上の部屋で寝るなと言った人影

祖母は、同じ話を何度もしました。

年に二度か三度、決まって雨の続く時期に話しました。

父がまだ赤ん坊だったころの話です。

アイルランドの西、コネマラの、名前を言っても誰も知らない集落でのことでした。

石と水しかない土地

コネマラは、石灰岩の丘と泥炭地しかない土地です。

木はほとんど生えません。

だから家々は、掘り出した泥炭を乾かして燃やします。

ターフ、と呼ばれる、四角く切り出した黒い塊です。

祖母の家にも、暖炉の脇に、そのターフが積んでありました。

祖母は、その家に生まれた人ではありませんでした。

三十キロほど北の町から、夫の実家へ入った人です。

父を産んで数か月で、その家に移りました。

集落には十軒ほどしかなく、全部が親戚のようなものでした。

祖母は、そこでは最後まで「外から来た人」でした。

あの家の造り

祖母の家は、丘の斜面を背にして建っていました。

風を避けるため、コネマラの家はたいてい斜面に寄せて建てます。

一階は台所と、暖炉のある居間だけ。

二階は屋根裏を仕切っただけの部屋がふたつ。

階段は、居間の隅から直接上がる、幅の狭い木の階段でした。

踏み板は十三枚。

祖母は、その枚数を最後まで覚えていました。

二階の部屋は、丘に接している側が寒く、反対側が湿ります。

祖母には、丘に接している側の部屋があてがわれました。

外から来た人が、その部屋に入るのが決まりだったのだそうです。

祖母はそれを、意地悪だと思っていました。

「いちばん寒い部屋を、よそ者にあてがうんだと思っていました」

あとになって、祖母はこう付け足すようになりました。

「でも、あの部屋がいちばん、知らせが届きやすい部屋だったのかもしれません」

ターフを切る夏

泥炭は、五月から六月にかけて切り出します。

スレーンという、刃の曲がった細いシャベルを使います。

沼の表面を剥いで、下の黒い層を、羊羹のように四角く抜いていきます。

抜いたものは、その場に並べて風に当てます。

三週間ほどで、持てるくらいに軽くなります。

軽くなったら、小さな山に組み替えて、また乾かします。

組み替え方には、家ごとに癖がありました。

誰の家の山かは、離れて見ても分かったそうです。

祖母は、その組み方が最後まで下手でした。

町育ちで、鍬より先にペンを握った人です。

義理の母は、祖母の組んだ山を、黙って組み直しました。

言葉で直したことは一度もなかったそうです。

「あの人は、口では何も教えん人でした」

祖母はよくそう言いました。

崩してから、積み直す

その家には、寝る前の決まりがありました。

暖炉の脇のターフを、一度全部崩して、積み直すのです。

崩さずに足すのではありません。

崩して、一から積み直します。

義理の母は、祖母にそれだけを教えました。

理由は言いませんでした。

祖母は、それを火の用心の作法だと思いました。

崩せば、湿ったターフが下に埋もれたままにならない。

そう考えれば、理屈は通ります。

実際、祖母は何度かそう訊きました。

義理の母は、そのたびに同じ返事をしました。

「そうしておけばいい」

それだけでした。

その夏、家に男はいませんでした。

祖父は、五月から英国へ出ていたのです。

コネマラの男は、その頃たいてい季節ごとに海を渡りました。

畑の稼ぎだけでは足りなかったからです。

だから家にいたのは、義理の母と、祖母と、赤ん坊の三人だけでした。

そして、犬が一匹。

雨が三日続いた

その年の八月は、雨ばかりでした。

大西洋から来る雨は、横から来ます。

丘の斜面が水を吸って、歩くと足首まで沈むようになりました。

三日目の朝、家の犬が二階へ上がらなくなりました。

階段の三段目まで来て、そこで止まって、下りてしまうのです。

祖母が抱えて運ぼうとすると、体を捩って逃げました。

同じ日、台所の水桶の水が減っていました。

汲んだのは祖母です。

誰も飲んでいません。

指二本ぶんほど、減っていました。

祖母はそれを、義理の母に言いました。

義理の母は、桶を覗いて、何も言わずに水を足しました。

夕方、階段の踊り場に、黒い粉がこぼれていました。

ターフの粉です。

あの日、誰も二階へターフを運んでいません。

二階には暖炉がないからです。

祖母は箒でそれを掃きました。

掃きながら、粉が段の上のほうへ続いていることに気づきました。

その晩、もうひとつありました。

赤ん坊が、夜になってぴたりと泣きやんだのです。

三日間ずっと泣いていた子が、急に静かになりました。

祖母は、熱を出したのかと思って額に触れました。

熱はありません。

目を開けて、天井のほうを見ていたそうです。

