
1979年6月21日午前3時頃。
兵庫県姫路市野里の路上で、一人のタクシー運転手が震える声で110番通報をしました。
「腰まで垂れる長い髪、真っ赤な口が耳元まで裂けた女が白い長襦袢をまとい、出刃包丁を持って立っている」
その通報は、当時社会を騒がせていた「口裂け女」の噂と重なり、緊張感を帯びて署内を走りました。
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駆けつけた姫路署の警察官が現場で発見したのは、電柱の影にずぶぬれで立ち尽くす一人の女性でした。
25歳、元化粧品販売員で現在は無職のA子さん。
彼女は銃刀法違反でその場で書類送検されました。
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事の発端は、仲の良い友人である23歳のグラフィックデザイナー・B子さんと観ていた一本の怪談映画でした。
深夜の部屋で盛り上がり、ふたりは流行していた「口裂け女」のメイクを施してみることにしたのです。
仕上がりは、あまりにもリアルでした。
「これは面白い、行きつけのお好み焼き屋の大将を驚かせてやろう」
そんな軽い悪ふざけ心から、ふたりは外に出ました。
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ところが外に出るや否や、激しい雨が降り出しました。
B子さんは「傘を取ってくる」と一旦戻り、A子さんはひとり路上に取り残されました。
その瞬間、通りかかったタクシー運転手が異様な姿を目撃し、恐怖のあまり通報したのです。
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都市伝説と現実が交錯した一夜の出来事。
口裂け女は「怪談」として知られていますが、この事件はそれがどれほど人々の心に影響を与えていたかを物語っています。
そしてこの姫路での「口裂け女騒動」は、今もなお、昭和の怪談ブームを象徴する逸話として語り継がれているのです。
口裂け女騒動 ― 昭和の怪談ブーム
1970年代後半、日本のあちこちで「口裂け女」の噂が急速に広まりました。
「私、きれい?」と問いかけ、答えに応じてマスクを外すと口が耳まで裂けている――。
そんな怪談が小中学生の間で瞬く間に広まり、全国で集団下校が行われるほど、社会現象にまで発展しました。
当時の新聞やテレビでも取り上げられ、恐怖と好奇心の入り混じったブームを巻き起こしていたのです。
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その最中に起きたのが、姫路での「口裂け女騒動」でした。
タクシー運転手が通報した時、警察は一瞬、本当に怪異かもしれないと緊張したといいます。
しかし、実際に見つかったのはメイクを施した若い女性。
それでも夜の雨に濡れ、白い長襦袢をまとい、出刃包丁を持っていた姿は、噂そのものを体現していました。
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この出来事は、都市伝説がどれほど現実に影響を与えるかを如実に示しています。
口裂け女はあくまで「作り話」に過ぎなかったはずが、人々の心理に深く浸透し、現実の通報や事件にまで結びついてしまった。
それは怪談がただの娯楽や笑い話ではなく、「社会の恐怖」を映し出す鏡であることを教えてくれる出来事でした。
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姫路でのこの騒動は、のちに「都市伝説の実証例」として語り継がれ、昭和という時代を象徴する怪談ブームの一幕として記録されています。
今もなお「口裂け女」と聞けば、当時を知る世代の心をざわつかせるのは、単なる噂話以上に「現実と怪談が交錯した瞬間」が確かに存在したからでしょう。