大東亜トンネル

公開日: 心霊体験 | 怖い話

太平洋戦争

これは自分が大学生だった時の話だ。

当時やんちゃだった自分は、よく心霊スポットに出かけていた。

ある日、遊び仲間の友達が「すぐ近くに幽霊トンネルがあるらしい」と教えてくれた。

早速、週末に数人の仲間たちと一緒にその幽霊トンネルへと出かけた。

自分はこんな近くに幽霊トンネルがあったとは知らなかった。

市街地から車で10分程の所にそのトンネルはあった。

かなり大きなトンネルで、出口が見えない。

奥からは微かに風が不気味な音と共に流れてくる。

トンネルの上部には「大東亜トンネル、昭和十七年三月五日竣工」と書いてあるのが辛うじて読めた。

そして、なぜかトンネルの端っこのレンガが崩れていた。

入り口付近の鉄柵は誰かが蹴り破ったのだろう、中央の部分が大きくひしゃげていた。

自分達はそこから入ることにした。

その時、自分は時計を見た。午前11時30分だった。

かつては蒸気機関車が走っていた鉄道トンネルだったのだろう。天井部分が真っ黒に変色している。

ただ、側壁のレンガだけは何十年も放置されている割には綺麗だ。

最初は緊張していたが、すっかり気も緩んで友達とふざけ合っている時に異変が起きた。

突然、手に持っていた懐中電灯の明かりが消えたのだ。

故障か電池切れ、はたまた接触が悪いのかと叩いたりしてみたのだが、一向に点く気配がない。

薄気味悪くなり皆で立ちすくんでいた時、突然強い風が奥の方から吹いてきた。

友達は我先にと逃げ出した。

自分はと言うと、逃げようとした際に足元の何かに躓いてしまい、尻餅を打ってしまった。

必死に逃げようとするものの、金縛りに遭ったように体が動かない。

その時、前の方から微かに足音が聞こえてきた。

良かった…大方このトンネルはまだ使われていて作業員が点検をしに来たんだ…。

そう思っていたが、後々考えると鉄柵で封鎖されているのに使われているはずがない。

そうしている間にも足音は段々と大きくなり、やがて人影が見え始めた。

案の定、現れた「人」は作業員などではなかった。

防空頭巾を被った女性、顔の半分吹き飛んだ男、半ばミイラになり、目玉が飛び出した男だ。

逃げようとするが、腰が笑って立ち上がることすらできない。

後ずさりすることしかできないのだ。

段々と距離が詰まり、やがて眼の前に近づいて来た時、指に何かが触れた。

それは、先ほど逃げようとして躓いた物だった。

鉄かぶとを被った頭蓋骨だ。

普通ならそちらの方を怖がるのだろうが、冷静さを失った自分は何とも思わない。

なぜだか解らないが、その頭蓋骨が目の前の「人」のものだと直感した。

そして、唐突に「これですね? これでしょう!?」という言葉が口から出てきたのだ。

なぜそのような言葉が出てきたのかは解らないが、助かるにはそれしかないと思った。

効果は予想以上に大きかった。

今まで、あれほど恐ろしい顔をしていた「人」がみるみるうちに変わっていったのだ。

本当の「人」になっていった。

20歳くらいの男性、眼鏡を掛け、襷を肩にかけた男性、お下げの女学生…。

まるで生きているようだった。

その時、後ろの方で叫び声がした。

友人たちが意を決してトンネルの中へと入って来たのだ。

はっとして再び前を見た時、彼らの姿は既に消えていた。

「友達がトンネルから出てこない」と、友人は警察にも通報していたのだ。

役場の人、警察官も総動員の騒ぎとなった。

立ち入り禁止のトンネルへ入ったのだから当然だ。

もちろん、親にも散々怒られた。

その後、「大東亜トンネル」を知っている親戚から話を聞くことができた。

大東亜トンネルは、太平洋戦争が開戦した翌年に完成した。

開戦を記念し、その時の太平洋戦争の名称「大東亜戦争」から付けられた。

