窓の下の雪だけ踏んである

枝に積もる雪(フリー写真)

母が勤めていた会計事務所では、窓の下の雪だけが、毎朝きれいに踏み固められていました。

誰がやっているのか、事務所の誰も知らなかったそうです。

分かったのは、その人が来なくなってからでした。

母から聞いた話です。

結婚する前、母は町の小さな会計事務所で働いていました。

所員は五人ほどの、古い木造の事務所だったといいます。

母の席は、道に面した窓のすぐ横でした。

冬になると、その窓は腰の高さまで雪に埋まります。

北国ですから、十二月から三月までは、地面が見えません。

事務所は、街道から一本入った通りに面していました。

通りといっても、車がすれ違うのがやっとの幅です。

両側に、屋根から落ちた雪が壁のように積み上がります。

朝の除雪車が入るのは、街道までです。

この通りまでは、来ませんでした。

だから、雪はそのまま残ります。

踏み固めた人の足跡が、そのまま道になる土地でした。

母は、そういう冬を二十年以上過ごしてきた人です。

私が生まれたのは、母がその事務所を辞めてからです。

ですから、この話は全部、母の記憶を通したものになります。

ただ、母は話を盛る人ではありません。

むしろ、面白くしようという気がまったく無い人です。

同じ話を、何年経っても同じ順番で、同じ長さで話します。

だから私は、この話を信じています。

毎朝、その窓の前をひとりのおじいさんが通っていきました。

散歩なのか、用事なのかは分かりません。

時間は、いつも八時十分ごろだったそうです。

母が机に着くのと、ほぼ同じ時刻でした。

おじいさんが来ると、さくさくと雪を踏む音が聞こえます。

その音で、母は窓を開けました。

窓は、二重の木枠でした。

内側の鍵を外して、外側を押し開ける造りです。

開けると、冷たい空気が机の上の書類を一枚めくります。

その紙の動きまで、母は覚えていました。

何千回も繰り返した動作だからだと思います。

「おはようございます」

「おう、はよう」

それだけのやり取りです。

ときどき、果物や家で採れた野菜を差し入れてくれました。

窓越しに、新聞紙に包んだものを手渡してくれるのです。

中に入って、お茶を飲んでいくということはありませんでした。

「上がってください」と言っても、首を振ります。

「靴が汚れとるから」

いつもその返事でした。

差し入れは、季節で変わりました。

秋は柿、冬は干した大根や漬物。

春先には、蕗の薹を紙に包んで持ってきたそうです。

「奥さんに渡し」

母はまだ独身でしたから、そう呼ばれると困ったといいます。

訂正しても、次の朝にはまた「奥さん」でした。

耳が遠いのか、わざとなのか、分からなかったそうです。

母は、そのおじいさんと仲良しだったといいます。

名前も、家も知っていました。

けれど、家を訪ねたことは一度もなかったそうです。

訪ねる理由が無かった、というのが正確なところでしょう。

窓越しの三十秒で、関係は成り立っていたのです。

そういう付き合い方が、あの町にはいくつもありました。

名前と顔と、通る時間だけを知っている。

それ以上を知らないまま、十年が過ぎることもあります。

さくさくという音

足音には、はっきりした癖がありました。

さく、さく、と二歩続いたあと、三歩目だけ少し重くなるのです。

さく、さく、ざく。

母はその三拍子で、おじいさんだと分かりました。

ほかの人が通っても、窓は開けません。

足音で判断していたのです。

「なんで分かるの」と私が聞いたことがあります。

「足音って、人によって全然違うのよ」

母はそう言いました。

おじいさんの左足が、少し悪かったのだそうです。

だから三歩目で、体重が余分にかかる。

雪の上では、その差が音になって出ます。

私は一度、母に真似をしてもらったことがあります。

台所の床を、母が三歩だけ歩きました。

とん、とん、どん。

三歩目だけが、確かに重く響きました。

「こういう感じ」

「ずっと覚えてるんだね」

「音は忘れないのよ」

母は、そう言って笑いました。

音で人を判別するのは、雪国では珍しくないそうです。

顔が見えない季節が長いからです。

厚いコートに帽子とマフラーで、目しか出していません。

すれ違っても、誰だか分かりません。

だから、歩き方や声で覚えるようになる。

母はそう説明しました。

「じゃあ、足音のほうが顔より確かなんだ」

「そうね。冬はね」

おじいさんの声も、特徴がありました。

低いのに、語尾だけが上がるのです。

「はよう」の「う」が、少し跳ねます。

母はその跳ね方まで真似できました。

三十年以上経っても、覚えているのです。

事務所の所長も、その音を覚えていました。

「あ、来たな」

そう言って、新聞から顔を上げるのが朝の習慣だったといいます。

もうひとつ、母が覚えていたことがあります。

事務所の窓の下、一畳ほどの範囲だけが、いつも雪が踏み固められていました。

ほかの場所は、朝は新雪のままです。

その一角だけ、平らに固まっているのです。

母は、窓を開けるときに助かるな、と思っていました。

雪が柔らかいと、窓の下に落ちて溶けて、床が濡れます。

