い帳面を見せてもらったそうです。
面師の家の、売り上げの控えです。
年ごとに、面の数と、書き入れた屋号が並んでいます。
彼女が枕もとの狐を見た年の、秋の欄。
そこに一行だけ、屋号ではない書き込みがありました。
「顎、白のまま 一」
その年、一枚だけ、名前を書かずに売られています。
誰に売ったのかは書いてありません。
母親は、その帳面を見せながら、こう言ったそうです。
「あれは、あたしが書き忘れたんだよ」
彼女は、それ以上聞かなかったと言っていました。
母親が「ありゃ狐だよ」と言い切ったときと、まったく同じ声だったからです。
建て替えのあと、あの面をどうしたのかも聞きました。
捨てられなかったそうです。
母親が、燃やすのも譲るのも駄目だと言ったからです。
結局、新しい家の茶の間の鴨居に、同じ向きで差し込み直しました。
顔を奥に、顎を外に。
大工さんには「魔除けです」とだけ説明したそうです。
「業者の人、なんて言ってた?」
「このへん、たまにあるって」
笠間の古い家を壊すと、鴨居の裏から面が出てくることは、珍しくないのだといいます。
出てきた面の顎を、大工さんは必ず確かめるそうです。
その家の名前が入っていれば、そのまま新しい鴨居に戻す。
入っていなければ、施主に相談する。
相談された施主が、どう答えるのが正しいのかは、誰も教えてくれません。
※
いまも、顎を見ます
私は、いまも笠間に行くことがあります。
仕事で近くを通ると、なんとなく門前まで足がのびる。
面を売る店は、いまもあります。
並んでいる面の顎は、やはり白いままです。
去年の秋、うちの娘が、その店の前で狐の面を欲しがりました。
私は買ってやりました。
店の人が「お名前、入れますか」と聞いてきたので、断りました。
「入れなくて、いいんですか」
「はい、いいです」
店の人は、それ以上は何も言いませんでした。
白いままの面は、いま、うちの茶の間の壁に掛けてあります。
顔を外に向けて、顎が見えるように掛けてあります。
あの晩の母親と同じことを、私はやっているのだと思います。
顎さえ白ければ、追い払えるのですから。
※
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