正確には、天井ではなく、階段のある側の壁を見ていました。

その晩、祖母は積まなかった

三日目の夜、祖母は疲れていました。

雨で洗濯物が乾かず、赤ん坊が一日じゅう泣いていました。

寝る前、暖炉の脇を見て、祖母は思いました。

今夜は、崩さなくてもいい。

ターフは前の晩に積んだままで、形も崩れていませんでした。

祖母は、そのまま二階へ上がろうとしました。

階段の中ほどに、人が立っていました。

祖母は、義理の母だと思ったそうです。

背丈も、肩の落ち方も、そっくりでした。

けれど、その人は、灯りを持っていませんでした。

祖母は片手に赤ん坊、片手にオイルランプを持っていました。

ランプの光は、その人の顔まで届いていたはずです。

顔のところだけ、祖母には思い出せません。

何十回この話をしても、そこだけは言いませんでした。

今夜は上で寝るな

その人は、こう言ったそうです。

「今夜は、上の部屋で寝るな」

祖母は、なぜ、と訊きませんでした。

訊けなかったのだと、あとで言っていました。

言葉が出るより先に、体が階段を下りていたのだそうです。

下りたところで、義理の母が椅子に座っていました。

暖炉の火の前で、居眠りをしていたのです。

祖母がその肩に触れると、義理の母は目を開けて、階段のほうを見ました。

そして、こう言いました。

「礼を言うんじゃない」

「名前も訊くな」

それから立ち上がって、暖炉の脇のターフを、全部崩しました。

崩して、積み直しました。

祖母は、そのとき数を数えました。

二列でした。

丘が動いた

丘が動く前には、音がしたと祖母は言いました。

崩れる音ではありません。

低く、長く続く、家鳴りに似た音です。

床板を通して、足の裏から上がってくる音だったそうです。

その音は、二時間ほど続きました。

義理の母は、その間ずっと暖炉に火を足していました。

祖母が「逃げなくていいのか」と訊くと、義理の母はこう答えました。

「もう、数は合ってる」

その夜遅く、丘が動きました。

泥炭地が水を含みすぎると、斜面ごと滑ることがあります。

黒い泥が、家の裏手から、二階の高さまで押し寄せました。

祖母と赤ん坊が寝るはずだった部屋は、窓ごと押されて潰れました。

一階は無事でした。

祖母と、赤ん坊の父と、義理の母は、暖炉の前で夜を明かしました。

誰も、けがをしませんでした。

朝になって、外は黒一色でした。

庭も、道も、隣の家の壁の下半分も、泥炭の泥に埋まっていました。

集落の男たちが、家々を回って安否を確かめて歩きました。

祖母は、その声を聞きながら、暖炉の脇を見ました。

ターフは、三列に積み直されていました。

誰も、それに触っていません。

隣の家のご主人が、翌朝、うちの戸を叩きに来ました。

泥をかき分けて、三軒先から歩いてきたのです。

戸を開けた祖母を見て、その人は最初にこう言いました。

「三人か」

安否ではなく、人数を訊かれたのだと、祖母はあとになって気づきました。

その人は、家の中を覗きこんで、暖炉の脇を見ました。

そして、うなずいて帰っていきました。

祖父が英国から戻ったのは、丘が動いた十日後です。

汽車と船を乗り継いで、泥の道を歩いてきました。

潰れた二階を見て、祖父は何も言わなかったそうです。

荷物を置いて、まず暖炉の脇を見ました。

そして、ターフを一度崩して、四列に積み直しました。

その手つきが、あまりにも慣れていたと祖母は言いました。

「あの人は、帰ってきたときに、必ずそれをしました」

「玄関で靴を脱ぐより先にです」

犬は、丘が動いた翌朝から、二階へ上がるようになりました。

潰れた部屋の入口まで行って、そこで座るのです。

祖母が呼んでも下りてきませんでした。

その犬は、その冬まで生きて、静かに旅を終えました。

数を、外へ知らせる

祖母がその意味を知ったのは、十年以上あとです。

義理の母が高齢になって、はじめて話したのだそうです。

積み直すのは、火のためではありませんでした。

ターフの列の数は、その晩その家で眠る人の数を表していました。

毎晩崩して積み直すのは、数を新しくするためです。

人が増えれば列が増え、減れば列が減ります。

祖母が来た晩、義理の母は自分でターフを積み直していました。

二列から、三列に変えたのです。

けれど、祖母は誰にも数え方を教わっていませんでした。

だから、あの三日目の晩、祖母は積み直さなかったのです。

その晩の暖炉の脇には、前の日の形が、そのまま残っていました。

数が、更新されていない家でした。

祖母は、義理の母に一度だけ訊いたことがあります。

あの人は誰だったのか、と。

義理の母は、編み物の手を止めずに答えました。