固まっていれば、それがありません。

誰がやっているのかは、考えたこともなかったそうです。

町内会の雪かきの人だろう、くらいに思っていました。

一度、所長が冗談で言ったことがあるそうです。

「うちだけ雪かきしてもろうとるな」

「そうですね」

「よそは誰もやっとらん」

言われてみれば、隣の米屋の前も、向かいの床屋の前も、新雪のままでした。

窓の下の雪だけが、平らでした。

それでも、誰も確かめようとしませんでした。

ありがたいことの理由を、わざわざ探す人はいません。

いまの私なら、少しは考えると思います。

一畳ぶんの雪を平らにするのは、簡単な作業ではありません。

新雪は、踏んでもすぐ沈みます。

何度も往復して、体重をかけて、ようやく固まります。

手袋も長靴も、濡れるはずです。

「靴が汚れとるから」

おじいさんが事務所に上がらなかった理由が、いまなら分かる気がします。

上がれば、足元を見られます。

雪まみれの長靴と、濡れた裾を。

そうなれば、何をしてきたのか気づかれてしまいます。

だから、窓の外に立ったまま帰った。

そう考えると、あの人の几帳面さの意味が変わってきます。

山へ行ったきり

二月の半ばのことです。

その朝、足音がしませんでした。

八時十分を過ぎても、八時半になっても、聞こえません。

母は少し気にしましたが、風邪でもひいたのだろうと思いました。

その日は、前の晩から雪が降っていました。

朝、窓の外を見ると、通りは一面の新雪でした。

そして、窓の下も新雪のままでした。

母は、そのことに引っかかりました。

雪の日こそ、いつもは固めてあったからです。

けれど、そのときは結びつけて考えませんでした。

母はその朝、いつもより早く窓を開けたそうです。

誰も通っていないのに、開けました。

冷たい風が入って、書類が一枚めくれました。

その動きだけが、いつもと同じでした。

翌朝も、足音はしませんでした。

三日目に、所長が家のほうへ様子を見に行きました。

帰ってきた所長の顔が、いつもと違っていました。

「山へ行ったきり、戻らんそうだ」

おじいさんは、山菜の時期でもないのに山へ入ったといいます。

家の人が言うには、冬のあいだも週に一度は山を歩く人だったそうです。

その日も、いつもの軽装で出ていきました。

夕方になっても戻りません。

夜のうちに、家族が消防団に連絡しました。

翌朝から、捜索が始まっていたのです。

事務所でも、その話でもちきりになりました。

母は、仕事が手につかなかったといいます。

何度も窓の外を見ました。

窓の下の雪は、その日も平らに固まっていました。

母はそれを見て、少しだけ安心したそうです。

理由は説明できません。

ただ、いつもと同じものがそこにあることが、救いのように思えたのだといいます。

捜索は二日続きました。

山は広く、その年は雪も深かったといいます。

消防団だけでは足りず、隣の町からも人が来ました。

事務所の男性所員も、二日目から加わりました。

帰ってきた所員は、何も話しませんでした。

長靴を脱いで、ストーブの前に座るだけです。

母がお茶を出すと、両手で持って黙っていました。

「どうでした」

「谷が深い」

所員の長靴の底には、赤い土がついていました。

この町の雪の下は、黒い土です。

赤い土が出るのは、山の南側の斜面だけだと聞きました。

捜索の範囲が、そこまで広がっていたということです。

母は、それを見て黙っていたそうです。

夕方、消防団の人が事務所に寄って、地図を広げました。

赤鉛筆で、探した範囲が塗ってあります。

塗られていない場所が、まだいくつも残っていました。

「明日で三日目や」

その言い方に、母は何も返せなかったといいます。

それだけでした。

その晩、また雪が降りました。

二日目の夜、母は帰り際に窓の下を見ました。

新しい雪が、十センチほど積もっていました。

そこに足跡はありません。

当然です。

固める人が、山にいるのですから。

母は、そこを避けて歩いて帰ったといいます。

踏んでしまったら、何かが決まってしまう気がしたそうです。

二日後の朝の足音

三日目の朝です。

母がいつものように机に着くと、外から音が聞こえました。

さく、さく、ざく。

あの三拍子でした。

母は椅子から立ち上がって、窓を開けました。

「おじいさん」

誰もいませんでした。

道には、朝の光が当たっているだけです。

足音は、窓の真下で止まっていました。

そのことは、はっきり分かったといいます。

音の位置は、聞いていれば分かるものだからです。

事務所の人たちも、窓のところに寄ってきました。

所長も、事務の女性も、みんな外を見ました。

誰も、何も見えません。

母が窓を閉めようとしたときです。

また、足音が鳴りました。

さく、さく、ざく。

今度は、遠ざかっていきました。

道の先のほう、山のあるほうへ向かって。

音が聞こえなくなるまで、誰も口をきかなかったそうです。

最初に口を開いたのは、事務の女性でした。

「いまの、聞こえましたよね」

全員が頷きました。

所長が、窓を大きく開けて身を乗り出しました。

道には、前の晩の雪が積もったままです。