このトンネルが心霊スポットと化す原因は、戦時中のある事件からだった。

10両編成のうち、5両に出征兵士を乗せた列車が米軍機に攻撃されたのだ。

その列車は「大東亜トンネル」の手前で攻撃され、トンネル内部で脱線した。

機銃掃射のほか、4発発射されたロケット弾のうち3発が命中、列車は炎上したのちトンネル内部で脱線転覆した。

外れた一発がトンネルの入り口付近に命中した。

端っこのレンガが崩れていたのはそのためだったのだ。

大勢が焼死し、生き残った者もトンネルの密閉空間で発生した煙に巻かれ、大部分が死亡。500人の乗員乗客のうち、生存者は僅か54人だけだった。

時間は昭和20年8月14日の午前11時30分、時間も同じだった。

大惨事だったが、戦時という非常時だったために事件は次第に忘れ去られて行ったのだという。

自分は確信した。あの人たちは、その事を知ってもらいたくて出てきたのだと。

大東亜トンネルは子供が入って来たりして危険なため、取り壊そうという話が何度も出た。

しかし、その度にトラブルが頻発して中止になったのだ。

その騒ぎの後、大規模な慰霊碑が設置され、発見された遺骨も納められた。

それから後、再び取り壊し工事が行われる事になったが、心霊現象はぴたりと止んだという。

そして工事はスムーズに行われ、トンネルは解体されて現在は慰霊碑のみが残っている。

関連記事

古い一軒家(フリー写真)

黒く塗り潰された家

昔、今とは別の仕事をしていた時の事。 その日はいつも居る支店とは違う支店エリアでの営業で、渡された地図を片手に歩きながら、飛び込み営業の仕事だった。 目的のエリアに着いて『…

だるま

女の子2人が韓国へ旅行に行った。 ブティックに入り、一人の女の子が試着室に入った。だけど待てども待てども一向に試着室から出てくる気配がない。 カーテンを開けるとそこには誰も…

5ミリ

ある大学生が自宅の自室で勉強していたそうなんです。だけど、なにやら背後に視線を感じる。 どうしても気になりふと振り返ると、背後の側面にある本棚と本棚の隙間から、小学六年くらいの男…

白い女の話

自分は小中高と、全寮制の学校に通っていた。 凄いど田舎で、そこそこ古い学校。文字通り山の中にある。 狸もよく見かけたし、雉もいた。 裏庭に生徒が何人か集まり、許可を取…

古民家(フリー写真)

幸恵

戦後すぐのお話。 哲夫という田舎の青年が、カメラマンになるために上京しました。 哲夫には幸恵という恋人が居ました。 幸恵は両親の反対を押し切り、哲夫と一緒に上京。貧し…

嫌な感じがする場所

これは俺が大学の頃の話なんだが、お前らさ、行っちゃいけない場所って分かる? 誰かに行っちゃいけないって言われた訳でもないんだけど、本能的というか感覚的に行きたくないって思ってしま…

ワンピースを着た綺麗な女性

以前、遠距離恋愛をしていた。彼女は関西、俺は東京に住んでいた。 9月の三連休、知人に車を借りて彼女に会いに行くことになった。 会社での仕事を終えて、夜の23時くらいに東京を…

優しい抽象的模様(フリー素材)

兵隊さんとの思い出

子どもの頃、いつも知らない人が私を見ていた。 その人はヘルメットを被っていて、襟足には布がひらひらしており、緑色の作業服のような格好。足には包帯が巻かれていた。 小学生にな…

ビル(フリー画像)

やっぱり連れて行かれたんだな…

この話は私がまだ大学生の頃、とある7階建ての貸しビルで夜間警備員のバイトをしていた時の話です。 そのビルは警備室が1階の正面玄関脇にあり、各階のエレベーター前に監視カメラが付いて…

磯(フリー写真)

白い手

海が近いせいか、漁師さんの間に伝わる迷信のような話を近所でよく聞かされた。 『入り盆、送り盆には漁をしてはいけない』とか『海川に入ってはいけない』とか。 そういった話はうち…