「うちの数を、外から見てる人だよ」

祖母が、それは生きている人ですかと訊くと、義理の母は少し考えてから言いました。

「生きてるとか、そうでないとかいう話じゃない」

「勘定の話だ」

祖母はそれ以上訊きませんでした。

父は、この話を嫌った

祖母がこの話をするたび、父は席を立ちました。

自分がその赤ん坊だったのに、一度も最後まで聞きませんでした。

私が大人になってから、一度だけ理由を訊いたことがあります。

父はしばらく黙って、それからこう言いました。

「母は、あの晩に何を見たか、俺には言わなかった」

「他人には話すのに、俺には言わなかった」

父は、そのことをずっと気にしていたのだと思います。

祖母がこの話をするのは、決まって家族以外がいる席でした。

近所の人、教会の集まり、私が連れてきた友人。

身内だけのときは、一度もしませんでした。

いま思えば、あれは自慢話でも思い出話でもありません。

知らない人に、積み方を伝えて回っていたのだと思います。

教区の帳面

私がこの話を確かめに、コネマラへ行ったのは五年前です。

集落はもうありません。

家は三軒だけ壁が残っていて、あとは草に埋もれていました。

教区の記録は、二十キロ離れた町の資料館に移されていました。

そこで、同じような話が三件ありました。

資料館の記録は、手書きの台帳でした。

教区の司祭が、その年に起きた出来事を書き留めたものです。

丘が動いた年は、書き込みが極端に増えます。

家の被害、家畜の数、道の復旧にかかった日数。

その並びのなかに、いくつか短い行がありました。

「知らせを受けたため、無事」

そう書かれた行が、三つありました。

誰から知らせを受けたのかは、書いてありません。

司祭は、それを書かないことに決めていたようです。

いずれも、丘が動いた年です。

いずれも、階段や戸口で誰かに知らせを受けた家でした。

三件に共通していたことが、ひとつあります。

どの家にも、その年に外から入ってきた人がいました。

嫁いできた人、あるいは、越してきた借家人です。

つまり、積み方を知らない人がいた家です。

数の合っていない家にだけ、知らせが来ていました。

集落の跡には、いまも泥炭を切った跡が残っています。

階段状に削られた黒い断面が、雨で光っていました。

その断面に手を当てると、想像していたより温かいのです。

沼は、内側でゆっくり発酵しています。

何千年もかけて積もった草が、まだ熱を持っているのだと聞きました。

私はそこに座って、丘のほうを見上げました。

斜面には、いまも滑ったあとの筋が残っていました。

その筋の先に、祖母の家の壁がありました。

積み方を教えて歩いた人

資料館の年配の職員が、ひとつだけ教えてくれました。

昔、この地方には、家々を回って泥炭の積み方を教えて歩く人がいたそうです。

報酬は、その家の食事一回ぶん。

季節ごとに、決まった順路で回っていたと記録にあります。

ただ、その人の名前は、どの帳面にもありません。

教区の名簿にも、税の記録にも、どこにも出てきません。

職員はこう言いました。

「名前を訊いてはいけない相手だったんでしょうね」

そして、少し笑いました。

私は、笑い返せませんでした。

私はいま、その言葉の意味を、少しだけ違う形で理解しています。

あの決まりは、数を「外」に知らせるためのものです。

ということは、外に、それを毎晩数えている側がいるということです。

知らせに来てくれる相手と、数えている相手が同じかどうかは、誰も言いませんでした。

義理の母も、資料館の職員も、そこだけは口にしませんでした。

いまも、崩してから積む

祖母は九十四で旅を終えました。

最後の数年、施設の部屋に暖炉はありませんでした。

それでも祖母は、寝る前に、枕元のティッシュの箱を一度倒して、置き直していました。

看護師さんは、それを癖だと思っていたそうです。

私はいま、ダブリンの集合住宅に住んでいます。

暖炉はありません。

それでも、寝る前に必ず、何かを一度崩して積み直します。

玄関に置いた本でも、キッチンの布巾でもかまいません。

ばかばかしいと思いながら、二十年続けています。

先月、酔って帰った晩に、それをせずに眠りました。

翌朝、玄関の本が、積み直されていました。

三冊でした。

私はひとり暮らしです。

土地の決まりごとが人を守る話としては、三つ数えてから答える集落や、火を借りてはいけない砂糖小屋も、後味の残る話です。

家の数が合わなくなる怖さという点では、台風のあとに増えた一戸もあわせてどうぞ。

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