その面に、足跡は一つもありませんでした。

ただし、窓の下の一角だけが平らでした。

母は、その平らな面を見たときのことを、いまでもよく覚えています。

所長が、しばらく窓から離れませんでした。

それから、小さな声で言ったそうです。

「今朝、誰か固めていったな」

誰も返事をしませんでした。

事務の女性が、ストーブに薪を足しました。

その音だけが、部屋に響いていました。

所長の言葉を、母はその場で否定しませんでした。

誰も固めていないことは、全員が分かっていたからです。

前の晩から、その通りには誰も入っていません。

朝いちばんに出勤したのは、母でした。

母が来たときには、もう平らだったのです。

その数分後に、電話が鳴りました。

おじいさんの家族からでした。

「ついさっき、谷底で見つかりました」

所長が受話器を持ったまま、ゆっくり頭を下げました。

発見の時刻を聞いて、事務所の中が静かになりました。

足音が止んだ時刻と、ほとんど同じだったのです。

窓の下の雪のこと

葬儀のあと、おじいさんの家の人が事務所に挨拶に来ました。

お世話になりました、と頭を下げて、菓子折りを置いていきました。

帰り際、その人が窓のほうを見て言いました。

「ここですか。父がいつも寄っとったのは」

「はい」

「毎朝、家を出るのが早かったんですよ」

「早い、といいますと」

「七時前です。事務所は八時過ぎでしょう」

母は、意味が分かりませんでした。

八時十分に通るのに、なぜ七時前に家を出るのか。

おじいさんの家は、事務所から歩いて十分ほどの距離です。

「うちの父は、道を作って歩く人でしてね」

「道」

「雪を踏んで固めるんです。人が歩きやすいようにと」

その人は、窓の下を指しました。

「ここも、たぶん父です」

「ここも」

「新しい雪が積もった朝は、特に念入りにやっとりました」

母は、しばらく何も言えなかったそうです。

一畳ほどの範囲を平らに固めるには、何十回も往復しなければなりません。

それを、毎朝やっていた。

そして、何も言わずに一度家へ帰り、八時十分にもう一度通っていたのです。

「なぜ、言わなかったんでしょう」

家の人は、少し笑いました。

「言うたら、やめさせられると思っとったんでしょう」

それから、こう続けたそうです。

「山へ行くのもね、同じなんです」

「同じ、といいますと」

「冬の道が崩れとらんか、見に行っとったんですよ」

「一人でですか」

「誰にも言わずに。何十年もです」

母は、その言葉を聞いてから、窓の下を見たそうです。

雪は、新しく積もったままでした。

もう、固める人がいないのです。

その冬、事務所の窓の下は新雪のままになりました。

母は、窓を開けるたびに雪が落ちてくるので困ったそうです。

三月の初めに、所長が板を一枚買ってきました。

窓の下に立てかけて、雪を受ける板です。

それで用は足りました。

けれど母は、その板を見るのがあまり好きではなかったといいます。

「便利なんだけどね」

「じゃあ、なんで」

「板があると、窓の下を見なくなるでしょう」

母は、そういう言い方をする人です。

三年後に事務所を辞めるまで、板はそのままだったそうです。

辞める日、母は板を外して裏返してみたといいます。

何かが書いてあるかもしれないと思ったそうです。

何もありませんでした。

ただの、古い杉板でした。

母はそれを、事務所の裏に立てかけて帰ったそうです。

「持って帰らなかったの」

「うちのものじゃないからね」

母は、そういうところがはっきりしている人です。

けれど、その板がその後どうなったかは、いまも気にしているようでした。

母が話した締めくくり

その年の春、雪が解けました。

窓の下の土が出てくると、そこだけ地面が硬く締まっていたそうです。

草が生えるのも、周りより遅かったといいます。

母は、それを毎年見ていました。

事務所を辞めるまでの三年間、ずっとです。

私がこの話を聞いたのは、中学生のときでした。

母はいつも、同じ言葉で締めくくります。

「最後に会いに来てくれたんだねって、みんなで話したのよ」

それを聞くたび、私は少し切なくなりました。

去年、私は用があってその町を通りました。

事務所の建物は、もうありません。

更地になって、駐車場の看板が立っていました。

冬でしたから、地面は雪で埋まっています。

車を停めて、外に出ました。

昔、窓があったあたりに立ってみました。

その一角だけ、雪が平らに固まっていました。

一畳ほどの広さです。

周りは、新雪のままでした。

足跡は、どこにもありませんでした。

私は、そこに手袋を外して触れてみました。

固く締まった雪でした。

何十回も踏まなければ、こうはなりません。

仏壇の異変のように、去った人が残していくものの話は、この土地にいくつもあります。

嵐の前の声を読んだとき、音だけが先に届く話だと思いました。

車に戻る前、私はもう一度その場所を振り返りました。

雪の面は、朝の光を受けて平らに光っていました。

さくさくという音は、聞こえませんでした。

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